第13話 今宵、いつもの酒場で(ロ)

「あんたが言っているのは、俺のリサのことか?」

 俺は低く唸った。サダさんがカウンターの向こう側で興味深そうに顔を見合わせた御影少将と俺を見つめている。そこにあるのは、たぶん、怪物と殺し屋の顔なのだろう。

 怪物は返事をしない。

「リサは愛人じゃねェぜ。俺の相棒だ」

 俺は平坦な声で言った。

「うーん、ほゥ、あれが黒神の相棒か――しかし、皇国軍の記録には残っていたぞ。阿部川上流の集落で『保護された』新宮りさだ。判別は甲種皇国民――だったよなあ、佐々木君?」

 御影少将が背後へ視線を送った。

「――あっ、はい、御影少将。そうですよね! 新宮りさは日本皇国軍の所有物です」

 佐々木がうつむいて爪の先をいじっていた姿勢を正した。

「リサに手を出したら俺はお前らを殺すよ」

 俺はグラスを睨んで呟くように言った。

「うーん、黒神は私を脅せる立場なのか?」

 御影少将は笑窪を深くして見せた。

「てめェが少将だろうとなんだろうと――」

 唸ったところで、サダさんが空になっていた俺のグラスへ水割りを作ってくれた。

 俺は喉元まで出かかった言葉と一緒にそれを飲んだ。

 ほとんどが水だ。

 同じ水割りを飲みながら、

「うーん、それは、ともあれだ。黒神武雄は新宮りさの奴隷登録を済ませたのか?」

 御影少将が訊いてきた。

「今の俺は立派な区民だぜ」

 俺は言った。

「営業へ出る予定だから各地共通の住民票を持っている。会社からパスポートももらった。その俺が奴隷の一人や二人を飼って何が悪い?」

「うーん――」

 首を捻った御影少将はそのまま沈黙した。

 どうもこいつは、まだ俺に話があるらしい。

 話の取っ掛かりを探しているような雰囲気だ。

 正直なところ訊きたくなかったのだが、

「俺のほうからも、あんたにひとつ訊きたいことがある」

 と、俺は言った。

 嫌々だ。

「うーん?」

 御影少将が視線で俺の話を促した。

「俺があんたにくれてやったその百目鬼の手帳のことだ。本当にそんなものが何かの役に立つのか?」

 俺は顔をしかめて見せた。

「うーん、黒神はそれを聞きたいか?」

 ほんの少しだ。

 御影少将の声が高くなった。

 この怪物は俺へ何を聞かせたいのか――。

「正直、どっちでもいいよ。興味もない。もう帰ってくれていいぜ――」

 俺はサダさんへ視線を向けた。

 サダさんは無言で小さく笑っている。

「日本皇国軍はNPCを制御下におくための実験を繰り返している」

 御影少将が説明文的な口調で言った。

「そんなことできるもんか」

 俺は声を出さずに笑った。

「うーん、どうかな?」

 御影少将もひとつだけの笑窪を深くした。

「だから、それは逆立ちしてもできねェよ」

 俺は本格的にせせら笑った。

「月日集落で俺は、その実験過程を見てきたが最終的には大失敗したぜ。あれは――NPCは――ゾンビ・ファンガスは人類の敵なんだ。それ以上でもそれ以下でもない存在だ。人類はどうにかして奴らを完全に滅ぼすしかない――」

