第3章 猿神の巫女

第1話 天乃河警備小隊(イ)

 客観的に見ると醜悪な容姿の人間でも自分だけは贔屓目に見がちなものだ。

 その大前提で話をしよう。

 この俺――黒神武雄の容姿は悪いほうではないと思うが、カレーライスを手に歩み寄ってきたこの隊長の容姿にはとても敵わない。微笑めば花束のように華やかで、口元を引き締めれば映画スターのように見える完璧な美男子だ。リサと俺はこの少女漫画のヒロインを取り巻く美形キャラAのような優男の指揮下、森区にある大農工場の区外警備任務を仕事にしている。

 今から二週間前だ。

 リサと俺は藤枝駅で武装ディーゼル機関車に乗り込んで、森区大農工場の敷地内にある森駅へ予定通りの夕刻に到着した。貨物列車への物品の搬入と搬出でフォークリフトが行き交う森駅は居住区の駅とは違った喧噪がある。工場関係の物資がそこら中に積み上げられたただっぴろいプラットフォームを歩いて抜けると、そこは汚染後に形成された企業都市が広がっていた。

 乗り合いバスに乗ったリサと俺は森区の中央にあるNPC狩人組合森本部へ向かった。バスの車窓からは生産に関係しないもの一切を排除した街並みが見えた。大農工場の外郭――中央エリアから外れてNPC障壁に近い土地は農作地や畜産地をかまぼこ型の胞子・放射線シールドハウスで覆った農工場が多かった。その不自然な田園風景を通り過ぎると、今度は中央にある大農コーポレーション本社ビルディングの周辺を取り巻くように形成された工業エリアに入る。本当に工場だらけだ。民家はひとつもない。ここで飼われている社畜はすべて複合企業体が用意した高層団地で生活をするのだ。森区に広がった各農工エリアの近くには灰色の巨大な建物が肩を並べて突っ立っていた。数は多いがその色も外観もすべて同じだった。何ら飾り気もないそれは巨大な石棺のように見えた。社畜は生産効率を最優先で設計された各所の労働施設と巨大な石棺を行き来して一生を終える。その他に目につく象徴的シンボリックなものは、各所の施設の上にある稲穂の輪に「豊」と書かれた白い旗だ。これが森区の大農工場を運営している複合企業体――大豊コーポレーションの社旗になる。

 あともうひとつ。

 道の脇に社訓の看板がたくさんあった。

『会社のすべてを愛し会社へすべてを与えよ』だとか、

『社畜の人生は職場にあって他に無し』だとか、

『無限に繰り返される労働こそが最も賢明な人生設計』だとか、

『みなで目指せよ月三百時間残業』だとか、

『社畜が生まれてくるのは会社のお役に立つためだ』だとか、

『働いて明るい未来を掴んでそれを糧にまた働こう』だとか、

『労働の途中に死ぬ人生こそが最たる幸せ』だとか、

 そんな勇壮な労働賛歌の数々だ。

 俺は車窓を眺めながら薄ら笑いだった。俺のジャケットの袖を掴んで車窓を見つめるリサは目を丸くしていた。

 車窓を歩くのは作業服姿の社畜がほとんどで、バスにいるのは背広姿の社畜が多かった。彼らの首元に皇国軍の焼き印があるのですぐその身分がわかる。どちらの社畜は全員が疲れ切っていて、目を開いて眠っているような態度だ。連れ立って歩いていても、連れ立って座っていても喋るひとはほとんどいない。

 リサと俺は中央区のバス停でこの霊柩車のようなバスを降りて、無駄にでかい皇国軍森方面参謀本部の建物の横の、こじんまりとしたNPC狩人組合森本部へ入り、配属の手続きを済ませた。そのあと、区外警備本部長(森下という痩せた男だった。どうもこの中年男がアブラ狸と旧知の間柄らしい)に呼ばれたリサと俺は、今、対面に座ってカレーライスを食っているこの優男の小隊長――天乃河礼音あまのがわれおんを紹介された。


 男性にしては長い。

 栗色の前髪をさらさら揺らしてカレーライスを華麗に食べる天乃河隊長を、同じカレーライスをのそのそ食いながら、「同じ食い物を食っているが、俺と同じ人間とは思えないな」そんな気分の俺が眺めていると、

