第4話 冬の嵐(イ)

 早朝、午前四時三十五分。

 場所は城下団地前の道路だ。

 雨合羽のフードの下にある俺の顔を大きな雨粒が叩いている。痛みと錯覚するほど冷たいものだ。雪やみぞれにならないのが不思議だった。

「生憎の悪天候だが、定年組お見送り任務は予定通り決行をすることになった」

 組合の森下本部長が雨に打たれる俺たちへ――天乃河警備小隊へ告げた。森下本部長の話だと組合側はこの悪天候で決行を渋ったらしい。だがその上の組織――複合企業体のお偉いさんが首を縦に振らなかったそうだ。それが本当かどうかはわからない。責任は現場にいない誰かへなすりつけたほうが話は楽だろう。

「ま、そうしたあとで、大事故になっても知らんがな――」

 俺は薄ら笑いで呟いた。

 宍戸と三久保と姫野が渇いた笑い声を上げた。

 その笑いはすぐに止まった。

 真横にいたリサが俺を見上げた。リサも俺と同じ紺色の雨合羽を着ている。組合から支給された大人用だ。リサにはサイズが大きすぎる。ぶかぶかの雨合羽を羽織って頬を濡らしたリサは冬の妖精のようだった。

 森下部長のハンヴィーの後ろに皇国軍の連中が運転してきた輸送トラックが並んでいた。天乃河警備小隊はこれから城下団地から出てくる定年組の総勢二百名余を、この皇国軍の輸送トラックを使って運ぶ。輸送トラックを置いた皇国軍の連中は追随してきた兵員輸送車両へ乗り込んで帰っていった。

 危険で汚い仕事はあくまで他人へ投げたいというわけだ。

 皇国軍の髭の隊長と言葉を交わしていた天乃河隊長から、俺は輸送トラックの鍵を受け取った。今朝のミーティングで俺は運転手に指名された。汚染前、自動車販売営業所で働いていた俺は大型二種の運転免許証を持っている。その経験を買われたというわけだ。

 定年を迎えた社畜の列が団地から出てきた。

「定年組は手錠と腰縄による拘束に加えて、精神安定剤を事前に投与されている」

 俺は朝のミーティングで聞いた。この処置を行うのは社畜団地内部にある保健所らしい。飲料水へ、数日前から薬物を混入する方法を取るそうだ。当然、本人たちには知らせない。定年組の列を誘導してくる男たちは白いツナギを着て白い帽子、それに大きな白いマスクで顔を隠している。あれが社畜団地内にある保健所の職員になるのだろう

 死の看守だ。

 俺は視線を足元へ落とした。アスファルトの路面は水鏡だった。夜明け前の外灯から落ちる白い光が反射していた。そこに映ったリサも顔を真下に向けている。

 俺たちを打ちつける雨は強くなる一方だ。

 骨まで沁みる冷たい爆撃――。


 §


 あふれる緑、あふれる光、あふれる労力――。

 負けるな、ひるむな、うつむくな――。

 たゆまぬ勤めに命をかけて――。

 明日への一歩、永久とわへの一歩、同僚ともと一緒に踏みだそう――。

 日本の希望、世界の企業、宇宙の組織――。

 大豊たいほう、大豊、大豊――。

 嗚呼、我らの、嗚呼、我らの、嗚呼、嗚呼、我らの――。

 大豊、大豊、大豊――。

 コーポレーション――。

 長年の重労働で疲弊して擦り切れた上、薬物で朦朧もうろうとなった声の合唱だ。

 俺が運転している輸送トラックの荷台から社畜の歌が聞こえてくる。この輸送トラックの荷台は頑強なバンボディで、そこに三十名余の定年組を詰め込んであった。天乃河隊長に加えて、宍戸、三久保、姫野が荷台で定年組を監視をしている。そちらの様子はわからない。格子がついた小さな車窓は後部座席にある。しかし、運転席からは荷台の様子が見えない。そんなもの見えなくていいとも俺は思う。

