第7話 パーラー・アテナの籠城戦(ロ)

 膝の上にいたリサを、ひょいと持ち上げて床へ下ろしたあとだ。

「それで、内山さんね」

 俺は椅子から立ち上った。

「おゥ――」

 内山さんは片肘を背もたれに預けて、無線機の前に座った島村さんを眺めていた。

「前哨基地で待機組の俺たちはどうすればいいんだ。団長の指示をくれ」

「?」

 リサと俺は内山さんへ目を向けた。

「それはやっぱり前哨基地でこのまま待機だよなァ、コノヤロー」

 内山さんがこっちへ顎を向けた。リサは天使で戦士だ。それをもう十分知っている筈だが内山さんはリサを前哨基地から出したがらない。だから、リサの通訳係のような俺も偵察班へ組み入れられない。

「?」

 リサが俺を見上げた。

「うーん、リサ、上の駐車場で防衛の手伝いをするか?」

 俺がそう言うと、

「黒神さん、それはついさっき終わったわ」

 秋妃さんが囁くように言った。

「いや、奴らは必ずまたここへくる」

 俺は平坦な声で言った。

「パーラー・アテナにはNPCの餌があるからね。秋妃さんは休んでろ。きのうの晩から寝ていないだろ――」

「今、寝たわ、だから平気」

 秋妃さんが囁くように笑った。

 これは本当にタフな女性なのだ。

 区外にいる間だけだけどね――。

「NPCはいつ眠るのかな――?」

 俺は溜息と一緒に言った。

「考えたこともねェな」

 内山さんが不機嫌な声で応えた。

「NPCって眠るのかしら?」

 秋妃さんが首を捻った。

「どうなんだろうな、リサ?」

 俺が訊くと、

「――?」

 リサは少し考えた素振りを見せたあとに首を捻って見せた。

 俺は寝ても覚めても疲れが落ちない首と肩を回しながら、

「うーん、リサでもわからんか――それでもNPCの活動限界はあると思う。ゾンビという名前がついていても、あの菌類が乗っ取っているのは生身の肉体だから休憩は必要な筈だろ――まあ、秋妃さんはそれでも少し休めよ。シャワー浴びたんだろ。それでまたすぐ外へ出て胞子まみれになるのか?」

「そうよね、ここの生活用水には限りがあるし――」

 秋妃さんがゆっくり頷いた。

「あっ、そうだ。給水タンクの水が今日中になくなるかも知れない――」

 島村さんが椅子から振り向いた。

「!?」

「団長、それは困るわ。除菌剤ってすぐに洗い落とさないと、肌がすごく荒れるの――」

 リサと秋妃さんが内山さんへ顔を向けた。

 両方とも真剣な顔つきだ。

「まあ、少しだけの辛抱だぜ――」

 内山さんは言い訳するような口振りだ。

「――!?」

 リサがガバッと振り向いて怒りの矛先を俺へ向けた。

「リサ、どうしようもないだろ。我慢をしなさい」

 俺は窘めたが、

「!?」

 フーッと憤ったリサは聞いちゃいねェ。

「春日井新団地からの救援が来るまで――有馬狩人団がこの前哨基地へ来るまで、どうにもできないだろ――内山さん、有馬狩人団と一緒に補給物資も当然来るんだよね?」

 俺は訊いた。

「ああ、もちろん、補給物資も一緒に来る段取りになってる。だから辛抱すると言っても、一日二日の話だぜ、コノヤロー」

 内山さんが唸った。

 リサが相手でなければいつでも強気なのが内山さんだ。

 俺は襲いかかってきそうなリサを警戒しながら、

「飲料のペットボトルを生活用水に使うわけにもいかないだろ。だから、タンクの水が切れたらシャワーなしだ。除菌剤は――」

「除菌剤とディーゼル発電機の燃料は数日持つよな、島村、コノヤロー」

 内山さんが島村さんの背に言った。

「こちらパーラー・アテナの島村、応答どうぞ応答どうぞ――ん、ああ、それはまだ大丈夫だろう」

 島村さんは無線機に呼びかけながら背中越しに応えた。

 強く頷いて見せた内山さんが、

「おゥ、飲料も食料もまだ不足することはねェぜ。元々、補給路が途絶えることも想定して物資を持ち込んできたからな。ただ、グレネードの弾が在庫が怪しいか。それだけは気がかりだなァ――」

