第2話 ズワイガニの女王様(ロ)
「ああ、それは小池の言う通りだ。黒神、細かいことを言うと、そこの小池や島村みたいにハゲるのが早まるぜ、コノヤロー」
頷いた内山さんが目尻のシワを多くして見せた。
小池主任は薄ら笑いでカニを食っていたが、
「うん、そうかもな――」
その横でカニを食っていた島村さんはガクンとうなだれた。
うなだれたその頭は落ち武者みたいに無様だった。
やっぱりかなり気にしているのかな――。
「うぷぷっ――」
こう笑ったのはハヤト君だった。
「まあ、ハヤト君は百歩譲ってだな――」
俺が小池主任を睨んだまま言うと、
「はいっ、武雄さん!」
嬉しそうにハヤト君が俺の左腕を確保して、
「ふぅう――?」
秋妃さんが輝きを失った瞳で俺を見つめた。
さっきから秋妃さんは全体重を俺に預けている。
この彼女が何を考えているのかは知らん。
考えたくない――。
「!?」
俺へ顔を向けたのはリサだ。
「何だよ、リサまで?」
俺は平坦な声で訊いた。
「!」
「?」
「!?」
秋妃さんのほうではない。リサはハヤト君と俺をしきりに見比べていた。カニの身で膨らんだその頬が赤い。リサはお酒を一滴も飲んでいない。今、飲んでいるのはパイナップルジュースだ。
何を考えているんだろうな、こいつ――。
「リサ、こっちを見るな、今は見なくていい」
俺は平坦な声のまま告げて、
「ともあれ、内山さんね。そこの脂ぎった狸を座敷からすぐ追い出しなよ。何で
「!?」
くわっと目尻を吊り上げたリサも俺と同意見に違いない。
憤るリサの横で内山さんは淡々とカニの殻を剥いている。
「何だあ、黒神ィ、俺に向かってその態度はァ?」
小池主任が両方の眉を吊り上げて見せたが、こいつは俺だけにしか視線を送ってこない。殺気立つリサは絶対に視界へ入れないようにしている。表情だっていつものような余裕はない。マジギレしたリサと目を合わせるとマジで拳銃を引っこ抜くので、このアブラ狸野郎は腰が引けているのだ。はっきり言えばビビっている。ざまぁねェよな。
実際、名古屋のNPC駆除任務斡旋事務所でアブラ狸と再会したリサはいきなりそれをやった。リサは挨拶前に引き抜いた拳銃の銃口を小池主任へ向けてトリガーを引いた。何の躊躇もなかった。相手へ命乞いをする数秒すら与えなかった。俺の天使は人間を殺すのを嫌がるが、狸をブッ殺すのに罪悪感はないらしい。実際、区外の山中でリサが暮らしていた頃は、よく狸を捕って食っていたらしいからね。まあでもアブラ狸はそこで死ななかったのだ。リサの拳銃からは弾が出なかった。俺は不発だったその拳銃でブッチギレたリサからぼこぼこ殴られた。あれは痛かった。
ともあれ、浜松居住区から遁走したアブラ狸が次の巣に選んだ名古屋居住区のNPC狩人組合総本部へ出かける前の晩だ。
俺はおそろしく神経質に自分の拳銃――P232の手入れをする(装填する弾を一発一発確認までしていた)リサを見て危険を察知し、その弾倉にある弾をすべて擬製弾にすり替えておいた。弾倉から弾を抜くだけでは駄目だ。微妙な重量の変化でもリサは弾倉の弾のあるなしを察知してしまう。事を起こす前に弾倉の再確認をする手癖だってついている。我が天使様は超一流の
あのときは俺の機転で間一髪、このアブラ狸の命は助かったのだが――。
「――うるせェ、ゲロ狸野郎。俺たちの前からとっとと消え失せろよ。ああ、言っておくがな、今夜のリサの拳銃には実弾が入っているぞ。ここで潔く死んでおくか?」
俺はフフンと笑ってやった。
横でハヤト君もニコニコしていた。
ああいや、君の場合は立場的に、このギトギトしたご主人様が死ぬと、ちょっと困るんでないのかな――。
「――あっ、あぁん? 黒神ィ、次の仕事はいらんのかあ?」