 せせら笑いながら俺は嘘をついていた。

 あの屈強なNPCに明らかな知性があるとするとだ。

 地球上で長年君臨してきた生態系の頂点から人類はすべり落ちる。

 こうなるとNPCは人類よりも上位の生命体――。

 しかし俺の憶測を、

「多治見の作戦で私の部隊は変異種ミュータント・NPCの拿捕に成功した。知性を持ったNPCの個体だ」

 怪物の発言は簡単に覆した。

「――その目的で皇国軍は多治見へ部隊を展開したのか?」

 俺は叫び声を噛み殺して言った。

 それでも、俺の声が極端に硬くなっていた。

 吐き気を催すような悪寒が全身へ巡っている。

「うーん、まあ、そういうことだ。私はその機会を春日三山要塞の上から窺っていたと――」

 御影少将は何の感情もないような声で言った。

「しかし、少将が主導したあの作戦では犠牲者が大量に出ましたよ。児島元帥、かなり怒ってました」

 佐々木が後ろから口を挟んだ。

 笑い声だった。

「だが、佐々木君、あの作戦は成功した」

 御影少将が振り向かずに応えて、

「この私が確保した変異種ミュータント・NPCは皇国軍の研究施設にいる。その場所がどこかは教えられんがな。しかし、見せてやりたい。あれは実におぞましい。この私でもゾクゾクするほど――」

 震え声でそう言って笑顔を見せた。

 俺は初めて見た。

 怪物の満面の笑みだ。

 絶望的だ。

 こんな顔で笑える奴はこいつの他、この世にいない――。

「――そんなことをして、あんたは何をどうするつもりなんだ?」

 俺は呻くように訊いた。

「うーん?」

 顔を傾けた御影少将が笑みを消した。

「日本は――複合企業体は、アメリカだけでなく、これまで敵対していた中国やロシアとも協力してNPCを全部駆逐する約束なんだろ。もう人間同士が利権争いをやっている余裕がなくなったんだ。つい先日、共同宣言が出たばかりじゃないか。さっきも、そんな話をした筈だぜ――」

 俺は説得するような口振りになった。

「うーん、よくある話で退屈なのだがな。それでも黒神は聞きたいか?」

 御影少将が薄い水割りを飲みながら言った。

「その話が退屈かどうかは、それを聞く俺が決めることだぜ」

 俺は話を促した。

「うーん――」

 首を傾げて見せた御影少将が、

「黒神、内実はな。複合企業体の幹部も日本皇国軍も、ハト派とタカ派ではっきり分かれている。アメリカ合衆国で活動している『日本再生活動サンライズ』も同様だ」

「――何だ、そのサンライズってのは。玩具を作る企業のことか?」

 俺は眉根を寄せて見せた。

「――うーん、黒神は本当に何も知らないんだな。新聞、読まないのか?」

 御影少将がじっと俺を見つめた。

「不必要な情報を俺は記憶しないことにしているんだ。くだらないことを憶えるのは脳細胞の無駄だろ。それに、漫然と新聞を購入するのは金がもったいないからな」

 これが俺の意見だ。

 お互い表情は変わらなかったが、そこで会話は完全に途切れた。

「ああ、黒神さん、黒神さん!」

 サダさんが教えてくれた。

日本再生活動サンライズというのは、日本企業が支援をしている、アメリカのロビィスト団体の名称ですよ。ウチの仁侠連かいしゃの噂では、このロビィスト団体のなかでも今回の日・中・露NPC共闘宣言に強く反対をしている連中が多いのだとか、そんな話ですね――」

「ハト派とタカ派。ああ、くっそ、御影、あんたはまさか――」

 俺は目を見開いた。

「うーん。NPCを完全制御できればだ。汚染列島の戦争は、またこちらから開始できる。制御下にあるNPCは人間の兵力を消費しない一方的な暴力だからな。うーん、いやいや、今ならユーラシア大陸にまで、日本皇国軍の勢力を伸ばせるのか――」

 御影少将が笑窪を作った。

「本当に百目鬼の手帳がその役に立つのか。俺もその内容に目を通したが、そこに大した情報はなかったぜ?」

 俺は薄い水割りを呷って気持ちを落ち着かせた。

「うーん、それは黒神の言う通りだな」

 御影少将が頷いて、

「百目鬼直永の手帳に記されている情報に価値はない。しかし、この手帳はロシア極東軍が月日集落でやっていたNPC制御計画の存在と、そこで行われていた実験において、NPC相手の意思疎通が成功していたという証明にはなる。その証明が今、私の主導しているNPC制御計画の推進力として必要なのだ。それで十分だ。あの被験体は私の手のうちにある――」