「まさかだよ。こうまで弾薬類の消耗が激しいと想定を――」

 島村さんが振り向いたところで、

『――こちらは斎藤だ、応答どうぞ』

 偵察班から無線で返事があった。

 斎藤君だ。

 島村さんが吠えた。

「斎藤か、生きていたな! こちらはパーラー・アテナの島村だ。偵察班の現状を報告してくれ。どうぞ」

『NPCに囲まれた。敵の数はもう把握できない。俺の装甲車は例の猪型に追われてる。生き残った連中でパーラー・アテナへ撤退中だ。偵察班は散開している。被害は出ているが詳細不明。被害を確認できる状況ではない。どうぞ』

「――ん? 斎藤、連絡係の八反田はどうした、どうぞ?」

『副団、犠牲者多数。確認できない。逃げ切れた奴らは後十分もすればパーラー・アテナへ帰還できると思う。そっちで出迎えの準備を頼む。通信終わる』

 無線通信は短い間で終わった。

「八反田が――!」

 島村さんが無線機のレシーバーを握ったまま呻いた。

 俺は舌打ちと一緒にリサへ目を向けた。

 天使の眉間が歪んでいる。

 秋妃さんが長い溜息を吐いた。

「――斎藤、アノヤローは応援を呼ぶ判断が遅いじゃねェか、バカヤロー!」

 内山さんがソファから立ち上った。

「みんな疲れてるから遠慮をしたのかな」

 俺は呟いた。

「実際、こちらから応援に向かうと被害が大きくなる状況なのかも知れないよね――」

「休んでいられないみたいね――」

 秋妃さんがふわりと立ち上がった。

「ああ、そうみたいだな――」

 俺は曖昧な相槌を打った。

「島村、俺は撤退してくる奴らを出迎えに行くぜ」

 指令室を出ていく向かう内山さんの背へ、

「あ、団長、それはちょっと待ってくれよ――」

 困り顔の島村さんが声をかけたのだが、

「秋妃、すぐ元気そうなのを五十人まとめてつれてこい、コノヤロー」

 内山さんは足を止めない。

「わかったわ――」

 秋妃さんが内山さんのあとに続いた。ドアノブの手をかけたところで、突然、内山さんが立ち止まった。大きな背中に秋妃さんの頭がこつんとぶつかる。秋妃さんはいつもうつむき加減に歩く女性ひとなのだ。これだけは仕事中でも変わらない。