 滝のように雨の流れる車窓へ視線を送ったまま、

「ひどい雨――」

 秋妃さんが囁いた。助手席に副隊長の秋妃さんが座っている。運転手は俺だ。後部座席にリサがいる。曲がりくねった細い山道を進む輸送トラックのなかで、俺、リサ、秋妃さんと三人だけの密閉された空間ができていた。

 俺に逃げ場はない。

 リサにもない。

 この振り分けは天乃河隊長が決めたものだ。

 天乃河隊長は意図的に秋妃さんを助手席へ送り込んできたのかも知れん。

 俺たちへの刺客としてね。

 これは俺の懸念だ。

 輸送トラックの大きなハンドルを回す俺は前方を凝視していた。いつもは喋れなくても動作のうるさいリサが今はピクリとも動かない。いるのだかいないのだかわからないくらい静かだった。一方、助手席にいる秋妃さんの存在感は大きい。雨なので車の窓は閉め切ってある。車内の空気は重く湿っていた。秋妃さんの甘い匂いがする。ほんのり柑橘系の香水が混じる匂いだ。リサよりもずっと熟れた女の匂いだ。視線をいくら逃がしたところで憂いの女はその存在を俺の嗅覚へアピールする。

 それでも、俺は前方へ視線を固定している――。

 社畜の合唱が終わると代わって大粒の雨が車内の沈黙を叩いた。ワイパーでフロントガラスを払っても払っても進行方向はほとんど見えない。地から水柱が立ち上る豪雨だ。上からだけではなく、下からも雨が降っているように見えた。

「運転に集中しているフリをして、ずっと黙っていようかな――」

 俺は考えた。

 というか、そう呟いた。

 しかし、しばらく間を置いたあと、

「――ひどい雨よね?」

 秋妃さんは返答を促してきた。

 この俺の返答だ。

 間違いない。

 秋妃さんは物憂げな美貌をはっきり俺へ向けていた。この全身に憂いをまとった暗い感じの美女は俺よりもかなり年下だと思う。それでも俺は、彼女に「さん」を付けて呼んでいる。この女との間にある距離を不用意に詰めると危険だ。暗黒物質ダークマタのような彼女の憂いがこっちへ飛び火して面倒事に巻き込まれる。理由ははっきりわからないが、俺はそんな気がしている。いや、間違いなくそうなのだろう。

 先日のことがあるからね――。

「――あっ、ああ、そうだね、秋妃さん。ひどい雨だ。進行方向が全然、見えやしないよ」

 俺の声は裏返っていたし完全に棒読みだった。

 後部座席から、

「チッ――」

 小さな刺すような音が聞こえた。

 これはリサの舌打ちだ。

 もっと自然な対応をしろよ。

 こいつまるっきり使えねェよな。

 そんな感じだった。

 リサよ、無理を言うな。

 俺は劇団員でないのだ。

 しがない組合員なのだ――。

「――黒神さんは他人の部屋を覗き見するのが趣味?」

 憂いをたっぷり含んだ囁き声でこう訊かれた。

 いきなり真正面から切り込んできやがったぞ、この女。

 もっと手加減をしろ。

 せめて回り道くらいはしましょう。

 くっそお――。

「いやいや、俺にそんなゲスな趣味はないよ。俺が部屋に戻ったときね、呻き声というか泣き声というか鳴き声のような、いかがわしい声が廊下に漏れ聞こえてきたんだ。それで俺は、『ああ、もしかして、君たち兄妹のどちらかが身体の具合でも悪くしたのかな。これはここで確認をしないと後でたいへんなことになるだろうなあ』と、そう考えてだね――」

 俺は「あはははっ」と乾いた笑顔と一緒に言った。

 そして黙った。

 秋妃さんの返事がない。

「――えっと、秋妃さん?」

 俺はおそるおそる目を向けた。

「――何、黒神さん?」

 流れてきた秋妃さんの視線が異様な感じだ。自然に長い睫毛の落とした影が元々そこにあった瞳の影をさらに濃くしている。

 ほぼまっ平らな色合いの瞳――。

「秋妃さん。あれはリサが悪いんだ。俺が酔って寄宿舎へ帰ってきたら、リサが君たちの部屋を覗き見をしながらさかんに息を荒げ――ぐえっ!」

 視線を逃がしてそう言っている最中、俺の首はぐいっと絞められた。後ろからきたリサの腕が絡みついてきたのだ。それが俺の息の根を止めようとしている。死んだ人間は喋れない。口封じとしては最も効率的で短絡的な方法だろう。だが、俺は運転中なのだ。リサの行動は褒められたものではない。

