第3話 月とすっぽんの夜(イ)

 俺はコップのビールをぐいぐい飲む女の喉を眺めている。

 ルリカは一息で空にしたコップを卓へ置いて真横を向いた。どうもご機嫌斜めだ。お互いの間にある、適当な大きさの卓の真ん中で土鍋がぐつぐつ煮えている。俺の横で左手に小皿右手にお箸を持って準備万端のリサがじっと土鍋を見つめていた。一週間も前に予約をしたこのお座敷にいるのは、俺と娼婦のルリカ、それに俺のリサだった。本来ならこのリサに予約した席はなかった。

 しかし、

「ああ、いいよゥいいよゥ。子供の一人くらい予約無しで来ても困らないからねェ――」

 老舗であるらしいこの料亭の軒先で出迎えてくれた、ひらめ顔の女将さんは、にこにこ笑顔で予約外だったリサも受け入れた。

 俺からすると「受け入れやがった」になる。

 俺は溜息を吐いてルリカと同じ窓の外へ視線を送った。二階の座敷の窓からは汚染後の日本で美しくなった唯一のものが見える。

 空っ風が吠える夜空に丸く浮かんだ青い月――。

「リサちゃんは黒神さんの妹じゃないんだ?」

 ルリカは横を向いたまま、自分のコップへ瓶のビールを注いでいた。

 それでまったくこぼれていない。

 器用だよなあ――。

「――うん、そうだよ。リサは赤の他人だよ」

 俺が見やると、

「!」

 リサは強く頷いたが、しかし、彼女の視線は鍋にいったままだった。

 土鍋で煮えているのはすっぽんだ。

 俺たちがいるのは浜松居住区の駅南のすっぽん料理専門店で、これには「亀代かめよし」という店名がついている。女将さんの話を聞くと、この場所で商売をするようになってから、今の店の主人で(厨房を仕切るのは女将さんの旦那だとのこと)何代目という話だったから、この料亭はかなりの老舗しにせと言っていいだろう。ゾンビ・ファンガスの汚染にも南海トラフ大震災にも耐えきった料亭の建物は驚くことに木造の和風建築の二階建てで、その二階は塗り壁で区切られた立派な客室になっていた。今、三人で土鍋を囲んでいるのは、床の間には掛け軸や生け花なんぞが飾られて落ち着いた雰囲気の座敷だ。まあ、生け花は造花で安っぽい。汚染後はお花屋さんというものがほぼなくなった。だから、こればかりは仕方がない。

「妹ではないわけよね。それでも黒神さんとリサちゃんは一緒に暮らしてるの?」

 ビールのコップの上にあるルリカの瞳が切れるように細い。

「それは、まあ、どうしたってそうなるよ。お宿の犬小屋にリサを置いておくわけにもいかないだろ――」

 俺もビールのコップに口をつけた。

 ビールは旨いが気はまずい。

 俺が気まずいのは、

「!?」

 と、横目で睨みつけてくるこいつの所為だ。

 とびきりお高い娼婦が相手の楽しい会食に、俺の小うるさい嫁さんが――リサが居座っている――。


 ――時間は遡って本日の夕方の話だ。

 浜松居住区の定宿――遠州のお宿『志田泉しだいずみ』を抜け出して、浜松駅の北から広がった歓楽街の片隅にあるBAR・胡蝶蘭・浜松店へ歩いて向かった俺のあとをリサが尾行してきた。

「こいつ、わたしに黙って今からおいしいものを食べにいくに違いない」

 リサはそう思ったのだろうか。お宿で暇そうにしていたから何となくの行動なのか。それとも他に意図があったのか。そこらへんは俺によくわからない。とにかく、サダさんが経営するBAR・胡蝶蘭・浜松店へ入ったとき俺の横にリサがいた。俺がリサに気づいたのはこのときだ。だから、リサは尾行を完璧に成功させたということになる。