「あァ、リサちゃんは外についてこなくていいぞォ――」

 振り向いた内山さんだ。

 秋妃さんの後ろにリサがいた。

「!?」

 リサが内山さんを見上げて睨んだ。

「いや、リサちゃんと黒神へは前哨基地内部からの援護を頼みてェんだ」

 内山さん俺へ大顎を向けた。

「ああ、わかった」

 俺は素直に頷いたが、

「!?」

 リサの眉は益々寄った。

「リサちゃん、不満かァ?」

 内山さんが背を丸めてリサの顔を覗き込んだ。

「!」

 リサが小さく頷いた。

「不満でも頼むぜ。リサちゃんの銃の腕前なら撤退してくる連中へ流れ弾を絶対に当てないだろ、違うか?」

 内山さんが目尻のシワを増やして見せた。

「――!」

 間を置いたあとだ。

 リサが頷いた。

 大きく頷いて返した内山さんが、

「おゥ、行くぞ、秋妃――」

「ああいや、ちょっと、団長は指令室へ残って全体の指揮を――」

 島村さんは声を上げたが内山さんと秋妃さんは指令室から出ていった。

「まあ、島村さん。そう言っても無駄だろ。今、大人数の指揮ができるのは――将棋組はほとんどが偵察班のほうにいるから――」

 俺はリサの背へ呟いた。

 リサが振り返って俺をじっと見つめた。

 その瞳に天使の炎――。

「うーん、困るな、今、団長に死なれると本当にマズイぞォ――」

 島村さんが自分のハゲ頭を手でぴしゃぴしゃ叩いた。

「島村さんは絶対に指令室に残っていてくれよな」

 俺は少し笑った。

 うなだれた島村さんが、

「黒神さん、本音を言うとね――」

「うん?」

 俺は振り向いた。

「俺も指令室の外へ出たい。せめて、前哨基地の指揮だけでも――」

 床を睨む島村さんの表情は俺から見えなかった。

「まあ、その気持ちはわかるよ」

 俺は言った。

「黒神さんに前哨基地内の指揮を頼めるか?」

 島村さんが顔を上げた。

「俺みたいな小心者にそんなことができると思う?」

 俺は肩を竦めて見せた。

 ふっと笑った島村さんが、

「黒神さんは昔、どこかの狩人団で団長を――団長でなくても下の連中を指揮するような立場にいたNPC狩人ハンターなんだろう?」

 島村さんは俺をじっと見つめている。

 この初老の男は温厚な人柄だが、今、いい加減なことを言ったらきっと怒る。

 冗談が言えるような状況でもないよね――。

「――俺からそれを島村さんに言ったことがあるかな?」

 これが俺の返答だった。

「当てずっぽうさ。どうなんだ?」

 島村さんが笑顔を消した。

 俺はリサに視線で促されて、

「――俺は――黒神武雄は御影狩人団の副団をやっていたこともある」

 ここにきて白状をした。内山狩人団に元からいる団員は他人の過去を詮索するような野暮な人間が少なかったという話だ。唯一、お調子者の八反田だけは何でも訊きたがる性格だったが――。

「――御影狩人団! やっぱり黒神さんは有名な狩人団にいたんだな」

 島村さんが目を見開いた。御影狩人団は今は全国にあるNPC狩人団の走りになった大手の狩人団だった。もっとも俺は自分の経歴を語るつもりも誇るつもりもまったくない。

「あれはもう随分前に壊滅したヘボ狩人団だぜ?」

 まあ、こういうことだ。

「なるほどな、黒神武雄は御影狩人団の副団だったのか――」

 島村さんは頷いて見せたあと、

「じゃあ、改めて黒神さんにパーラー・アテナの防衛指揮を頼めるかい。ウチの大将は鉄砲玉だし、頼りにしていた秋妃も外へ出るみたいだ。副団の俺はこの通り無線の前から動けそうにないからね」

「――できる限りでやっておく。期待はしないでくれ」

 俺は踵を返した。

 リサが俺の横についた。

「悪いけど、手が足りなくてね、今は頼むよ――あっ、黒神さんね!」

 島村さんが大声を上げた。

「うん?」

「?」

 俺とリサが肩越しに振り向くと、

「言い忘れていた。悪いニュースがまだひとつあるんだ」

 島村さんがハゲ頭へ手を置いて気まずそうに言った。

「ああ、もうさすがにこれ以上は悪いニュースを聞きたくないな――」

 俺が呻くと、

「!?」

 不機嫌な顔のリサも頷いた。

「まあ、それでも聞いてくれ」

 島村さんが言った。

「今後は組合でなくて皇国軍が――春日三山要塞にいる陸戦軍集団が多治見侵攻作戦の総指揮を執るかも知れない。これは職員の無線連絡係から聞いた噂だけどね」

「ああ、いよいよ、皇国軍もNPCと本格的に戦うのか。それならさっさと山から降りてきてくれると助かるんだがな。東へ進撃するなら戦車が必要だよ。膠着状態になって、もう一週間近くだぜ――」

 俺は顔を歪めた。

「皇国軍が出てくるのは、俺たちの――組合の偵察任務が全部終わったあとだろうな。皇国軍の連中は明言をしなかったけどね。そんな雰囲気だった――」

 島村さんが苦し気に言った。

「偵察っていうのか、これ?」

 俺はせせら笑って、

「俺たちは皇国軍の露払いに使われているんだろ。生きて帰れるのかな――」

 島村さんが押し黙ったところで偵察班から無線機へ連絡が入った。悲鳴のような呼びかけだ。聞いているとパーラー・アテナの近くで分散した偵察班の一団がNPCに囲まれて立往生をしているらしい。前哨基地から応援をすぐ出してくれとのことだった。

「!」

 リサが俺の手を引っ張った。

「ああ、行く行く。リサ、銃は何を使おうか?」

 俺が訊くとリサは長い銃をズドンとぶっ放すジェスチャーを見せた。

「リサはバレットを――対物狙撃銃を使いたいの?」

 そう訊くと、

「!」

 リサが頷いた。

「あれは重いし反動キックバックがすごくきついぞ。リサの腕力で撃てるのか?」

 ボヤいた俺をリサが横目で睨んだ。

 ホールに出ると残っていたのは五十人前後の団員だった。

「おい、仕事だ!」

 俺は怒鳴った。

 簡易ベッドの周辺にいた連中が――たいていは若い団員たちだ。

「何だよ、大声で――」

「俺たち今は休憩時間だぜ」

「ついさっき、上の駐車場から降りてきたばっかりなんだが――」

「おいおい、めしくらいゆっくり食わせろよなァ!」

「だいたいなんだ、ヒラの団員が偉そうによォ、舐めてると殴っちゃうぞ?」

 こんな不満の声を上げたが、

「南に出ていた偵察班が撤退してくる。すぐ出迎える準備だ。オラ、さっさと起きろ!」

 俺は近くの簡易ベッドで寝ていた太った男を蹴り飛ばした。そいつはベッドから転がり落ちて「ぶひん、ぶひっ!」と派手な悲鳴を上げた。見ると、ドサクサに紛れてリサがその豚へ蹴りを何発も入れている。俺は声に出して笑いながらレッグ・ホルスターのリボルバーを引き抜いた。リサも懐からP232を手にとった。これで不満の声は消えた。