 自殺行為だろうこれ――。

「――こらっ、リサ、運転中に暴れるな、危ないから!」

 俺は身体を捩じりながら怒鳴った。輸送トラックが蛇行した。スピードは出ていないが路面は濡れている。輸送トラックは重量があるからタイヤを滑らせて一度コントロールを失うと回復が難しい。その上、山を縫う狭い道の右は深い谷で左は高い崖だ。事故ったらたぶん死ぬ。それでも、リサの手は俺の口をしつこく暴力で塞ごうとしていた。リサも必死だ。俺のほうも必死で前へ視線を送ってハンドルを回している。

「やっぱり、黒神さんとリサちゃんは、兄さんと私のあれを見たんだ――」

 秋妃さんが呟いた。途端、すーっとリサの手が後ろへ引けた。たぶん、リサは後部座席の隅っこへ退避したのだろう。そこで恐怖に打ち震えているのかも知れない。俺の顔にあった血の気もリサの手と同じようにさっと引いた。背筋で悪寒が運動会なのでこれは間違いない。

 俺は車内の暖房を強くして、

「ああ、その――」

「何、黒神さん――」

 秋妃さんが鬢のほつれ毛を小指で払いながら顔を傾けた。

「ああ、その、何だろうね――」

 俺の声が掠れた。

「黒神さん、どうしたの?」

 秋妃さんが言った。

 彼女は俺をじっと見てる。

 病んだ瞳でじいっと見つめている。

「秋妃さん、本当にすまなかった。あれはリサと俺が全面的に悪い」

 俺は胸中で土下座した。

 秋妃さんの返事はない。

「おい、リサも謝れ」

 俺は低い声で促した。

 リサの返事もなかった。

 正確には後部座席でリサの身動きをしている気配が一切なかった。

「くっそ、こいつ、『自分は関係ございません』みたいな態度をしやがって――」

 俺は唸った。リサは忍者のように忍んでいる。車内に沈黙と雨音が戻った。輸送トラックの古い暖房がゴウゴウと音を立てて足元を暖かくしている。その足元で俺はアクセルとブレーキを交互に踏んだ。

 輸送トラックのスピードを極端に落として、ほぼU字になった急カーブを曲がったあと、

「しかし、ひどい雨だ。本当に視界が悪い」

 俺は呟いてシフトを三速へ入れた。それが上手くいかない。ギアボックスがガリガリと音を鳴らしている。俺はクラッチペダルを踏み込み、エンジンの回転数を適当に合わせて、もう一度、ギアチェンジを試みた。今度のギアボックスは音を鳴らさない。

 随分と年代物の輸送トラックだな――。

「――寒くなるわ」

 秋妃さんが囁いた。

「――ん?」

 俺は囁いた女へ目を向けた。

「雨が降るごとに寒くなる季節――」

 物憂げで濡れた声だ。晴れた日も、くもった日も、雨の日も、おそらく雪の日だって、秋妃さんはこんな感じなのだろう。

「うん――」

 俺は曖昧な態度で頷いた。

「黒神さん、あれは気にしないで」

 秋妃さんが言った。

「あれは水に流してもらえる?」

 水の流れている車窓へ顔を向けたままの秋妃さんが、

「礼音兄さんは私が乱れて泣くのを他人へ見せつけたいの」

 その声にあった憂いの重さが増した。

「ああ、君の兄さんはそういう変態的な性癖なのか。なるほど、そうすると、あれは趣味の範疇はんちゅうなんだね。ああ、それなら、良かったよ。安心した――あ、えっ?」

 俺は秋妃さんへ目を向けた。

 秋妃さんは暗い車窓に映りこんだ瞳を伏せて、

「趣味なのかな――それは違うわ。私の兄さんはすごくワガママだから、私との関係性を他人へ見せつけて納得をさせたいの――いえ、他人だけではないわ。兄さん自身と私も。だから、見られたって、どうってことないの――」