「あんたは――御影洋一陸軍少将は日本皇国軍のなかでも一番の主戦派――タカ派ってわけか。それでこれから共闘宣言をぶち壊そうと――」

 俺は声を絞り出した。

「――それは、むろん、私はそうするつもりだ」

 何の迷いも見せない。

 御影少将は深く頷いた。

「汚染後の十年間にあった問題が、ここでようやく解決へ向かおうとしているときに何故、そうまでして混乱を煽ろうとするんだ?」

 俺は怪物の横顔へ目を向けた。

「――うーん、黒神。結局、人間というものはだな」

 御影少将が平坦な声で言った。

「一旦、敵と決めたものとは、永遠に相いれないものだ。この場合、私の敵は中国とロシアになるのだが――それに、アメリカ合衆国もだな――」

 俺は返事をしなかった。

「しかし、この私が真実に望むのは、敵そのものではなく――」

 怪物は返事をしない俺へ顔を向けて、

「明確な敵が存在することによって大衆が抱く差別と混乱、それに便乗して他者が持つ価値観を殲滅することだ。私は――御影洋一は常に戦い続けることで呼吸をする。私が生きるために必要なのは闘争だ。永遠に続く巨大で徹底的な闘争――」

 こう言い放った。

 これは汚染直後の話だ。

 山の漁師から形見として譲り受けた猟銃(俺が山中で仲良くなったその漁師はNPCに殺された。譲り受けた銃はレミントンだった)を片手に、どうにかこうにかその日その日を生きていた俺が初めてこいつと――御影洋一と出会ったときだ。今見ているこの表情を俺は見た。ゾンビ・ファンガス胞子汚染と南海トラフ大震災とぶっ壊れた原子力発電所が吐き散らした放射性物質で黙示録の様相を呈していた日本をも丸呑みしてしまう虚無の表情だった。当時は若くて今よりずっと愚かだった俺は、この虚無の足元へ何も考えずにひれ伏した。そのあと、俺は何年か御影狩人団で――御影洋一の下でNPC狩人ハンターとして働いた。あのとき何もかもに絶望していた俺は、この怪物が――御影洋一が救いのように見えた。俺の絶望すらも、この虚無の怪物は呑み込んでくれると期待して――。

 だが、今は違う。

 昔の俺と汚染後の十年を生き抜いた今の俺は断じて違う。

 俺は御影洋一をはっきりとまっすぐ睨んでいる。

「――黒神武雄、お前も私と同じ種族だ」

 御影少将が比較的に人間らしい笑顔を見せた。

 それでもこいつは怪物に違いない。

「それは、自分が一番得意なことをやって生きるために、他人なんてものはいくらでも死ねばいいっていう理屈なのか?」

 俺は訊いた。

「うーん、まさしくだ、まさしくそれだ!」

 御影少将が大仰に目を開いて、

「やはり、黒神武雄は賢い男だ。この世界を――『私たちの世界』を存続させるために必要な本質を理解している。必要なのは闘争だ。それがなければ私たちのような種族は不要になる。お前もそれを十分理解している筈だがな?」