「――あっ、いいニュースがあるんだ。いいニュースは先に伝えておこう」

 イケメンがふっと顔を上げた。

 天乃河隊長はそのまま俺を見つめた。

 微笑んで見つめた。

 俺は気まずくなって目を逸らした。

 逸らした視線の先――俺の横の席でリサがカレーライスをもぐもぐしていた。もぐもぐしたままリサが横目で俺に視線を返してきた。リサの大好物リストにはカレーライスが入っている。毎日食わせても文句を言わない。よほどのマズメシカレーでない限りだ。俺としては楽でいい。俺もカレーライスは大好きだ。カレーライス嫌いな奴いないだろ。

「本部から天乃河区外警備小隊へ休暇が出たぞ」

 天乃河隊長が言った。

「休暇は三日間――」

 霞のような声で付け加えたのは天乃河隊長の横でカレーライスを食べている女性だ。天乃河隊長を女性化にするときっとこんな容姿になると思う。腰までかかるような栗色の髪をポニーテールにした、眉間にある影の濃い美人だ。彼女の名前を、天乃河秋妃あまのがわあきという。秋妃さんは天乃河隊長の妹だ。女性のNPC狩人ハンターは珍しい。

「団長、どういう風のファッキンな吹き回しだ?」

 染色したド金髪と黒い丸眼鏡をトレードマークにしている若者が顔を上げた。

 この彼も同じテーブル席でカレーライスを食っている。

「団長、俺らってとうとうクビなのか?」

 金髪黒眼鏡の横でカレーライスを食っていた長い茶髪の若者が顔を上げた。

「最近、暇になったからな――」

 山盛りのカレーライスを食いながら角刈りの巨漢が唸った。この三人はそれぞれ、金髪が宍戸菱安ししどひしやす、茶髪が三久保義昭みくぼよしあき、角刈りが姫野真ひめのまことという。彼らも俺と同じ天乃河警備小隊に配属されたNPC狩人組合の組合員だ。

「今の俺は小隊長だよ」

 天乃河が微笑むと、

「へぇい、天乃河小隊長殿ォ――」

「小隊長様ァ、俺たちは三日も休んで大丈夫なのかァ?」

「ったく、俺たちは軍人じゃねェぜ。NPC狩人ハンターだ――」

 若者三人組はぶうぶう返事をした。

「宍戸隊員、三久保隊員。姫野隊員。我が天乃河区外警備小隊へ『定年組』のお見送り任務が回ってきた。十分に休養をして英気を養ってくれたまえよ」

 天乃河隊長がキラッと微笑んだ。

「そういうこと――」

 囁くように言ったのは秋妃さんだ。

 横の妹は瞳を伏せて表情も声も暗い。

 無駄に綺麗な顔だちはよく似ているがこの兄妹の性格はまるで正反対だ。

 例えると太陽と月になるのかな――。

「ああ、くそ、ファック――!」

 宍戸が丸い黒眼鏡の間にある眉間に谷を作った。

「ヘヴィだ、せっかくのカレーが不味くなった――」

 三久保が長い髪をなびかせて顔を背けた。

「定年組のお見送りは本来、皇国軍がやる仕事だろうが?」

 姫野が唸り声を上げた。野球グローブのような手のなかにあるスプーンがひん曲がっている。

「その定年組のお見送りって任務は具体的に何をするの?」

 俺はカレーライスのスプーンを咥えたまま天乃河隊長へ視線を送った。リサも同様にモグモグしながら隊長に視線を送った。工業エリアに散在する社員食堂のメニューは日替わり定食とカレーライス、それに日替わりの麺類だけの三種類だ。しかし、この食堂のカレーライスはなかなかいける。チキン、シーフード、ポーク、ごくまれにビーフと具のローテーションをするから毎日食っても飽きがこないし、辛さだって五段階のなかから選べるのだ。俺は辛いものが好きだ。いつも辛さは四辛だ。五辛は無理だった。食堂を訪れた初日に五辛のカレーライスを食った俺は腹が痛くなった。辛いのが苦手なリサはいつも一辛だ。こいつの食っているのはお子様カレーだ。大農工場では農工場――食料生産施設が社畜の労働力で二十四時間フル稼働している。居住区ではありがちな食材の滞りが大農工場の敷地内では起こらない。

