第10話 佐久間前哨基地の攻防戦(イ)

 コミュニティセンターの貸し部屋は、浜松居住区で使っている貸し部屋よりずっと広くて清潔だった。窓が大きくて間取りがいいので陽の光がいっぱい入りそうだ。まあ、今は夜だから天竜自治区のささやかな夜景が見えるだけだった。二束三文の夜景だがそれでも解放感はある。便所とセパレートになった風呂も大きい。俺がその大きな風呂場を覗くと、長風呂を楽しんでいたらしいリサから、ものすごい勢いで睨まれた。

 リサよ、今さら恥ずかしがらなくていい。

 俺はそのちいぱいな裸をもう数えきれないほど見たり触ったりペロペロしているのだ。

 それでもまだ全然、飽きはこないね。

 ゲッへへへ、では、そういうことでご一緒しようかな――。

 俺はそんな感じでへらへら服を脱いでいる最中、水をぶっかけられた。そのあと、風呂桶も飛んできた。それは避けた。冷たい水だ。季節は真冬だ。心臓が止まるかと思った。

「まあ、熱湯でなかっただけマシだったか――」

 そう納得して怒るのをやめた俺は風呂へ入ってないのに濡れた身体をタオルで拭きながら、ベッドのある部屋へ戻ってテーブルにあった夕食を食うことにした。リサが屋台で買ってきた夕めしは肉まんとチョコバナナだった。

 チョコバナナはごはんのうちに入りません。

「これ、お菓子だろ――」

 俺の唸り声だ。

 それに何度も何度も言うけどな、俺は甘いものが嫌いだ。

 大嫌いだ。

 リサだって俺の食い物の好みをもうよく知っている筈だぞ?

 ああ、わかった。

 これはひょっとすると俺への嫌がらせかな。

 くっそ、わざとだろ、これ――。

 苛々しながら冷たくなった肉まん三個とチョコバナナ二本を(貧乏性の俺は捨てられなかった――)食い終わった俺は、「ああ、もうこれはとても我慢ならん。今夜もリサに手厳しいお仕置きを存分にしてやるとしよう!」と、ベッドの上で決意したのだが、ついそのままウトウトしてしまった。

 俺はカルロスの執務室でかなりの量の酒を飲んできた――。

 で、目覚めたのは朝だ。

 佐久間前哨基地へ出発するのは明日になる。人数の多い伊里弥狩人団は事前の準備もあるのだろうが、リサと俺は二人きりなので大した準備もない。やることがない。天竜自治区に娯楽施設はない。女の子がいる飲み屋どころか飲み屋そのものもほとんどない。ここはただ最低限の生活をするための集落だ。それでも区外としては上等の生活環境になるのだろうが――。

 ともあれ、俺は朝風呂に入りながら「今日はこの結構贅沢な部屋で、一日中リサへ悪戯をして過ごすかなあ」と目論んでいたのだが、風呂から上がるとリサがいなかった。朝早くから聖空・愛空姉妹のところへ遊びに出かけたらしい。防衛作戦の影響で臨時休校になったとか何とかだ。テーブルの上に、リサの下ッ手くそな字でそんな書置きが残っていたから、まあ、その通りなのだろう。

 まんまと逃げられた。

 広い貸し部屋に取り残された俺は、カルロスの執務室からガメてきたどぶろくを飲みながら、これもカルロスのポケットから盗んできた煙草をふかしつつ、テレビを見て過ごした。どぶろくのフルーティな味は悪くない。リサがいないから屋内で煙草をふかし放題だ。コミュニティセンターの表に出ていた屋台で鳥のから揚げと焼きおにぎりを買ってきた。これはおつまみだ。リサの分は買ってない。どうせあいつ夜まで帰ってこないだろ。

 酒も煙草もつまみも悪くなかったが、テレビは面白くなかった。今の日本では放送用コンテンツの制作が行われていないから、テレビの衛星放送が垂れ流すのはほとんどが外国の番組だ。音声だって英語だ。何を言ってるのかわからない。ロシア語ならあるていどわかるのだけどね――。