怪物モンスターめ――いーや、あんたと俺は全然違うね。その手帳を持ってとっとと帰れよ」

 俺はそう吐き捨ててグラスを手にとった。

「黒神武雄、私に協力しろ。私たちの世界を――闘争を維持するためにだ」

 御影少将が言った。

「お断りだね」

 俺は言った。

「うーん――」

 御影少将が目を洞にした顔を傾けた。

「へえ、あんたは俺をここで殺すつもりか?」

 俺は笑いながら訊いた。

「むろん、やろうと思えばそれはいつでもできるが――しかし、今、それをやっても私には何の利もない」

 御影少将がつまらなそうにグラスを手にとった。

「それは、どうかな――」

 俺は手に持ったグラスを眺めながら呟いた。

 丸い氷とバーボンの薄い水割りが入った背の低いウィスキー・グラスだ。

「黒神武雄は大豊コーポレーションの自動車営業販売員として、ロシア本国へ出向する予定なのだろう?」

 御影少将だ。

「――まあ、俺の職業柄、そうなるかも知れんね」

 俺は言葉を濁した。

「そのとき、私からお前へ仕事を頼むと思う」

 御影少将が怪物の声で言った。

「だから、それはさっきも言っただろう」

 俺は唸った。

「こっちは断固としてお断りだ。あんたは、本当にしつこいんだよ。昔からな――」

「うーん――」

 眉間のあたりに手をやった御影少将が、

「――新宮りさ」

 と、言った。

「――今、何だって?」

 俺は呟いた。

「私の一存で新宮りさはどうにでもできる」

 怪物は笑いもしない――。

「――ああ、あんたが俺に要求しているのは『寒い国から来たスパイ』でなくて、『これから寒い国へ行くスパイ』か?」

 俺はグラスを呷って一息にそれを空にした。

「うーん――」

 御影少将が横目で視線を送ってきた。

 俺は怪物へは視線を返さずにサダさんへ空にしたグラスを手渡した。

 サダさんは、そのグラスにすぐ水割りを作ってくれた。

 そこで俺のボトルは――荒くれ七面鳥十二歳のボトルは空になった。

「――御影少将殿よ。その話は、まあ、追々こっちで考えておく。でもすぐその要求に応えるのは本当に無理なんだ。会社の営業部にいるときの俺はだいぶ遅れてきた新入社員扱いだから忙しい。毎日毎日、研修やら挨拶回りやら何やらで忙殺されている新人企業戦士の俺は自由に使える時間なんてほとんどないからね――」

 俺はサダさんの手から直接グラスを受け取って苦く笑って見せた。

 サダさんも柔和に笑った。

「うーん――ま、今のところはその返答で良しとしておこう」

 御影少将は席を立った。

 椅子の背もたれにあった陸軍外套を袖を通さず羽織った御影少将へ、

「御影洋一、てめェって男はな、本物のクソ野郎だぜ――」

 俺は吐き捨ててやった。

「はっ――黒神は私を褒めているのか?」

 一声高く笑った御影少将がカウンターの上にあった軍帽を手にとった。

「言葉通りの意味だ。俺はあんたを貶しているんだよ、心底からな」

 俺は濃い水割りで唇を濡らした。

「ふふっ――」

 上機嫌な笑い方だった。

「では、黒神武雄工作員。後日、またこちらから連絡する」

 頭へ軍帽を乗せながら踵を返した御影少将はそう言い残して、胡蝶蘭の正面出入口から出ていった。

「ああ、佐々木はちょっと待て」

 俺はカウンター席から上官を追う佐々木を呼び止めた。

「あっ、はい。ぼくは先日、少佐に昇進しました。佐々木少佐ですよ?」

 佐々木少佐が振り返って笑った。

「――佐々木少佐殿よ。帰る前に俺のリボルバーを返してくれよな」

 俺はカウンター席から言った。

「すっかり忘れていました、そうですよね」

 笑顔で歩み寄ってきた佐々木少佐が外套の内ポケットから俺のリボルバーを取り出して、それをカウンターの上へ置いた。

「俺はこいつがすごく気に入ってるんだ。汚染後に大枚をはたいて購入したときからずっとこいつを使ってる。十年近くだよな。こいつだって俺の大事な相棒なんだ――」

 俺はリボルバーを――S&W M686のシリンダーをスィングアウトさせた。

 そこには弾が入ってない。

「おいおい、佐々木少佐。弾もちゃんと返してくれよ。あれだって無料タダじゃないんだ」

 俺は佐々木少佐を見上げた。

「それはさすがにできませんよ。背中を撃たれたらかなわないですからね」

 佐々木少佐は笑顔で応えた。

 こいつはいつもセールス・レディみたいな内容のない笑顔で笑っている男だ。

 カルロスはへらへら笑いでも、いつだってその笑顔に実感があった。

 俺が好きだと感じる連中は、その全員が笑顔に実感のある奴らだった。

 だが、こいつの安っぽいプラスチックみたいな笑顔はどういうことだ?

