第9話 天竜自治区(ハ)

「――まあ、だいたい集落側の考えはわかった。それで猿型NPCが天竜自治区の周辺に顔を出すようになったのはいつ頃からだ?」

 俺は訊いた。

「んー、黒神、それはさっき言っただろ?」

 カルロスがじっと俺を見つめた。俺はそれをはっきり聞いた覚えがない。こいつの悪い癖だ。他愛のない嘘を平気で吐く。南米人に――ブラジル人にこういう人間は多いのだ。聞くところによるとブラジルは嘘が不道徳だという認識がまったくないお国柄らしいからね――。

「ええと、確か年明けからでしたよね――」

 まりあ先生が周辺を見回した。

「ああ」

 一刻さんが頷くと自治区の住民がまばらに頷いて見せた。

「月日集落が鉄砲水で消えてからすぐ、か――?」

 俺は呟いた。

「今、月日集落と言ったか?」

 声を上げたのは伊里弥団長だ。

 一瞬、俺は漠然とした考えを巡らせたが、

「――ああ、いや、何でもない」

 と、小さな声で誤魔化しておいた。これはリサと俺が月日集落を――森区を離れた後、三久保から聞いた話だ。生還した俺たちの報告を受けた森区のNPC狩人組合は月日集落の偵察を行った。しかし、そこへたどり着いたときには月日集落そのものがなくなっていたらしい。理由は俺が言った通りだ。長雨で発生した鉄砲水で月日集落は土砂の下に埋もれた。これが真実かどうかまではわからない。だが、天竜自治区が猿型NPCの襲撃を受けるようになった時期と月日集落の消滅した時期は近い。猿だけならともかくだ。あの「猿神」が天竜自治区の周辺に移動してきたとなると厄介だ。いや、厄介なんてものでは済まないだろう。あの化け物には知性と感情があった――。

「ここで猿型NPCの特徴を説明しておくか?」

 カルロスが言った。

「それはいらないな?」

 俺は伊里弥団長へ目を向けた。

「カルロス代表、天竜自治区に来る途中で、その敵を――猿型NPCを我々のほうでも確認した」

 伊里弥団長が頷いて見せた。

「ええ、確認しましたね」

 佐々木は笑っているが、猿型の襲撃を受けたときの対応は最悪だった。どこからお前らの自信は出てくるんだ。俺は顔を歪めないようするのに必死だった。こいつらに俺の真意を読まれるわけにはいかない。例えこの二人が皇国軍関係者でなくても、俺にとって「地雷」には違いないのだろうしな――。

「ふーん、そうなのか。実戦経験済みなんだな。それでどうだ、伊里弥団長、それに黒神、あの猿どもを相手にやれそうか?」

 カルロスはフフンと他人の感情を煽るような笑顔だ。

「むろんだ。我々はその為にきたのだからな」

「もちろんですよ」

 伊里弥団長と佐々木は即答だった。

 こいつら根拠もないのに自信たっぷりだぞ。

 わけがわからねェ。

 そんなに死にたいのか?

「いや、この任務は危険すぎる。俺はすぐにでも居住区へ逃げ帰りたいね」

 俺はそう言ってやった。

 同時に伊里弥団長と佐々木が俺へガバッと顔を向けた。

 珍しい。

 二人とも目を丸くしている。

 自治区住民の視線も一斉に俺へ向けられた。

 視線で非難されてもな、俺は本気で帰りたいのだ。

 今回の任務は命がいくつあっても足りない気がする。

 義務でも、社会のためでも、自己実現のためでもない。

 仕事というものは自分が生きるためにするものだ。

 だから、仕事に殺されるのは馬鹿馬鹿しい。

 お断りだ、こんな危なっかしい仕事。

 伊里弥と佐々木が何を考えているのかまだわからんが、もう諦めてくれないかなあ。

 俺の発言にはそんな意図もあった。

 これは俺の希望というか要請というかね――。

「――安心したぜ」

 カルロスがニッと笑った。

 やっぱり煙草のヤニで歯が黄色い。

 薄汚い笑顔だよなこれ――。

「――おい、カルロス。聞こえなかったのか。俺は不安だと言っている。笑っている場合じゃないだろ?」

 俺は唸ってやった。

「黒神は本当に何も変わっていないよな、な?」

 カルロルは満足そうに頷いた。

 何に納得してやがる。

 俺は大いに不満だし納得もしていない。

「――ああ、そうだ。俺は汚染前も汚染後も、他人と他人がこさえた世の中ってのを、頭のてっぺんから、ケツ毛の先まで一切信用していないぜ。だから、今もこうして生きているんだ。カルロスだって、そうだろ」

