第17話 亡くしたものへ送る涙
「百目鬼も早乙女夫妻も集落の連中も月日神社に――いや、そこにいたらしい猿神に何かこう――自分から率先して猿神に期待をしているような感じだっただろ。何かに強要されている感じはしなかったぜ。世界で一番にへヴィなライブ会場に今から行こうぜみたいな――ああ、この例えじゃよくわからないよな。黒神さん。何て言うんだろうな、こういう場合?」
三久保が言った。
「三久保、そこらはまたあとで話すよ――」
俺は目を閉じた。リサが眠そうな視線を俺へ送ってきた。俺からは見えない。俺の彼女は喋れない。でも、気配でわかる。
俺は唇を歪めて、
「リサも少し寝たらどうだ?」
リサが頷いたかどうかはわからなかった。
「ああ、悪かった、黒神さんとリサちゃんは疲れているよな――」
三久保が輸送トラックのスピードを上げた。俺は眠ろうとした。巫女の芒洋としたあの青白い顔がまぶたの裏に浮かんで、ようやく訪れた眠気を追い払う。この調子だと、しばらくの間、俺はあの光景を――月日神社で見た光景を思い出すのだろう。それは悪夢としてだ。俺は溜息を吐いて後部座席に預けていた体重を前に戻した。
たぶん、ビスケットを食ったあとに缶珈琲を飲んだのがよくなかったね――。
「――三久保、月日集落の希望は巫女だった」
俺が諦め半分に言うと、リサがふわんと頷いた。
リサもまだ目を閉じていなかった。
その向こう側で丸くなっている秋妃さんは目を覚ます気配がない。
「さっきも言ってたな。社にいたその猿神の巫女って何者だったの? 胞子感染者――NPC化する前の人間か?」
三久保が訊いた。
「さあな、今となっては正確にわからんよ。あの巫女は人間の言葉を確かに喋っていたが、それでも正気だったかどうかまでは――」
俺は車窓へ視線を送った。左手は崖で視界が開けていた。雨はもう降っていなかったが、山間の風景は水気を含んだ大気に霞んで色合いを失っていた。まるで、水墨画だ。ここからは月日集落がもう見えない。
俺は呆れた気分を長い溜息にして吐き出しながら百目鬼の手帳を開いた。
「とにかく、百目鬼の手帳には、猿神が供物のなかからあの巫女を――沙也加を選んだと書いてある。それで、百目鬼直永と集落の住民は本格的に狂い始めた。あそこの住民が食っていた毒きのこの影響も、むろん、あったんだろうが――」
「その毒きのこも、よくわからないな――」
三久保が呟いた。
「――ん?」
俺は手帳から視線を上げた。
「あの様子だと月日集落の連中は毒きのこで日常的にラリってたんだろ。ロシアの連中が無理やりそう仕向けていたのか、それとも、百目鬼の指示だったのかはわからないけどさ。誰も抵抗をしなかったのかな――」
三久保が独り言のように言った。
「――うん、三久保、早乙女夫妻はどうだった?」
俺は相手の答えを促す手法を選択した。このほうが、自説を展開して相手を納得させるより手早く済むことが多い。
「ああ、早乙女夫妻は毒きのこの味噌汁を食ってたよな。あの夜だって、俺はそれを確認したから安心して夕めしを食ったんだ」
「そうすると、毒きのこを食うことを、誰かに強要されていたわけではないよな」
「月日集落の住民は全員が率先して、毒きのこでラリってたっていうこと?」
「そうだよ」
俺は頷いた。
「どうして?」
三久保は首を捻った。
「罪悪感と恐怖を紛らわせるためだ」
俺は言った。
低い声だった。
リサが落ちかけていたまぶたを引き上げた。
「そんな理由でラリったまま危険な猿型NPCに接触していたのか。ちょっと信じられないぜ。自殺行為だ――」
三久保は呻いた。