 俺は顔をしかめて見せた。

 その俺を見上げたリサはニンマリと笑顔を返してきた。

 ここは酒場だ。

 しかも売春BARだ。

 堅気の女の子が来るようなお店じゃないだろ――。

 日本再生機構の支配地域――東海地方を西へ東へ神出鬼没だ。

 サダさんは俺を追っかけきて金をムシりとる。

 色々と諦めた感じの俺がカウンター席に腰を下ろすと、

「黒神さん、私の予想通り、状況が悪くなった藤枝居住区から区民の流出が相次いでいますよ。藤枝居住区はもう限界かも知れませんね」

 その銭ゲバヤクザのサダさんが、カウンター・テーブルの向こう側から教えてくれた。

 俺は頷いて、

「サダさんの読み通りか。今日は適当なものを――軽いものを一杯くれる?」

「そんなわけで藤枝の店は先月にたたみましたよ」

 サダさんは冷たい酒のグラスを置いた。

 ジン・リッキーだ。

 俺はグラスを片手に頷くだけの返事をすると、

「また舎弟や従業員に死なれると大損ですからね」

 サダさんが笑顔を消した。

「サダさんはフットワークが軽いよね。見習いたいよ――」

 俺は贔屓にしてるルリカを呼んだ。リサはフロア中央にある巨大な水槽をゆったり泳ぐマリリン――黄金のアロワナに興味を示してそこに貼りついていた。その彼だか彼女だかも藤枝居住区から浜松居住区へ引っ越してきたらしい。カウンター・テーブルの向こうから出てきたサダさんが、水槽に額をつけたリサへアロワナの飼育や生態を語った。あんなに嬉しそうな顔で物事を語るサダさんを見るのは初めてだった。リサはふんふん頷きながらサダさんの話を聞いていた。

 そのうち、

「そうだ、リサちゃん、マリリンに餌をやってみようか?」

 サダさんが裏手からガラスケースを何個も持ってきた。そこに入っていたのは生餌だった。日本にいる倍サイズのゴキブリだの、どじょうだの、カエルだのだ。

「うわ――」

 俺は小さく呻いた。店の裏手から呼ばれてきたルリカは俺の横に突っ立ったまま、冷めた表情でアロワナとサダさんを見つめていた。リサは生餌の数々を見て瞳をキラキラさせている。

「生餌を与えるとね、アロワナの発色は綺麗になるんだよ――」

 フルーツゴキブリを片手にまったりした笑顔で教えるサダさんだった。リサの手で投入された生餌に食らいつくアロワナはNPC並みの狂暴性を見せた。アロワナは肉食性の、かなり気の荒い淡水魚らしい。

 今夜はこんな感じで宿を出た俺にリサがつきまとっている。

 最近、稼ぎが増えて気が大きくなった俺はサダさんの店で一番にお高い娼婦のお高いルリカ嬢をお高い外食へ誘った。しかし、リサには一言も今日の予定を言っていない。案の定だ。ルリカと一緒に店を出た俺の後ろをリサがトコトコついてきた。