小池主任は分厚い唇を益々歪めて見せたが、その声は明らかに震えていた。
リサはカニをモグモグしながら硬くなったアブラ狸をじっと見つめていた。
天使は無表情だ。
間違いなく確実にブッ殺す。
そう決断したときに我が天使の表情は消えてしまう傾向がある――。
「あんたの斡旋する仕事はもう二度と受けない。この前に事務所で会ったとき、俺たちははっきりとそう言っただろうが?」
俺は言うと、
「!」
リサもはっきり頷いた。
「かァ、黒神もリサちゃんもな。そうやって日和りやがってよォ。俺は情けないよ――」
小池主任は顔を歪めてカニを食った。
「何を言っていやがる――」
俺は唸り続けて乾いた喉へビールを流し込んで、
「――俺は元々、超がつくほどの日和見主義なんだ。なまぬるいところでヌクヌク小ズルく生きて何が悪い。たいていの人間にとって、それが理想の生活だろう?」
「はあ、あの黒神武雄が他人の顎の下で働くのかァ、世も末だよなァ、こりゃあなァ――」
小池主任はチラチラ視線を送ったが、内山さんは視線を落としたまま淡々とカニの殻を剥いている。全部リサが食う分のだ。
「小池主任、あんたの所為でな」
俺は言った。
「天竜自治区でリサも俺もひどい思いをした。ずっと前に言っておいた筈だぞ。皇国軍関係の仕事はもうやらないと――」
「――黒神ィ!」
小池主任が口角からカニの身を飛ばした。
汚ねェなあ――。
「――何だよ?」
俺が促すと、
「前にもそれは散々言っただろォ。あれは――天竜自治区の一件は俺の想定外だったんだ。伊里弥秀人が帰ってこなかったのはなァ。あの件に関してはな、俺のほうが御影の野郎に一杯食わされた形なんだよォ。お前だって御影とはそれなりに付き合いが長かった。だから、奴のやり口はだいたいわかるだろう、なァ――?」
小池主任が分厚い唇を尖らせた。
ああ、もう、本当にむかつく顔だ――。
「――伊里弥秀人が死んだのなんて、俺はどうでもいい」
腹立ちまぎれだ。
俺はカニの脚をバキンと二つに割った。
「俺としては、どうでもよくないんだよなァ――」
小池主任が言った。
「あの伊里弥は俺の手駒の一つだった。そこを御影の野郎、俺へ断りもなく勝手なことをしやがってなあ――」
「その場合な、使えない手駒を持っているマヌケが悪いんだよ。あんたは管理責任って言葉を知っているか?」
俺はカニを口へ運びながら笑ってやった。
「――まあ、それもそうだよなァ」
小池主任がひしゃげた笑顔を俺に返した。
目は笑っていない。
「それに俺としてはだ。皇国軍の豚がいくら共食いで死んだって、どうでもいい話だぜ。あんたも含めてな。今はリサと俺の話をしているんだ」
俺が言うと、席一個飛ばしたところにいるリサが頷いて見せた。
「ああ、そうだそうだ! 黒神、それに
俺の言うことなんか何も聞いちゃいねえ。
小池主任が脇の鞄から書類を取り出した。
「あんたはいっつもいっつもそれだな。他人様へ何度も何度も貧乏くじを引かせやがってな?」
俺が唸ると、
「!?」
リサがぶんと空気を切り裂くほど顎をしゃくって見せた。これは「この狸を今すぐブッ殺せ」という俺への指示だ。手をカニの汁で濡らしたリサは拳銃を抜きたくないらしい。リサはシルバーフレームのP232をすごく気に入っているのだ。汚したくない。だから、俺にやらせるつもりなのだろう。
まあ、俺だって護身用のリボルバーを持っているけどね――。
「おゥ、黒神、殺れ殺れ」
内山さんも言った。
「小池をここで殺っちまえ。できた死体の後片付けくらいは、団で手伝ってやるからよゥ――」