「いや、三久保。そう難しい話じゃない。たいていの人間はな、自分の内部にひそんでいる邪悪を直視して受け入れる根性がないんだ。よしんばだぜ。何かの拍子で自分がする邪悪を目の当たりにしてもだ。目を逸らして誤魔化したり、適当な屁理屈を見つけて正当化するものだぜ。誰だって自分だけはいい子ちゃんでいたいのさ。月日集落の住民は猿のお社で行われていたあの儀式を――人間の虐殺を見学するのが耐えられなかったってわけだ。だから、率先して薬に――毒きのこの幻覚に頼っていた」
俺は軟弱者をせせら笑いながら語った。
車内は沈黙した。
俺は誰か反論してくるかなと思った。
リサは無表情で俺を見つめていた。
秋妃さんはまだ目を覚まさない。
「――うん、毒きのこの件は、だいたい、黒神さんの言うとおりなんだろうな。眠そうなところ、悪いんだけど、最後の最後にもうひとつだけ教えてくれよ。その猿神の巫女――沙也加って、どこの誰だったんだ?」
三久保がルームミラー越しに俺へ視線を送った。
頷いた俺は、
「ああ、巫女さんの元は渡瀬拓馬の妹だったらしい。名前は猪瀬沙也加だ」
「え、あの猪瀬の妹?」
「そうだ、どうも猪瀬の話だと、その沙也加は障害者だったらしいんだが――」
「障害者か。歩けなかったとか?」
「いや、オツムのほうだな。ざっくばらんに知的障害者ってやつだったらしい」
「へえ――」
「その猪瀬沙也加は元々猪瀬拓馬の奴隷だよ」
「あっ、そうか――」
「三久保、原則、障害者は居住区の住民票が取れないだろ」
「それで、猪瀬拓馬は障害のある妹を奴隷登録してつれ歩いていたのか――」
「あいつの――猪瀬の話ではそうだったな」
「それって、かなり切ない話だぜ――」
三久保の声が弱々しくなった。
「三久保」
俺は呼びかけて、
「俺たちが今、生きているのは、そういう世界だぜ」
リサが頷いて同意した。
顎の先に右拳をつけた天使は真面目腐った顔だ。
「黒神さんってドライだよなあ。リサちゃんもか?」
苦笑いを浮かべた三久保が、
「それで、その沙也加が猿神の巫女になったの?」
「そうだ」
「何で猿神は沙也加を巫女に選んだんだろ?」
「さあなあぁ――」
俺はそこで大あくびと一緒に考えたあと、
「――とにかく、猿神に魅入られた沙也加は以前まではあった知的障害が消えたらしいんだよな。それを見た猪瀬拓馬は舞い上がったわけだ。いや、猪瀬は正常の一歩向こう側に踏み込んだ。簡単に言えば気が狂った。百目鬼直永も集落の住民も同じだろうな。月日集落の奴らは一生見ないほうがいい奇跡を目撃したんだろ。それを見なかった俺たちは何とかこっち側に――正気の領域に踏みとどまったが――」
「黒神さん、その巫女は――沙也加はどうなったんだ?」
「あれは死んだだろうな――」
「――死んだ?」
「ああ、天乃河に胸を撃ち抜かれたあと、まったく動かなかったから、あれはたぶん死んだんだろ」
「それで、最終的にはどうなったの?」
「死んだ沙也加を見て猿神が泣いた。ボロボロな。ギャン泣きだったぜ」
俺が言うと三久保が息を呑んだ。
輸送トラックのスピードが極端に落ちた。
「――えっ、NPCが?」
三久保の声が強張った。
「ああ、泣いたぜ、俺たちは確かに見たよな?」
俺はリサを見やった。
リサが眉間を歪ませて小さく頷いた。
同意をしたくはない。
けれど、見てしまったものだから否定できない。
そういう態度だった。
「猿神は
三久保が呻くように言った。
「ああ、そうだ」
俺は頷いた。
「NPCに感情があるなんて、俺は今まで聞いたことがないぜ」
三久保の声が苛立った。
これは無理もない――。
「それがな、三久保。沙也加はどうも猿神の嫁さんだったらしいんだよ」
俺のほうは笑った。
面白くて笑ったわけでもない。
笑うしかなかったから笑っただけだ。
リサは笑わなかった。
「NPCに嫁ェ? 黒神さん、それはどういうこと?」
三久保の声が裏返った。
「さあな――?」
俺もそのていどの返事しかできない。