 そんな感じの休日を消化したあと、伊里弥狩人団で百六十名、俺とリサで二名。カルロスと天竜自警団で三百名余で作った車列は予定通り朝四時に天竜自治区を出発した。目的地は前述の通り天竜川上流にある佐久間ダム――佐久間前哨基地だ。カルロスは俺が運転するハンヴィーに同乗した。山道の運転はかったるい。俺は運転手をカルロスへ任せようとしたのだが、「面倒くせェから、それは黒神がやってくれ」と断られた。俺だって面倒だ。だから、その仕事をお前へ押し付けようとしているわけだ。カルロスと俺がお互いを口汚く罵り合っている最中、横からリサがハンドルへ手をかけた。

「おおっ、リサちゃんは車の運転ができるのか?」

 カルロスは乗り気だったが、俺はリサが車を運転しているところを一度も見たことがない。

 それで嫌々、俺が運転手を担当した。

 助手席でそっぽを向いたリサは不満そうだ。

 後部座席でカルロスはへらへら笑っている。


 §


 船明ダムまでは問題なかった。

 秋葉ダムまでの山道で少数の猿型NPCと遭遇したが目立った問題はなかった。

 事前の打ち合わせで聞いた通りだ。大きな問題があったのは秋葉ダムの先だった。秋葉前哨基地の北検問ゲートから出て進むと、狭い山道の脇に並ぶ杉林から猿型NPCが飛び降りてきた。突然の襲撃だ。ご丁寧にも奇襲をかけた直後、山道の向こうからヒト型NPCが並んで走ってくる。俺たちは車列を止めて応戦を開始したが、最初に受けた奇襲で死人が出た。そのあとの戦闘でも死人が出た。木の上からダイブしてくる猿型NPCは厄介だ。それに地形が悪すぎる。山道は狭く車列は一列に長い。固まって全方向をカバーするのが難しい。猿型NPCは脇の斜面や木々の上を飛ぶように移動する。道の前後から突っ込んでくるヒト型NPCを撃退するのは陣形上の都合で、車列の前と後ろにいる手勢だけに頼らざるを得ない。

 長い時間がかかった。

 伊里弥狩人団と天竜自警団を合わせて五十八名の命を犠牲にして、NPCの撃退には何とか成功したが、そこで今日の陽は落ちかかっていた。

 リサと俺は夕陽のなかで生きていた。

 カルロスも生きていた。

 伊里弥団長も無事だった。

 我が大天使様はおかまいなしだが、人間風情が夜目の利くNPCを相手に夜間戦闘を挑むのは自殺行為だ。カルロスの指示で車列は一旦、船明ダムにある前哨基地へ戻った。船明前哨基地には自治区から派遣された人員が――自警団の団員とダムの管理員が常駐している。

「また駄目だったか」

 そんな感じの疲れた顔が出戻りした俺たちを迎えてくれた。俺はそいつらを捉まえて周辺の戦況を訊いてみた。みんな口が一様に重かった。

 それでもしつこく訊くと、

「秋葉前哨基地の人員で秋葉・佐久間間の輸送路回復を試みているものの、一進一退の状況が続いている」

 そんな返事があった。そのついでに告げられた。外から来た俺たちが使うのは、前哨基地内にある元は老人ホームだった建物らしい。四階建てだ。電気もついている。風呂もあった。インスタント麺で簡単な夕食を済ませたリサと俺は暖かいベッドの上で眠れた。

「おい、リサ。あの猿の群れを相手に押したり引いたりが長引くのは厄介だ。この仕事は危険だよな。ああ、もう最悪だぜ。やっぱり居住区へ逃げ帰っておくべきだったよ。でもここまで来るともう戻れない。どうするんだ――?」

 俺はベッドから天井へ愚痴りまくった。横のベッドにいたリサはすぐ眠った。もう寝息が聞こえている。俺の愚痴なんて大天使様は聞いちゃいなかった。実際、愚痴にはたいていの場合で処置がない。他人から聞かされても、自分で言っても、気分の悪くなるのが愚痴というものだ。

 ま、リサの判断が正しいよな――。

 俺は苦々しい思いで目を閉じた。

 夜半過ぎに警報が鳴った。

 猿型NPCの襲撃だ。一番に跳ね起きたリサは表へ出ると障壁を越えてくる猿型をSG553で撃ち殺した。撃ち殺しまくった。それを見て障壁の上や監視塔にいる人員がはっきり驚きの声を上げた。どうだ、殺戮天使のご降臨だぞ。リサに少し遅れた俺もSG553を使って迎撃に参加した。探照灯は十分あったが真夜中で視界は悪い。俺の弾はよく外れた。天使の銃弾は一発だって外れない。

