第5話 暴れ天竜(イ)
すっぽん鍋を食った夜の翌朝だ。
俺が浜松の組合からレンタルしたこのハンヴィーはどうにも廃車寸前だった。乗り心地の悪い運転席で気だるい身体を揺さぶられる俺は顔をしかめているし、助手席のリサもぷりぷりぷんぷんご機嫌斜めだ。車内に響くエンジンの音が耳を塞ぎたくなるほどうるさい。それに今朝、リサと俺は喧嘩した。俺に非はない。昨晩のあれはリサが全面的に悪い。自分からお誘いをかけた挙句に散々乱れておきながら、はっと正気に戻った明け方に本気のマジギレをするとか迷惑もいいところだった。
睡眠時間が足りなくてかったるい。
リサに引っ掻かれたり、叩かれたり、蹴っ飛ばされた身体がヒリヒリズキズキする。
その上で気分もイライラカリカリだ。
まあいい。それは置いておく。とにかく車内でリサも俺もムスッと無言だった。眉間の険しいリサが車載のラジオをつけた。それはノイズがひどくて聞き取れなかった。壊れてる。
助手席のリサが本格的に俺を睨みだした。
運転席の俺は放っておく。
そんなの俺の所為じゃないからな――。
俺たちはこのオンボロ・ハンヴィーに乗って、アブラ狸から受けた仕事へ向かっている。
今回の仕事は例の新人狩人団の案内役だ。
その狩人団を伊里弥狩人団というらしい。規模はかなり大きくて団員数で二百名前後。浜松に来る以前は名古屋の西で仕事をしていたと聞いた。アブラ狸から事前に伝えられた待ち合わせの場所は浜松居住区を囲うNPC障壁の東にある検問ゲート前だ。そこから天竜自治区へ移動して、俺たちと伊里弥狩人団は防衛戦を手伝う予定になっている。他とは違って浜松居住区周辺の集落には産業がある。金のある集落は居住区に対してあるていどの発言力を持っているのだ。だから、浜松居住区にある組合本部は集落防衛のような珍しい任務を発注をすることがある。集落から流れ込んでくる物品や金が区内にある組合を動かしているわけだね。今回、リサと俺が受けた仕事がその系統だ。
リサと俺は小一時間ほどガタピシのオンボロ・ハンヴィーに揺られて、東検問ゲートへ到着した。浜松居住区の道はどこも車通りが多い。だから車で移動をするとどこへ移動するのにも距離の割合に時間がかかる。それでも、リサと俺は待ち合わせの十五分前に現場へ到着した。
他の居住区とは様子が違う。
監視塔が突き立った高いNPC障壁の間に設置されているのは、何台ものトラックが並んで通れるような巨大な検問ゲートだ。そこで障壁警備員が通過する車両の胞子・放射線の検疫を行っている。俺は検問ゲートの手前の駐車場にハンヴィーを停車させた。四車線ある道の反対側は、障壁警備員が使うプレハブ小屋が並んでいた。その前で、検疫にひっかかったらしい大型トラックが一台、放射線だか胞子だかの洗浄を受けていた。作業をしているのは防護服を着た障壁警備員だ。浜松居住区の障壁警備員は他の居住区とは違って埃っぽさが薄い感じだった。彼らは黙々と自分の仕事をしている。
リサと俺はハンヴィーからすぐ降りた。密閉された空間で二人きりは拒否だ。お互いそっぽを向いていた。近くでねずみ色の作業服を着たおっちゃんが煙草をぷかぷかやっている。おっちゃんの視線の先に洗浄中のトラックがあった。どうも、このおっちゃんは洗浄中のトラックの運転手のようだ。本人には胞子の感染がなかったのだろう。おっちゃんの態度はのんびりしたものだった。おっちゃんの鼻毛ものんびり伸びている。
そのうち、暇を持て余していたらしい運転手のおっちゃんが、
「あんたらは狩人組合の組合員ケ?」
と、声をかけてきた。
「見ての通りだ。俺たちはNPC狩人だよ」
俺が応えると、
「!」
横でリサが頷いた。
「ほうか、最近はNPCが、がんこ多くなってないケ?」
おっちゃんが黄ばんだ目で俺を見つめた。
「ああ、最近はどうも、多くなったよね――」
俺が愛想笑いを見せると、
「区民のオラたちが払っている税金の分な、あんたらがしっかりと働いてくれにゃあ!」
