第11話 猿の社(ロ)

「あっ、権蔵が死んでるぜ、何があったんだ――黒神さん、リサちゃん。礼音たちが屋敷にいないぜ!」

 土足で屋敷へ駈け込んだ三久保が怒鳴りながら土間に戻ってきた。

「天乃河たちはつれていかれたのか?」

 俺は玄関の外を見やった。

 時刻は夜半近くだ。

 山中の闇を打つ雨は夕方より強くなっている。

「――状況を見るとそうみたいだぜ。礼音たちもこの薬でへべれけになってるのか?」

 土間のあるような家は上がり框がやたら高いところにある。土間へ飛び降りた三久保が転んだ。土間に転がったまま三久保は俺を見上げている。三久保もまだ薬でへべれけだ。俺だってまだ視界が歪んでいるし気分も悪い。

素面シラフでド素人に捕まるような連中じゃないと思うがな」

 俺は言った。

 リサが頷いた。

「そう、だよな――いや、でも何で黒神さんと俺だけ薬の効き目が浅かったんだろ?」

 三久保が身を起こして訊いた。

 俺は少し考えて、

「たぶん、煙草だ。三久保も俺も喫煙者だよな」

「あえ、煙草?」

「俺が汚染前に医者から聞いた話だ。喫煙者は麻酔だとか向精神薬の効果が非喫煙者よりも早く切れる。薬の効き目も弱くなる。本当かどうかは知らんよ。その医者の経験上の話だそうだ」

「へえ、そうなんだ。煙草を吸うって悪いことばかりじゃないんだな。ひとつ、勉強になったぜ――」

「いや、三久保。喫煙は間違いなく悪い習慣だぜ。無駄な金もかかるしな」

 俺は少し笑った。

 両方のまぶたを半分落としたリサが大きく頷いた。

 やっかましいわ。

 お前だって無駄遣いが多いだろ。

 金を渡すたび、お洋服だとかお菓子だとかを金があるだけ買い込みやがって――。

「――あっ、友里さんだ。友里さんが倒れている!」

 三久保が玄関へ歩いていった。

「――これ、黒神さんがやったの?」

 三久保が腰を落として彼女の死を確認すると俺へ顔を向けた。

 弱い明かりでもわかるはっきりと強張った顔だった。

「他にどうしようもねェだろ」

 俺はまっすぐ視線を返して言った。

 リサは顔を伏せていた。

「――うん、この場合は仕方ないよな。ああ、俺、また、吐きそうだ」

 三久保が呻きながら軒先から出ていった。

「好きなだけ吐けよ。そのほうが今は身体にいいぜ」

 俺は笑わずに言った。

 女子供の死体は俺だって笑えない――。

 屋敷の表でげえげえやっていた三久保が、

「――あっ、黒神さん、リサちゃん、ちょっと表に来てくれよ!」

「うん?」

 リサと俺は軒先に出て雨に濡れた。

「ほら、裏山のあれ――」

 三久保が屋敷の裏にある山を指差した。

「あれは、かがり火か?」

 俺は闇に目を凝らした。屋敷の裏手にある山の頂のあたりにオレンジ色の光が集まっている。よく見ると山の麓から上へ光が細く続いていた。

「そう見えるぜ、でも薬が見せる幻覚かも――」

 三久保は怪訝な声だ。

 俺はリサへ目を向けた。

 リサが頷きながら視線を返してきた。

 わたしにも見える――。

「――二人並んだらそれぞれ違う種類の幻覚が見える筈だ。リサにもあれが見えている。どうやら、裏山の頂上付近に集落の連中が集まっているらしいな。屋敷の周辺にはどうもひとの気配はない。これは不幸中の幸いだ。俺たちはツイてる。リサのおかげだ。リサは天使みたいに運がいいんだ。三久保、リサに感謝をしろ」