 基地をぐるりと囲う障壁の四方八方から猿型NPCがよじ登ってくる大規模な襲撃だった。「ゴカーン、ゴカーン」と寺の鐘のように音が響いていた。閉じられた検問ゲートの鉄門に押し寄せたヒト型NPCの群れがぶん殴っているらしい。

 全員がここで戦わなければ死ぬ。

 秋葉前哨基地のそこらじゅうで銃声が鳴り響き、NPCの襲撃へ応えていた。猿の鳴き声とダムの水の落ちる音も交じる。何も楽しくない深夜のパーティだ。俺たちがいる分、前哨基地の戦力は増えていた。そのお陰なのか猿型NPC数体の侵入を許しただけで基地の防衛は成功した。終わったのは夜明けだった。そのあとすぐ除菌作業が始まった。カルロスが指揮をしていた。リサと俺は胞子・放射線観測機で安全を確認して部屋へ戻った。疲れていた。俺はベッドに潜り込んでも目が冴えて眠れなかった。何度も寝返りを打っているリサも寝つきが悪いようだ。

 その朝だ。基地で支給された朝めしは缶詰が主だった。カレーの缶詰があっても白いめしはない。そんな統一性のないものが何缶か。それを宿舎一階ホールのテーブル席で他の何人かと一緒に食っていると、無精ひげを生やした若い男が寄ってきた。組合ジャケットを着ていない男だ。この彼は元から前哨基地にいる人員らしい。

「これ、昨夜のお礼だから食べて」

 その男は桃の缶詰をリサへ手渡した。そのあとも何人かの基地の人員がやってきてフルーツ缶詰をリサの手元へ置いていった。それを受け取るリサは逐一嬉しそうだったが、その笑顔は弱々しい。もちろん寝不足もある。それに加えてだ。昨晩の襲撃でも犠牲者が出た。そのたいていは障壁の上や監視塔で銃を撃っていた連中――前哨基地に常駐している連中だった。あとでカルロスに聞いた。夜のうちに犠牲者は猿型NPCの死体と一緒に焼却炉で焼かれて骨になった。焼却炉は俺達が使っている建物の裏手にある。

 ゾンビ・ファンガス胞子は死体へ着床するとそこでまた育って胞子を拡散し始める――。

 それでも結局はだ。

 猿どもが秋葉前哨基地の夜間襲撃を決断したのは間違いだったらしい。夜襲があった翌日、佐久間・秋葉間の山道を封鎖する猿型NPCとヒト型NPCは先日よりも減っていった。そこを封鎖する為の余剰戦力をNPC側が調達しきれなかったのだろう。銃声を響かせながら強引に山道を進んだ俺たちは、天竜自治区を出て二日目に目的地――救援する予定だった佐久間前哨基地に到着した。正確に言うと到着直前にカルロスが車列へ停止を命じた。

 そして今、俺たちは――天竜自警団と伊里弥狩人団は佐久間前哨基地を「襲撃」している――。


 検問ゲート外の山腹にあった神社だ。

 俺とリサとカルロス、それに追随してきた天竜自警団がその神社を確保した。そこにはNPCも感染者もいなかった。そのあと、火力自慢の伊里弥狩人団が佐久間前哨基地の南検問ゲートへ正面へ攻撃を開始した。検問ゲートからそちらへ――伊里弥狩人団へ銃撃は集中しているので神社へ弾が飛んでくる気配はない。そもそも、感染者の銃は照準は不正確だ。こちらに気づいたところで検問ゲートからまともな弾道の弾が飛んでくることもないだろうが――。