おっちゃんが唐突にキレた。
キレやがったのだ。
トラックの運ちゃん連中――特別、区外の物流に携わる運ちゃんは荒々しくて、こんな感じの攻撃的な性格のひとも少なくない。というか、ほとんどこんな感じだ。喧嘩の火種をいつも探しているような性格とでも言えばいいのだろうか。今の日本で順位をつけると、一番に埃っぽい野郎どもはNPC狩人で、二番手に埃っぽい野郎どもは区外運送トラック屋をやる運ちゃんどもになる。チンピラやヤクザみたいな群れないと威張れない気の小さい連中は現状の埃っぽさ加減でいうと三番目ていどの順番に落ち着いている。
横目で視線を送ると運転手のおっちゃんはまだ俺にガンを飛ばしていた。
これはまた面倒くさいのに絡まれたね。
こういうときは、だな――。
「――あれっておじさんのトラックなの。トレーラーだよね。すごく立派な車だなあ!」
そう言って、俺は洗浄中のトラックへ視線を送った。
ニンマリ笑って返したおっちゃんは満足そうに頷きながら、
「ああ、二十トンの日本製だ。修理を繰り返してもう十年以上は乗っているっケ――」
この手の気難しい人間は当の本人よりも使っている道具を褒めるとよろしい。くたびれた作業服に気難しそうな面構えで、両方の鼻の穴からは毛がもっさり伸びていても、うすらハゲのおっちゃんは、どこを見ても容姿を褒めようがないとも言えるけどね――。
「――それで、おじさんの愛車どうしたの。放射性物質でもついていたのか?」
俺は訊いた。
鼻の穴から煙草の煙をぷんと噴いたおっちゃんが、
「うんにゃ、つけられたのは、ゾンビきのこの胞子だっケ」
「胞子かあ、それは物騒だな――」
「物騒ってより災難だったなァ。外の道でNPCを何匹も跳ねちまったっケ」
「――NPCを跳ねちゃったの?」
「うん、跳ねちゃった」
「それは豪快だ。銃で片付けるよりずっと早いよ」
俺は笑ってリサを見やった。
そのリサは無表情でおっちゃんを眺めている。
「NPC見たらブレーキを踏んじゃいけねェのは、区外トラック野郎の常識だからよォ――」
おっちゃんは短くなった煙草を名残り惜しそうにパッパッと吸って、限界まで短くしたそれを足元へ捨てて、
「兄ちゃん、あれを見てくれ。オラのトラックのフロントなあ」
「ああ、あれはかなり凹んでるね」
俺は頷いた。
「カウ・キャッチャーががんこにひしゃげたっケ。大損だよ。ヘッドライトは割れなかったけどな――」
おっちゃんが浅黒い顔を歪めた。カウ・キャッチャーとはトラックの全面についた強化バンパーのことだ。区外を走る運送屋のトラックはNPC対策として頑強なバンパーや、鉄格子のついたフロントガラスやドアガラス、全体への装甲板追加などの改造が施されている。その上で好きなひとはバンボディのあたりに派手なペイントをする。おっちゃんのトラックは昇り竜の絵柄だった。むろん、この武装した男伊達に乗る運転手自体も武装していることが多い。
このおっちゃんも腰のホルスターに拳銃があった。
銀色のリボルバー。
コルト社のアナコンダだ。
今では生産されていない拳銃だから目にするのは珍しい。リボルバーを好んで使うひとが少なくなった昨今、コルト社はリボルバーの生産をやめてしまった。装填の手間がかかって射撃のスパンが長いリボルバーは、どうしたって不人気なのだ。自動拳銃と比べるとリボルバーは命中精度が良いし動作の信頼性だって全然高いのにね――。
「――おじさんは趣味のいい拳銃を持っているね」
「おゥ、兄ちゃん、わかるのケ。四四マグナムだ」
「うん、俺のはそいつよりも小さい口径の三五七マグナムなんだ。四四マグナムの
俺はレッグ・ホルスターのついた右足を、ちょっと上げて見せた。
「ステンレス製のS&Wだな。M686かァ?」
「正解だよ、おじさん、銃に詳しいね」
「ありふれているリボルバーだろ?」
「まあ、そうだね。リボルバーといえばS&Wだ」
「ありふれているってことはだ。それが誰にでも使えるいい道具だってことだよな」