 俺は三久保を見やった。

「あ、ああ。そうだよな。ありがとな、リサちゃん。おかげで助かったよ。正直、あの二連撃を腹にもらったときは死んだと思ったけど――」

 三久保はぺこぺこ頭を下げた。

「――?」

 小首を傾げたリサは不思議そうな顔で三久保を見上げた。

 笑った俺へ、

「ああ、それで、これからはどうすればいいんだ、黒神さん!」

 三久保が顔を向けた。

「輸送トラックを使って月日集落から逃げる」

 俺は言った。

「逃げるって。あっ、天乃河たちをここに置いて?」

 三久保の声が裏返った。

「うん、そうだ。三久保も早く来い」

 俺はそこにあった友里さんの死体を跨いだ。

「そんなこと、できるわけないだろ!」

 三久保が大声で言った。

「なら、どうするんだ。集落の住民は人数が多い。たぶん、ロシア極東軍の部隊もあの裏山に隠れてる。多勢に無勢だ。俺たちにできることはない」

 俺は背中越しに視線を向けた。

「――ああ、そうだ、黒神さん。いい方法があるぜ。無線で組合本部へ連絡をしよう。応援を呼ぶんだ。帰り道が開通していれば組合の連中が助けに来てくれる筈だ。いや、組合は必ず俺たちを助けに来る」

 三久保が少し考えて言った。

「三久保、それは悪手だぜ」

 俺はかぶりを小さく振って見せた。

「どうしてだ!」

 三久保が詰め寄ってきた。

 リサも俺をじっと睨んでいる。

「無線通信を月日集落の連中に傍受されたら元も子もねェだろ。月日集落にはどう見てもロシア極東軍が絡んでる。軍なら無線の傍受はお手のものだ。集落の連中に俺たちが動いていることを感づかれたら、そのあとは、どうなるかわかるよな?」

 俺は顔をしかめて見せた。

「――あえ?」

 三久保は眉を寄せた。

 リサは「何を言ってんだ、こいつ」みたいな顔で俺を見上げている。

「しっかりしろよな、特に三久保は自称ミステリ・マニアなんだろ?」

 俺は視線を落として溜息を吐いた。

 本心からの溜息だ。

「あっ、ああ。黒神さん、どうして、無線で応援を呼ぶのが駄目なんだ?」

 三久保が俺をじっと見つめた。

 リサも俺を見つめていた。

「あのな、俺たちが使う無線を傍受されたら、集落の連中が素面シラフで行動している俺たちに気づく。そうしたら、上の神社に集まっている連中が様子を見るために山から降りてくるわけだ。月日集落の連中は俺たちに危害を加えようとした。俺は早乙女夫妻を殺した。殺し合いはもう始まっているんだ。どう考えても、顔を突き合せたらドンパチが始まるだろ。組合本部から呼んだ応援がここへ来る前にだぞ!」

 苛立った俺の声が大きくなった。

「あっ、そうだな。そう考えると、この状況で無線を使うのは危険だ。黒神さん、それは盲点だったぜ!」

 三久保はおおっと感心した様子だった。

 こんなもの盲点でもなんでもない。

 当たり前のことだ。

 組合の使う無線は暗号化されてるわけじゃないからな。

 自分たちが都合よく考えつくことは、当然、敵の想定内にあるものだ。

 ああもう苛々する。

 煙草が欲しい。

 だが、今は手元にない。

 夕べに全部吸ってしまった。

 その半分は目の前にいる三久保が吸った。

 吸いやがった。

 ちくしょう、くそう、無神経な奴だ――。

 俺は三回分の深呼吸で苛立ちを紛らわせて、

「それでも、三久保は天乃河たちを助けに行くのか?」

「ああ、それは行く、何が何でも助けに行く。あいつらは俺の友達なんだ。汚染前からずっと一緒だった。汚染後も一緒にやってきた。あいつらとなら苦しいことや、辛いことだって、楽しくやれたから――」

 三久保は泣き声で言った。

「――ああ、そう。美しい友情だな。聞いてるこっちの涙がちょちょ切れる話だ。だが、俺は天乃河のお友達でもなんでもねェ。付き合う義理はないぜ。リサ、表の輸送トラックに乗れ。こんなわけのわからない集落はさっさとズラかるぞ」