 まあ、当然、食堂を使えば金を取られるのだが――。

 各々カレーライスをモグモグしながらの沈黙があったあと、

「――黒神、定年組のお見送りというのは大農工場で用済みになった社畜の集団をトラックを使って区外に護送する任務だ」

 天乃河隊長が言った。

「ここで用済みになった社畜のことを『定年組』って言うのか?」

 俺はコップの水を飲んだ。冷や水だ。食堂は水だけが無料。大農工場内の浄水施設を通した水道水だからカルキ臭い。

「そうよ、黒神さん――」

 秋妃さんが小さく頷いた。

「社畜の死体を運搬するのが次の任務なのか?」

 俺は空にしたコップを卓へ置いた。

「いいえ、生きたままよ――」

 秋妃さんが瞳を伏せた。

「おいおい、用済みになった社畜を俺たちの手で処分しろって話なのか?」

 俺は呻いた。汚染後の俺は邪魔な人間を適当に殺しながら生きてきた。殺人に禁忌をもう感じなくなったが、だからといって、それを好き好んでいるわけではない。そうしなければ生きてこれなかっただけだ。

 カレーライスを食べるリサの手がピタリと止まった。

「いや、黒神。定年組を区外の集落へ護送するだけだ。俺たちは殺さない」

 天乃河隊長が弱く笑った。

「護送、ね――」

 秋妃さんの消え入るような声だ。

「働けなくなった社畜は価値がなくなるだろ?」

 宍戸が皿の上のカレーライスをスプーンでかき集めながら言った。

「少なくとも、大農工場にとっては、必要がなくなるぜ」

 三久保がカレーライスの皿をスプーンで叩いた。

 チーンと鳴った音が消えたあと

「あの仕事は大農工場に駐屯している皇国軍がやればいいんだ、区外で奴隷狩りをやっているのは奴らだぜ。それを何で俺たちが――」

 姫野が空にしたカレーの大皿を睨んで唸った。

「――なるほど、俺たちは用済みになった社畜を区外へ捨ていくわけか」

 俺はリサへ視線を送った。

 うつむいたリサはカレーライスをモソモソ食べている。

「――黒神?」

 天乃河隊長が呼びかけてきた。

「――うん?」

 俺は顔を向けた。

「この任務の名目は『定年を迎えた社員を敷地外の集落に移住させる』ということになっている。そう考えると気が楽だぞ」

 天乃河隊長が言った。

 これは皮肉かなと俺は思った。

 だが、天乃河隊長の微笑みには影がある。

 そうでもないらしい――。

「ファッキンな建前の上ではだ!」

 宍戸がわっと怒鳴った。

「複合企業体は用済みになった社畜の世話をしないぜ」

 三久保が吐き捨てると、

「大農工場の周辺にある集落は実質、姥捨うばすて山なんだよな――」

 姫野が重々しく頷いた。

「――そうか、俺たちは社畜の年寄りを外へ捨てにいくのか」

 俺は呟いた。気分は良くない。俺は今後、顔も知らない他人から悪事を押しつけられるらしい。悪事はあくまで計画的に自分から率先してやるものだ。俺にとっての悪は他人から押しつけられるものではない。不必要な他人の恨みを買う可能性があるのなら、それは尚更に御免被りたい――。

「――いや、黒神さん、定年組には若い奴らも交じっているよ」

 宍戸が顔を上げた。そこにあったカレーの皿は舐めて綺麗にした風に見えた。

「まともに動けなくなった病人だとかね――」

 三久保が空にした皿へスプーンを放った。

「どうやっても反抗的な態度の社畜だとかもだな」

 姫野がひん曲がったスプーンを手でまっすぐに直した。

「なるほど、そういうことだったか――」

 俺は頷いた。以前、藤枝居住区でルリカから聞いた、「大農工場からの逃亡者」は自分の足で逃げ出したわけではなく、他人の手で追い出されたのだろう。皇国軍が障壁にはりついて機関砲だのなんだのを並べ立てている大農工場は警備が厳重だ。俺は大農工場からの逃亡者が存在する事実を今までずっと不思議に思っていた。

「黒神とリサにとっては初めての任務だ。ここで詳しく説明しておくか?」

 天乃河隊長が俺へ顔を向けた。

 俺が黙ったまま頷くと、

「まあ、気は進まないが――」

 弱く笑った天乃河隊長が、

「皇国軍が捕らえた新しい社畜が大農工場へ入荷されるたびに、複合企業体は働きの悪い社畜を処分をする。処分される社畜の呼称は、さっき言った通り『定年組』だ。定年組の判定は、まず第一に、大農工場内の階級クラスが低いまま年齢六十五歳に達したもの。次に課せられた労働をサボタージュした――」