内山さんは目を和ませたままだった。そう気軽に「殺せ殺せ殺せ」と言われてもね。こんなたくさんのひとの目のあるところで組合職員をブッ殺せるわけがないだろ。それだから、小池主任は仕事の話をするためにこの宴会の席へ紛れこんでいるのだ。リサと俺の恨みが天竜自治区の一件で飽和状態になったことを知っているからだな。本当に小池幾太郎という男はとことん汚い野郎なのだ――。
二つの瓶口からコップへ注がれるビールを眺めながら、
「――はあ」
俺は溜息を吐いた。
ほら、また秋妃さんのほうは全部こぼれてる――。
「あのな、黒神も、リサちゃんもな、コノヤロー」
内山さんが大顎を俺へ向けた。
「うん――」
「?」
俺は布巾でこぼれたビールを拭き取りながら、リサはカニをもむもむしながら目を向けると、
「最初から、こうして俺の団へ入っておけば良かったんだよ、バカヤロー」
内山さんが目尻のシワを深くして見せた。
「内山さん、何度も言うけどね。吐いた唾を飲んだみたいな話でさ――」
俺は呻き声だ。天竜自治区から浜松居住区へ戻ったその日に、リサと俺はNPC狩人組合のビルへ怒鳴り込んだのだが、もうその時点で小池主任は浜松居住区にいなかった。そこで「僕がリサちゃんの新しい担当でぇっす!」と、気持ち悪い笑顔で、やる気満々で自己紹介したのは、あの職務怠慢を絵にかいたような安藤職員だった。あんな奴と組んで仕事をやるのは御免被る。リサも俺もプロなのだ。安い仕事は請け負わない。無言で頷き合ったリサと俺は武装ディーゼル機関車に飛び乗って名古屋居住区へ向かった。以前、名古屋居住区は拡張工事で好景気に沸いているという噂を聞いていたから、こっちで仕事を探すのは苦労をしないだろうと踏んでいたのだが――。
「――黒神。俺は全然、気にしていないぜ。うちの団は人手がいつも足りてねェからな、コノヤロー」
内山さんが淡々と言った。
笑いもしなかった。
この大顎の団長はひどく怒りっぽいが度量の広い男なのだ。
「黒神さん、そうだよ。気にしなくていい」
笑顔で頷いた島村さんが、
「ああ、そうだそうだ。団長、ついでに話をしておこうか」
「おゥ、そうだな、島村、コノヤロー」
内山さんが強く頷いた。
「――うん?」
俺が促すと、
「副団のポジションを増やそうと思っているんだよ。黒神さんなら腕前も経験も適任者だろ。それに俺も団長も年齢がかなりいってる。だから、そういう話も――俺や団長に何かあったあとを、どうするかって話も追々ね――」
「ああ、いやいや、島村さん、それはいい。遠慮しておく」
俺は苦笑いの前で手を振った。
「いやいや、黒神さん、こっちの――団の運営上の都合もあるからね」
身を乗り出した島村さんだ。
「いや、俺はこのままヒラの一兵卒で十分だ。何しろ色々とみっともない限りだよ。穴があったら入りたい気分でね――」
俺はうなだれた。
「あのよォ、黒神、バカヤロー!」
怒鳴り声だ。
リサが耳鳴りで顔をしかめていた。
怒鳴ったのは当然、リサの向こうにいる内山さんだ。
「――ああ、うん、何かなあ、内山さん?」
そろっと視線を送ると、
「黒神は一匹狼のNPC
内山さんが唸り声を聞かせてくれた。
「ああ、そうだね。そのくらいは単独で仕事をしていたか――」
俺は視線を惑わせた。一匹狼とか格好をつけてもね。アブラ狸の発注する任務は実態がなかったり、必要がほとんどなかったりするものも多かったからね――。
「――だからだ」
頷いた内山さんが、
「黒神の仕事に対するコダワリだってわからねェわけでもないけどな。名古屋は状況が状況だ。そうだろ、バカヤロー?」
「まあ、俺も単独で受けれるような仕事が名古屋にはほとんどないとは思っていなかったから――」
俺のほうは歯切れが悪い。名古屋居住区に来たリサと俺は結局、内山さんの団で世話になっている。拡張中の名古屋居住区の組合がNPC狩人へ発注する任務は大規模だから、少人数で受けるような細かい仕事がまったくと言っていいほどないのだ。こっちは内山さんの誘いを何度も断った手前もあるから大きな顔はできないよね――。