 俺はリサに声をかけて踵を返した。

「――トンズラなんてさせねェぜ!」

 三久保が吠えた。

 リサは俺の横にいない。

「おいおい、三久保、どうするつもりだ」

 俺は背中越しに顔をしかめて見せた。三久保は土間に転がったSG553を拾って、その銃口を俺の背中に向けている。

「そんなの決まってる。みんなと――礼音たちと一緒に、ここから逃げるんだ!」

 三久保が叫んだ。

 まあ、撃たないだろ。

 いや、絶対に三久保は俺を撃てない筈だ。

 三久保としてはリサと俺を説得するしか道がないからな――。

「――やなこった。金にならない面倒事は御免被る」

 俺は平坦な声で告げた。

「仲間を見捨てて逃げ帰ったら、黒神さんは組合から総スカンだぞ!」

 三久保が怒鳴った。

 化粧越しでも顔が紅潮をしていた。

 三久保は本気だ。

 だが、俺は本気じゃない。

「居住区で仕事をしていた頃、俺はよくそうやってたぜ?」

 俺は声を出さずに笑った。

「いや、少なくとも大農工場での仕事はできなくなるぜ。夕方に言った筈だよな。大農工場の組合は居住区と違うんだ。困った組合員は危険でも必ず助ける。それがルールだ。例外はないぜ。俺たちだって――天乃河警備小隊だって、ずっとそうしてきた。猿に囲まれて孤立した他の隊を何度も死ぬ気で助け出した。助けられたことも、もちろんあった――」

 三久保が低く唸った。

 俺は背中越しにその青臭いものをにやにやと眺めていた。

 しかしだ。

 俺の顔はいっぺんに歪んだ。

 あろうことか、俺のリサがその青臭いもの――三久保に身を寄せた。

「――ああ、リサ」

 俺は呻いた。

「あっ、リサちゃん!」

 三久保が目を開いた。

 リサはSG553を片手に笑顔で三久保を見上げていた。

 ああ、くっそ、こいつは――。

「――リサは今から人質奪還作戦をやらかすつもりか?」

 俺は掠れた声で訊いた。

 リサは頷きもしない。

 あなたはそれでいいの?

 この、卑怯者の根性なし。

 でも、わたしは違う。

 リサの瞳は俺へそう伝えていた。

 天使の闘志だ。

 それは高らかに勝利の凱歌を上げるまで断じて挫けることはない――。

「――ああ、もう、わかった、わかった。やればいいんだろ、くっそ! 三久保、輸送トラックへ行くが俺を撃つな。あそこにある装備を使いたい。SG553はこの状況だと使い辛いからな」

 俺は顔を歪めて吐き捨てながら表へ出た。走り寄ってきたリサが俺の横にきた。リサの横顔にまだ笑みが残っていた。何も言えずに俺はまた顔を歪めた。

「――サンクス、マジでサンクスな、黒神さん、リサちゃん!」

 後ろから追いすがってきた三久保が、俺の背で言った。

 視線を送ると三久保は変な笑顔だった。

 泣き笑いだ。

「――うるせェよ」

 俺は苛立ちそのままに応じた。

「でも、黒神さん、何でSG553はダメなんだ。居住区で狩人団をやっていたとき、俺が使ってたのは中国製のAK47だったぜ。重くて古くて距離が遠いと弾の当たらない銃だった。全然、壊れないのだけが取り柄だぜ。SG553はAKよりずっといい銃だろ?」

 三久保が首を捻ったところで屋敷の表へ出た。輸送トラックが止めてある。夜間は宍戸と姫野が輸送トラックを警戒していた。やはり二人はそこにいなかった。もっとも、期待はしていなかった。今晩の献立にあった毒きのこの味噌汁を、「旨い、旨い、こんな旨い味噌汁食ったの初めてだ!」そんな感じのことを叫びながら、先を争うようにして食べていたのは、宍戸と姫野だった。