おっちゃんが破顔した。
俺も少し笑って、
「そうだよな。おじさんはコルトが好みなの?」
「うんにゃ、コルトは大嫌いだ」
「でもそのアナコンダってコルトのリボルバーだよね?」
「あの会社は随分前にリボルバーの生産を完全にやめちまったっケ。オラはそれが気に食わね――」
おっちゃんは顔をしかめた。
頷いた俺のほうは笑ったまま、
「おじさんは個人でやっている運送屋なの?」
俺の態度も声も柔らかくなっている。
同じリボルバー愛好者としての親近感だ。
「オラは一応、運送会社の社長だよ。若いのを何人か使っているだけの零細だけどな。浜松はトラック野郎の天国だ――」
おっちゃんが胸元のポケットから煙草の箱を取り出して、
「兄ちゃんも煙草を吸うケ?」
「えっ、本当にもらっていいの?」
俺は遠慮をするポーズだけを見せつつ、おっちゃんの箱から煙草を一本、素早く引き抜いた。箱の銘柄は『
「――んあ、そっちの嬢ちゃんは飴玉でも食うケ?」
おっちゃんが自分の分の煙草に火をつける前に顔と鼻毛の先をリサへ向けた。
「!」
リサが手を突きだした。それを見て「ん」と短く頷いたおっちゃんは、ポケットから四角いキャンディーの箱を取り出してリサに渡した。汚染前からある有名な商品だった。手元にきたそれを見たリサははっきり笑顔を見せた。おっちゃんも笑った。笑うと顔がシワまみれだ。年齢は還暦に近い感じだった。
「おじさん。今じゃ飴玉のひと箱だって結構な値段だよ。本当にいいのか――?」
俺だっておっちゃんから奢られた高い煙草を吸いながらだが――。
おっちゃんは自分の煙草に火をつけて、
「――ま、その分、しっかりと働けてくれよ。区外の道に、NPCががんこ増えたで。これじゃ、トラック野郎も気が気でねェ」
「組合員の怠慢で迷惑をかけるね。今から俺たちがそのNPCの数を少し減らしてくるからさ」
俺は苦笑いで言った。
「あんれ、兄ちゃんら今から仕事なのケ?」
おっちゃんが俺へ視線を送ってきた。
「うん、今からだよ」
「!」
俺とリサが同時に頷いた。
「外からの帰りでなくて、兄ちゃんらは今から区外へ出るのケ?」
おっちゃんがまた同じことを訊いた。
怪訝そうな顔つきだ。
「うん、そうだけど、何かおかしいかな?」
俺は首を捻った。
おっちゃんが上半身だけを捻って後ろへ視線を送って、
「あいや、兄ちゃんの乗ってきたこのハンヴィー、ボッロボロで汚いからさァ。てっきりオラは区外で仕事をしてきた帰りかと――」
「ああ、これねえ。レンタカーだよ。うちの組合ってケチでケチで――」
俺のほうは苦笑いだ。眉を寄せたリサがうんうん頷いた。片方の頬がキャンディで膨らんでいる。俺もハンヴィーを見やった。組合から借りてきたハンヴィーはボロボロで汚くても銃座にブローニングM2重機関銃が備え付けてあるし、ドアガラスやフロントガラスに鉄の格子がついている。十分に区外の運用にも耐えられる仕様ではあるのだ。ただまあ、危険な区外でエンジンが止まってしまうと、そこでリサと俺の人生は終了確定となる。このオンボロ・ハンヴィーはアクセルを踏むたびに、エンジンのあたりから異音がするんだよね――。
俺が煙草をふかしながら深緑色のオンボロ・ハンヴィーを見つめていると、
「それで、兄ちゃんらは今からどこで仕事をすんの?」
おっちゃんが訊いてきた。
「ああ、天竜自治区らしいよ。そこで一緒に仕事をする狩人団を待っているんだ」
「おっ、それは奇遇だな。オラはその天竜自治区からの帰り道だ」
「へえ、じゃあ、おじさんがやっているのは集落からくる交易品の配送業務か?」
「専門でもねェけどな。好きでやるのはそっち仕事が多いっケ。特に天竜自治区の請負仕事は日銭も仕事内容も悪くない。逆に
「それは、わかるよ。俺も浜松へ戻ってくる以前は大農工場の――」
俺がそう言っている最中、
「へえ、兄ちゃんはここ――遠州の出だったのケ。てっきり、オラは東京難民だと――」
おっちゃんの表情が明るくなった。