「――兄さん!」

 秋妃さんの強い声が説明を止めた。

「――ん?」

 天乃河隊長が表情を消した顔を自分の妹へ向けた。

「兄さん、その話は当日の早朝ミーティングでしましょう。やる任務自体は簡単なものなのだから――」

 秋妃さんが眉間と声をひそめた。

「――ま、それもそうか」

 天乃河隊長が頷いた。

「ああ、そのほうがよさそうだね」

 俺も苦笑いで頷いた。この大きな――コンサートホールのような大きさの社員食堂は社畜のための給食施設だ。近くのテーブルで社畜が何人か定食を食べていた。全員、綺麗な作業服を着た連中だ。作業終了のサイレンが鳴った途端、どっとここに押し寄せる社畜の群れを避けて食事ができるのだから、彼らは大農工場内でそれなりの立場にはいるのだろう。その社畜の彼らは全員、俺たちへ盗み見るような視線を送っている。NPC狩人も社員食堂の使用を許可されてはいるが、あくまでお客様扱いではある。まあ、彼らは俺たちを見ているわけではないのかも知れない。秋妃さんの物憂げな美貌だってテーブルの上にある。一応、リサだって美貌の部類だ。性格の方は少々アレだ。

 おっぱいも超小さいし――。

 俺がコップの水道水を不味そうに飲むリサへ視線を送っていると、

「黒神、それに、リサちゃん。大農工場の仕事はもう慣れたか?」

 天乃河隊長がこんな質問で話題を変えた。

「それは隊長さんからの気遣いか?」

 リサと俺が同時に顔を上げて天乃河隊長を見やった。

「気遣いもするさ。黒神とリサちゃんはS等級NPC狩人ハンターなんだろう。本来なら黒神武雄がこの警備小隊を率いる立場の筈だ」

 天乃河隊長が苦笑した。

 どこまでもイケメンな苦笑いだった。

「俺らってさ、C等級の底辺NPC狩人だからな」

 宍戸が顔を歪めた。

「Cっていやな響きだぜ。絶望的だぜ。これより下がない感じだぜ。ヘヴィだ――」

 三久保がガクンとうなだれると、長い髪で顔が全部隠れてしまった。

「ははあ、イーならイイってか――」

 姫野が如何にもという態度でおもむろに言った。

 それでテーブルの上にあった会話は完全に途切れた。

 視線を落としてみんなが黙りこくった。

 姫野からはっきり顔を背けたリサはチッと舌打ちまでもした。

「――あっ、お前ら、ここで無反応?」

 切羽詰まった顔の姫野はキョロキョロしている。テーブル上にひとつだけ違う反応があった。秋妃さんだけはうつむき加減に背けた顔を真っ赤にしている。笑っているみたいだ。こんなうすら寒い冗談でよく笑えるものだな。これが男女の性差の違いというやつか。でも、同じ女子のリサは明らかに不機嫌そうだしな――。

 会話がなかなか再開しないので、

「本気で組合の等級なんて気にしているのか?」

 俺が訊くと、

「もちろん。それに、実績も年齢も俺より黒神の方が上だろう?」

 天乃河隊長がキラリと笑った。

 見える歯が全部白い。

「――組合の等級付けなんかどうでもいいだろ。だいたい、俺は役職につくのに全然向いていない性格なんだ。いつでもどこでも俺には一兵卒がお似合いだよ。それで俺自身も納得をしているしね」

 俺のほうは苦笑いで応えた。

「でも普通は、一番のおっさんが上司をやるよな――」

「ああ、そうだぜ」

「うん」

 若い三人組が俺へ視線を送ってきた。

「俺はいいんだ。だいたい、天乃河警備小隊には俺より年上だっていっぱいいるだろ」

 俺は顔をしかめて見せた。天乃河警備小隊はここでカレーライスを食っている連中以外にも二十三名の隊員がいる。俺より年齢が上の隊員だってたくさんいるのだ。ただ、そのおっさんどもの大半は居住区の過酷な仕事争奪戦に敗れて大農工場へ配属希望をしたクソのような負け犬どもで、俺が見たところ、天乃河隊長とその下にいる若い連中の信頼を得られていない。使えない負け犬のおっさんどもと知っていても、あえて使わざるを得ない事情もある。大農工場の区外警備任務は狩人団単位ではなく、再生機構か複合企業体か皇国軍かの指示か何かで、三十人前後編成の小隊が分散して行う形をとっている。この小隊はNPC狩人組合森本部の上層部が編成する。居住区と違って大農工場で仕事をするNPC狩人組合の組合員は人材の流動性がほとんどない。だから、組合は無理にでも与えられた人員を使うしかないというわけだ。