 リサは本当にカンの鋭い奴なのだ――。


 ――ルリカは空にしたコップをゴツンと卓へ置いて、

「黒神さんとリサちゃんは、ひとつ屋根の下で暮らしているんだ?」

「それはまあ、他にないだろ。ルリカは何を言いたいんだ?」

 歯切れ悪く応じた俺が見やると、

「――!」

 リサがさっと瞳を伏せて頬を赤くした。

 見るからにわざとらしい態度だった。

 リサのこんな態度、俺は今ここで初めて見たぞ。

「へえ、黒神さんってロリコンなんだ」

 ルリカは乳白色のナイト・スーツの上着を脱いで黒いシャツの姿になった。

LO!」

 これは俺の呻き声だ。

「――リサはロリコンって年齢でもないよなあ?」

 俺は作った笑顔をリサへ向けた。

「?」

 リサは小首を傾げた。

「ここは素直に頷いておけよな」

 俺は唸ってみたが、

「?」

 リサは顔の傾きを大きくしただけだった。

「くっそ、こいつは――」

 諦めた俺が顔を正面へ向けると、

「ふぅん――」

 瞳を細くしたルリカはビールをぐいぐい飲んでいた。

 ペースが早い。

 それで酔う気配もない。

 ルリカは酒豪なのだ。

「あのね、ルリカ――」

 俺は溜息と一緒に呼びかけた。

「なぁに、黒神さん?」

 ルリカは視線を真横へ向けた。

「あのね、リサは俺の仕事の相方だからね。愛人専門じゃないよ?」

 俺が言うと、

「!」

 強く頷いたリサが、

「?」

 すぐ首を捻って、

「!?」

 くっわっと俺を睨んだ。

 発言中の「愛人専門」あたりが気に食わなかったようだ。

 俺のほうは疲れるからいちいちリサの抗議に付き合わない。

「――えへぇえ」

 頬杖をついたルリカはコップを半分満たして空になったビールの大瓶を睨んでいる。

 取り付く島もなさそうなので、

「だいたい、何でリサがここにいるんだ。もう帰っていいぞ、帰れ帰れ」

 俺はリサに毒づいてみた。

「!?」

 リサは眉間を厳しくしていつもと同じく反抗的だ。

 このまま視線を合わせておくと襲いかかってきそうだ。

 だから俺はすぐに視線を逸らした。

 この獣めが――。

「――店の女との高価な食事にコブつきとかね。何かの罰ゲームかなあ、これ?」

 降参したわけではないということにしておく。

 俺は苦笑いをルリカへ向けた。

「あら、前からルリカは黒神さんと食事の約束をしていたし?」

 ルリカは不貞腐れた態度のままだった。

「ルリカとはね。子供にすっぽん料理は必要ないだろ――」

 俺が言うと、

「!」

 はっと瞳を見開いたリサがルリカへ視線を送って、

「はあっ!」

 そのルリカが俺を凝視した。

「――何、何なの?」

 俺は嫌な予感がした。

「黒神さんにはリサちゃんがまだ子供だという自覚がある!」

 ルリカが大声で言った。

「――こ、子供は違うよね、何かで不足を補わなくても精力十二分な若い女性に、すっぽん料理は必要がない、だ。俺はそう思うよ、リサ?」

 俺は動揺を噛み殺してそう言ったが、

「?」

 眉を寄せたリサは「解せぬ」みたいな態度で俺を睨んでいた。

 子供は安っぽいお菓子を食っていればいいのだ。

 それで十分満足だろ。

 俺が横目で解せぬ態度のリサへ視線を送っていると、

「ああ、これやっぱりロリコンだわ――」

 ルリカがうなだれた。

「あのね、ルリカ――ええと、そろそろ、鍋の野菜も煮えたみたいだよね。では、みんなですっぽん鍋とやらを食べてみようじゃないか」

 話題を有耶無耶にするいい台詞が思い浮かばなかった。

 俺は座布団から腰を浮かせて各々の小皿へすっぽん鍋を取り分けて、

「うーん、しかし、これは――」

 小皿に取ったすっぽんの頭が俺を眺めている。

「リサちゃん、すっぽんはおいしい?」

 ルリカが顔を上げた。

 眉を寄せた娼婦の美貌だ。

「――?」

 真剣な表情のリサは小皿にきたすっぽん肉の匂いをふんふん確認している。

「見た目は結構グロテスクだ。甲羅とか頭もまるっと鍋に入っているからね――」

 俺はすっぽんの首をお箸の先でつついた。女将さんの話だと「すっぽんは頭が一番おいしい」らしいのだが、一番グロテスクな見た目の部位でもある。ぷるぷると震えたすっぽんの首が俺に頷いて見せた。俺は顔をしかめてそれに応えた。

「黒神さん、お味はどう?」

 ルリカが訊いた。

「ルリカはすっぽんを食べたことないの?」

 俺はルリカを見やった。

「今夜が初体験よ――」

 ルリカも小皿にあるすっぽんの肉をお箸の先でツンツンやっている。

「!?」

 俺の脇腹へリサの肘鉄が突き刺さった。

「――げっふん。俺に毒見をせよってか?」

 横目で見やると、

「!」

 強く頷いたリサもすっぽん初体験らしい。

「まあ、見た目は少し抵抗感があるけど、身体に悪いものじゃないのは確かだ。健康サプリメントにもすっぽんエキスが入っているものがあるだろ。だから、リサ、怖がらずに食べてみ――」

