三年の時を経て4

 私には、少し特別な力……なのかは分からないが、とくしゅな体質がある。その体質とは、魔物が攻めてくる二、三時間前に、に涙が流れるというものだ。悲しみも、喜びも、なんの感情もなく、ただ静かに流れてくる。


 どういうみかは分からない。フェルメリアで暮らし始めてからの三年間、二度同じげんしょうが起こったが、そのどちらも魔物がめてくる二時間ほど前に流れた。そのこともあって、ユキと話し合った結果、このな涙は魔物が攻めてくるのを知らせてくれるものだ、とけつろん付けた。


 そして、この涙は三年前のある夏の日──シンド村が魔物に攻め込まれてしょうめつした日も流れていた。


 当時はまだ、この涙のことがよく分かっていなかったため、何もすることが出来なかった。もちろん、分かっていたとしても役に立てたかは分からないが、前もってけいかいをするよう伝えるくらいは出来たかもしれない。


 でも、実際は何も出来ず、ユキに引かれてただ逃げることしか出来なかった。そのせいで、ママや仲の良かった村の冒険者の人達は、みんな魔物に殺された。ユキや大人の人達も、きっと私は悪くないって言ってくれるだろう。それでも、私はずっとこうかいしてきた。


 後悔してきたからこそ、今度は守る。そう決意して、私は宿の手伝いをしてお金をもらい、そのなけなしのお金で冒険者さんをとしてやとい、三年間特訓した。そして今日、その日がやってきたのだ。


 もしかしたら、えいへいさんだけでもたいしょしきれる可能性はある。私が行って足でまといになる可能性もある。私だって頑張ってきた。でも、まだ十歳の少女でしかない。魔法が使えるからって、役に立てるとは限らない。


 だとしても、何もしないでいる訳には行かなかった。


 学園配布の革製の防具を身に付け、腰や肩にあるひもを固く結ぶ。その上からユキのお下がりのいっちょうを着て、こつから腰辺りにかけてある五個のボタンを閉める。


 入学の前日……つまり、一昨日にユキに貰った、腕の形に合わせて曲げた金属板というかんな盾――もちろん、すごくありがたい――を、口と右手を使いなわを縛って左腕にそうちゃくする。手首を曲げたり、腕を振ったりして、邪魔にならないことを確認する。


 一張羅の上から、剣帯をかなめ、


「……ユキのお父さん。初めての実戦です……どうか、支えてください」


 顔も名前も知らない、ユキの父親から受けいだ剣を大事に抱えて、目を閉じてそうつぶやく。すると、「頑張れ」と小さく聞こえたような気がした。全くの気の所為せいかもしれない……でも、胸がほんのりと温かくなって、わずかに笑みがこぼれた。


 けんたいさやごと剣を装備する。腰の左側に確かな重みを感じつつ、ブーツのひもむすび直す。冒険者さんに教わったほどけにくい結び方で結び終え、よしっと小さく呟いて立ち上がる。


 涙が流れてから、二十分くらいが経っただろうか。時間はまだあるが、今のうちに出た方がいいだろう。ちょうど、同室の三人もしずまっているし。


 音を立てないようにかかとから足を下ろして、一部屋に一つだけある、入口のとびらへと近付く。


「どこかへ行かれるのですか?」


 ドアノブに手をかけようとした瞬間に背後から話しかけられ、肩とどうの早さが大きくね上がる。かすれてはいるものの、りんとした声の敬語は間違いなくアトラさんのものだろう。


 ゆっくりと左回りに振り返り、二段ベッドの上段で上半身を起こして、暗くてハッキリとは見えないが、欠伸あくびをしているように見えるアトラさんに視線を向ける。寝起きでだんしてるアトラさん可愛い、なんて感想が出てきているくらいだし、多少は落ち着いたようだ。


「全然寝付けなくて……ちょっと、外の空気を吸ってこようかな、と思いまして」


 ついさっきまで外にいた理由を述べる。嘘を吐いていることにじゃっかんりょうしんを痛めつつ、完全に空気を吸いに行くかっこうでないことに気付かれないよう、強くいのる。


「……そうですか。まだ夜は冷えますから、風邪を引かないよう、気を付けてください」


 えいえんにも感じられた数秒のちんもくて、アトラさんが口を開く。そして、もぞもぞと布がこすれる音がして、アトラさんは再び横になった。一分程で寝息が三つに戻り、音が出ないようせいだいに溜息をく。


 けていてくれて助かった。今、アトラさんに本当の理由を話している暇は無い。何せ、私ののうりょうは説明の仕方がめんどう……というより、正直分からないのだ。こういう現象だ、という説明は出来ても、それ以上──げんなんかは私自身全く理解していないし、理解出来る人などいないだろう。


 だから、もしアトラさんに深くついきゅうされたら、魔物が攻めてくるさいちょうの残り時間、二時間半で説明し切れるか分からない。そうなれば、こうしてじゅんした意味も、決意した意味もなくなる。