 それでも俺は伏せ撃ちの体勢でブレイザーR93(改)のスコープを覗きながら、

「ひでェ仕事だよな」

 と、呟いた。

 事前に佐久間前哨基地にいる自警団の人員は二百だと聞いていた。しかし、佐久間には元からそこにいた集落の住民を含めると千人近くの住人がいた。

 そのすべてが武装しているわけではないようだが――。

「――そう言うなよ、楽なもんだろ?」

 俺の横で双眼鏡を使っているカルロスが笑った。

 俺もカルロスもフルフェイス型の耐胞子マスクをつけていた。念のためだ。伊里弥狩人団の使用している催涙ガスがここまで流れてくる恐れもなくはない。

「カルロスは佐久間前哨基地を総攻撃するために皇国軍を呼んだのか?」

 さっきから唸りっぱなしの俺の横でリサは戦場から背を背けた形の三角座りだ。佐久間前哨基地にいた住民は胞子汚染が進んで収集がつかない状態に陥っていた。カルロスは事前にそれを知っていた。天竜自警団の連中もだ。俺たちがそれを聞かされたのは現地に到着してからだった。俺たちは「NPC狩り」ではなく「感染者狩り」のためにここまでつれてこられたわけだ。胸糞は悪いが、誰かがやらなければいけない仕事だ。実際、検問ゲートに集まって反撃している連中は遠目に見ても、もう正気に見えなかった。それでもだ。俺が今、R93の照準を合わせているのは、人間を構成する要素が「何割か」残っていた。

 実際、ゲートに押し寄せた佐久間前哨基地の感染者は爪や牙でなく銃器を使って伊里弥狩人団への反撃をしている――。

「――俺は指名しちゃいないよ」

 カルロスが言った。

「皇国軍を呼ぶことに決めたのは自治区の総意だ。ちゃんと、俺はそう言っただろ?」

「お前は大嘘つき野郎だから、全然こっちは信用ならねェんだよ」

 俺は唸り声を聞かせてやった。

「いやいや、黒神、これは嘘じゃない。俺個人としてはな、この襲撃に仕える人員なら誰でも良かったんだがな――」

 カルロスがカルロスの笑みで笑った。

「おい、スポッター、指示はどうした?」

 諦めて俺は訊いた。

 カルロスも俺も同じ穴のムジナだ。

 昔から何も変わっていない。

 そういうことだ。

 騙されるマヌケが100%悪いよな?

 カルロスの言葉を借りると、そんな感じになる――。

「んー、一時方向、橋の上だ」

 カルロスが言った。

 俺はR93のトリガーを引いて、

「ああ、あれは撃つまでもなかったな」

 そう誤魔化した。俺が頭を撃ち損ねて肩口をぶち抜いた感染者は何かを叫びながら橋の下へ落ちていった。その下は天竜川へ流れ込む小川になっている。

「ちゃんと溺れ死ぬのかな?」

 カルロスが双眼鏡を目から外して俺へ視線を送ってきた。

「発症前なら死ぬだろ?」

 俺は言った。

 確証なんてない。

「なあ、黒神。NPCって水に溺れて死ぬのか?」

 カルロスが眉根を寄せた。

 俺はR93のボルトを引いて、

「さあな。だが俺は泳いでいるNPCを今まで見たことがない。NPCあいつらは水が嫌いなんだろ、きっと――」

「――ま、それはともあれだ。人間相手の殺しなら軍隊だぜ。催涙ガスが役に立っている。あんなものを持っているとはなあ」

 カルロスが双眼鏡を覗いた。伊里弥狩人団が催涙ガス弾を検問ゲート周辺へ撃ち込んでいる。それに燻られる形で検問ゲートの詰め所や監視塔、その周辺にある家屋から感染者が飛び出てきた。NPC相手にはどうか知らない。だが胞子感染者は催涙ガスに耐えきれなかった。催涙ガスというシロモノは狭い空間へぶち込むと、そこにいる人間を窒息死させるていどの威力はある。

「ああ、すっとろくせえ連中だぜ。本気でNPC相手に催涙ガスを使うつもりだったのか?」

 俺は笑ってやった。

「でも、この状況では役には立ってるぜ。建物へガス弾を撃ち込めば感染者が飛び出てくる。伊里弥のところの隊員も結構死んでる。ははっ、あの伊里弥っての必死だぜ――」

 カルロスも笑った。

 狙撃手の横で双眼鏡を使ってどこを見ていやがるんだ。

 目標をちゃんと探せよなあ――。

「感染者の使う銃の照準はいい加減だろ。あのボンクラどもは当たってるのか?」

 俺は顔をしかめて見せた。俺の右目はスコープに貼りついている。左目も開いて戦場全体を確認しているが、全体とスコープを両方確認をしながら撃つのはやっぱりやり辛い。伊里弥が催涙ガスを必死で焚いているから視界だって良くない。だから狙撃手には観測手スポッターが必要なのだ。