 これは本当にマジで他人を心底からイラつかせる野郎だよな。

 なあ、みんなはそう思わないか?

「まあ、それもそうだよな――」

 俺は左手のなかにあったマグナム弾を、古いほうの相棒のシリンダーへ送り込んだ。

「あっ――!」

 佐々木少佐が声を上げた。

 俺のリボルバーの銃口が佐々木の笑顔を捉えて銃声を鳴らした。

 硝煙の向こう側にあった佐々木の笑顔は眉間に風穴を開けた。

 佐々木は馬鹿みたいに床へ崩れ落ちた。

 もう、この世界一安い笑顔のクソ野郎は永遠に動かないし笑えない。

 俺は佐々木を殺した。

「――佐々木よ。俺がお前らを恨んでいないと思ってくれるな。あのときそう警告しておいた筈だぜ。呼び出された場所に揃ってノコノコと顔を見せやがってな。サダさんと俺が組んでいないと思っていたのか。本格的に間抜けな奴らだぜ。そうじゃないのか、なあ、おい?」

 俺は笑い声で言った。

 カウンターの向こうでサダさんも笑っている。

 サダさんがシャツの袖の折り返しに保険で隠しておいたマグナム弾だ。

 俺はついさっきこの保険をグラスと一緒に受け取った。

「――ま、あんたはもう死んでるから返事ができないよな」

 席を立った俺は佐々木の死体に笑い声を聞かせながら、そのポケットのなかにあったマグナム弾とスピードローダーを取り返して古いほうの相棒の弾倉を満たした。

「黒神さん、お見事です」

 サダさんが褒めてくれた。

「うん、サダさん。こっちの仕事は無事に済んだけどね。表は上手くいったかな?」

 俺はリボルバーをレッグ・ホルスターへ納めて正面出入口を見やった。

 その扉をバタンと開けて、

「サダサン、クロカミサン!」

 と、百目鬼の手帳を片手に飛び込んできたのは、サダさんが使っている舎弟の宇都ウド君だった。黒服を着ているのだが、髪も肌も黒いので、上から下まで全部真っ黒に見える若者だ。それで日本語は片言だ。

「宇都、表の様子はどうだった?」

 サダさんが訊いた。

「ミナ、死ンデマス。ミナ頭、ドカーン!」

 宇都君が目を丸くした。

「ああと、宇都君、あの怪物は確かに表で死んでいたの?」

 俺も訊いた。

「黒神サン、怪物? モンスター? ソレ、ダレ?」

 宇都が眉根を寄せた。

 俺はその宇都の手にあった百目鬼の手帳を取り上げて、

「御影洋一陸軍少将だ。この手帳を持っていた兵隊さんね。たぶん、死んでも笑っていただろ。あいつはそういう奴だからな」

「トニカク、表デ、兵隊、タクサンタクサン死ンデタヨ!」

 宇都君は両腕を広げて興奮している様子だった。

「そうか、御影は死んだか。怪物だってミスをすることがあるよな。あのとき――カルロスを殺したとき、自分が言っていたことだろう。物事の失敗を呼ぶのはイレギュラーの存在がだとかな。俺の相棒が――俺の天使がこの場にいないのはどう見たって、イレギュラーだった筈だぜ。そうじゃないのか、御影団長――ああ、宇都君ね。間違いなく表にいた皇国軍の兵隊はみんな死んでた?」