「それにね、俺たちはまだ大農工場の仕事の段取りをほとんど知らないんだ。そもそも、こっちにきてから、ほとんど仕事らしい仕事をしていないよ。ハンヴィーにぼんやり揺られているだけだ。なあ、そうだよな、リサ?」

 俺はリサに視線を送った。リサは小さくゆっくり頷いた。厚みのある上のまぶたがトロンと落ちている。リサの前にあるカレーライスの皿は綺麗に平らげてあった。おなかいっぱいで眠くなってきたらしい。

 リサという女の子は動物的に生きる主義なのだ。

「ま、そう言われると確かにそうだな――」

 天乃河隊長が頷いた。

「天乃河隊長。それに関係する話なんだが、ここでちょっと訊いてもいいか?」

 俺は空の皿を前に押しやって卓に両肘をついた。

「黒神、天乃河でいいよ」

 俺と同じ動作をした天乃河隊長が顎の下で手を組み合わせた。

「じゃ、天乃河君」

 俺は言った。

 真顔だったと思う。

「ああ、君付けもやめてくれ」

 天乃河隊長がキラッと眩く笑った。

「――じゃあ、天乃河」

 俺は苛立っていた。どこどこまでもイケメンの対応だ。自分の容姿と能力と人格に絶対の自信があって何をどうやっても崩れない。俺はこういうタイプの人間を昔から苦手にしている。

「それでいい、黒神。それで、何が知りたいんだ?」

 天乃河が頷いた笑顔を微笑みに変えて話を促した。

 くっそ、この野郎の相手は本当にやり辛いなあ――。

 深呼吸を三度繰り返した後、

「――この居住区の――ああいや、大豊コーポレーション大農工場だったな。ここで組合がやっている区外警備任務って、いつもこんなにも暇なのか? リサと俺がこの小隊に配属されてからもう二週間になる。その間、ずっと区外のドライブをしているだけだったぜ。この区外ではNPCをまったく見ていない。居住区ではこんな楽な仕事だとロクな報酬をもらえないよ。車両だって装備だって組合から貸し出されるだろ。この制服だって無償で提供だ。その上で寮母さんの洗濯つきときた。これってかなり手厚い待遇だよな?」

 俺はテーブル席を見回した。俺と同じ組合支給の制服を着た面々の返事はない。深緑色の制服だ。迷彩こそないが形状は軍服に近い。みんな何か考えこんでいる様子だった。

 俺は首を捻って、

「少なくとも、大農工場の組合の対応は、居住区の区外警備を請け負っている組合員より手厚い。居住区の組合員は『自分の身は自力で守れ。守りきれなければ大人しくそこで死ね』そんな感じだからね。組合がやる大農工場の仕事って、実はかなりおいしいんじゃないか。まあ、多少は嫌な仕事も――やりたくない仕事もあるのかも知れないが――」

