第4話 お姉ちゃんの不満なお家

―カチ、コチ、カチ、コチ

時計の音がやたら大きく聞こえる。

枕もとの時計を見ると、時間はすでに深夜12時を過ぎていた。

布団に入って1時間以上経っているけど、眠れない。

怒りのせいで。


今日の夕方。

りー君に引き止められる声を振り切って、私は急いで自分の家に戻った。

「お母さん!」

台所で夕食の用意をしていた母の背中に向かって怒鳴りつける。

怒りを隠す気は湧かなかった。

驚いた顔をして振り向いた母に問うた。

りー君の家から、お金を受け取っていたのか、と。

そのお金はどうしたのか、と。

母は少し気まずそうにした。

そう、少し。

まるで、小さな子供がちょっとしたいたずらを見つけられたほどの気まずさで、あっさりと答えた。

『弟の塾や部活の為に使った』と。

怒りのあまり言葉を失った私に、母は悪びれずに続けた。

『遊びに使ったわけじゃないんだからいいじゃない』

『弟の将来の為に使ったんだからいいじゃない』

本心から大して悪いことをしたとは思っていない様子だった。

弟は、小学校に入ってすぐに野球チームに入って、今も中学校の野球部でエース選手だ。

そして、中学校に入ってからは、ここ辺りで最も評判の良い塾に通っている。

私は部活なんてやったことないのに。

塾にも、高校受験の時すら行かせてもらえなかったのに。

母が、私より弟の方を可愛がっていることは、小学生の頃には気付いていた。

でも、これはさすがにあんまりじゃないの。

私はずっと自分の学生生活を犠牲にしてきたのに。

その犠牲に給料が発生していたことを教えてすらもらえず。

しかもその給料は私に還元されず、弟に使われていたなんて。

自分の学生生活を思う存分に謳歌している弟に。

あんまりじゃないの。

「…ひどくない…?」

キョトンとする母にもう一度言う。

「それって、ひどくない?

…それってつまり、私が稼いだお金を全部、弟に使ってたってことでしょ?

そもそも、お金をもらってたことすら、私、知らなかった…」

私の問いかけに対する母の返答を思い出し、布団の中で怒りに震えた。

『仕方ないじゃない、あなたは女の子なんだから』

『それにお姉ちゃんでしょ』

母はそう答えたのだ。

ああ、何を言っても無駄だ。

この人は心からそう思っている。

女は家族の男の為に犠牲になるべきだと思ってる。

男の家族の為に奉仕する存在だと思ってる。

これでもし母が自分勝手に暮らしている怠け者なら、そこを批判できた。

でも母も母で、父や弟が家で快適に過ごせるように家事を万端にこなし、パート代も自分の為には使っていない。

自分が父や弟に尽くしながら生きているように、娘の私も彼らに尽くして生きるのが当たり前だと思っている。

私の幸せは考えずに。

弟には一切何も背負わせないで済むように。

ふざけないで…

いい加減にして…

もうたくさんよ…

私に何もやらせないで、とまでは言わない。

でもせめて、弟と私を平等にしてよ。

姉弟でこの扱いの差は何なのよ。

…母の考えを変えるのは無理だから諦める。

でも、私が楽しく生きることは諦めない。

もう従わない。

私だって学生生活を楽しむ。

行事の実行委員、やろう。

…明日、もう1度りー君と話そう。

りー君を上手く説得して協力が得られれば、りー君の家に通う必要が無くなれば、委員活動も、親達への説得も、やりやすくなるはず。


次の日。

「…!お姉ちゃん!来てくれたの!?」

りー君の家を訪ねると、満面の笑顔のりー君に抱きつかれた。

いえ、抱きすくめられた、と言った方が正しいかも。

りー君も、もう中学3年生。

ほんの数年前まで私より小さかったけど、今は私より少し背が高い。

「もう来てくれないかと思ってたよ…!僕、不安で、寂しくて…」

涙目で私を見つめる黒目がちな瞳は、相変わらず可愛い。

でも、言わなければ。

「りー君、昨日の話の続きなんだけど」

「あ、うん…」

「私、やっぱり委員やりたい。りー君が私の家に来て」

「…」

りー君は口をつぐんで嫌そうな顔になった。

不満がある時にするこのムスくれた顔は、小さいころから変わらない。

でも私達はそろそろ変わらなければいけない。

私は変わりたい。

「でも…でも、昨日も言ったけど、僕、お姉ちゃんの家族と大して仲良くないから、居心地悪いんだってば…」

りー君、言わせないで。

私は彼のある隠し事に気付いている。

「じゃあもういっそのこと、私のお母さんに、この家に来てもらうのはどう?

りー君が学校に行ってる間に、うちのお母さんに掃除とかご飯のことしてもらって、りー君が帰ってくる前に撤収するようにすれば、だれとも顔を合わせずに―」

「それだと僕の様子を見る人がいなくなっちゃうじゃん!発作が起きたらどうするの!?」

りー君は私のセリフに被せて食って掛かってきた。

ああ、もう言うしかない。

「りー君、本当はもう病気治ってるよね?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る