そこで、リサが俺の手を引っ張った。
リサの視線を追うと、南の道に装甲車の列が見えた。その先頭を走ってくるのストライカー装甲車だ。目を凝らすと、上部に重機関銃と擲弾発射器がついていた。これは軍隊が運用するような装備だ。そのストライカー装甲車に続いてくる車はハンヴィーではなくL-ATVだった。これは米軍がハンヴィーの後継として導入した最新の軽装甲車だ。車列の最後尾には数台の軍用トラックまでもついてきた。
「随分とまあ立派な装備を揃えた狩人団だな――」
リサと俺が呆れてその車列を見やっていると、目の前で止まったストライカー装甲車の上部ハッチが開いて、そこから男が顔を見せた。恰好は俺と同じで組合員ジャケットにワークキャップをかぶっている。肩幅の広い身体は俺よりも大きく見えた。
その男が言った。
「君が黒神武雄か?」
のっぺりと平べったい声だった。
「ああ、俺がその黒神だけど――」
俺はその男を見上げた。
俺を見下ろしたその男の表情は太陽の逆光で隠れている。
「私は伊里弥狩人団の団長をしている
逆光で影になった表情がいった。
リサと俺がこれから一緒にする予定の狩人団が伊里弥狩人団だ。
アブラ狸から聞いた通りの名前だった。
間違いはなかったのだが――。
「ああ、そうなんだ――」
曖昧に頷いた俺はリサを見やった。
眉を寄せたリサは伊里弥狩人団の車列を見回している。
「――うん、黒神さん。天竜自治区へ向かう前に、使うルートを確認しておこうか」
伊里弥団長がストライカー装甲車から降りてきた。
面長の、のっぺりとした白い顔に、黒目勝ちの小さい目がついた中年の男だ。
年齢は俺よりも少し上だろう。
地上で相対してみると、やはり伊里弥団長は俺より上背があった。
§
廃屋の屋根が次々と吹っ飛んで粉塵がもうもうと上がった。
ポンポンと破裂する茶色い花火に、
「ギャ、ギャ!」
と、猿どもが歓声を重ねていた。
俺のオンボロ・ハンヴィーのすぐ前方に停車したストライカー装甲車の自動擲弾発射器が作動しているのだ。車内から操作できるものだからそこに射手はいない。そいつがグレネード弾を街道沿いの廃墟へまき散らしていた。
場所は浜松居住区の北障壁を越えて天竜自治区へ入る直前だ。
伊里弥狩人団の車列をオンボロ・ハンヴィーで追随していたリサと俺は、猿型NPCの襲撃を受けている。
「おいおい、グレを使ったのか――」
ブレイザーR93(改)の銃口をおろした俺は頭を抱えた。グレネード弾の炸裂で舞い上がって落ちる瓦礫が直撃したらたまらない。案の定、俺の足元に屋根瓦が落っこちてきた。頭には当たらなかった。日中の空には薄雲ていどしかなくて天気はいい。しかし、車列のほうぼうから発射されたグレネードが粉塵をまき散らして、俺たちの視界を悪くしていた。建物の屋根は蓄積した埃の塊なのだ。そこに爆発物を放り投げれば結果は御覧のありさまになる。伊里弥狩人団は装甲車のなかに引き籠ったまま、四方八方で発砲を繰り返している。車上にあるミニガンだ。それが道沿いの廃屋の上を飛び交う猿型NPCへ向けて唸りを上げていた。
SG553を持ったリサが苛々した顔を左右にぶんぶん振っている。このSG553は森区の狩人組合から、リサがパチってきたものだ。これが気に入ったらしい。俺の分も一丁拝借してきてくれた。リサは手癖が悪いのだ。俺もだけど。
まあ、それは置いておいてだ。
常人より遥かに鋭い五感を駆使して敵を捉えるリサにとって余計な音は邪魔だ。
遠距離で安全に敵を片付ける主義の俺にとってもこの無秩序は迷惑だった。
「あっ、ひっ」
「猿だ、猿のNPCだぞ!」
「動きが早くて、弾が当たりませんよ!」
「ああ、上から来る!」
「もっと、車を後方へ下げろ!」
「駄目だ、猿は輸送トラックの後方にもいる!」