「はぁあ! こいつらは日和やがってよォ――」
聞こえるように呟いた小池主任だ。
「何度も何度もしつこいよ。小池主任、あんたはもう帰れ」
俺が言うと、
「!?」
リサが大きく頷いて見せた。
俺もそれに深く頷いて返した。
「ま、不本意をしている組合員は黒神さんだけじゃないからさ」
目を細くしてコップのビールを呷った島村さんだ。
「最近、小さい狩人団はほとんど大手に吸収合併されているからなあ――」
そう言った三久保は不器用を見かねたのか秋妃さんの分のカニの殻を剥いてやっていた。
「そうよね――」
秋妃さんは三久保の手元を見つめたまま頷いた。
お前らやっぱり仲いいじゃねェか。
そのまま結婚しろよ。
秋妃さんみたいに危ねェ女は放し飼いにしておくと本当に危ないし、みんなの迷惑だから、三久保が一生を捧げてこの面倒な女の面倒を見ればいいのだ。
俺はずっとそう考えている。
「ククッ、今の
斎藤君が暗く笑った。すごくきれいにカニを食べている。剥いた殻が整然と並んで、まだカニの姿を維持していた。
「気分は良くないが――」
殻ごと噛み砕く勢いでカニを貪り食う豚――もとい橋本が、
「――だが、生きるためには手段を選んでいられな――あっ! だっ、だっ、団長、それは俺のカニみそ!」
「――何だ、橋本、バカヤロー、コノヤロー、団長に文句あるか?」
内山さんが橋本の皿からカニの甲羅を(たぶん、最後の楽しみに取っておいたのだ)取り上げた。
「ぶふっ――」
橋本は団長さんへ視線を残したまま押し黙った。内山狩人団での内山さんは絶対権力者なのだ。これに反論できるのは昔から付き合いがある副団の島村さんくらいしかいない。まあそれでも内山さんは気分のいい性格だし気前もいいから団員に恨まれているということもなさそうなのだが、橋本には今この場で恨まれたかも知れないね。
「!」
リサが軽く顎をしゃくった。
「おゥ、ちょっとまってろよゥ、リサちゃん。一番おいしいのは、やっぱりカニみそだよなァ。今、俺が綺麗に甲羅を開いてやるからよゥ――」
顎で使われて目を細める内山さんだ。
「あのなあ、リサ――」
俺は呼びかけた。
「?」
無表情のリサが視線だけを送ってきた。
リサと俺の間にいるハヤト君は、俺が殻を剥いてやったカニを嬉しそうに食べている。カニ食うひとは視線が落ちて無言になるものだ。このほうが楽だから、しばらく前から俺はハヤト君のカニの殻を剥いてやっていた。
この作業を続けながら、
「リサのはどういう贅沢なカニの食べ方なんだ?」
俺は唸るように言った。
「?」
リサがまぶたを半分落とした。
「そうやってカニみそばかりを、スプーンを使ってプリンみたいにバクバクね。そこは一番おいしいところだ。みんなが一番食べたい部分だ。それを周囲の皿から全部盗ってだな――」
俺が今言った通りだ。リサはカニみその味が気に入ったらしくスプーンを使ってそれを食べている。もうリサの前にはカニの胴体が何個も並んでいた。全部、内山さんが調達したものだ。さっきは橋本が被害を受けていた。リサがていねいに食べているのはカニみそだけで、甲羅にある身は適当に食い散らかしてあった。俺が非難の視線を送っても、リサは特別な反応をせずにカニみそを舐め舐めしている。
特別な反応がないリサに代わって、
「――いいんだよゥ、黒神。おいしいものは全部リサちゃんが食べれればなァ」
内山さんが応えた。
コノヤローともバカヤローとも言わない。
内山さんはリサを絶対に否定しないのだ――。