 俺はまた訊いた。宇都君は興奮して落ち着きがないし、片言なのでどうも信用できなかったのだ。

「ウン、死ンデタ死ンデタ!」

 宇都君、ぶんぶん頷いて見せた。

 真面目腐った顔の宇都君を少し眺めたあと、

「サダさん。一応、俺の目で生死の確認をするよ。仕事だからね――」

 俺は正面出入り口へ足を向けた。

「黒神さん、死体を確認をしている暇はないですよ。皇国軍の憲兵が動き出しますから、場所をすぐに変えないと――」

 サダさんがフロアに出てきた。

「ああ、それもそうだな、サダさん」

 俺は足を止めた。

「しかし、黒神さん、お見事でした。リサちゃんもね、すごいすごい。一分も経たないうちにここへ来た兵隊さんたちを皆殺しだ。本当に驚いた――」

 サダさんがまた笑った。

 店の表に出た御影洋一と、そこに待機していた皇国軍兵をブレイザーR93(改)で狙い撃ち皆殺しにしたのは、むろん、俺の大天使様だ。我ら迷える小羊の渇望に、熱望に、嘆きの祈りに応じたその大天使が煉獄に湧いて出た怪物へ、裁きの天雷を下すことを決定した場所は、この場所から――胡蝶蘭・本店から遥か南にある湾岸の観覧車の上だった。距離にして一キロ半。しかも今は真夜中だ。人間では不可能。しかし、その距離からでも裁きの大天使の手で放たれる天雷ならば届いてしまう。天におわす方の恩寵を受けた我が大天使様は炉心のように輝くそのまなこで捉えた罪人を、悪魔を、怪物を、決して逃がしはしないのだ。

 閉店寸前の胡蝶蘭の四隅に下がったスピーカーからは、まだ天使の殺戮を讃える合唱が――モーツァルトの鎮魂曲レクイエムが鳴り響いていた。

「いや、サダさん。リサも俺もだ。汚い仕事はこれで最後にしたいんだ――」

 俺は呟くように言った。

 愛想笑いもできなかった。

 天竜自治区の――聖空と愛空のことがあったからだろう。

 リサはサダさんの依頼――御影洋一の暗殺を迷わずに請け負った。

 たぶん、リサはずっと前から決意していたのだ。

 それが汚染列島に舞い降りた、あの天使の役割ロールでもあったのか。

 俺は奥歯を噛んで考えた。

「しかし、黒神さんはひとを殺しても顔色のひとつも変えないんですね。いやあ、これは、さすがに専門家プロですよ――」

 サダさんが嬉しそうに言った。

「あのねえ、サダさん――?」

 俺は視線を落として呻いたが、

「やっぱり、黒神さんは都会的アーバンなんですよね。都会的アーバン殺し屋キラー

 サダさんはまだニコニコしている。

「俺から言わせてもらえばね」

 俺は溜息を吐いて言った。

「目の前でひとがぶっ殺されて、そこまでへらへらしているサダさんだって大概な人間だよ。どう考えても堅気じゃないよね、このひとはね――」

「いやあ、私は長く客商売をやっているので、この手のトラブルには慣れていますから――」

 てへへと笑顔を崩さないサダさんだ。

「ああもう、これって間違いなくドヤクザだ。怖い怖い――」

 俺は顔をしかめて見せた。

「あっははっ!」

 声を上げて笑ったサダさんが、

「まあ、黒神さん、早く行きましょう。裏に車を用意してあります」

 と、俺を促した。

「サダさん、リサをちゃんと――」

 俺は裏口へ足を向けた。

「わかってます、ここからの逃走経路できちんと拾いますよ。そこらの段取りも任せてください――」

 サダさんが俺の横についた。

「サダサン、無線、無線!」

 サダさんは宇都君が差し出した無線機を受け取って、

「高橋、狙撃現場そっちの状況はどうなってる。どうぞ」

『組長、この様子だと居場所は――狙撃場所はまだ全然バレてやせん。こりゃあ、バレるわけねェ。真夜中にこんな遠くから弾が当たるなんて誰も考えやせんぜ。どうぞ』

 リサのほうにいる舎弟から返答だ。

「おい、高橋。まだ仕事は終わっていない。浮わッつくな。リサちゃんをきっちり守れ。その娘は俺の大事な客人だ。手前が下手を打つと俺たちは黒神さんに殺されるぞ。どうぞ」

