第2話 天乃河警備小隊(ロ)

 大農工場メジャー・ファームは生産効率のみを追求した無機質で非人間的な企業都市だが、それでも息抜きをする場所は設けられていた。何のことはない。俺が宍戸たちと一緒に乗り合いバスで移動した先は初日に立ち寄った組合本部だ。その裏手に『歓楽エリア』と呼ばれる飲食店街が広がっていた。

 歓楽エリアには商用の看板が――たいていは飲食店の看板が立ち並んでいた。居住区の駅周辺に近い雰囲気だが外観はかなり違う。整備された道の左右にまったく同じ背丈の飾り気のないビルに様々なサービスを提供する店が詰め込まれていた。これは零から計画して作られた場所だ。やはりこれは歓楽街よりも歓楽エリアと言ったほうがしっくりくると思う。この歓楽エリアを千鳥足で行き来をしているのは社畜の背広組か皇国軍の関係者の二択だ。そのほとんどは男性しかいない。

「へえ、これは物珍しい。どの店につれていってくれるのかな?」

 そんな感じで俺は期待をしたのだが、宍戸たちに案内されたのは裏道にあった屋台通りだった。表と違って狭苦しくて貧乏臭い。屋台から濛々とこぼれる白い煙を浴びて安酒相手にくだを巻き続ける男たちの声が硬い道を跳ねる光景だ。俺にとっては見慣れた雰囲気であり肌に馴染んだ匂いでもある。

 苦笑いの俺を、

「黒神さん、こっち、こっち」

 声を揃えて呼んだ宍戸たちが近くの屋台の長椅子に座った。俺もその長椅子へ腰を下ろした。その屋台では、焼き網の上で串にささった肉がジュウジュウ白い呻き声を上げていた。焼き鳥屋だ。日暮れ前で時間は早かったが先客は二人いた。無精髭が顔にこびりついた中年男の二人組みだ。先客は両方、俺と同じ深緑色の制服を着た組合員だった。

「やあ、ご同業」

 俺は先客と軽い挨拶を交わした。

 それ以上の会話はなかった。

「――ああ、宍戸シドさんたち、いらっしゃい。今日は休暇なんですか?」

 ウチワを使っていた屋台の店主が顔を上げた。年齢は五十歳くらいか。板前帽子から見える鬢に白いものが交じった、苦い笑顔の親父だった。

「焼酎のホッピー割りをくれ」

 宍戸と三久保と姫野が声を揃えた。

「焼酎のホッピー割りかあ、若いのに渋いチョイスだね――」

 俺は笑った。

「うん、ビールよりずっと安いし」

 宍戸たちがまた声を揃えた。

 仲がいい連中だ。

「――安いか。じゃあ、親父、俺もホッピーを一杯くれ」

 俺は同じものを注文した。

「へい」

 親父は苦い笑顔で応えた

 焼き鳥の串は屋台の親父に見繕みつくろってもらった。

「――ファッキンなことにさ、黒神さん。四角いビルにある小奇麗な飲み屋に組合員は入店できないんだ!」

 宍戸が空にしたホッピーのジョッキを卓に叩きつけた。

「歓楽エリアにある屋内の施設は皇国軍と大農工場関係者専用だ。俺たちが利用できるのは裏の屋台だけさ。組合員もここでは大農工場の階級制に組み込まれてるんだよ。ヘヴィだよな」

 三久保がジョッキを呷った。

「――くっそ、面白くねェよな」

 姫野はジョッキをもう空にしてある。

 俺もホッピーのジョッキに口をつけた。ホッピーはビールに似せた味の炭酸飲料だ。これに安い焼酎などのアルコールを足して飲む。居住区でも安居酒屋には必ず置いてあった。これはビールの偽物だ。味だって安っぽい。しかし、どこか懐かしくて憎めない味わいだ。少なくとも汚染前にはあった発泡酒ビールモドキよりホッピーはずっと愛嬌のある奴だと俺は思う。