「内山さんも良くないよ。リサが調子に乗るだろ――ああもう、子供には贅沢だ、俺にもカニみそを少しよこせ」
俺がリサの前に並んだ甲羅へ手を伸ばすと、
「!?」
その手へカニの脚の先端を突き立てられた。
むろん、これを武器として使用する判断をしたのはリサだった。
「――あっ、くっそ、痛!」
手を引っ込めた俺は睨みつけたのだが、ふんっと鼻を鳴らしただけでリサは表情をまったく変えない。何て強欲で乱暴で態度の悪い奴なんだよ。これはあとで絶対に手厳しいお仕置きが必要だよな。
血が滲んだ手の甲を見て俺は決意した。
「――で、仕事の話だァ」
小池主任がリサの注意がカニみそに集中しているのを確認して、茶碗蒸しを食いながらのっそり顔を上げた。
「あんたの話はもう二度と聞かねェよ」
カニの殻を剥く俺は即答だ。
顔も上げてやらない。
「にちゃ聞けよォ、んちゃ黒神よォ、んなァ?」
ものを口に入れたままくちゃくちゃ喋る小池主任だ。
見ていないが音でわかる。
汚ねェ野郎だよ、本当にね――。
「もう俺は狸に頼る必要もない。それに、リサも俺も団にいるから組合の仕事も団を通さないと請けられない。名古屋の仕事は――大手の仕事はまだ有り余っているんだろ、内山さん?」
俺は内山さんへ話を振った。
「そうだね――」
先に頷いたのは島村さんだ。
「そうだな――」
「仕事には困らない!」
斎藤君と橋本も頷いた。
「そうっスけどねェ――」
八反田は煮え切らない態度だった。
「――ま、そういうことだけどなァ」
内山さんが言った。
「バカヤロー、コノヤロー。黒神ィ、この小池を打ち上げの宴会に呼んだのはなァ、実はこの俺のほうなんだよ」
「内山さん、このアブラ狸に、そこまでの弱みを握られてるの?」
俺が訊くと、
「ああなァ、コノヤロー、バカヤロー」
内山さんが鼻先にシワを寄せた。
小池主任はそれを見てニタニタ笑っている。
「いっそ、内山さんがこの狸を殺しちゃいなよ。死体の後片付けくらいなら、俺だって付き合うよ?」
俺は勧めた。
「!」
そうよ、ここでこいつの人生を終わらせてしまいなさい!
リサも顎をブンとしゃくって見せると、小池主任が慌てて顔をうつむけた。
まったくもって、ざまぁねェ。
「俺だってそうしてェところだがな。まあ、黒神、次回の仕事は――」
苦い顔の内山さんが他人の皿から持ってきたカニみそを口へ運んだ。あっとリサが顔を向けたが、別のことで考えているらしい内山さんは小池主任へ目を向けていた。
頷いて見せた小池主任が、
「次回から組合が発注する任務は合同作戦なんだよなあ。だから、個別の狩人団では仕事が受けられんぞォ?」
「それは、どういう意味だ?」
俺は訊いた。
「黒神ィ、どうもこうもそういうことだよォ」
小池主任がねちゃねちゃくちゃくちゃ笑って、
「NPC狩人組合総本部は一週間後、大規模な合同作戦を展開するわけだなァ。史上最大の作戦ってやつだ。これは誇張じゃねェぞ、こんな大きな仕事は汚染後で例がない――」
「――藤枝居住区でやったローラー作戦のようなやつか?」
俺が呟くと、
「あァ、惜しい、黒神はあと一歩でビーンゴォ!」
身を乗り出した小池主任が目を丸くして見せた。
本当にむかつく顔だ。
俺はあえて無反応を貫き通した。
十二分に俺の感情を逆なでしたあとで、
「まァ、これを見てくれや」
小池主任が地図を広げた。
名古屋居住区周辺の地図だった。
「やれやれ、楽しい宴会で仕事の話か?」
俺は腐しながらもその地図へ目を向けた。
「!」
リサが目を見開いた。
「これは――」
島村さんが腕組みをした。
「この赤いエリア全部をカバーかあ――」
ボヤくように言ったのは三久保だ。
「かなり面積が広いわ――」
仕事のことになると秋妃さんだって泣き止む。
斎藤君と橋本は目配せをしてお互い頷きあった。