伊里弥狩人団の面々がL-ATVの車載ミニガンを撃ちまくりながら喚き散らしていた。装甲車から出ているのはリサと俺だけだ。舌打ちをしながら視線を上へやると廃屋の上を飛び交う猿型NPCはかなり多かった。弾幕を作らないといずれ猿型に突っ込まれて被害が出る。ミニガンから射出される弾の数は多いが、一丁の銃から射出される弾の方向は必ず限られる。全方向をカバーするためにはどうしても地面に足のついた人手が必要だった。しかし、伊里弥狩人団は装甲車のなかから出てきて戦う気配がない。グレネード弾の炸裂でまた粉塵が舞った。団員は携帯式のグレネードランチャーを銃座で使っている。見ると回転式弾倉を持つダネルMGLだ。伊里弥狩人団これを多数配備してあるらしい。
見たところ、この狩人団は車だって装備だって、良いものを持ってはいるのだ。
だが、この腰が据わらない戦い方は何なのだろう。粉塵が舞う視界がどんどん悪くなる。粉塵の後ろにある敵影は増える一方だ。これだったら車列を停止させずに突っ切ったほうがマシだった。この道の先にある西鹿島大橋を渡れば、そこが目的地の天竜自治区なのだ。浜松周辺で最大の集落であるそこは住民の手でNPC防壁が形成されている。当たり前の話だが飛び道具を持たないNPC相手は壁越しのほうがずっと戦いやすい――。
「――あんた、何をやっているんだ?」
俺は言った。後ろの装甲車からようやく出てきた団員に向かってだ。そいつは耐胞子マスクで(リサと俺が使っているものとは違って顔を全面を覆う高機能なものだ)顔を覆って背に大きな缶を背負っている。手に噴霧器の管を持っていた。
ばふばふと除菌剤の白い煙を周辺へ撒きながら、
「見ての通りだ。団長からの指示で除菌剤を撒いて――」
団員の男が答えた。
「そんなものは後回しにしろ」
俺が言うと、
「!」
リサが強く頷いた。
リサも俺もその男を睨んでいる。
本気でだ。
「ええ、だって除菌剤を先行して撒いておかないと、ゾンビ・ファンガス胞子感染の危険性が――」
団員の男が耐性胞子マスクで覆った顔をこちらへ向けた。
ガラス越しにある目が丸くなっている。
「先に銃を撃って、寄ってくる猿どもを片付けろ、死にたいのか! ――この、ド素人どもめが」
怒鳴った俺は小さな声で付け加えた。リサも苛立った顔のまま頷いて見せた。それでもその団員は殺菌剤の噴霧をやめなかった。車列が並んだ道の方々で同じ行動を団員がしている。噴霧された煙で益々視界は悪くなる。
「俺達だけが車の外にいても意味がなさそうだ。車内へ戻ろう。銃座にあるM2を使うぞ」
俺はリサを促した。このまま外で突っ立っていると、真っ先に猿の餌食になるのは俺たちだ。ケツをまくって逃げるにしても、車を使ったほうが生存する確率は高くなるだろう。
「!」
強く頷いたリサも俺と同意見のようだった。
車内に戻った俺は天井部分の銃座から身体を出して、
「俺はできるだけこいつを使いたくなかったんだがな――」
オンボロ・ハンヴィーの銃座に鎮座しているのは、前述の通りブローニングM2重機関銃だ。戦場を知る誰しもがこいつを「古強者」と呼ぶと思う。一世紀近く戦場の最前線にいるこの古強者が秒間で二十発近く射出する大口径弾は分厚いコンクリ壁の向こう側にいる敵を楽々と
だからまあ、この古強者は間違いなく頼りになる野郎なのだけどね――。
俺はベルト供給型の一二カンマ七ミリ弾をM2にセットしながら、
「この黒くて厳つい古強者と同様にだな。一二カンマ七ミリ弾は組合からの借り物だからなあ。消費した弾の金額は俺たちの報酬から差し引かれるんだよなあ――げっふん!」
俺の脇腹に肘鉄が刺さっている。
これを刺したのは後ろでSG553を使っていたリサだ。
俺の彼女は身長が足りないので小箱の上に乗って銃座から上半身を出していた。
「わかってるよ、命があってこそ金も価値がある。リサ、いつものように俺の背中のほうは頼んだぜ」
渋い顔の俺がM2のコッキング・レバーを引いた直後だ。
「!?」
銃座からリサが頭を引っ込めて、
「ぬぅおっ!」