 サダさんがヤクザの声音を使って小型無線機へ唸った。

『あっ、へえ、組長! そりゃあ、俺っちも重々わかってまさ。どうぞ――』

 高橋君の声が裏返った。

「すぐにそっちへ車を回す。警戒を維持しとけ。通信は終わりだ」

 無線連絡は短いやり取りで終わった。

「――ああ、そうだ、忘れていた。ほらこれはサダさんが取っておいて」

 俺は廊下を歩きながらサダさんへ百目鬼の手帳を渡した。

 サダさんはベストの内ポケットに手帳を突っ込んで、

「いやあ、ありがたい。ここまでしてもらうとちょっと申し訳ないですね――」

「いいんだよ、それいらないから。でも、そんな手帳が何かの役に立つの?」

「まあ、NPCの情報はロシア極東軍も人民解放軍も欲しがりますから。特別、変異種・NPCの情報は金になりますよ――」

「リサと俺の高飛び資金の足しになりそう?」

「いやいや、それはもう十分です。私のほうから頼んだ仕事を黒神さんにやってもらいましたから。お釣りが出るかも知れませんよね」

 まあでも、サダさんは銭ゲバヤクザもいいところだから、きっとお釣りは出てこないだろうな。

 俺はそんなことを考えながら言った。

「そっか。まあそこらはサダさんを信用するよ。もう信用するしかない状況でもあるからね」

「いえいえ。それに、黒神さんね。私の店だって海外移転をしますから、もののついでですよ。神戸から渡航する人間が二人くらい増えたところで、私のほうとしてはそれほどの手間でもない。だから、まあ、気にしないでください――」

 サダさんがそう言っている最中、一緒に歩いてきた宇都君が裏口のドアを開けてくれた。胡蝶蘭の裏手にはサダさんの厳つい舎弟が二人いて、その間に黒塗りのセダンが停まっている。

「ああ、サダさん。ひとつ訊いてもいいかな?」

 俺は足を止めた。

「ああ、はい、何でしょう?」

 サダさんも足を止めた。

「サダさんが俺に依頼したこの仕事の出元って結局どこからだったの。サダさんが御影洋一を相手に、何かのトラブルがあったとは思えない。死体の二つ三つは転がっているものだと思っていたけど、店の裏手は静かなものだ。この様子だと御影洋一はサダさんを全然警戒していなかったみたいだし――」

 俺が目を向けるとサダさんの視線が斜め上へ向いている。

「――ああ、サダさん。言えない事情なら、それはそれでいいんだよ。俺は知らなくていいことを知りたいわけじゃない。だから、気にしないでくれ」

 俺は少し笑った。

 無言のままサダさんが俺の目の前へすっと――。

「――おっと、ここで煙草をくれるのか。ありがたい。いつもの洋モクだ。値段の高いやつだね」

 俺はサダさんが突きだした幸運をぶち抜く銘柄の箱から煙草を一本引き抜いた。

「黒神さんに、私のほうから言わなかったですかね?」

 自分も煙草を咥えたサダさんがマッチを擦った。

 二人分の煙草に火を点けたあとだ。

「――全然、聞いてないよ?」

 俺は煙草の煙を鼻から噴いた。

「ええと、巡り巡ってですね。結局、小池さんが私を通して黒神さんへこの仕事の依頼をしました。ああ、あの小池幾太郎さんという男はですね、古くから私どもの仁侠連かいしゃとも――汚染前からあるヤクザ組織のいくつかとも付き合いがあって――」

 サダさんの発言を、

「――あっ、サダさん、サダさん!」

 俺は大声で遮った。

「あっ、はい、どうしました?」

 サダさんは怪訝な顔だ。

 自分から尋ねておいて失礼な態度だったのだが、

「サダさん、もうそれはいい。言わなくていい。俺はそれを聞きたくないから――」

 俺はセダンの後部座席へ乗り込んだ。


(第5章 ゾンビ列島の再生計画 了)

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