「居住区を全方向へ広げるんスね――」
八反田が呟いた。
「名古屋居住区をここまで大きくするのか?」
俺が目を向けると、
「先日までお前らが――内山狩人団が警護していた区外の工事現場があるだろ。次回の作戦中、組合員は全員、指定された宿泊施設を使ってもらうことになった。それがあの工事現場――新団地なんだよなァ――」
小林主任が腕を組んだ。夏でも冬でもこいつはいつも袖をまくっている。固太りの黒い腕だ。全身を黒々と塗った日焼けは一年中が色褪せる気配がない。
日焼けサロンにでも通っているのかな――。
「――どういうことだ?」
俺はまた地図へ目を向けた。点々と青く(拠)と記された箇所がある。赤いエリアの内側だ。俺たちが先日まで警備していた建設中の新団地もそこに含まれていた。
「だからァ――」
小池主任はふぃいと大袈裟な溜息を吐いて首を降ると、
「次回の作戦に参加する組合員は全員、あの新団地を宿代わりに使うんだ。次回から発注される任務は仕事が長くなる。自宅と職場は近いほうが楽だろ?」
「それだけの理由で組合があの新団地を用意したのか。あんな立派なものを?」
俺は言葉を鋭くした。
「まァ、そうだなァ――」
小池主任の口振りは鈍かった。
「おい、どういうことだ、小池、コノヤロー?」
内山さんが唸った。
「どうって――それが再生機構の指示だったんだよなァ――」
小池主任はビールを呷った。
「おい、狸、誤魔化すな」
俺も唸ってみたが、
「黒神ィ、誤魔化してるわけじゃないんだ、これがなァ――」
小池主任は空にしたコップを眺めている。
「!」
リサが俺へ視線を送ってきた。
彼女と視線を交換して頷いた俺は、
「小池主任。もしかして、今回はあんたでも裏にある事情がわからないのか?」
「――黒神ィ」
小池主任がゆらりと視線を上げて、
「前代未聞の名古屋居住区大拡張工事で日本再生機構と日本皇国軍、それに複合企業体の連中は何を考えていると思うよォ?」
「――それを俺に訊かれてもわからんよ」
俺はテーブルの面々を見回したが返答はなかった。今の日本は民主主義制度を採用していない。絶対権力者の集団である日本再生機構の審議員がすべての政策を決めて、それを管轄下にある機関がトップダウン方式で執行する。施政はそれを実行するときになって初めて居住区の住民へ知らされるのが常だった。施政から完全隔離された形になる俺たちだって、不満がないわけではないが、あるていどそれで納得をしている。民主政治のような段取りが悪くて悠長なシステムは常時が非常事態にある汚染列島で適合しない。あくまで民主政治は平時の政治システムであるから――。
「――まァ、わかんねェよな」
小池主任が低く呟いた。
「おい、狸。俺の団への作業エリア振り分けはどうなってるんだ、コノヤロー?」
内山さんが訊いた。
「おゥ、
頷いた小池主任が地図にあった作業予定エリアのひとつを指差した。
「――二十三番エリアか?」
俺が言った。
二十三番エリアは多治見市だ。
元は名古屋中心部のベッドタウン。
今はNPCのベッドタウン。
汚染後の十年間、仮首都近郊にありながら難攻不落の地――。
「そうだ、喜べよォ、極東ロシア軍と人民解放軍に押し出されたNPCの群れが南下中の戦場最前線だぞォ?」
小池主任がニタッと笑った。
沈黙したテーブルの上は無言で殺気立った。
「――この狸はマジで使えねェぜ。もっと安全な西側のエリアの仕事を調達できなかったのか?」
俺が無言の殺意を代表してやった。
「安全なエリアかァ?」
小池主任が片方の眉を吊り上げた。
「そうだ、大阪方面は中国の連中が結構頑張っているらしいじゃねェか?」
俺は唸った。
「かァ! 本当に日和りやがってよォ――」