 不満だから俺はまた唸ってやった。

「カルロス代表」

 伊里弥団長が声を上げた。「お前は邪魔だ、黙ってろ」そんな感じで睨んでみたものの、平均的な外見の俺が睨んでも迫力はない。俺を無視した伊里弥団長は、佐々木を視線で促した。促しやがった。

 その佐々木が、

「――あ、はい。カルロス代表。今回の作戦終了条件はどうなるのですか?」

「それはもちろん、天竜自治区の東西南北にいる猿型NPCの完全駆除だよな」

 カルロスは真顔で応えた。

「この人手でそれは贅沢すぎるだろ。お前は昔から大穴を狙いすぎだぜ?」

 俺は唸り声を聞かせたが、

「そうだそうだ、俺はギャンブラーなんだ」

 カルロスはへらへら笑顔を向けてきた。

「その条件は――」

 伊里弥団長が呟いて、

「ちょっと無理ですね」

 佐々木が笑顔のままで言った。

 苦笑いですらないが――。

「ま、これは冗談だ」

 カルロスが肩を竦めて見せた。

「こいつは昔から馬鹿だからな。本気かと思ったぜ――」

 俺は聞こえるように言ってやった。

「まあ、天竜自治区の障壁防衛はもちろんだよな――」

 カルロスが気の無い態度で呟くように言った。

「見たところ、自治区のNPC障壁はまだ機能しているじゃねェか。それなら、壁の内側でちまちま戦ってればいい。自治区の維持は今でもできているわけだしな?」

 苛々している俺は邪魔をしてみたが、

「ま、黒神。大人しく聞けていろよ――」

 カルロスはへらへら笑いのままだ。

「いやだね」

 俺は顔を横に向けた。

 カルロスは構わずに、

「現状、最優先にしたいのは佐久間ダムの死守だ。自治区側の名称だと『佐久間前哨基地』になる。伊里弥狩人団と黒神にはそっちを当たってもらう。天竜川水系のダムが天竜自治区の生命線だ――」

 今のカルロスは笑顔でない。

「カルロス、そっちに――佐久間ダムにいる自治区側の人員はどうなってるんだ?」

 俺が訊くと、

「天竜自警団の二百名を常時置いてある。全員、腕っこきだぜ?」

「へえ、腕っこきなのか?」

「ああそうだ。佐久間前哨基地にいるのは自警団のなかでもNPC相手の戦闘に慣れた奴らばかりだ。選抜メンバーだぜ」

「それなら、放っておけ。俺は安全なところで仕事をしたいから、自治区の防衛に回りたい。障壁越しに銃を撃っているだけの楽な仕事を頼む」

「そうはいかん。特に黒神、お前には自治区の外で死ぬほど苦労してもらおう」

「そんなのいやだね。絶対にお断りだ」

 俺は拒否した。

 しかし、やっぱりカルロスは全然気にする様子もなく言った。

「ま、黒神、俺の話を聞けよ。数日前からだ。佐久間前哨基地から泣きが入ってる。例の猿型NPCとヒト型NPCの混成部隊が佐久間ダム周辺に出没中だ。この攻撃で秋葉ダムから続いていた佐久間前哨基地への補給線がバッサリ絶たれた。最前線では弾薬も食料も除菌剤も足りない。連戦で人的被害も――」

「――ああ、猿知恵が兵糧攻めかよ。そいつは笑わせるぜ。カルロス、この仕事はやっぱりお断りだな。キャンセルだ。この依頼は受けない。リサと俺は浜松居住区へ帰らせてもらう。組合のペナルティ大いに結構。何しろ命あっての物種だからな――」