「NPCが泣くなんて本当に気味が悪いな。どういうことなんだ――」
三久保が呻いた。
「それを知ったところで、どうなるものでもないさ」
俺は声を出さずに笑った。
「百目鬼の手帳に猿神のことは詳しく書いてないの?」
三久保が訊いた。
「まあ、門だの、進化だの、不浄だの、巫女だの
百目鬼の手帳の終盤のほうだ。
俺がそこにある単語を読み上げると、
「あえ?」
三久保が気の抜けた声を上げた。
リサが俺を睨んだ。
俺を睨むな。
この手帳には実際にそう書いてあるのだ――。
「――いや、これはそのままだぜ。手帳の後半は同じ単語の羅列が続いている。実質的には何の内容もないんだ。どうも百目鬼直永はあの社にいた変異主・NPCを本物の神様だと思い込んでいたらしいよ」
俺は黒い手帳を最後のページまでパラパラめくった。最後のほうには文字がなかった。百目鬼の細かい文字が書き込まれる予定だっただろう白紙のページが続いている。
「そんな――」
呻いた三久保は言葉を失った。
「うん、後半は同じことの繰り返し――これは自分のやった行動を、その場で忘れてるってことだ。あの百目鬼直永って爺さんは軽い認知症だったのかも知れんよな――」
俺は月日集落の黒い手帳を閉じた。
もう二度と開くことはないだろう。
こいつを窓から放り捨ててやろうかな。
俺はそう考えさえもした。
「謎は謎のままか――」
三久保が呟いた。
「こんなものは謎のままでいいんだよ」
俺は声を出さずに笑った。
「ええ、黒神さん本人が、俺に言っただろ」
「俺が何か言ったか?」
「『わからないことがわかって、それがわからないままだと、気持ちが悪いものだよな』ってさあ、確かに言ったぜ」
「それはそれ、これはこれだ。三久保はまだ少し若いよな。本物の大人まであと一歩ってとこか?」
「何だよ、それ――」
「とにかく、俺はNPCが何を考えているかなんて知りたくない。奴らは俺たちの――全人類の敵だ。それだけでいい――そうだろ?」
俺はリサへ笑い顔を振り向けた。
リサは笑顔を返さずに黒い手帳を手にとって、それをジャケットの内ポケットへ突っ込んだ。
「その黒い手帳、お前が持っておくの?」
俺が訊くと、
「!」
リサがふんっと頷いた。
俺はまた大あくびをしながら、
「物好きだなあ――ああ、長く喋ったぜ。三久保、寝る前に俺からひとつ質問がある。天乃河礼音が秋妃さんへ何度も言っていた『春奈』ってのは誰だ。三久保も言っていたよな?」
「あっ、ああ。前にも言ったよな。春奈は礼音と俺がやっていたバンドのボーカル担当で――」
三久保の強張った返事を、
「黒神さん。春奈は私の妹よ」
と、憂いの囁き声が止めた。
「――あっ、秋妃さん、目を覚ましたのか」
俺の顔も声も強張った。
横のリサが背筋をピィンと伸ばした。
「天乃河秋妃と天乃河春奈は双子だったの。私のほうが先に産まれた。だから春奈は妹。春奈は礼音兄さんと私の妹――」
ゆらりと起き上がった秋妃さんが頬にかかった髪を払って俺をじっと見つめた。憂いの女と俺の間にはリサがいる。いるのだが、秋妃さんの視線はリサの頭の上を
俺は顔と視線を真正面へ向けて、
「ああ、そうすると袋井居住区で活動していた天乃河狩人団で死んだのは、妹の春奈さんか――いや、それはいいんだ。秋妃さん、身体の具合は大丈夫なのか?」
「少し前から目が覚めていたわ――」
とのことだった。
へえ、ここまでの会話をほとんど聞いてたんだ。
三久保に秋妃さん関係の情報を訊こうとした俺の判断が大間違いだったよね。
また、これは俺のミスだ。
痛恨のミスが過ぎて
この彼女は、よくわからない理由で唐突に実の兄をぶっち殺すような、クッソヤバい女なのだ。
できれば、もう関わり合いになりたくない。
震えあがった俺はリサへ視線を送った。
凝視した。