「黒神さん、リサちゃんを寄宿舎に置いてきたけどいいの?」

 黒い丸眼鏡を額に上げた宍戸が訊いてきた。

 宍戸の顔にはまだ少年の面影が残っている。

「ああ、ちゃんと誘ったよ。でも、リサはテレビにかじりついていた。購買で買ってきたお菓子と飲み物も大量に用意してあったし、あれを動かすのはテコを使っても無理だな。ま、寄宿舎のテレビはお宿と違って無料で見れるから、いいんだけどね――」

 俺はねぎまのネギを噛んだ。甘いタレがついた甘い焼きネギだ。以前、俺はリサをひとりで行動させて失敗した。しかし、まあ、組合の寄宿舎にいるなら心配ないだろう。部屋には銃も置いてある。寄宿舎というよりも、銃が近くにあるのなら、殺戮天使リサは絶対に安全なのだ。

「ははっ!」

「黒神さんはリサちゃんから嫌われてるのか?」

「そうなのかよ?」

 仲良し三人組が笑った。

「――ああ、そうかも知れんよな」

 俺も苦く笑った。

「リサちゃんって、テレビが好きだよな」

「あの子って黒神さんのなんなの。愛人とか?」

「それにしては若いよな。リサちゃんって何者なんだ?」

 仲良し三人組がそれぞれ焼き鳥を頬張りながら訊いてきた。

「リサは元奴隷だ。今は立派なNPC狩人ハンターさ。いや、リサは生まれついての狩人なんだよ。前にもそう言っただろ?」

 俺は口のなかに残った甘いタレをホッピーで洗った。

 少しの沈黙のあとに、

「――そうだな。会ったその日に組合のガン・レンジで黒神さんとリサちゃんの射撃の腕前スキルを見せつけられた。マジでパンクなんだな、S等級NPC狩人ハンターってのはさあ」

 宍戸が呻いた。

「特にリサちゃんな。あの子は的に空けた穴へ何度も銃弾を通したぜ」

 三久保が赤くなった鼻先を鳴らした。泣いているわけではない。戸外にある屋台は寒いのだ。

「五十メートルの距離だった。それも借り物の拳銃を――グロッグを使ってだ。あんなことって、できるものなのか。おれはまだ信じられないんだが――?」

 姫野が呟いた。筋肉ムキムキの角刈り野郎であるこの姫野だけは制服の袖を腕まくりしている。

「うん、銃を持ったあいつは殺戮天使だよ。リサは最初の一発だけで弾と銃の癖を完璧に把握できるんだ。俺もあれだけは真似できないな――」

 俺はホッピーのジョッキを空にした。

 返事はなかった。

 この若い三人も汚染後の修羅場を生き抜いたNPC狩人だ。

 リサとか俺に怯えているわけでもないのだろうが――。

「陽が落ちたら冷えてきた。親父、お湯割りはできるか?」

 俺は空にしたジョッキに目を落としたまま訊いた。

「――はい、焼酎とウィスキーがありますよ」

 屋台の親父が煙の上がる焼き網に視線を落としたまま返事をした。

「じゃ、ウィスキーのお湯割りをくれ」

 俺が注文をすると、

「あー、オレも暖かいのにするわ。親父、黒神さんと同じのくれ」

 宍戸が気温を思い出したようにぶるっと身を震わせた。

「親父、俺もホット・ショットなのを頼む」

 三久保も暖かいのを飲むようだ。

 熱がりの姫野だけは、

「おれはホッピーをもう一杯飲むか――」

 と、言った。

 屋台の親父が手に取った四角い瓶は、いつか見た世界一の安酒野郎――大農工場製のウィスキー『魔導師の黒メイガス・ブラック』だった。苦笑い満開の俺へ仲良し三人組が不思議そうに視線を送ってくる。