 今頃、宍戸も姫野も毒きのこでへろへろになっているだろうね。

 ああ、もしかすると、食べている最中に、きのこの毒はもう効いていたのかな。

 宍戸も姫野も妙にテンションが高かったし。

 これはまた俺のチョンボだわ。

 まったく油断していた――。

「三久保、あのな――」

 俺は輸送トラックの後部扉を開いた。バンボディで覆われた荷台のほうに天乃河警備小隊の荷物がまとめて置いてある。隊員が持ち込んだ私物だの組合から支給された携帯食だのと、まあ色々なものだ。何も言わなくても、リサが手に持ったフラッシュ・ライトで照明を確保してくれた。

「黒神さん『あのな』って何?」

 三久保が荷台に乗り込んだ俺の背に訊いた。

 不満気な声だ。

「あのな、三久保。自動小銃をバカバカぶっ放してみろ。音を聞きつけた連中が駆けつけてあっという間に囲まれるだろ。俺たちは敵に比べると数がずっと少ないんだぜ――」

 俺は自分の荷を探した。

「じゃあ、どうすんの。丸腰で裏山の神社へ行くわけ?」

 三久保が言った。

「いや、ここは持ってきた銃を使うんだ――」

 俺はガン・ケースを開けた。こいつに俺個人が持ち込んだ銃を詰め込んである。一見すると楽器でも入ってそうな見た目だ。以前、藤枝居住区で買った高級品だった。古戸火砲店の親父に勧められて買ったものだ。値段はかなり高かった。

 使い勝手はいいけど――。

 まあ、それは今、どうでもいい。

 ガンケースの中央にあるのはR93(改)だ。購入したときは少し気にくわなかったが、今は手になじんだ狙撃銃だ。あとは短機関銃と拳銃が入っている。

「ほれ、危険なときは、このクリス・ベクターに消音機をつけて使え」

 俺はリサにそれを手渡した。頷いたリサは腰に巻いたガンベルトの弾倉を、SG553のものから、クリス・ベクターのものに入れ替えた。

「裏山の地形の上に、これからやるのは潜入だ。長物の銃は邪魔になる可能性が高い。俺は組合から調達したグロッグに消音機をつけて使う。これは形も性能も気にくわない拳銃だがな。俺のリボルバーに消音機をつけても意味がない――」

 俺はケースにあった角ばった形の自動拳銃――グロック18Cを手に取った。物珍しさに惹かれて、無理に組合から持ち出したものだ。グロッグ・シリーズでも18Cのナンバリングを持つものは特殊部隊用に改造されたフルオート機構持つタイプだ。もっとも、グロックはセミオートのシリーズでも流通している部品を使ってちょっと改造すれば、簡単にフルオート射撃ができるようになったりするのだが――まあ、それはおいておこう。この特殊部隊仕様のグロックの銃口にサイレンサー、銃口の下にフラッシュライトをつけて、ついでにストックも取りつける。これで長い弾倉を突っ込むと、こいつは短機関銃モドキに化ける。九ミリパラベラム弾の頼りない威力を数撃ちゃ当たる方式で補う感覚だ。あくまでこれは短機関銃モドキだから命中精度は怪しい。グロッグ・シリーズは喧嘩撃ちに――できるだけ早く近距離にある的へ、あるだけの銃弾を叩き込むことを意識して設計された拳銃だから元より集弾性能があまり良くない。ストックをつければ反動は多少抑えられるが、専用設計された短機関銃ではないので気休めていどだ。まあしかし、今は贅沢を言っていられないだろう。

 三久保がリサと俺の作業を後ろから覗きながら、

「その渋い狙撃銃――ブレイザーR93も消音機つきだな。リサちゃんのクリス・ベクターもだ。どうして黒神さんたちはサイレンサーを持ち歩いてるんだ?」

「居住区で仕事していた頃はこれが入用だったんだ。リサ、持っていく背嚢の中身をここで整理しろ。代替用の耐胞子フィルター、除菌スプレー、ナイフ、銃のクリーニングキット、携帯食、飲料、胞子・放射能感知器、それに応急手当セットは必須。あとは必要最低限の生活用品だ。なるべく荷は軽く。だが、緊急時は数日の野営に耐えられるように――」