リサは背筋をまっすぐ伸ばしたまま真正面へ顔を向けている。息をひそめて身動きどころか
こいつ、だめだ。
俺の大天使様は戦場の外へ出た途端、まったく頼りにならなくなる――。
「――まさか、その、あの――おい、三久保、三久保よ!」
俺は喚いて呼びかけた。
三久保にヘルプを頼むことにしようね。
おーい、三久保君、三久保君、秋妃さんのお相手をしてくれるかね――。
「黒神さん、ごめん。俺はその話を――春奈の話をしたくないんだ――」
速攻で三久保から謝られた。
そして三久保は黙った。
黙りこくりやがったのだ。
くっそ、こいつら、この面倒で危ない女の相手を、俺に全部押しつけるつもりだな――。
「――ああ、うん。秋妃さん、ここは無理をせずにまだ寝ていたほうがいいと思うよ」
俺は車窓へ視線を逃がした。
俺の意識も窓の外へ逃げだした。
すたこらさっさだ。
少しの間を置いて、
「ねえ、黒神さん?」
俺は呼ばれた。
憂いの女王はこの俺をご指名だ。
秋妃さんにどんな態度を取っても無駄なのだ。
これって他人の心情を押し図る能力に欠損している系統の精神の病み方だよな。
専門用語でそれを何と言うのか知らないが――。
「ああ、はい、何でしょうか――」
俺は小さな返事と一緒に戦々恐々の視線を送った。
すると、秋妃さんの顔がリサの頭にちょこんと乗っかっている。
憂いた瞳がぺたんと平べったい。
真っ平だ。
正面を向いたままのリサは微動だにしなかった。
これは物置だ。
顔置きになるのかな、この場合――。
「私の兄さんが――礼音兄さんが好きだったのは、ずっと昔から私の妹――春奈だったの――」
秋妃さんが小さく笑った。
見ているこっちまで消滅してしまいそうなほど危うい微笑みだ。
「ああ、へえ、そうだったの――」
俺は視線をぐるぐる惑わせた。
リサはピクリとも動かない。
三久保は運転に集中しているようだ。
集中しないと自損事故を起こしかねない状況でもある。
「妹の春奈は、暗い姉と――姉の私と違って――春奈は明るくて、優しくて、ずっと綺麗だったから――」
リサの頭から顎を外した秋妃さんが消え入るように言いながら背もたれへ体重を預けた。秋妃さんの視線は膝にかかった毛布にあった。うつむいた血色の悪い唇は、まだほんの少しだけ笑っている。
彼女の精神には毒きのこの影響が強く残っているのだろうか――。
「ああ、何か飲む? 缶珈琲ならまだあるよ――」
俺は足元のクーラーボックスを開けようとしたが、
「黒神さん、私――」
秋妃さんが顔をゆらりと向けて俺の行動を阻止した。
もうそこに笑顔はない。
眉間にある影がうんと濃くなっていた。
「あっ、うん、か、缶珈琲とか、いらないか?」
俺は冷や汗が頬を垂れ落ちていくのを自覚した。
返事はない。
リサは視線だけを忙しなく動かしている。
「私、礼音兄さんが大好きだった――」
秋妃さんの告白だ。
そんなことを俺に言われても困る。
誰だって困るだろ。
この妹はその大好きだったらしい兄を自分の手で殺してしまったわけだし――。
細かく震える俺を全然気にする様子もなく、
「私の兄さんは、勉強も運動もできて、恰好が良くて、みんなの人気者で、お洒落で――私の憧れだった。小さな頃からずっと――」
秋妃さんが長い溜息を吐いた。
車内の空気がものすごい重さだ――。
「あっ、ああ、そうなんだ。とりあえず、何か飲んだほうがいいよ。寒くても脱水症状は怖いからね――」
呼気を乱した俺はクーラーボックスから取り出した缶珈琲をリサへ渡した。俺と秋妃さんの間にはリサがいる。少しは行動してこの危ない女の注意を俺から逸らせよ。そういう意図があった。缶珈琲を受け取ったリサは何の動作も起こしてくれなかった。今のリサはドリンクホルダーの代わりていどの役割しか果たしてない。