 俺は毒見役を強制しようとしたが、

「!」

 リサは眉間に殺気を浮かせて俺の脇腹へまたも肘鉄をぶっ刺した。

 少しの間、脇腹を抱えて悶絶をしたあと、

「――ああ、わかった。俺も男だ。最初に食ってみる。そう急かすな」

 俺はすっぽんの首を箸で取り上げた。

 こいつと少しの間、睨み合ってみた。

 そのあとで、覚悟を決めてすっぽんの首をかぶりとやった。

「お味はどう?」

「?」

 ルリカとリサが同時に訊いてきた。

「――うーん。これは例えると、とてもぷりゅぷりゅした食感の鶏肉だな。鳥と違う独特の風味があるね。意外なことに黒い皮の部分がなかなか旨いよ」

 俺は視線を上向けてすっぽん肉の感想を述べた。

「ぷりゅぷりゅは確かコラーゲンよね。お肌がつるつるになるって――」

 ルリカが呟くと、

「!」

 リサがすっぽん肉を素早く口へ運んだ。

 まだお肌の荒れを気にするような年齢じゃないと思うけどな。

 俺はリサの横顔を眺めた。

 左の目の下に泣きぼくろがある白い顔だ。

 染みもニキビもない白磁のような肌だった。

 リサは警戒心を残したままの顔ですっぽん肉をもにゅもにゅやっている。

「実はね、ルリカ」

 俺は白菜と一緒にすっぽん肉を食いながらルリカへ視線を送った。

「――うみゅ?」

 口の中にすっぽん肉を詰めたルリカの返事だ。

「俺もすっぽんを食うのは今日が初めてなんだ。でも、これはなかなか旨いものじゃないか」

 俺は少し笑って見せた。

「――あら、黒神さんはこのお店――『亀代』を元々知っていたのじゃないの。汚染前はこの浜松に住んでいたのでしょ?」

「いや、サダさんおすすめのお店だよ」

「あっ、そうなんだ――」

「ヤクザものは見栄坊だから例外なく贅沢が好きだよね――」

「すっぽんがおすすめね――」

 ルリカが唸り声と一緒にれんげを使って鍋から自分の小皿へすっぽん肉と野菜類を移した。

「うん?」

「?」

 俺とリサは顔を傾けた。

「あの男が精力をつけて何を相手に使うつもりなのかしら。付き合っている女もいないのに?」

 ルリカはお箸の先のすっぽん肉を睨みつけている。

「あの男って――」

 俺は苦笑いだ。

 リサは無表情ですっぽん肉をもにゅもにゅしていた。

「いいのよ、あんな男はあの男扱いで――」

 ルリカがすっぽん肉を噛み千切った。

「ルリカはまた、サダさんと何かあっ――」

 俺の言葉を、

「――黒神さん」

 ルリカの唸り声が止めた。

 部屋はぽかぽか温かいがルリカの眉間は猛吹雪だ。

「――ああ、はい」

 恐縮した俺へ、

「それ以上、訊かないで」

 ルリカはぴしゃりと言った。

「ああ、うん、わかった――」

 俺は視線を惑わして、

「それはそうと、ルリカは名古屋の店へ――胡蝶蘭・本店へ転勤するんだって?」

「転勤は違うわよ。浜松にある胡蝶蘭の三号店も来月に閉店なの。また、あの男の大好きなアロワナとお引越しよね」

「――え?」

「あら、黒神さんはサダさんから何も聞いてないの?」

「全然、知らないよ、初耳だ」

「あらそう。あの男らしいわよね。何も言わず消えたり現れたり――」

「じゃあ、サダさんともじきにお別れなのか――」

「お別れは大袈裟よ。名古屋に来たら会えるわ。浜松居住区からならすぐそこでしょ?」

「人間って少し距離ができると疎遠になるものだからね」

 俺が苦笑いを見せたところで、

「へえ、近い距離にいるリサちゃんとはラブラブってわけ?」

 ルリカがリサを見やった。

「――その話はしてない」

 俺はリサへ横目で視線を送った。

 リサも横目で視線を返してきた。

 何の熱もない視線だ。

 すっぽん肉が入った口は忙しなくもにゅもにゅしている。

 うん、ラブラブではないよなこれは――。

「――このロリコンが」

 ルリカが斜めに視線を落として吐き捨てた。

「!」

 リサが強く頷いて見せた。

「あのね――」

 呻いた俺は、

「まあ、それは置いておいてだよ」

「ロリコン。へんたい。犯罪者。女と社会の敵。クズ男。さっさと地獄へ落ちろ――」

 ルリカの返答はこうだった。俺はルリカの年齢を訊いたことがない。女性へ実年齢を尋ねるのをできる限り遠慮するていどのフェニミスト、それが黒神武雄という男なのだ。まあ男性にだって年齢を訊かないけどね。ぶっちゃけだ。俺は他人の年齢にまったく興味がない。自分の年齢だってどうでもいいと思っている。加齢で人間は賢くなる気がしない。人間というものは年月と経験を積み重ねることで人生の立ち回りが多かれ少なかれ上手くなっていくだけなのだ。これが三十何年か生きてきた俺の実感だった。