「まっ、まあね。性癖って個人の自由だよね――」

 俺は視線を進行方向へ向けた。目的地はまだ遠い。地図上での直線距離ならさほどのものではなくても曲がりくねった山道を登坂すると倍以上の時間がかかる。俺は車内のラジオについた時計へ視線を送った。時刻は午前八時の五分前だ。デジタル時計は音を出さないが、その代わりにタック、タックとワイパーの音が鳴っている。

「――個人?」

 秋妃さんだ。

「あっ、ああ、そうだよ。俺は徹底的に個人主義者なんだ。他人に迷惑をかけないことなら何だって好きにすればいいと思ってるよ。うん――」

 応えた俺の声が小さく震えていた。後部座席から身を乗り出したリサが秋妃さんと俺の話にじっと耳を傾けていた。ひと言も聞き漏らすまい。そんな真摯な態度だ。運転中の俺が顔を後ろに振り向けて確認をしたわけではない。

 雰囲気でわかる。

「黒神さん、個人は違うわ――」

 秋妃さんが言った。

「――ああ、うん?」

 俺は曖昧に頷いた。

 話を促す目的の相槌ではない。

 もうその重い話はやめてもらえないかな。

 聞かされるのは迷惑だぞ。

 そんな意図だった。

 一方、俺の後ろでリサは呼気を荒げていた。

 はあはあ、だ。

 リサの呼気は熱かった。

 俺の首筋が火傷をしそうだ。

 くっそ、こいつは、くっそ――。

 時間の隙間を完全に埋めるような沈黙のあと、

「――黒神さん、個人は違うの。兄さんが要求って、ずっと私個人が相手じゃないから」

 秋妃さんが言った。

 囁くような声だった。

「ああ、そうなの。それは良かった。あのときの兄さんのお相手は、妹の秋妃さんではなくて、他の誰かだったんだな。それならいいんだ。俺は安心したよ――ああ、えっ?」

 俺は少し笑ったあと、その笑顔を完全に消して秋妃さんへ視線を送った。

「あっ、もしかして、黒神さん――」

 秋妃さんは眉をひそめ、そこにある影を濃いものにした。

「ああっ! 俺は急に喉が渇いてきたな。とても我慢ができないよ。リサ、悪いけど後ろにある背嚢から缶珈琲を取ってくれないか?」

 何かとてもいやな予感がした俺は背後にいたリサを動かした。原則、俺の言うことをリサは聞かない。何を言っても右から左だ。特に俺の頼み事はそれがどんな内容であろうと、断固として拒絶する傾向がある。しかし、このときのリサは後部座席のクーラーボックスから缶珈琲を取り出して、それを俺の左手へよこした。飲み口へ視線を送るとプルタブはリサの手で開けてある。

 どうやら、リサも通常の精神状態にないらしい――。

「――ねえ、黒神さん?」

 秋妃さんの呼びかけだ。名指しだ。俺はもう他を当たってくれと言いたい気分だ。憂いに濡れた声が近い。助手席から身を乗り出した秋妃さんは運転している俺へ顔を寄せている。

 今、判明したことがある。

 秋妃さんはかなり執念深い性格だ。

 俺のリサとどっこいどっこいだろう。

 それ以上かも知れない。

 秋妃さんのは病んでいる感じのアレだった。

 いや、「病んでいる感じ」ではないな。

 横にいる彼女の場合は本当に心を病んでいるのかも知れないからね――。

「――あっ、はい。何でしょうか?」

 俺は震えながら珈琲の缶に口をつけて小声で言った。

 この際、あんたに聞こえなくてもいいよ。

 返答もいらない。

 そのくらいの音量だったと思う。

「黒神さんが言いたいのは、兄妹でセックスをするのは世間体的にダメじゃないかってことなの?」

 俺の真横で秋妃さんが言った。

 リサがはっと息を呑んだ。

 俺は見ていない。

 俺の頭の後ろでふんふん荒かったリサの鼻息がピタリと止まったのだ。

 だから、そういうリアクションをしたのだろう。

「――んぶぅふっ!」

 俺はほうは盛大に珈琲を噴き出した。喜劇コントではお決まりのような形だが、何かを飲んでいるとき心底驚くと本当にこうなるものなのだ。握っているハンドルはぬるぬるだ。運転席は珈琲まみれだ。俺の身体も珈琲まみれだ。