 しかし、そいつがどうも真面目にやってくれない――。

「うーん、伊里弥のところの死人はまだそう多くないなあ――」

 カルロスが呟いた。

「おい、カルロス」

 俺が呼びかけると、

「おっ、伊里弥のところの隊員がまた死んだ!」

 どうでもいいことでカルロスが嬉しそうな声を上げた。

「おい、カルロス!」

 俺は怒鳴った。

「――ああ、何?」

 カルロスだ。

 俺は訊いた。

「佐久間前哨基地の連中は、どうして胞子へ感染したんだ?」

「それが、良くわからんのだ」

「『のだ』じゃねェよ。カルロス、正直に言え」

「どうもな、無線で聞いた限りでは、夜間に壁の向こうから死体を投げ込まれたらしい。こっそりと障壁越しに人気の少ない場所へだ」

「死体だと?」

「ああ、猿が死んだ仲間の死体を外からぽんぽんとだ。胞子を放出中の仲間の死体ね。それを哨戒に当たっていた連中が見過ごした。正面からの襲撃とは違うから、ま、発見し辛いよなあ――」

「――それはマジなのか?」

「あくまで現地からの無線で聞いた話だ。もうその時点で連絡してきた奴も言葉が怪しかった。だがまあ、来てみたら実際、検問ゲートの全員が感染していただろ。だから、それが事実なんだろうなあ」

「その猿知恵で佐久間前哨基地にいた全員が胞子に寄生されたのか?」

「そうそう、汚い爆弾ってわけだ。胞子爆弾だな。猿知恵も侮れないよなあ――」

「――なあ」

 スコープから目を外した俺が呼びかけたところで、

「黒神、十時方向、民家の影」

 と、カルロスの指示だ。

 俺は十時方向にいたそいつに照準を合わせて、R93のトリガーを引いて、

「――ダウン」

 と、告げた。三三八ラプア・マグナム弾が、スコープの照準にいた感染者の頭をカチ割った。くちゃんと崩れ落ちたあの目標は即死だろう。

「なあ、カルロス?」

 俺はもう一度、呼びかけた。

「何だ、黒神?」

 カルロスが顔を双眼鏡ごと向けた。

 つまんねェ冗談だ。

 俺は一切表情を変えずに訊いた。

「カルロス、NPCに知性があるってのを信じるか?」

「ああ、一昨日、執務室でしつこく言ってたあれか。ツキヒ集落のサルガミ?」

「それだ、猿神。俺は確かにそれを月日集落で見た。喋るNPCだ。もっともそいつは変異種ミュータント・NPCだったけどな――」

「NPCに知性か。あるかも知れんな。だが、黒神、それがどうしたよ?」

「――お前の意見はそれだけなのか?」

「ま、それだけだね。何を考える必要があるんだ? NPCは化け物で、あれは俺たちの敵だ。見たらぶっ殺すさ。NPCあいつらだってそうだろう。それだけでいい」

「そのわりには、感染者の駆除に自分のところの手勢を使わず、応援を呼んだじゃねェかよ――ダウン」

 俺は告げた。仕留めたのは催涙ガスに耐えきれずに詰め所から飛び出してきた男だった。俺はそいつの頭を綺麗にふっ飛ばしてやった。だからまあ即死だ。

「へえ、いい腕前だ。黒神は鈍ってないな」

 カルロスが呟いた。

 こいつに褒められたって何も嬉しくはない。

 俺は平坦な声で言ってやった。

「こんなのただの的撃ちだぜ。胞子感染者のアーパーになった頭じゃあ遠くにいる狙撃手までは気が回らねェだろ。それにな、俺のリサはもっと凄いぞ?」

「ああ、うん、凄いなリサちゃん。この子は撃った弾を外すことがあるのか?」

 カルロスがリサへ目を向けた。

 俺もスコープから目を外した。

 リサは三角座りのままその膝へ額をつけてうなだれている――。

「ここでも天使の殺戮技術を披露して大いにブルってもらいたいところだがな――」

 俺は呻くように言った。

 うつむいたリサの反応はさっきからない。

 当然だ。

 我が大天使様は、ひとを助けるつもりでここまで来たわけだから――。

「いや、リサちゃんはいいんだ――」

 カルロスが言った。

 珍しい。

 その声が強張っていた。

「――ダウン」

 俺は告げた。また一匹、感染者を仕留めた。照準に自分から飛び込んできたのだ。服装や体形を見ると老婆のようだった。路面に丸まったその婆さんが動く気配はない。

「でもリサはひとを撃たない」

 俺は唸った。

「リサは人間を撃ちたくないんだ。人間の『カケラ』もリサは撃ちたくないんだ。今はサボっているがな、それを悪く言うなよ。悪く言ったら、カルロス、俺はお前をブチ殺すぜ。これは冗談じゃねェ、マジだ」