「安ウィスキーもいい女の手で注ぐと旨くなる。でも、この枯れた親父の手だとそれはどうかな?」

 俺が言うと仲良し三人組はへらへら笑った。

 屋台の親父はうつむいて苦笑いだ。

 取っ手のついたコップで親父の手で作られたホット・ウィスキーを飲みながら、

「けっこう旨いね。ここの焼き鳥」

 俺はとり皮の串をもぐもぐしている。にわとりの一番旨い部位は皮だ。俺は確信している。ちょっと油っぽいから食べ過ぎると胸やけを起こすけどね――。

「ここの大農工場にはニワトリの厩舎がたくさんあるんだ。だから、焼き鳥は歓楽エリアで一番安いわけ。ファッキン、オススメ」

 宍戸がナンコツをバリバリやりながら笑った。若々しい笑顔だ。実際、宍戸は俺よりずっと年下でもある。青年と言っていいだろう。

「居住区と違って食い物の不便は少ない。それだけが大農工場務めの取り柄だぜ」

 三久保は真下を向いて手羽先を食っていた。

「前におれたちが配属されていた寄宿舎はニワトリの厩舎が近かったんだ。ニワトリのクソの匂いが寄宿舎へいつも流れ込んできてさ。一時期はニワトリの肉を見るのも――」

 ウオォォーン、

 ウオォォーン、

 ウオォォーン――。

 鳴り響いたサイレンが姫野の発言を消した。

「――NPC強襲警報か?」

 俺はレッグ・ホルスターのリボルバーへ視線を送った。

「黒神さん、これ工場の始業のチャイムだよ。歓楽エリアは工場に囲まれているからさあ、チャイムがウルサイんだ。時間的に夜間作業の開始合図かな――」

 宍戸がホット・ウィスキーをぐいぐいと呷った。

「社畜は二十四時間ハードに働くよな」

 三久保がつくねを食いながら鼻で笑った。

「――三百六十五日な。大農工場は年中無休なんだ。親父もう一杯、ホッピーくれ」

 姫野が空にしたジョッキを掲げると同時に、宍戸が空にしたコップを掲げた。

「コンビニ労働体制だよな」

 呟いた俺はホット・ウィスキーで胸を温めた。

「――コンビニかあ。懐かしいな」

 宍戸が赤らんだ顔を向けた。

「宍戸はコンビニエンスストアが懐かしいのか。汚染前はそこらじゅうにあったものだろ?」

 俺は横目で視線を送った。汚染後に二十四時間営業の店舗がなくなったわけではない。居住区が分断された日本ではチェーン店というものがほとんどなくなったのだ。言い換えると広域に安定して同じ商品を供給する手段は日本からなくなったとなる。