 悪いけどな。

 辞を低くして「今から俺の指示に従ってくださいね」とやっている暇はないんだよ。俺は今ここにいる内山狩人団の新入り団員どもを評価していない。はっきりと言う。撤退をしてくる偵察班を出向かえする人員に選ばれなかった使えない連中だ。実際、この緊急事態でもこいつらは「休憩だ、めしだ」と寝言のような不満を並べている。

 リサも俺もだ。

 馬鹿と役立たずに払う敬意は微塵も持ち合わせてないんだぜ――。

「黒神さん、それなら内山団長と秋妃さんが今、このホールから何人かをつれていって――んご!」

「その口を閉じろ、ブッ殺されたいのか!」

 俺はしつこく反論をしてきた若造へ銃口を向けて、

「ホールにいる半分は長物の銃を持って上の駐車場へ移動。残りの半分は装甲車と一緒に表の駐車場へ出て、ここへ撤退してくる連中の援護しろ。質問を一切するな。すぐ動け、すぐ動かないとみんな死ぬぞ!」

 反論しても無駄だとようやく悟ったのだろう。ホールにいた奴らがようやく動きだした。

「――?」

 リサが俺を見上げた。

「俺たちははどうするって――まあ屋上の駐車場で長物の銃を使うのが賢明だろうな。指揮るなら全体の状況を見渡せる場所にいる必要がある――」

「!」

 頷いたリサがホールの出入口の脇にある階段へ足を向けた。

「ああ、リサ、待て待て。外へ出るなら服装と耐胞子マスクのフィルターを確認してからね」

 俺は襟首を掴んでリサを止めた。

 仰け反った体勢で俺を睨むリサは不満そうだ。

「多治見は胞子が濃すぎるんだ。俺はリサちゃんNPCなんて絶対に見たくない。もちろん、俺が胞子に寄生されるのだってゴメンだけどね――」

 俺は構わずにリサを引きずって、自分のベッドの枕元に置いてあったテーピングを手にとった。

「――?」

 俺の前でくるくる回るリサだ。頭に組合員帽子を乗っけて丈夫な開襟シャツの上に組合員ジャケットを羽織って下はカーゴ・パンツ、足元は軍用ブーツがリサの仕事着だ。まあ、これが狩人団の標準的な仕事着になる。

「――ん、破けているところはないから大丈夫だろ。マスクのフィルターも問題ないな。タクティカル・グローブと袖口を間をテーピングで封印しとけ。俺のほうは平気か?」

 俺もくるくる回って見せた。

「――!」

 リサが俺の身体の方々へ顔を寄せてふんふんと匂いを嗅ぎながら頷いた。

「うん――」

 俺はベッドに腰を下ろして、タクティカル・グローブを手にはめた。

 その俺の手をリサが掴む。

「ああ、やってくれるの? でもリサはテーピング撒くの下手だよな――」

 俺は袖口へテーピングをするリサの手を見つめた。

「!?」

 むっと眉を寄せたが、リサはテーピングを巻く手を止めない。

「さっき、俺は激を飛ばしたけどね。リサは絶対に無理をするなよ」

 俺は小さい声で言った。

「この状況ではもうどうやっても、前哨基地の維持で精一杯だ。後は皇国軍の戦車部隊が動いてくれるのを待つしかない。他の連中は気にするな。俺達が生き残ることだけを考えればいい――」