 俺はリサに指示した。

 リサは何のアクションもせず俺の指示に従った。

「黒神さんたちって、本業はNPC狩人でなくて殺し屋とか?」

 三久保の怪訝な声だ。

「ああ、とうとうバレたか?」

 俺は背中で言った。

「――マジで?」

 三久保の声が硬くなった。

「嘘だよ」

 俺は背嚢を整理しながら笑った。

「驚いたぜ、やめてくれよな、悪い冗談は――」

 三久保の溜息に、

「まあ、実際、リサはともかく、俺は人間を後ろから撃つのが専門でな――」

 俺はそう言ってやった。

「えぇえ――」

 後ろで三久保は目を泳がせたようだった。

「残念だが、現状で三久保の使える武器はない」

 俺は荷台から降りた。

 リサもあとに続いた。

「ああ、俺は丸腰かよ――」

 三久保も荷台から降りてきた。

「いや、三久保はここで輸送トラックを見張ってろ」

 俺は命令をした。

「いや、黒神さん、俺も行く、行かせてくれ!」

 三久保は表情を硬くした。俺はその顔をしばらく眺めた。リサがフラッシュライトを顔に当てているので三久保はすごく眩しそうだ。

「――うん。はっきり言うぞ、三久保。怒るなよ。青二才の意見なんてうぜェだけだから反論も許さん」

 俺は三久保の目へまっすぐ視線を送り込んだ。

「あえ?」

 三久保の間抜けな返事だ。

「今から俺たちが戦うのはNPCではなくて人間だ。殺しのド素人についてこられると迷惑にしかならんぜ」

 俺が言うと、

「!」

 リサが強く頷いた。

「えぇえ――」

 三久保がうなだれた。

 俺は構わずに、

「いいか、よく聞け。今から三久保がやるのは一番重要な仕事だ。ここは区外だ。それも最も危険な山中だ。ここから逃げるときに使う足が――この輸送トラックが使えなくなると俺たちはおそらく死ぬ。三久保はこの輸送トラックを何としてでも守り切れ。状況がヤバイと感じたら迷うな。三久保は組合本部へ無線連絡を入れて輸送トラックを安全な場所まで動かせ。俺たちはそれを足で追う。緊急時に落ち合う場所はそうだな――ここから南の阿南集落でいいだろう。あくまでこれは状況次第だ。緊急時は三久保が最善だと考える行動を選択しろ。わかったか?」

 三久保は黙っていた。

 リサは沈黙した三久保をじっと見つめている。

「――三久保が俺たち全員の命を預かるんだ。ここで、はっきりと返事をしろ。そうでないと、リサと俺は動けない」

 俺は念を押した。

 本当にこれは重要なのだ。

 誰か一人は輸送トラックに残る必要がある。

 この状況だと三久保が適任だろう。

「わっ、わかった。そうする――でも、黒神さん、俺としては不本意だぜ――」

 三久保は頷いたあとに視線を落とした。

 俺はその不満をまた意図的に見過ごして、

「あと、ひとつある」

「何だ?」

「天乃河たちを救い出すのが無理だと判断したら、リサと俺だけでも退却してくる。それでも三久保は文句を言うな。一言だってそれは許さんぜ。ここで俺と約束をしてくれ」

 三久保はまたうつむいて沈黙した。

 俺は辛抱強く待った。

「――ああ、そこまで、無理は言わないぜ」

 三久保はうつむいたまま言った。

 頷いた俺は作った背嚢を背負い直して、ワークキャップの鍔を下げて、

「行くぞ、リサ」

 と、声をかけた。

「!」

 リサが俺の横についた。

 俺たちはそれぞれ一度だけ振り返った。

 輸送トラックの脇に佇んだ三久保は黙ったままリサと俺を見送っていた。

「――まったく。踏んだり蹴ったり、殴られたりだよな」

 俺は耐胞子スポーツタマスクで鼻と口を覆って声を出さずに笑った。

 同じもので鼻と口を隠したリサは笑わなかった。

 リサと俺は屋敷の裏手へ向かった。

 重く静かな夜だった。

 雨音以外は何も聞こえないほど――。

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