「そうそう、ライブの打ち上げでもさ。金なかったからさ。駐車場でたむろって酒を回し飲み――」

 宍戸が頷くと酒でぼんやりした目が上下に動いた。

「当時というと――宍戸たちはまだ中学生くらいだったんじゃないのか。コンビニで酒を買えたのか?」

 俺は苦笑いだ。

「んん、余裕で買えたよお、姫野が老け顔だったからさあ――」

 宍戸はへらへら笑っている。

「ゾンビ・ファンガスの発生は宍戸とおれが中学生のときだった。そのあと南海トラフ大震災で御前崎の原発が吹っ飛んで、東京へ米軍の核ミサイル攻撃があって――」

 記憶を辿り始めた姫野の声が沈んでいった。

 うつむいた三久保はねぎまの串をもそもそ口へ運んでいる。

 会話の途切れたところへ、

「宍戸と姫野は同級生か?」

 俺は質問を突っ込んだ。

「そうそう、オレと姫野は同じ神奈川の中学校に通ってた。家が近所で幼稚園からずっと一緒」

 宍戸がフンと笑った。

「部活も同じ柔道部だ」

 姫野もぶんと鼻を鳴らした。

「へえ、姫野はともかく宍戸も柔道部か?」

 俺は宍戸へ視線を送った。

 仲良し三人組で一番背丈が小さくて細身なのが宍戸だ。

「ああいや、オレって本当は軽音楽部が良かったんだけどさ。うちの中学校、そんな部なかったから。姫野ヒメに誘われて、なんとなく」

 宍戸が笑った。全然屈託のない笑顔だった。部の活動が嫌いではなかったのだろう。

「汚染開始当時で中学生だと宍戸たちの年齢は二十過ぎくらいか――」

 俺は砂肝をコリコリ噛みながら呟やいた。

「俺らって二十三だっけ?」

 宍戸が姫野へ目を向けた。

「俺ら今年で二十五歳だろ?」

 姫野が怪訝な顔になった。

「汚染後は誕生日を気にしなくなったな――」

 そう呟いた三久保が空になった取っ手つきのコップを掲げた。コップを受け取った屋台の親父がそれにホット・ウィスキーを満たした。

「じゃあ、三久保も同級生なのか?」

 俺も空になったコップを屋台の親父に渡した。

 三久保がホット・ウィスキーをちびちびやりながら、

「いや、汚染が始まったときの俺は高校を卒業して専門学校へ通い始めた頃だったぜ。学校の近くにあった小さな箱――ライブハウスでさ。俺は常連客だった宍戸と姫野と知り合った。そのとき俺たちが――礼音れおん春奈はるなと俺がやっていたバンドのベース担当が本当にいい加減な野郎でさあ。ああ、礼音がギターで春奈がヴォーカルで俺がドラムスで――まあ、それはいいか――とにかく、ベース担当の野郎は、何も言わず行方不明になるような奴だったんだ。それで、顔見知りの宍戸シドが俺たちのバンドの穴埋めに何回か入ってくれた。宍戸のベースはかなりヘヴィだったよ。パンク野郎の癖にな――」

 そう長く語った。

 俺が目を向けると元ドラマーはひどく遠い場所を見つめている。

「ああ、懐かしいなあ――」

 宍戸がうなだれた。

三久保ミック、昔話はもうやめようぜ。宍戸シドがまた泣くだろ」

 姫野が太い眉尻を下げて困り顔になった。

「っせえよ!」

 宍戸が呻いた。

「――ああ、そうだな」

 三久保がコップに口をつけたまま弱く笑った。

「汚染が始まった当時で専門学校生かあ。若く見えるけど三久保だけは年齢が結構いってたんだね。そろそろ三十路?」

 俺はつくねの串を噛みながら視線を送った。

 三久保の返事がない。

「ああ、ええと、三久保君?」

 俺はもう一度、声をかけた。完全にうなだれた三久保の顔は長い髪で隠れてまったく見えない。そのまま何かぶつぶつ言っている。宍戸と姫野がそれを指差してげらげら笑っていた。

「――まあ、それはいいや。ところで宍戸が食ってるそれは何?」

 話題を変えた俺は宍戸の皿へ視線を送った。

「すずめ、すずめの丸焼き」

 宍戸がそれを食いながら応えた。

「――旨いのか?」

 俺は目を細くした。

 これは警戒心だ。

「ほとんどが骨。骨ごと食う。これ骨しか食うところがない」

 宍戸が無表情ですずめの丸焼きの味を教えてくれた。

「――えぇえ?」

 呻いた俺へ、

「レバーみたいな味だよな」

 三久保は宍戸の皿にあったすずめの丸焼きを食べている。

「おい、三久保ミック、俺の皿から取るな。欲しけりゃ、自分で注文をしろよ」

 すずめの丸焼きで頬を膨らませた宍戸が唸った。

「それって旨いのか?」

 俺はまた訊いた。

姫野ヒメ、取るなつってんだろ!」

 宍戸が横から伸びてきたごつい手に怒鳴った。

 姫野の手だ。

「これはどうだろうな。旨いっていうのか?」

 姫野はすずめの丸焼きを逞しい顎で噛み砕きながら視線を上向けた。

「お客さん、すずめの丸焼きは精がつきますよ」

 屋台の親父がこそっと言った。網の上にすずめの丸焼きがあった。何度もタレを潜らせて焼くそれは濃い飴色になっていた。色合いだけは旨そうだった。丸焼きだから当然、すずめの形がまるっと残っている。例えるとすごく小さいペンギンだ。見た目はかなりグロい。