 そういうわけで、アトラさんがすぐに睡眠に戻ったのは、私としてはこの上なくありがたかった。


「帰ったらちゃんと説明します」


 聞いていないだろうが、そう言い残して部屋を出る。


 足音に気を付けつつ、走って寮の入口に向かう。入口の扉の前に立ち、静かに扉を押し、少し開いたところで体をすきすべり込ませて外に出て、そしてゆっくりと閉める。


 外はまだくらやみだ。当然だろう。時刻はまだ午前一時といった所だ。こんな時間に魔物が攻めてくることは初めてだ。


 シンド村の時は昼間だった。その後、フェルメリアに移り住んでからの二回も、日がまだ出ている間の事だった。私が経験し、記憶している魔物のしゅうらいは、どちらも夜中ではなかった。


 そのため、ほのかに不安がある。それは、夜の戦いの経験がないということだ。


 これまでの特訓は、どれも昼間に行っていた。魔物の襲来は昼間に起こるものだと思い込んでいたからだ。もちろんどうしてくれていた冒険者さんたちのごうもあったが。


 しかし、今回は夜だ。ゆえに、私は夜における戦い方を知らない。視界のかくは? 敵の位置のあくは? そもそも、集団戦の立ち回りは? 全てが初心者だ。冒険者さんたちの話から、何となくの想像は出来るものの、想像と現実は違う。実際にやってみて、全く出来なかったけいけんなどいくらでもある。


「不安になってきた……ううん! やるって決めたんだ、やらなきゃ!」


 小声でそう呟き、先程と同じ詠唱で火を作り出して視界を確保し、学園を取り囲むへいの南側へと向かう準備を整える。正門がある場所だし、職員室からは丸見えだが、こんな時間に学園内からかんしている人はいない。もちろん、学園の周りを見回っている人はいるだろうが、上手くやり過ごせるだろう。


 中の見える正門から見つからないよう、へいの東側の辺に触れてからは、火を消して手で触れた塀伝いに南側の辺を目指す。時間はあるのだ、あせる必要は無い。


 それに、いざとなれば私にはさくてき魔法がある。これを使えば暗闇だろうと全てを見通せる。ただ、まだ使い慣れていないから立ち止まる必要があるが。


 暗闇での戦い方を色々とイメージしながら進んでいると、前に伸ばしていた右手が塀に触れた。もう一度火を作って、空中にする。これで、塀とのきょかんも分かる。


「索敵」


 目を閉じて、小さく呟く。私の周りにある魔力へかんしょうし、私の存在をそこへ溶け込ませるようなイメージをする。すると、私が今まで感じていた服の感触や空気の冷たさがうすれていく。


 学園周りの地図を思い浮かべ、私がいる近くの塀の外に視界を移動させる。すると、こうせき──魔力を多分に含み、自発的に光る鉱石らしい──を左手に、やりを右手に持った衛兵がはいかいしていた。


 息を殺し、とおぎるのを待つ。数分、っただろうか。衛兵は私の索敵範囲から外れ、索敵範囲から人は私をのぞいていなくなった。行くなら今だ。


 立っていた場所から数歩下がり、塀から数フォティラスの距離を取り、前後に足を開いて腰を落とす。そして、息を整えたところで、左足で地面を強くる。


 数歩走ったところで、壁まで一フォティラスを切り、勢いそのまま両足を地面について深くこしを落とす。下ろした腕を上に強く振り上げて、それと同時に地面を蹴ることで、つけたじょそういきおいを上へとてんかんする。


 三フォティラスはあろう塀のふちにギリギリ手が届き、そこからは腕力、そしてくつうらと塀の間のさつりょくでなんとか登りきる。


 れた呼吸と早くなったはくどうを二度の深呼吸でととのえ、学園の外へと飛び降りる。私の身長の三倍以上ある塀から飛び降りれば、恐らく一歩間違えれば小さな怪我けがでは済まないだろうが、両足を着き、膝を曲げ、前回りに受身を取ることで体へのダメージを最小限におさえる。


「バレてないよね。今のうち」


 しゅうを見回し、誰もいないことをかくにんしてから学園通りをおおどおりに向けて歩みを進める。


 まさか、学園を抜け出すことなんてないだろう、などと考えた数十分後に抜け出すことになろうとは、誰が思っただろうか。もしかしたら、これがママやユキが言ってたフラグというやつなのかもしれない。


 そんなことを考えたせいで、胸がキュッと苦しくなる。今はかんしょうひたっているひまはない、と頭を振って苦い気持ちを追い出し、右へとほうこうてんかんする。


 走りはしない。この後、どのようなてんかいが待っているのか分からないのだ。こんなところでけいな体力は使わず、時間があるのだからなるべくおんぞんするべきだろう。そう考え、はやる気持ちをおさえて大通りを西へと歩く。