「――いや、黒神。そうでもないんだ」

 天乃河隊長は笑顔を消して宍戸へ視線を送った。

「――ああ、黒神さん。俺たちはちょっと以前までファッキンなエテ公と、毎日パンクに殺しあってたんだぜ」

 宍戸が黒い丸眼鏡を中指で押し上げた。

 これはファッキューな感じだ。

「つい最近まで区外に出る組合員は死にまくってた。あれはロックだったな――」

 三久保が自分の長い髪の毛をいじりながら――枝毛を探しながら言った。

「――パンクだろ」

 宍戸が横目で睨むと、

「――ロックだぜ」

 三久保が横目で睨み返した。

 そのままロックバンド系の見た目の二人は視線を戦わせている。

宍戸シド三久保ミック、それどうでもいいだろ――」

 姫野が顔をしかめると、

「いや、よかねェよ、姫野ヒメ

 宍戸と三久保が声を揃えて姫野を睨んだ。

 三人とも主張は違うようだが仲は良さそうだ。

「エテ公――猿のことだよな。もしかして、変異種ミュータント・NPCが使役する動物型のNPC?」

 俺が横のリサを見やった。

 リサは椅子の上で居眠り中だった。

「そうだ、猿型NPCだ。人間より大きくて動きが素早い。森区は北の山に近いだろ――」

 天乃河隊長の声が低くなった。

「そうだね。森区は山間にある土地だからな」

 俺は頷いて話を促した。

「猿型は木から木へ飛んで移動するのが得意なんだ。あれを山中で相手にするとかなり厄介だった。こちらが飛ばした弾は木の幹に弾かれる。そもそも森林は射線が通り辛いからな。跳弾だって面倒だ。この小隊からも犠牲者がずっと出ていた。欠員の補充として黒神とリサが俺の小隊へ配属されてきた経緯いきさつになる」

 天乃河隊長が淡々と言った。表情を無くした優男の瞳には燃えるものがあった。彼の瞳を燃やしているのは憎悪の炎だ。さきほどまでは賑やかだったテーブル席が完全に沈黙している。

 俺は腕組みをして、

「へえ、NPCが木の上を移動か。それはかなり面倒そうだな――で、その厄介な猿型NPCをここの組合員が全部駆除したのか?」

「いや――」

 天乃河隊長はゆっくり顔を振った。

「大農工場に駐屯している皇国軍が全部駆除したのか?」

 俺は首を捻った。

「いや、大農工場に駐屯している皇国軍は障壁の外に出て戦いたがらない」

 天乃河隊長が微笑んだ。

 しかしその瞳はまだ燃えている。

「皇国軍はどこでもそうだよな――それなら森区周辺にいたその猿型NPCはどうなったの?」

 俺は訊いた。

「――あの猿どもははどうなったんだ?」

 天乃河隊長が横の妹へ視線を送った。

「どうなったのかな――?」

 秋妃さんが呟いた。

「ああいや、本当にその猿型はどうなったんだ?」

 予想外の返答に拍子抜けした俺は改めて訊いた。

 天乃河兄妹からの返答はなかった。

「黒神さん、そのエテ公どもは消えちまったんだよ」

 代わりに宍戸が応えた。

 金色の眉毛を寄せた宍戸は困惑している様子だった。

「消えたってどういうことだ――?」

 俺も困惑してまた首を捻った。

「ひと月くらい前から猿をぱったり見なくなったよな――」

 面白くなさそうに言ったのは三久保だ。

「どうも、あの猿型は群れで北へ移動したらしいぜ。確認をしたわけじゃないんだ。組合の噂では、だが――」

 姫野は卓へ視線を落としていた。

「ああ、それで急にここの仕事が暇になったのか――」

 俺は頷いた。

「それはそれで俺たちは困っているんだ」

 天乃河隊長が笑った。

 鈍い感じの笑顔だった。

「天乃河。区外に迫っているNPCがいないなら、それに越したことはないだろ?」

 俺が目を向けると、

「黒神やリサちゃんと違って、俺たちの格付けは常にC等級なんだ。大農工場の仕事が消えたら困るさ――」

 天乃河隊長が溜息を吐いて額に手をやった。

「天乃河たちは、仕事ができないように見えないけどな」

 俺が呟くと、

「私たちが大農工場へ配属希望を出す以前は全員がA等級NPC狩人だったのよ――」

 秋妃さんが囁くような声で教えてくれた。

「へえ、天乃河たちの格付けはここにくる以前より下がったのか――」

 俺は優男の元団長へ視線を送った。ここにいるのは全員、俺の対面にいる優男が率いていた天乃河狩人団の元団員なのだ。どういう経緯だかはまだ聞いていない。だが天乃河狩人団の団員は全員がこの大農工場で仕事をしている。

 これまで聞いた話の端々を辿ると、どうも本人たちがそれを希望したようだが――。

「――ま、大農工場の仕事は組合の評価が低いんだよ」

 天乃河隊長がキラリと笑った。

 元のイケメンな笑顔だ。

 今は瞳を燃やしてもいない。

「大農工場はファッキン皇国軍の権限が強いからよ。居住区と違ってここの仕事は組合の旨味がないってことなんだろうな」

 宍戸が椅子の上で身体を斜めにしてケッと吐き捨てた。

「その上、複合企業体や皇国軍は俺たちNPC狩人をガキの使い扱いだ、気にくわんぜ」

 三久保が整えた眉間に苛立ちを見せた。この彼はいつもうっすら化粧をしているような男だ。ゲイではない。これが彼いうところのロックなスタイルらしい。たぶん、ヴィジュアル系ロッカーというやつなのだろう。