「――精力がつく。本当に?」

 俺は注意深く訊いた。

「――はい」

 屋台の親父が視線を下に向けまま小さく頷いた。声も小さい。ボロボロのウチワが、絶え間なく動いている。

「そんな話、聞いたことないけどな――」

 俺はウチワのほうへ胡乱な視線を送った。

「いやいや、本当ですよ。これを食べるとビンビンです。手に負えないほどにね――」

 屋台の親父がまた言った。うつむいたままだった。赤い炭に落ちたとりの油がジュンと音を鳴らした。

「俺もすずめの丸焼きを食ってみる。ひと串くれ」

 俺は折れた。

「はい」

 すぐ屋台の親父が焼き上がったすずめの丸焼きを俺の皿へ乗せた。

「へえ、黒神さんって精力剤がないと勃起しないほど、ファッキン年季の入ったおっさんなの?」

 宍戸が酒で赤くなった顔をへらへら笑わせた。

「失礼だな。ファッキン勃起くらい、薬を頼らなくたっていけるよ」

 俺はすずめの頭を齧りながら苦笑いを返した。

「黒神さんの年齢って、いくつなのかなあ――」

 宍戸が三久保へ視線を送った。

「たぶん、三十路前後だぜ」

 三久保が言った。

「ああ、三久保ミックと同じ年齢かもな」

 姫野が頷くと三久保がうなだれた。

 宍戸と姫野はニヤニヤしている。

 うなだれた三久保の顔は長い髪で見えない。

 何かぶつぶつ言っている。

「俺みたいなおっさんが相手じゃ、年齢を当てクイズをしても全然面白くないだろ?」

 笑った俺はすずめの丸焼きをホット・ウィスキーで腹のなかへ流し込んだ。正直、すずめの丸焼きはあまり旨いものではなかった。宍戸はこれが好きらしい。

 まあ、ひとそれぞれだ――。

「――いや、黒神さん、俺らってそのくらいマジファッキン暇なのよ!」

 宍戸が首を伸ばして大声を上げた。

「黒神さん、大農工場ってところはな、マジで退屈なんだよ――」

 三久保がうつむいたまま言った。

「歓楽エリアにいる顔ぶれって年を通してほとんどかわらないからな――」

 姫野が顔をしかめたままジョッキのホッピーを空にした。がぶ飲みだ。それで酔っている気配もない。

「この焼き鳥屋の親父の顔、ここにきてからファッキンエターナルに見ている気がする」

 宍戸が酔った視線を屋台の親父に向けた。

「親父、その顔、いい加減に飽きたぜ」

 三久保も絡んだ。

「おい、親父さあ!」

 姫野が大声を出した。

「――あっ、はい?」

 屋台の親父が顔を上げた。

 枯れた苦笑いだ。

 姫野が訊いた。

「親父は区民だったよな?」

「あっ、はい。袋井居住区の住民票がありますよ」

「嫁さんを亡くして独り身なんだろ?」

「はあ、そうですね、もう、十年前ですねえ――」

「それなら、若いめす奴隷の一匹も飼ったらどうだ。屋台に立たせれば客だって増えるぜ、きっと」

 姫野が笑った。

「いやあ、姫野さん。わたしの生活に奴隷を飼う余裕なんて、とてもとても――」

 屋台の親父は苦笑いを左右に振りながらタレの入った壺へ焼き鳥の串を突っ込んだ。

「――女かあ。出勤時間に団地から女の列がぞろぞろ出ていくのを見たぞ。社畜にも女はいるよな?」

 俺は訊いた。

「うん、もちろん、いるよ」

 宍戸が焼き鳥の串をふがふが食いながら答えた。

 それは、見慣れない形状のものだった。