 さすがに、こんな時間に人はいない。場所によっては衛兵が見回りをしているだろうが、大通りなどという目立つ場所は基本少しのぞく程度にしか見ていないそうだ。というのも、大通りは目立つからぬすみをはたらくくような人は通るのをけるだけでなく、フェルメウス領のりょうないほうにより、あらゆるきんげんしゅくばっするとさいされているため、基本禁忌として記されていることをする人はいない。


 まあ、それも領主のじんぼうや生活の安定により成せるわざなのだろう。スラムと化しているかくは一部あるものの、この街は普通に暮らしていくぶんには苦労は無い。なにせ、広い領地の南半分を農業区としており、食料はほぼ自給自足が成り立っていて、そのためだんも安いのだ。だから、食にこまることは無いし、衣類や住まいも十分量供給されている。


 静かな広い道を、西へ向けてゆっくりと歩く。たまに大通りにつながる路地の向こうに、魔光石の明かりがほのかに見えることはあるが、私に気付く気配はない。それでいいのか衛兵、とも思うが、これぞこの街が平和であるしょうだろう。


 そうこうしているうちに、街のほぼ西端まで来ていた。あとなんけんかの建物を過ぎれば、西門に着くだろう。そう思った瞬間、ある建物の前でつい足が止まった。


「……まだ、一日も経ってないのに」


 胸のおくそこに、じんわりとさびしさが浮かび上がる。ここは、私が昨日までそうろうし、そして今もユキが眠っている宿屋だ。


 寂しさを感じたのは、離れて暮らすから……では、ないだろう。おそらく、まだきょうが残っているのだ、戦いに向かうことに対する。そのせいで、死を感じ、寂しさを感じたのだろう。


「寝てる、よね。うん、寝てるはず。起こしちゃ悪いし……」


 体の向きを宿から西門へと向ける。しかし、足が動かない。どうしても、宿の方へ──ユキのいる場所へとかれてしまう。


「……少しなら、いいよね。ちょっとまどたたいてみて、起きなかったら行こう。うん、そうしよう」


 このままじゃ行くに行けないとさとり、建物と建物のせますきを通り、一番奥の窓の前に立つ。ここは、ユキがまりしている部屋だ。


 一度深呼吸をして、もくせいの窓を三度ノックする。しかし、しばらく待ってみても変化は無い。


 そうだよね、仕方ない。そう思い、あきらめて大通りへ戻ろうとした瞬間、窓の奥でドタ、という音がした。そのまま、少し待ってみると、今度はカツカツという音が窓へと近付いてきた。そして、ゆっくりと窓が外へと開き出し、あわてて当たらないよう横に移動する。


「……誰?」


 少しかすれているが、慣れ親しんだ声が聞こえた。間違いなく、ユキの声だ。


「私、プロティアだよ」


 小声でそう言うと、ユキの視線が私に向く。半分しか開いていなかった目がそくに大きく開かれ、数度まばたきが繰り返される。その間にユキの前まで移動すると、それと同時にじょうきょうを理解したのか、何度も見てきたイタズラ顔を浮かべ、


さびしくてお姉ちゃんに会いに来ちゃったの?」


 と、少し嬉しそうに問いかけてくる。そんないつも通りのことなのに、涙が込み上げて来そうになるが、なんとかおさえ込む。


「そんなわけないでしょ、もうそんなに子供じゃないし」


「知ってる、ティアはしっかりしてるもんね……じゃあ、あれかな、例の涙」


「……うん」


 寝起きのくせにかんがいい、などと思いながら、小さくうなずく。


「そっか……行くんだね」


「うん。この日のために、頑張ってきたから」


「何か出来ること、ある?」


 ユキの言葉に、少し思考をめぐらせる。正直、シンド村をおそったが来れば、私と今担当している衛兵だけでは対応しきれないだろう。万が一のために、戦力を少しでも増やしたい。


「宿にまってる冒険者さんがいるなら、魔物が来ることを伝えて西門まで来させて欲しい。無理なら無理でいいよ」


「分かった」


 ユキが小さく頷く。恐らく、最後の付け加えは無視されるのだろう。ユキのことだ、絶対に誰かは連れて来る。そんな確信があった。


「じゃあ、行くね」


「待って、ティア」


 ユキは私を呼び止めると、両腕を私のこうとうに回して抱きしめた。身長差のせいで、私の顔がユキの大きく柔らかい胸に押し付けられる。


 ひたいから、ユキのゆっくりとした心臓が動くしんどうが伝わってくる。すると、じょじょに私の中にあった恐怖や不安がうすれて行った。昔からそうだ。ユキは、私が不安そうにしていると、こうして心臓の音や振動を聴かせて、私を落ち着かせる……そして、決まってユキの心臓は、ゆっくり動いている。


 どうして落ち着くのかは分からないが、私が赤ちゃんの頃からしていたそうなので、ユキの心臓は落ち着くサインだ、とたましいの奥底までいているのだろう。


 ユキのほうようが解かれ、頭が自由になる。暗い感情は、すっかり消え去っていた。


「頑張って」


「うん、行ってくる」


 そして、私は宿から離れ、再び西門へと歩みを進めた。

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