ああ、こいつ、マジで使えねェ――。
「黒神さん。春奈だけじゃないの。私だって礼音兄さんをずっとずっと見てた――」
秋妃さんは説得するような口ぶりで言った。
「そっ、そうなの――?」
俺としては視線を惑わせるしかないだろ。
ほら、その缶珈琲を秋妃さんへ渡せ。
飲み物を口にしているうちは黙るだろ。
俺は肘を使ってリサを促したが、これはまた完全に無視された。
「――黒神さん、これ」
秋妃さんが胸にあったネックレスを外して突き出した。
銀色のロケットペンダントだった。
「見て、兄さんの高校の卒業式へ春奈と私で押しかけたの。思い出の写真――」
秋妃さんが、平たい瞳を細くした。
「これが、その春奈さんか――」
俺は受け取ったロケットペンダントのチャーム部分を開いた。
リサも眼球だけを動かして俺の手元を見やった。
卒業証明書を片手にキラキラした笑顔の天乃河礼音、
瞳を少し伏せて笑う秋妃さん、
それに、秋妃さんとよく似た顔で弾けるように笑う春奈、
チャーム部分にはこの三人の兄妹が顔を寄せ合った小さな写真が収まっていた。
家族か友人が撮ったものだろうね。
幸せそうな三人兄妹の表情がそれを物語っている――。
「どちらが、秋妃さんなのか、亡くなった春奈さんなのか見分けがつかない。まあ、双子だから当たり前か――」
次の瞬間、俺は目を見開いて、
「――あっ、まさか、天乃河礼音という男は!」
妹が兄を殺した理由。
それが俺にもはっきりとわかった。
知らないほうがいい事実だった。
俺の胸がむかむか焼けた。
秋妃さんは悪くない。
妹は被害者だ。
妹への加害者は実兄の天乃河礼音。
その加害を黙って眺めていたのは――。
俺は目を見開いたまま運転席へ視線を送った。
見て見ぬフリをしていて済む問題ではなかったのだ。
天乃河礼音も宍戸も姫野も三久保も、たぶん、リサと俺もだ。
みんな共犯者だ――。
運転を続ける三久保の肩が強張っていた。
それでも三久保は黙っていた。
リサが諦めたような態度で、手に持っていた缶珈琲を秋妃さんへ渡した。
「ありがと、リサちゃん――」
秋妃さんが囁くように言った。
憂いで青ざめた横顔は、手にきた缶珈琲へ視線を落としたまま、
「ポニーテールが妹の春奈。私は髪を下ろしているほう――」
「ああ、そういうことだったのか――」
俺は呻いた。
呻き声を上げるくらいのことしかできなかった。
天乃河礼音が禁忌を犯してまで愛したのは、秋妃さんにあった春奈の――死んだ妹の面影――。
「――そうよ、秋妃と春奈は双子だもの。外見はそっくりだった。でも、中身は全然違った」
両手で珈琲缶を包み込み、紙のように白い美貌をうつむけた憂いの女王は、犯した罪を告白しているような態度だった。
秋妃さんは何も悪くないだろ。
俺はそう言いかけて思いとどまった。
以前までなら秋妃さんに罪はない。
だが今の――天乃河礼音を殺めた今の秋妃さんは罪人だ。
憂いの女王が犯した罪を、この世界の誰かが裁けるとも思えないが――。
「――黒神さん」
秋妃さんが罪のある美貌を俺へ向けた。
「――ああ」
俺は頷いた。
「私、礼音兄さんが大好きだった。春奈だって同じくらい大好きだった」
秋妃さんの平たい瞳が波打った。
俺は視線を落とした。
リサはさっきからずっと瞳を伏せていた。
三久保は強張ったまま沈黙を続けた。
山道はU字に近い急カーブが多かった。
輸送トラックはのろいスピードで進んでいる。
秋妃さんは呼吸を呑み込んで、
「ただ、私は――私はずっと、礼音兄さんと春奈が、すごく羨ましくて――」
そう囁いたあと、犯した罪に憂いた美貌を罪を犯したその手で覆い隠した。
(第3章 猿神の巫女 了)
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