 小さな胃袋のような感じのものが串に三つ刺さっている。

「宍戸が今食っているそれは何だ?」

「これ、きんたま」

「ニワトリの?」

「そうそう」

「白子だな、どんな味?」

「ファッキン・クリーミー」

「――お客さん、それは精がつきますよ。ビンビンです。痛いほどビンビンです」

 屋台の親父がうつむいたままぽつりと言った。

 俺は顔を上げて、

「親父、それをふた串くれ」

「はい、今から焼きますんで、少しお待ちを――」

 親父が頷いた。

「――でもこの歓楽エリアは女がほとんど出歩いていないね。大農工場の敷地内では男女の生活するエリアが完全に分けられてるのか?」

 俺はホット・ウィスキーを飲みながら訊いた。

「黒神さん、社畜の恋愛は許可制なんだ」

 宍戸が赤くなったまぶたを瞬いた。

「色恋沙汰に許可制って何だよ?」

 俺は首を捻った。

「黒神さんは社畜の制度を全然知らないのか?」

 三久保と姫野が同時に言った。

「大農工場で仕事をするのは今回が初めてだ。だからまあ、全然ここの事情は知らないな」

 俺の返答だ。

「社畜はファックな等級付けで――自由が制限されるんだ。恋愛だって制限される。社畜どもは等級を階級クラスって――るな」

 宍戸がホット・ウィスキーをべちゃべちゃ舐めながら言った。

 だいぶ酔ってきた様子だった。

「階級か。それはどんな感じなの?」

 俺は手元にきた白子の串を噛んだ。

「組合の等級と違って、社畜の階級はファッキン細かいから、ちょっと説明がし辛いぜ。親父、熱くなってきたよ、ホッピーくれ――」

 宍戸が空にしたコップを掲げた。

「黒神さん、大雑把にだぜ?」

 三久保が俺へ視線を送ってきた。

「うん」

 俺が頷いて促すと、

「サイレンにケツを叩かれて動くような下っ端の社畜は自由が少ない。働いてメシ食ってクソして働くだけ。社畜の底辺にはこの他の自由なんて一切ないんだ。社畜としての階級が上がると、社券――これな、ここだけで使える紙切れの金。この紙切れと行動の自由が増える。一定以上の管理職になると、これはもうほとんど好き放題だぜ。管理職は社畜の女や奴隷をはべらしてる奴だって多い。女の管理職は男の奴隷をはべらしてる――のかな?」

 三久保が懐から取り出した社券を手でひらひらさせた。これは大農工場の敷地だけで流通している金券だ。大農工場内では組合からの報酬もこの社券で支払われる。これは森駅の構内にある両替所で日本硬貨と交換できる仕組みだ。外で通用する資産を社畜に一切持たせないようにするためのシステムだとのこと。簡単に言えば社畜の逃亡を防止する目的だろう。

「オレは女の管理職、まだ見たことないなあ――」

 宍戸が呟いた。

「大農工場の管理職のほとんどは、汚染前から大きな会社にいたお偉いさんなんだぜ。首元に皇国軍の焼き印がない連中だよな」

 三久保が顔を歪めた。

「黒神さん、複合企業体の管理職に若い奴はひとりもいないんだ。階級が上がっても社畜は死ぬまで社畜のままなんだよ――」

 姫野が皿にある空の串の山を睨んだ。

「――ぶるぁあ! 黒神さん、要するにファッキンだ。社畜にとっての自由は目の前にブラさがった透明なニンジンだぜ。構内放送だ。階級が上がれば必ず待遇はよくなるって内容のファックな洗脳してるけどな。あんなものは脳みそのファックだ!」