 俺は席を立った。むろん、伊里弥狩人団の件も心配の種だ。しかし、カルロスの依頼のほうは話にならないほど最悪だった。カルロスの要求は防衛戦じゃない。失地奪還作戦だ。それをしようとして汚染列島で何人の人間が死んだかもう数えきれない――。

 沈黙した会議室の出入口へ、沈黙したまま俺が足を向けると、そこで扉が乱暴に開いた。

 これをドッカーンと開いたのは俺でない。

 開いた扉の向こうにリサがいる。SG553片手に、腰へガンベルトを巻いて、ワンちゃんの顔の背嚢を背負って仕事着だ。それで眉間も厳しく鼻息荒いリサはもう見るからにやる気満々の態度だった。

 リサが喋れるならだ。

「話は聞かせてもらったわ!」

 ここで言うのだろう。

 暑苦しく吠えるのだろう。

 間違いないよ――。

「――何だ、リサ」

 俺はできる限り平坦な声で訊いた。

 沈黙した会議室の面々は黙ってリサを見つめている。

 俺も見つめている。

「!」

 顎を斜めにしゃくって見せたリサだ。

「――ええと、四十秒で支度しな、か?」

 俺が訊くと、

「!?」

 リサから「さっさとしろ」みたいな感じで睨まれた。

「ああいや、まだ仕事へ行かない。これは打ち合わせだからな――」

 俺が会議室を見回すと全員が頷いた。

「――!?」

 リサは赤らめた顔を背けてギッと歯噛みをした。

 かなり悔しそうだ。

 ああ、恥ずかしいのか?

 よくわからないけど――。

「――黒神、リサちゃんは、やる気十分みたいだぜ」

 カルロスが言うと、

「!」

 リサは強く頷いた。

「いや、リサ、俺たちはすぐ帰るから――」

 俺がそう呻くと、

「!?」

 カッとリサが殺気立った。

 殺気立った視線が向いた先はもちろんこの俺だった。

 しっかり銃を持っている。

 これは危ないよな――。

 諦めた俺は壁際からパイプ椅子を持ってきて、

「ああ、リサ、もう面倒だから座れ。座って大人しくしていろ――」

 リサは不貞腐れた態度で背嚢を下ろすとパイプ椅子におしりを落ち着けた。

「――あ、リサちゃん、せんべい食べる?」

 カルロスがお茶請けのお盆を持ってきた。その脇からまりあ先生がリサのお茶を煎れた。リサはこの対応が当然みたいな態度だった。まるっきり無表情だ。こういうときは軽く頭くらい下げろよ。リサが他人へ頭を下げたのを一度だって見たことない気がする。半年近く一緒にいると思う。うん、改めて思い返しても一度もないよね。