 ゴゥォォン――。

 パーラー・アテナが振動した。

 リサがキッと顔を上げた。

 最初、俺は「地震かな」と思った。

 汚染列島は南海トラフ大地震の余震でまだ揺れることがある。

 だが、すぐに悲鳴と怒号、それに銃声が聞こえてきて、

「何だ、揺れは爆発か何かだったのか?」

 俺は首を捻った。

「――駄目だ、止められなかった。突っ込まれたぞ。階下したで休憩している班も全員、銃を持ってこい!」

 階段を駆け下りてきた団員の怒鳴り声だ。

 階段の踊り場で怒鳴った団員を見て俺は顔を歪めた。

 そいつは外からきたようだが除菌剤をかぶっていない――。

「――リサ、マスクをつけろ!」

 俺は耐胞子マスクをつけた。

 怒鳴る必要はなかった。

 もうリサは耐胞子マスクを装着済みでP232を片手に耳を使っている。

 パーラー・アテナ内へ侵入してきたらしい敵の――NPCの位置を探っているようだが――。

「おい、計測器のブザーが鳴ってるぜ――」

「胞子がホールまで流れ込んできたぞ――」

「何で、あの野郎は胞子を落とさずにホールへ入って来たんだ!」

「それより、銃だ、武器庫から銃を取ってこないと――」

「どこからNPCが侵入したんだ、おい!」

 ホールに設置してあった胞子・放射線計測機のけたたましい警告に交じって怒鳴り声が飛び交った。これでは聴覚で敵の位置を判別するのは難しそうだ。リサが俺へ視線を送ってきた。耐胞子マスクの目元――強化プラスチック越しにある天使の瞳が吊り上がっていた。伝えるメッセージは「迅速に状況を把握せよ」だ。頷いた俺は、リボルバー片手に立ち上がって階段へ走った。リサが俺のあとを追ってくる。

 俺は階段の踊り場にいた団員の胸倉を掴んだ。

「んあおっ――」

 上の駐車場から胞子の除染もせずに階段から降りてきたマヌケな団員が、マヌケな声を上げた。

「一体、何があったんだ!」

 俺は構わずに怒鳴った。

 耐胞子マスク越しの声はくぐもっていた。

「あっ、そうだ、除菌剤をかぶらないと――」

 それが団員の返答だった。

 今さら気づいたらしい。

「もう手遅れだ。胞子が基地の内部へ侵入している。それはいいんだ。状況を教えろ、NPCはどこから侵入した?」

 俺は唸った。

「きっ、北のほうからだ。下の駐車場のバリケードにNPCが突っ込んだ。上の駐車場からグレを目一杯食らわせたけど、そいつは足を止めなかったんだよ!」

 団員は悲鳴のような返事をした。

「グレを目一杯。それで止まらなかっただと?」

 俺は団員の胸倉を放した。

「――?」

 リサは手摺から身を乗り出して下のホールへ視線を巡らせていた。俺もそうした。団員達は出入口の外にある武器庫へ殺到している。外で使う武器は胞子塗れになるのでまとめてホールの外に保管してある。

 俺は舌打ちをした。

 リサも舌打ちをした。

 今リサと俺が持っているのは、サイド・アーム――それぞれNPC相手だと威力不足の拳銃だ。NPCに侵入されたとなると、まず先に長物の銃を武器庫で確保しておくべきだった――。

「――そっ、そうだ、突っ込んできたNPCは止まらなかったんだ」

 団員の男が言った。

「ああ、あんたは、確か黒神さんだったよな。団長から贔屓されてる――」

「贔屓かどうかは知らんがな。俺はその黒神だよ」

 俺は平坦な声で言った。胞子が濃く飛ぶこの現場は外で顔を合わせるときはお互いに耐胞子マスクで顔を全部覆っているし、着ている服も似たようなものだから、誰が誰だかわからないことが多い。ジャケットの胸元にある組合のシンボルマークの下には組合員ナンバーと自分の名前が刺繍で入っているのだけれどね。遠目だと確認ができないのだ。

「パーラー・アテナに突っ込んできたのは猪型NPCなのか?」

 このまま屋上の駐車場へ出るか。

 階下へ戻って武器を取るか。

 迷いながら俺は訊いた。

「いや、見た目は動物だったけど――」

 団員が首を捻った。

「何だその曖昧な返事は?」

「!?」

 俺とリサが同時にその団員を睨んだところで、

「熊だーッ!」

 階下から叫び声が聞こえてきた。

「!?」

 我が天使に迷いはない。北の廊下からホールへ突っ込んできたそいつに向けて、リサがP232を撃ちまくった。そいつの頭が揺れているので全弾必中なのだろう。しかし、毛むくじゃらの背中にゾンビ・ファンガスの傘をつけた、中型のトラックみたいなサイズのそいつは、九ミリパラベラム弾で動じているように見えない。

 リサが舌打ちをしながら空になった弾倉を代えた。

「ああ、あれが噂の熊型NPCかよ」

 俺は呻いた。

「ああ、そう言われると、上で見たのは確かに熊の形だった」

 団員が呆れたような声で言った。

「フォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオ!」

 毛並みを逆立て胞子を散らした熊型が階段の踊り場にいる俺たちへ目だけを向けた。

 NPC特有の動きだ。

 首を振らずに眼球が異様な角度まで動いて獲物の位置を取得する――。

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