 幸い前方へ向けて射出したので、秋妃さんへ被害は及ばなかった。

 及んでいない筈だ。

 そっちを見ていないから正確にはわからない。

 今はどうしても見たくないというか――。

 俺が咳き込みながらドリンクホルダーに珈琲の缶を置くと、

「黒神さん、そっちのほうを気にしてたんだ?」

 秋妃さんがくすくす囁いた。

 俺の耳元になまあたたかい吐息がかかった。

 湿り気があって密度の高い甘さの――。

「ああ、いや、そのだな――秋妃さん。君たちの部屋を覗いたりして悪かった。今は本気で反省してる」

 ぐるんぐるん視線を惑わせた俺は素直に謝っておいた。

 この他にどうしろと言うのか。

 これより良い方法があるなら伝授していただきたい。

「黒神さん――」

 秋妃さんだ。

「くっ!」

 俺は身を固めた。

 囁くような呼びかけと一緒に、秋妃さんの手が横から伸びてきたのだ。

 俺はここでいよいよ刃物でも持ち出したのかなと身構えたのだが――。

「――黒神さん。気にせずに運転を続けて。早く終わらせたいでしょ。こんな陰気な仕事」

 身を寄せてきた秋妃さんは珈琲で濡れた俺をハンカチで拭いてくれた。

「あっ、ああ、悪いね、秋妃さん――」

 俺は呻き声で応じた。

「――いいの、私は本当に気にしていないから」

 秋妃さんが顔を上げた。

 淡い色合いの唇の端に茶色い水滴がついている。

 俺がさっき噴き出した珈琲の水滴だ。

「ああ、申し訳ない。秋妃さんの顔にも珈琲がついてるよ。唇の脇だ、先にそれを――」

 俺はモゴモゴ伝えた。

「あら、そう――」

 秋妃さんは唇の端にあった俺の水滴を親指で寄せて、それに舌を這わせた。俺の喉元が熱くなった。天乃河秋妃は怖気立つほど後ろめたい色気のある女性なのだ。血を分けた兄妹とはいえども、この色気の近くにいると間違いが起こってしまうのかも知れない。

 変なふうに納得をした俺はリサへちらりと視線を送った。

 後部座席から身を乗り出したリサは、秋妃さんと俺を見比べながら、両方のまぶたを半分落としていた。

 リサは何を考えているのかな?

 俺は首を捻って目を前へ向けた。

 華厳の滝になったフロントガラスがぐらぐらと揺れる。

 後方でガラガラという音も聞こえてきた。

「――落雷か? いや、後続の車両のヘッドライトがさっきから見えない。秋妃さん、一旦、車を止めていいかな?」

 俺は秋妃さんへ――小隊の副隊長へ許可を求めた。

「そうね、後続で事故があったのかも知れないわ。確認しないと――」

 憂いを帯びたままの副隊長は、俺の意見に同意した。

 俺は輸送トラックを停車させた。

 同時に後部座席のリサが雨合羽を突き出してくる。

「珍しく気が利くな」

 俺は雨合羽を受け取って少し笑った。

 リサはまぶたを半分落としたままの表情だ。

 俺は雨合羽に羽織って外に出た。

 空と大地の境界線が見えないほどの土砂降りだ。

「――雷だった?」

 車内から秋妃さんが訊いた。

 走ってきた道へ視線を送ったまま、

「いや、違った。状況はもっと悪い!」

 俺は怒鳴って応えた。

 暗い水煙で遮られた視線の先で吐いた息が白く立ち上る。

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