「危険な区外で働いているのは組合員の俺たちなのにな。まったく報われない話だ――」

 姫野が大きな身体を丸めて呻いた。

「皇国軍の連中は障壁で居眠りをしているか、酒を飲んでるか、慰安婦のいるくるわに通っているかだろ。クソだ、ファックだ!」

 宍戸の不満は止まらなかった。

「な、皇国軍のパンク野郎め」

 頷いた三久保を、

「――あ、今、三久保ミックはパンクをさらっと侮辱ディスっただろ?」

 宍戸が顔を赤くして睨んだ。

宍戸シド、英語でパンクってのは屑って意味だぜ。そのくらいは覚えておけよな、この屑野郎め」

 三久保がフフンと笑った。

「皇国軍みたいなのは、パンクって言わねェよ!」

 宍戸が喚き散らすと、

宍戸シド三久保ミック、そんなのどうでもいいだろ――」

 姫野が大きな溜息を吐いた。

「では、三日後の早朝三時四十五分だ。寄宿舎のミーティング・ルームで会おう」

 笑顔の天乃河隊長が椅子から立ち上がった。

 手に空にした皿を持っている。

「私もそろそろ行くわ――」

 秋妃さんが兄の背を追った。

「ああ、うん――」

 俺は生返事で顔を上げた。天乃河姉妹は、いつも一緒に行動をしている。俺は一人っ子で兄弟がいなかった。

 兄妹というものは、あんなに仲がいいものなのかな?

 俺が並んで歩く姉妹を見送っていると、

「ふあーあ、ファッキン参るよな、三日も休みなのかよお――!」

 まだそこにいた宍戸があくびと一緒に大声で言った。

「何だ、休みが嬉しくないのか?」

 俺は少し笑った。今のところ大農工場の仕事は楽でいいのだが、いつも集団行動なので束縛される時間はどうしても長くなる。俺は慣れない環境で気疲れも覚えていた。

「黒神さん、この職場はさ。手が空くと本当にやることがないんだぜ」

 三久保が長い髪を面倒そうにかき上げた。

「休暇があっても、購買で買った酒を飲んだくれてテレビを眺めているくらいだな。いつも同じこの顔ぶれとだぜ。最近はもう話すことが本気でなくなってきたぞ――」

 姫野がうなだれた。

「ああもう、こいつらの顔って、ファッキン、見飽きたぜ!」

 宍戸が叫ぶように言うと、

宍戸シド、俺らだって同じだぜ」

「おれだってそうだ!」

 三久保と姫野がすぐにやり返した。

 本当に仲良し三人組だ。

「ま、暇な時間の潰し方は一晩ゆっくり寝てから考えるかな。俺たちも寄宿舎に帰るよ。おい、リサ、起きろ、帰るぞ――」

 笑いながら立ち上がった俺は寝ていたリサを揺さぶった。

 背もたれのない丸椅子の上なのにくぅくぅ眠っている。

 器用な奴だ――。

「――あっ、黒神さん、リサちゃんも!」

 宍戸が声を上げた。

「ん?」

 俺が黒い丸眼鏡へ視線を送ると、

「――?」

 ようやく目を覚ましたリサも眠そうな視線を宍戸へ送った。

「今夜にでも俺らと酒を飲みにいかね?」

「ああ、黒神さんから居住区の話を聞きたいな――」

「黒神さん、是非、来てくれ。いつも同じ顔触れで俺たちは本当に退屈してるんだ」

 仲良し三人組からのお誘いだ。

「大農工場の敷地の外へ武装ディーゼル機関車で遊びに行くのか。ここから近い場所だと――袋井居住区あたりか?」

 俺は言った。

「うんにゃ、違う違う」

 宍戸が顔を大きく振った。

「黒神さん、大農工場勤めは区外への外出に組合の許可がいちいち必要なんだよ。そんな面倒なことはやらないぜ」

 三久保が笑った。

「ここでは組合員の移動も制限があるんだ」

 姫野が顔を歪めた。

「うーん、この敷地内で酒を飲める場所なんてあるの?」

 俺は首を捻った。

 丸椅子の上のリサはまたこっくりこっくりやっている。

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