 よくないよな、こういう態度な――。

 よくない態度のリサは、よくない態度のまま、お茶請けに顔を寄せてふんふんやったあと、

「!?」

 と、カルロスを睨みつけた。

 リサは本気だ。

「これ、自治区のせんべい屋が焼いてるんだ。伊藤ってじいさんだ。山椒せんべい。珍しいだろ。リサちゃんは気に食わないか?」

 頭に手をやったカルロスは困り顔だった。

「カルロス、リサは甘いものが好きなんだ。だから、お茶請けに甘いものがないと逐一キレる。ざらめのせいべいとかなら喜んで食べると思うよ」

 俺が教えた。

「ああ、甘いものかあ。自治区で砂糖は貴重だからな。砂糖はほとんど輸入品だろ?」

 カルロスが言い訳をすると、リサはむうと眉を強く寄せた。

「見たところ、お茶請けにあるのは塩っぽいお菓子ばかりだよな――俺は塩豆、好きだぜ」

 俺はお茶請けにあった塩豆を口に入れた。

「ま、俺も好きだ」

 カルロスも塩豆をポリポリ食べている。

「!?」

 リサはお茶を飲みながら、ふんっと顎をしゃくって見せた。

 これは相手の話を促す仕草だ。

 俺が翻訳しなくても、

「――ああ、そうだ防衛戦の話ね。ま、猿どもが猿知恵を絞るほど、佐久間前哨基地の攻略に手を焼いているって話さ」

 カルロスは自分の席へ戻った。

 ざわざわしていた会議室が静かになったところで、

「天竜自治区側としては、まず最優先で断絶した補給線を回復させたいってことなのか?」

 俺が訊いた。

「ま、そうなるな。天竜自警団の戦力を補給線回復へ集中させたいが――他のダムや自治区自体の警備が手薄になったら総崩れの恐れがある。だから、今回自治区は浜松居住区のNPC狩人組合にヘルプを要請をした。自治区側から高い金を嫌々払ってだぜ。黒神、それがお前の報酬でもある」

 カルロスが煙草に火をつけて噴き出した煙草の煙を俺へ向けた。

 俺は平気だが横のリサは「はうっ!」と顔をしかめている。

「あっ、そう――」

 これが表情のない俺の返答だ。天竜自治区がどうなろうと俺の知ったことでもない。俺は知ったことではないのだが、リサは頷いて見せた。カルロスもそれに頷いて返した。

「――リサはこの仕事をやりたいの?」

 俺が嫌々訊くと、

「!?」

 リサは両方のまぶたをスッと落として見せた。

 お前、黙れ。

 反論をするな。

 うるせェ。

 それ以上、口を動かしたらぶっち殺すぞ。

 みたいな意思表示だね――。

「あのな、リサ。今回の任務はかなり危な――」

 俺は食い下がったが、

「!?」

 クッワッとリサがまたまた殺気立った。本日は普段にもましてキレ味抜群だ。リサはこの自治区で友達ができたから、何か助力をしたいという気持ちも、わからなくはないのだが――。

「――カルロス、天竜自警団側からこの遠征へ――佐久間前哨基地へ出せる人員はどのくらいだ?」

 俺は嫌々ながら訊いた。

 だがカルロスのことだ。

 おそらく――。

「天竜自警団から三百名を出して、伊里弥狩人団と黒神の佐久間前哨基地救援作戦を支援する。この俺――稲葉・カルロス・譲司も作戦に参加する予定だ。自警団の三百名は佐久間・秋葉間の補給線を回復させた直後から輸送任務や現地の交代要員へ回す。だから、すべてがNPCを相手に戦闘をする人員だとは考えないでくれよ」

 やはり、カルロスは淀みなく答えた。今回やる失地奪還作戦の青写真は事前に準備されていたのだろう。昔からこいつはそういう男だ。大小の問題を見過ごして目的達成を最優先する。

 俺は昔から石橋を叩いて渡る性格だから、遅れを取る傾向があった――。

「――三百。かなり大所帯だな」

 俺は伊里弥団長と佐々木を盗み見た。その戦力の質はまだ不明だ。だが、カルロスは呼び寄せた戦力以上の戦力を手持ちから投入することに決めた。カルロスは伊里弥狩人団を警戒しているということだ。

 どのような種類の警戒かは、まだわからないが――。

 ニッと笑ったカルロスが、

「そうだ。天竜自治区から減った防衛戦力はこの打ち合わせにいる自警団の予備人員の手を借りて補う。伊里弥狩人団からも何割かは天竜自治区へ残って障壁防衛に協力してもらう予定だ。これで作戦の概要は理解してもらえたか?」

「ああ、それで、まりあ先生と一刻さんもこの打ち合わせに――」

 俺はまりあ先生を見やった。

「はい、私たちは手薄になった自治区の防衛を担当する予定なんです」

 まりあ先生が頷いて見せた。

「ああ」

 一刻さんがムッと頷いた。

「まあ、そういうことになりますよねえ」

 栄倫さんも笑顔で頷いた。

「――ふむ。作戦の概要は理解したか?」

 おもむろに頷いた伊里弥団長が彼の周辺にいた男たちへ訊いた。

「はい、みんな納得ですよね?」

 笑って返したのは佐々木だ。

 この他の団員は怪訝な顔のまま頷いて返した。

「補給線回復作戦の開始は明朝にでも――と言いたいところだが、まだ自警団の準備もあるからな。作戦の開始は明日の深夜になる。夜明け前に自治区を出る。最悪でも朝の四時には出れるように準備をしてくれ。食料や燃料は途中で経由する船明・秋葉前哨基地に備蓄がある。そこまで量に気を遣う必要はないぜ」