 宍戸がホッピーのジョッキを空にして怒鳴った。

「そうだぜ」

 三久保が頷いた。

「うん。だいたいは、宍戸シドの言う通りだ」

 姫野も頷いた。

「なるほどね。階級の低い社畜は敷地内を自由に移動できないんだな。それで表に出ている社畜は階級の高い背広組の男ばかりなのか。まあ、ゲイは喜びそうな環境だね」

 頷いた俺は少し笑った。

「黒神さんはどうか知らねェけど、俺らはファッキンたまらねェよ?」

 宍戸が俺へ顔を向けた。

 向けてきやがったのだ。

「宍戸よ、俺の性癖はファッキン・ノーマルだ」

 俺はパンクに言ってやった。

 宍戸が返事をしない。

「――しかし、女の子が全然いないとなると若い奴らには辛い環境だろうな?」

 俺は話題をすり変えた。

「うん、辛い――」

 宍戸がカクンとうなだれた。

「そこらの融通は利かないのか?」

 俺は訊いた。

「大農工場の区内警備は皇国軍のファッキン憲兵隊の担当だからね――」

 宍戸がうなだれたまま言った。

「俺たちが社畜の女に手を出したら職場から追い出されるぜ。あれは大農工場の財産扱いだしな」

 三久保が吐き捨てた。

「皇国軍の奴らはいいよなあ。慰安婦のいる廓が使えるから――」

 姫野背を丸めて呻いた。

「ああ、あれね――」

 俺は長椅子の上から後ろへ顔を向けた。細い路地の向こうに周囲の建物と比べると明らかに異質な建物がある。コンクリで作った巨大な和風建築だ。暖色系の提灯が軒先にずらりと並んだそれは皇国軍が運営している巨大な娼館だった。これを皇国軍は『くるわ』と呼ぶ。そこでは廓の表に出た慰安婦が訪れた皇国兵や社畜の背広組(管理職なのだろうか、遠目には定かではない――)を黄色い矯声と笑顔で出迎えていた。

「――しかし、皇国軍の飼っている慰安婦は居住区の風俗店にいる女の子よりもずっと綺麗だ。驚いたね。みんなスーパーモデル級。若い男の目には毒だよな」

 俺は苦く笑った顔を焼き鳥屋の屋台へ戻した。

「そりゃ、黒神さん。ファッキン、当然そうなるさ」

 宍戸が赤い顔をへし曲げた。

「皇国軍は捕まえた奴隷のなかから、若くて上物を慰安婦に選ぶんだからな――」

 三久保が吐き捨てた。

「皇国軍の慰安婦連中は、貧乏を拗らせて肉体からだを売る居住区の売女とは全然違うぜ」

 姫野が付け加えた。

「しかし、見ていると彼女たちは――慰安婦は案外、自分の仕事に対するモチベーションが高いみたいじゃないか。俺はもっと奴隷的な無気力さの態度だと想像していたんだがな――」