小池主任が分厚いツラをへし曲げた。
「――何だ、この野郎。マジでぶっ殺されてェか?」
俺の声は低くなった。
「?!」
リサの眉間が凍えた。
「――まァ、それは冗談だ」
怯えたわけでもないのだろうが。
笑顔を消した小池主任が、
「お得意さんへあまり危険な任務を回してもなァ。だいたい、お前らが死んで帰ってくると、俺だって組合から銭をムシれねェだろォ。だから、内山団長や黒神にはもう少し安全なエリアを担当してもらいたかったんだけどなァ――」
アブラ狸は珍しく苦々しい顔つきだ。
「要するにそこらの根回しができなかったって話か。本当に使えねェな――」
俺はそれでも皮肉ってやったのだが、
「――ああ、ここでダンマリだよ」
まあ、相手からの返答はなしだ。
小池主任は分厚い唇を真一文字に結んで腕組みをしている。
「小池さんは、そこの仕事をうちの団へ回してくれるって話か?」
島村さんが地図から顔を上げた。
「――ン、内山狩人団だけじゃないぞ。これは合同だ。黒神狩人団とだよなァ?」
小池主任が俺へ目を向けた。
「またその手口を使うのか、多治見はどう見たって一番の危険地帯だぜ――なあ、内山さん、今回は水増し詐欺をやめようよ?」
俺は歪めた顔を向けたのだが、内山さんは茶碗蒸しを食っていた。
「かァ、黒神は顎の犬になってから本当に日和やがってよォ。ガキの使いかァ?」
両目をぐるんと見開いた小池主任だ。
「!」
小さく頷いたリサまで俺へ視線を送ってきた。
「何だよ、リサまで――」
俺が口を閉じると、
「――島村。最近は団員が増えてチョイと台所事情も厳しくなってきたからなァ?」
内山さんが言った。
「うーん、今は手勢だけで五百を動かせるからね。これ以上の人員がいてもどうだろうな――」
頷いた島村さんだ。
どうも、内山さんと島村さんは小池主任の要求を呑む方向らしい。
俺は賛同できないぞ。
背面に基地があると言っても、あの多治見に足を踏み入れるのは――。
「あのねえ、内山さん、それに島村さん?」
俺は呼びかけた。
「何だ、黒神、コノヤロー」
「どうした、黒神さん」
内山さんと島村さんが同時に顔を向けた。
「無計画に団員を増やすのは良くないよ。名古屋の好景気だっていつまで続くのかわからないし――」
俺の愚痴っぽい忠告を、
「小池さん、この任務の内容は?」
「どうなってる!」
斎藤君と橋本が遮った。
お前ら、聞けよ、俺の話をな――。
「むろんだ、名古屋居住区を全体広げるわけだから――」
小池主任が地図にある作業予定エリアをぐるっと指でなぞって、
「作戦終了条件は、この地図にある全エリア内のNPCとゾンビ・ファンガス胞子の完全駆除になるけどなァ。二十三番区に当たる――多治見に当たるとなるとだ。そう簡単に事は進まないだろォ。組合だってそこまで甘い見通しは立ててないぞ。緊急時の増援や何やらの要請は受けれるよう組合側の――大本営のだな、手筈は整えておく。そこらの細かい話は組合の会議室で説明がある、と――」
「うーん」
そんな風に重なった唸り声のあとテーブルは沈黙した。
最初に口を開いたのは、
「それで、
やはり、小池主任だった。
「今後、組合にはこの他の仕事がないんだろ。小池、このバカヤロー?」
内山さんは地図を睨んだまま唸った。
「ほらな、内山団長は話が早いだろォ。次回からの任務は、こちらから――組合側から一方的に指定した各狩人団へ発注するわけよ。だ、か、ら、お前らには選択肢がねえと――はァい、黒神ィ、残念でした!」
小池主任が俺へ分厚い笑顔を向けて目を丸々させた。
「くっそ――!」
俺は顔を背けた。
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