 とにかく、俺はルリカの実年齢を知らない。

 だが、もしかするとだ。

 ルリカという女は若々しい美しさを持つ女の子が、何でもかんでも気にくわなくなってしまう年齢にもう達してしまっているのだろうか――。

 俺は注意深くルリカを観察しながら(それでも、ルリカは二十代中盤くらいに見えた――)、

「内山さんたちも来月から名古屋居住区で仕事をするらしいよね」

「それは私もお店で聞いたわ――内山さんのところの狩人団は――ウチのお店の――胡蝶蘭のお得意様ですから――」

 すっぽん鍋をはふはふ食べながら他人行儀なルリカの返答だ。

「――リサ?」

 俺は少し考えたあとに呼びかけた。

「?」

 リサが鍋の熱で赤くなった顔を傾けた。

「俺たちは次の仕事が終わったらどうしようか?」

 俺は訊いた。

「――?」

 リサはコップのオレンジジュースを飲みながら顔を真正面に向けている。

 視線すら返してこない。

 これはそんなことどうでもいいから黙れみたいな態度だね――。

 今日の昼のことだ。

 俺はNPC狩人協会浜松本部で小池主任と会ってきた。ハヤト君もそこにいた。これまで俺と一緒に汚い仕事をやっていた内山狩人団は浜松を去る。俺はかなり荒稼ぎをした。内山さんだってそれは同じだ。アブラ狸だって組合の公金をがっぽり懐にねじ込んでいただろう。しかし、それも今月で終わりらしい。

 だから俺は今後の予定を訊いたのだが、

「うーん、黒神なァ。色々と動きが早いんだよなァ、最近はなあァ――」

 アブラ狸はそれ以降の言葉を濁し続けた。これまで散々悪事に携わってきたアブラ狸の立場が組合で危うくなっているのかも知れない。またそれとは違う理由があるのかも知れない。とにかく、リサと俺がアブラ狸から受けた今回の依頼は奇妙なものだった。

 新人狩人団の案内任務だ。

 リサと俺は区外のツアー・コンダクター役に抜擢されたらしい。これは組合が発注した任務ではないと思う。至らなければそこで死ね。それが組合の埃っぽい方針だから新人の心配なんてしないのが普通だ。だから、この仕事の出元は小池主任本人だと考えられる。

 どうもこれはキナ臭い仕事だ。

 俺と狸の腐れ縁もここらで終わりにしたほうがいいのかも知れない。アブラ狸だって利がないと見ればリサと俺をあっさり切り捨てる筈だ。しかし、俺はアブラ狸のコネを失うと頼れるのは内山さんくらいしかいない。

 今後、組合の仕事が多くなるらしい名古屋居住区へ拠点を移すべきなのか――。

 俺はもう一度、リサへ視線を送った。

 リサはすっぽん肉をもにゅもにゅしながら無表情な顔を俺へ向けた。意見はなさそうだ。きれいで可愛いお洋服を着て、おいしいものを食べて、テレビを見ていればそれで幸せ。リサはそういう女の子だ。鍋で身体が火照るのか、セーターを脱いだリサは海老茶色のブラウス姿だった。下は黒いロングスカートだ。俺の彼女はロングのスカートが好みらしく、似たようなデザインのものを何着も持っている。

 まあ、それは今どうでもいい。

 よく見るとリサの小皿はすっぽんの肉だけがてんこ盛りになっている。

 肉ばかりでなく野菜もちゃんと食べなさい。

 俺は視線でそう告げた。

 途端、リサはすっと俺から目を逸らした。

 くっそ、こいつは――。

「――黒神さんは会いにきてくれないの?」

 ルリカがすっぽん肉を齧りながら俺を見つめていた。

「それって名古屋居住区のBAR・胡蝶蘭・本店まで遊びにこいって話?」

 俺は訊いた。

「そうよ」

 ルリカが頷いた。

「うーん、それは少し遠いな。武装ディーゼル機関車のきっぷはかなり高いし――」

 ボヤいた俺は小皿にあった椎茸しいたけを口に入れた。

 ゾンビ・ファンガスと違って、こいつは無害な菌類だ。

 それどころかダシが出ておいしいものだ。

 きのこは本来こうあるべきだと思う。

「黒神さんはルリカがお気に召さなかった?」

 ルリカが寂し気に笑った。

 演技だか本音だかわからないが――。

「――そういうわけじゃないけど。ま、お高い女は値段も色々と高くつくからね」

 俺は視線を落とした。

「――何?」

 ルリカが不機嫌な声を出した。

「ああ、いいのいいの。聞き流してくれ――」

 俺はコップのビールを飲んだ。

 泡の消えたそれはもうぬるくなっていた。

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