 俺はコップの底に残っていたホット・ウィスキーを飲み干した。

「黒神さんさあ――軍属の慰安婦ってのは廓を上がったあとにさあ――」

 テーブルに突っ伏した宍戸はテーブルに話しかけているような状態だった。

「彼女らがあの店を辞めたあと?」

 俺が言った。

「そうそう。お勤めを終えた慰安婦は大農工場に引き取られて社畜になるんだけどさあ――」

 そこで宍戸の言葉が途切れた。

 寝てしまったのかも知れない。

「慰安婦はそれまでの業績が、その後の社畜の身分に加算されるらしいぜ。だから、廓にいるあの子らも必死なんだ」

 三久保が宍戸の言葉を繋いだ。

「ああ、もったいねェ。皇国兵みたいな偉ぶっているだけの連中にあんな若くていい女のサービスなんて、本当にもったいねェ――」

 姫野が巨躯を丸めて呻いた。

 姫野の顔は泣きそうだ。

「――どこでも競争なんだな。嫌になるぜ」

 俺は少し笑った。

「おい、宍戸シド。慰安婦の存在ってお前好みのパンクだよな?」

 三久保がフフンと笑いながら肩へ手をかけてぐいぐいと揺さぶると、がばっと身を起こした宍戸が、

「はぁあ、とにかくやってられねえ。こんな生活は全然パンクじゃねえ!」

 わんわんっと吠えた。

「宍戸はだいぶ酔ってるな」

 俺は笑った。

「――うん」

 ふわーんと顔を向けた宍戸が頷いた。

宍戸シドの酒癖はよくないから」

宍戸シドは弱い癖にペースが早いんだ。馬鹿だろ?」

 三久保と姫野が笑った。

「うるっせ、俺は馬鹿でなくてパンクなんだ。パンク、イズ、ノー、デッド!」

 宍戸が喚いた。

「若者特有の説明できない閉塞感ってやつか――?」

 俺は呟いた。

「黒神さん、それだ、それ!」

 宍戸がぶんぶんと首を縦に振った。

「――親父さん。焼酎のお湯割りくれ」

 俺は注文をした。

「はい」

 返事をした屋台の親父の手ですぐ熱いコップが卓上に届いた。

 コップを傾けた俺は熱い塊を胸へ落として、

「宍戸」

 と、呼びかけた。

「――んあ?」

 宍戸は間延びした返事をした。

「あくまでおっさんの意見だ。聞いて怒るな。若造ワカゾーどもの意見はうぜェだけだから反論もするなよ」

 俺は言った。声が低くなっていた。俺の仮面は――愛想笑いの仮面は剥がれかかっている。気づくと俺は結構な量の酒を飲んでいた。それでもいいかと俺は考えた。この若者三人組は、俺が警戒を払う必要がある相手だとも思えない。

 少し間を置いて、

「――うん」

 宍戸が頷いた。

「それでも聞くか?」

 俺は念を押した。

「暇だしな」

「ああ」

「黒神さん、まあ、聞かせてくれよ」

 仲良し三人組が揃って頷いた。

「現実の人生ってのは若い奴らが頭のなかでこさえている青臭いフィクションとはまるで別物だぜ。ま、本物の大人になりたきゃ目の前の現実を受け入れろよな」

 俺は声を出さずに笑った。

「でも、黒神さん。その考え方って全然パンクじゃないよ――」

 宍戸が視線を落とした。

「黒神さん。その考え方は全然ロックじゃない」

 三久保も宍戸と同じ意見のようだった。

宍戸シド三久保ミック。パンクでもロックでも元は同じだろ――」

 姫野は苦笑いだ。

姫野ヒメ。同じじゃねェから」

 宍戸と三久保が声を揃えた。

 俺は声に出してそれを笑った。

 もう一軒、同じ通りにあった屋台をハシゴして飲んだくれたあとだ。

 屋台の席から酒で重くなった筈の腰を軽々と上げた宍戸たちは、俺を慰安婦の廓へ誘った。

「さっき聞いた話と違うぞ、どういうことなの?」

 怪訝な顔の俺に、

「憲兵隊に袖の下を渡すと、お茶をいている(※暇をしているの意)慰安婦に引き合わせてくれるんだよ」

 宍戸も三久保も姫野も揃って声をひそめた。

 顔は揃ってへらへら楽しそうだ。

「何だよ、あるじゃないか、若い奴らの息抜き――」

 俺だって超高級な商売女に興味がなかったわけではない。しかし、宍戸たちがやろうとしているのは明らかに大農工場のルール違反だ。こんなことで無駄なトラブルを呼び込むのも馬鹿らしい。

 お先に失礼をした俺は近くの停留所から帰りのバスへ乗り込んだ。

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