 カルロスが言った。打ち合わせに参加した面々のたいていは頷いて返した。リサもだ。頷かない俺を見て、カルロスがニヤリと笑った。俺はずっとしかめ面だ。

「――以上だ。何か質問は?」

 カルロスが会議室へ視線を巡らせた。

「カルロスさん?」

 佐々木が手を挙げた。

「うん?」

 カルロスに促されたあと、

「自治区内でぼくたちはどこに宿泊すればいいんですか?」

 佐々木が訊いた。

「それは用意してない」

 カルロスがシレッと言った。

「このくっそ寒いなか、野外でテントを張って寝ろってか。この前、自治区にきたときは団地の部屋を有料で借りたが――ああ、馬鹿らしい。やっぱりやめだこの仕事。リサと俺は居住区へ帰る」

 俺は椅子から立ち上ってやった。交渉役として呼ばれた(らしい)俺の仕事はここで終わりだろう。あとは伊里弥狩人団がやればいい。そして好きなだけ死ねばいいのだ。

「!?」

 リサはスックと立ち上がって俺を睨んだ。

「リサはこの寒いのに、お外のテントで寝たいの?」

 俺は背を丸めて訊いてやった。

「!?」

 リサの怒りの矛先が向くと、

「冗談だ、部屋はちゃんと用意してあるぜ」

 カルロスがへらへら笑った。

「その冗談は笑えないぜ」

 俺は唸ってやった。

「!」

 頷いたリサも同感のようだ。

「あー、伊里弥狩人団と黒神、それにリサちゃんは、コミュニティセンターを使ってくれ」

 カルロスが席から立ち上がると集落住民も立った。伊里弥狩人団の連中も一斉に立ち上がった。

「――何だ、コミュニティセンターって?」

 俺は席に腰を落ち着けて訊いた。

 リサが不満げに俺を見下ろしている。

「この自治会館の隣にある建物だ。普段はここにくる狩人団に有料で貸し出している。今日はそこで一晩休め――ああ、みんな、ひとつだけ言い忘れてた。佐久間前哨基地は再生機構の支配地域最北端の大魔境だ。ま、全員、それなりの覚悟をしておいてくれよ」