俺は悲鳴と一緒に仰け反った。オンボロ・ハンヴィーの天井部分を飛んできた弾が叩いたのだ。マジで危なかった。追加装甲板の上で跳ねた弾は、かろうじてリサにも俺にも当たっていない。
これは誤射だろうな。
「何をやっていやがる! 味方を殺す気か――」
振り返った俺は怒鳴っている途中に言葉を失った。
「!」
リサはSG553の銃口を向けても撃てなかった。
撃つと味方に弾が当たる――。
「うっわ、マジかよ。後方の車両が猿に取り付かれて――」
俺は呻いた。廃屋の上から飛び降りてきた猿型NPCが、車列の後方で停車していたL-ATVの銃座にいる団員へ掴みかかっている。団員の首やら手がおかしな方向へぶらぶらしていた。どうもそれで車載ミニガンの照準が外れて、リサと俺のほうへ弾が飛んできたらしい。射手はもう助からないだろう。ミニガンの銃撃を食らいながら突っ込んできた猿型NPCの方だって無事ではなかった。獣毛で覆われた巨体は血まみれだ。その猿の巨大な身体が「ボンッ!」と派手に砕けた。上半身の半分以上を失って猿が路面にぼてんと落ちる。ほとんど下半身だけになった身体でも、足と尻尾はまだ暴れている――。
「!?」
リサが目を見開いた。
「おいおい、味方の車両へグレをぶち込んだのか――」
俺は呻いた。
ストライカー装甲車から発射されたグレネード弾が、味方の車両ごと猿型NPCを砕いたのだ。猿型NPCが目と鼻の先まで来ると、そこでようやく装甲車のなかから出た団員が本格的な戦闘を開始した。三十分ていどだった。寄ってくる猿型NPCを銃弾の雨あられが迎撃した。
リサと俺は戦場跡にいる。
戦闘が終わった今、路面に散らばった猿型の死体は三十二だ。
味方のグレネードを食らった車両から黒煙が上がっている。青い空に漂うその煙は黒い竜のように見えた。分が悪いと判断したのか、数名の団員を餌として持ち帰って満足だったのか。俺にはよくわからない。襲ってきた猿型NPCの群れは北へ逃げていった。今いる場所の北を東西に流れている天竜川の向こう側へだ。猿型の群れは今は運行していない電車が使っていた鉄橋を渡って山林へ消えていった。まだ団員が噴霧器を使って神経質に除菌剤をまき散らしている。
「どうにも、贅沢に命と装備を使い捨てる連中だよな――」
俺はリサへ視線を送った。
「!」
リサが頷いて見せた。
銃後でも天使の眉間はまだ険しい。
「こいつら様子がおかしいぞ。やばくなったら俺達だけでズラかっちまおうぜ」
俺が小声で言うと、
「!」
一旦は賛同する態度を見せたリサが、
「?」
「?」
と、左右に顔を傾けた。
「――組合の任務についているわたしたちは気軽に逃げられない、か?」
俺は訊いた。
しかめっ面だったと思う。
「!」
リサが俺を見上げた。
「確かに、ここで逃げかえると組合員規則の意図的な任務放棄に抵触して報酬は没収。その上に等級へペナルティだ。提出した書面上、今回の任務はこの腐れド素人ども――伊里弥狩人団と黒神狩人団の共同作戦になっているから――」
俺の呻き声だ。
最近ではリサも仕事内容や組合員規則に詳しくなっている。
「アブラ狸め、何を考えていやがる。こんな連中を防衛戦に参加させたら、天竜自治区が壊滅するだろうぜ」
俺は堤防の上で団員へ指示を出している伊里弥団長を見やった。
「大屋、野沢、篠山は死んでいました!」
「あっちはどうだ――」
「どうだあ!」
「田島が――今、息を引き取りました」
「――ふぅん。欠員がかなり出たな」
彼らはこんな感じのやり取りをしていた。
ざっと見回しただけでも、団員の死者は二十名近くいた。
怪我人はいない。
NPCに組みつかれた人間はまず助からないのだ。
内山さんたちと仕事をしていたときは犠牲者を出すようなヘマを一度もしなかった。
ところがどうだ、このド素人集団は――。
俺は舌打ちと一緒に土手を上がっていった。
SG553を持ったリサが俺の後ろをトコトコついてくる。
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