「ああ、ここに来るまで、散々、お前の、そのなんだ――」

 カルロスが視線を惑わせて、

「この天使様が猿どもを片付けてくれたんだ。リサちゃんがいなければ俺たちは全滅していたかも知れん――」

「――そうだ。人殺しは男がやる仕事だ。女はひとを産んで育てるものだ。殺すものじゃない」

 俺は言った。

 カルロスが双眼鏡を外した顔を向けて、

「黒神、殺しって言ってもなあ――佐久間前哨基地にいるのは全員が胞子感染者だぜ? そこまでカリカリするなよ」

「検疫をしてないのにすべて感染者と断定か? あれはお前の自治区の人間じゃないのかよ?」

 俺は唸って返した。

「へえ、黒神、甘いじゃないか。それとも、甘くなったのか?」

 カルロスが笑った。

「そうでもないさ――ほれ、また一匹、ダウンだ」

 ゲート周辺を両目で確認した俺はスコープへ目を戻して告げた。

 俺の照準の先でまた感染者が死んだ。

 リサは身動きをしない――。

「カルロスはそういう理由で俺たちを呼んだのか?」

 俺は訊いた。

「うーん?」

 カルロスのトボけた返事だ。

「身内を自分達の手で殺すのに忍びないからか?」

 俺は問いただした。

「まあ、そうなるよな――」

 カルロスの生返事が返ってきた。

「お前が連れてきた自警団の団員な、ほとんど弾を撃ってねェだろ。働かせろ、死にたいのか?」

 俺は後ろを見やって唸った。神社にはカルロスの手勢がライフル銃やら分隊支援火器やらを持って配置しているがほとんど弾を撃っていない。この位置から戦場は――検問ゲートは四百メートル先だ。アサルトライフルでも有効射程距離だ。

「――黒神、無理を言うな」

 カルロスが言った。

「佐久間前哨基地にいる連中は天竜自治区の住民にとっては――天竜自警団の連中にとっては、ほとんどは顔見知りか、最悪、血の繋がっている奴らだからな」

「――やっぱりそういう理由か。その肌とそのヤニで汚れた歯の色合い同様にな、お前は本当に汚ねェ野郎だぜ。自分の手で殺すのも他人の手で殺させるのも違いはないんだ。そういうのを欺瞞って言うんだ。ああ、こういう難しい単語はガイジンのお前にわからないか?」

 俺はせせら笑ってやった。

「おおっと、これは人種差別発言だ!」

 カルロスが笑った。

 こいつも俺も不謹慎な発言が好きだ。

 昔から――。

「――昔から俺は博愛主義者でも平等主義者でもないぜ。どちらかって言うと、根っからの差別主義者でな――ダウン」

 俺は照準の先にいた感染者をまた撃ち殺した。死んだのは女だった。催涙ガスに燻されて家屋から飛び出してきた中年女だ。

「――お見事」

 双眼鏡を覗いていたカルロスの笑い声だ。

「――俺はそれを――差別主義者であることを恥じてもいないぜ」

 俺は言った。

「特別、白人は問答無用で嫌いだ。大多数はオツムの足りてねェ白豚どもだろ。それがだぜ、一部特殊な天才を相手に同じ肌の色だからという理由だけで自分の頭まで良くなった気分になるとかな。これは揃って馬鹿丸出しだ。それこそ、オツムの足りていない証拠だろ。違うのか――」

「――ま、それはまったく同感だな」

 カルロスが頷いた。

「俺もアメリカ人は炭酸の抜けたコカ・コーラの次に嫌いだよ。あいつらは自分たちが世界の中心だと思いこんでいるだろ。それは違うぜ。この世界の中心軸は今そこに生きているそれぞれ個人だ。個人が世界を認識しているから世界は存在し得る。国籍や人種の分類分けは何の意味もないガタクタだ。個人だ、個人の能力と意思が世界の形を決める――黒神、一時方向、輸送トラックの影」