 カルロスが笑った。

 それは、へらへらしていない笑顔だった。

「わかった」

「了解です」

 伊里弥団長と佐々木が団員と一緒に会議室を出ていった

 そのあとを追うように自治区の住民も出ていった。

「――黒神はどうした?」

 カルロスが歩み寄ってきた。

「――あ?」

 返事をした俺は椅子に座ったままだ。

「用意した全室がスイート・ルームだぜ。衛星放送を受信できるテレビつきだ。電気で沸かしたお湯が二十四時間出る風呂だってついてる。さあ、俺様に感謝しろ」

 カルロスが両腕を広げて見せた。

「ああそうかよ。そりゃ、リサが喜びそうだ――」

 俺はリサを見やった。

 そのリサは俺の左手を掴んで、そこにある腕時計をピシピシ人差し指で突いている。

「何?」

 俺が訊くと、

「!」

「!」

「!」

 歯噛みをしたリサは同じ行動を繰り返した。

 必死だ。

 時計は午後六時三十八分――。

「――もう夕飯の時間だよな、ほれ」

 俺はジャケットの内ポケットから五千円硬貨を一枚取り出してリサへ渡した。

「?」

 リサが顔を傾けた。

「リサ、検問ゲート近くに食い物の屋台がたくさんあっただろ。あそこで適当に何か食い物を買ってこい」

 俺は言った。

「?」

「?」

 リサが二度首を捻って見せた。

「何でもいいよ。俺の分も頼む。隣の建物の部屋に置いておけ。あとで行くから」

 俺が言うと、

「?」

 リサは眉を寄せた顔をぐっと寄せてきた。

「俺はまだカルロスと仕事の話がある」

 俺は正直に答えた。

「!?」

 両手で俺の胸倉を掴むリサだ。

「お前は話し合いにいらない。だいたいお前は話せないだろ。だから、部屋でごはんを食べながらテレビでも見ていなさい。衛星放送がついているらしいぞ?」

 そう諭したのだが、

「!?」

 逆効果だ。

 くわあっと目尻を吊り上げたリサは俺をぐわんぐわん揺さぶり始めた。

 俺は身を捩ってリサの乱暴な手を振りほどいて、

「ああ、もう、わかってるわかってる! あとでちゃんとリサにも任務の説明をするから、するよ、するする。うっるさい奴だなあ、もう――」

「!?」

 約束を破ったら、その場で確実にブッチ殺すわ!

 リサはそんな感じの厳しい視線を残して会議室をズカズカと出ていった。

 途中で忘れたワンちゃんの背嚢を取りに戻ってきた。

 それを背負って、リサは会議室をトコトコと出ていった。

 今度は戻ってこない。

 近くで突っ立っていたカルロスへ、

「それで、カルロス、酒はあるか?」

 俺は訊いた。

 カルロスが顔を曲げて、

「相変わらず目ざといよな」

「目じゃねェ、鼻のほうだ。お前からな、酒が臭うんだよ。このアル中めが」

「そういい酒じゃない。どぶだぜ」

「――どぶろく?」

 俺は首を捻った。

 カルロスが言った。

「そうだよ、どぶだ。自治区の施設では透明な酒を――清酒を作るほどの余裕はない。だから住民で飲む分のどぶろくを作ってた。それが天竜自治区の名産品になったんだ。居住区内でも流通している筈だぞ、商品名は『竜の涙』っていう」

「それって誰が作っているんだ」

「あの住職だ。栄倫さん」

「――坊主が酒を造るのか?」

「元からあれは生臭だな。だから、俺をこの自治区へ受け入れた」

 カルロスがニヤリと笑って、

「はっ――」

 俺も鼻で笑った。

「ま、汚染前、あの天龍寺の坊主――栄倫さんはな」カルロスが言った。「念仏を唱える片手暇に、株の投資をよくやっていたらしい。だから、事業経営に一家言ある。汚染後は、天竜自治区で色々な事業に直接手を出して新硬貨を貯め込んでいた。居住区を相手にした交易でひと山当てたらしいな――俺はそういう方面にウトいから、そこらはあの坊主へ任せきりだ」

「ふぅん――」

 目を細くした俺が、

「坊主丸儲けって話だよな。そうなると、あの坊主はお前の財布代わりになるのか?」

「財布代わりは聞こえが悪い」

 カルロスがへらへら笑って、

「栄倫さんはこの天竜自治区の財務担当だ。商務になるのか。あれは天竜自治区の商売全般に影響力があるよ。逆らう奴はほとんどいない。人望の方はどうだか知らんが――」

 俺はそのへらへら笑いをしばらく眺めてたあと、

「カルロスってお袋さんが、ブラジル人だよな?」

「うん、そうだよ」

 カルロスが頷いた。

 俺は首を捻って、

「カルロスはお袋さんリスペクトでカトリックのクリスチャンじゃなかったか。昔、俺にそう言ってただろ。それが仏門の坊主に仕えてるの?」

「ここへきて改宗した」

「そうなの?」

「生臭坊主の神様は俺に金を落としてくれるからな」

「相変わらず、お気楽な野郎だよな――」

「気楽なほうが人生は楽しいぜ?」

「カルロス、まだ話があるぜ」

 俺は椅子から立ち上った。

 雑談している最中警戒をしていたが戻ってくる人間はいなかった。

 会議室の外にもひとの気配はない。

「ま、話がまだありそうだよなあ――」

 カルロスが笑みを消した。

「そのどぶ――竜の涙か? それちょっと持ってこい。飲みながらだ」

 俺は顎をしゃくって見せた。

「上にある俺の執務室でやろうぜ。黒神、こっちだ」

 カルロスが先に会議室を出ていった。

 五年以上前の話だ。

 それはかつて、いつも俺が見ていた背中だった。

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