 カルロスの指示した目標を、

「――ダウン」

 俺が撃ち殺した。

 カルロスがまた、

「お見事!」

「いちいち褒めるな、イラつくぜ」

「イラつかせたいんだよ。イラついたら弾を外すかなあと思ってな」

「一発だって外さねェよ。言っただろ、感染者あんなのはただの的だ――ダウン」

 俺はまた感染者を殺した。

「大当たりィ!」

 カルロスの減らず口は死ぬまで止まらないのだろう。

 俺は諦めて訊いた。

「――カルロス、自治区の誰が皇国軍を――あの面倒な連中を呼んだ?」

「それは何度も言っただろ、天竜自治区の総意だよ」

「皇国軍を自治区へ引き入れるのは危険だろ。よくわからねェな――」

「実際には正解だったぜ?」

 カルロスが笑った。

「佐々木は何で自治区へ残した?」

 俺は吊り上がった口角を見やって訊いた。

「ああ、それは向こうの――伊里弥狩人団側の希望だった」

 カルロスが双眼鏡を覗いたまま言った。

「それを突っぱねなかったのか、お前が留守にしている間に天竜自治区へ皇国軍の副官を残すのは問題の種だと思うがな?」

 俺は顔をしかめた。

「奴らを――皇国軍を天竜自治区へ呼び寄せた建前が防衛戦だからな。断るわけにもいかないだろ。それに、伊里弥秀人の方が佐々木稀より無能だ。奴らを分断した方が自治区側こっちにとって都合がいい」

 カルロスが俺へ顔を向けた。

 それは笑っていない顔だった。

「伊里弥秀人よりも佐々木稀のほうが危ないって話か?」

 俺は確認のために聞いた。これまで俺も観察してきたが確かに伊里弥より佐々木のほうが「読めない」男ではあった。

「ま、そうだよ、悪い奴ほどよく笑うもんだろ。あの佐々木って奴はいつも笑ってる。あれは間違いなく悪党だ。俺のカンだけどな」

 カルロスがニヤリと笑った。

「よく笑う奴が悪党か。それは間違いないだろうな」

 頷いて見せた俺が、

「悪党はみんな有能って話?」

「黒神だっていつも笑ってるしな、な?」

「俺のは愛想笑いだ。本心からじゃねェ」

「佐々木の笑顔だってそうさ」

「それを言うなら、カルロス、お前だってそうだろうが」

「いーや、俺のは100%ハッピー・スマイル!」

 カルロスが黄色い歯を見せた。

 スマイルゼロ円どころか見るとこっちが金を要求したくなる笑顔だ。

 ああもう汚ねェなあ――。

「――勝手に抜かしてろよ」

 吐き捨てた俺は、

「で、その有能なほうをカルロスは天竜自治区に残してきたのか。奴から目を離すと何をするかわからんぜ。皇国軍は工作員狩りに来たのかも知れん。天竜自治区にだっているんだろ、ロシア極東軍だとか人民解放軍と仲良くしている連中が――」

「黒神、佐々木に残したのはたかだか三十人の戦力だ。そのていどの人数で何ができる? それにな、有能な部下は無能な大将と切り離しておいたほうがいいんだよ。伊里弥狩人団には今回の任務でできるだけたくさん死んでほしい。そうすりゃ自治区が払う金も少なくなる」

 カルロスが笑って見せた。

「それは、まあ、そうだろうがな――」

 俺は三角座りでうなだれたままのリサを見やった。

 肩が強張っている――。

「――ダウン」

 俺は溜息と一緒にスコープへ目を戻してまた告げた。

 照準を合わせてトリガーを引けば感染者が死ぬ。

 伊里弥狩人団が派手に花火を上げているからこっちへの反撃はない。

 楽な仕事には違いない――。

「もうすぐ、南検問ゲート周辺は片付きそうだな。あーあ、伊里弥の野郎、グレネードを使い始めやがったぞ。設備はなるべく壊してほしくないんだがなあ――」

 カルロスがボヤいた。

「ああ――」

 俺は曖昧な態度で頷いた。

 リサは戦場から目を背けたままずっと沈黙していた。

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