第14話 笑顔でお別れ

 木村は動けなかった。

 映画や漫画やアニメや小説では、四肢を撃ち抜かれた人間が自力で行動する演出がある。あれってたいてい大嘘だ。脚や腕を銃で撃ち抜かれた人間は、その衝撃でしばらく動けない。少なくとも全身へ痺れが回っているうちは立ち上がるのが難しい。肉体へ突入後、砕け散って打撃と裂傷を広げるホローポイントのマグナム弾に撃ち抜かれたら、それは尚更のことだ。俺は路上に尻をつけて動けなくなった木村へ銃口を向けて、木村狩人団の人数を確認した。

 道に散らばった死体を十一まで数えたところで、

「おおっと、木村さん。お友達のあなたを置き去りにして必死に逃げるお友達が、二人ほどここから見えますよ?」

 俺は実況を始めた。南へ走って逃げていく背中が二つ見える。両方、木村狩人団の団員だ。的までの距離は五十メートル前後。明るさが増してきた周辺の視界は悪くない。

 俺は笑いながらリボルバーをパンと撃って、

「――ああっと、逃亡中の一名様は俺の銃であの世にご案内!」

 距離が距離だけに当てる自信はなかったのだが見事命中した。逃げていたうちの一人は後頭部か首筋に俺の銃弾が当たって倒れた。並んで逃げていた奴が倒れた仲間に気づいて立ち止まった。

「おっと、一緒に逃げていた奴が倒れた仲間に駆け寄った。これは仲間思いだ。感動の光景だ。凶弾に倒れた仲間の名前を呼んで必死で揺さぶっているのは――ああ、確か、彼の名前は長澤辰巳君だったよね。あの辰巳ってのは本当に仲間思いのいい奴なんだなあ――」

 俺は実況を続けた。俺の実況を聞いているのは俺の足元で呻いている木村だ。木村は紫色になった唇を噛んで俺を見上げている。俺はその視線へ銃口を返した。木村は何も言わなかった。何も言えなかったのか。

 ま、そんなくだらないことはどっちでもいい。

 眺めていると倒れた仲間の近くに腰を下ろした辰巳がそのまま倒れた。

 遠目に見ても辰巳の頭からパッと何かが飛び散った。

 辰巳君は俺の彼女から必殺の一撃をドタマにもらったらしい。

「――ああ、今、その友達思いの辰巳君も死んだね。狙撃手スナイパーがいる戦場で負傷者に構うのはド素人もいいところだ。ま、負傷者を放って逃げてもどのみちあいつは――辰巳君は死んでいただろうけどね。さて、木村。あんたの『おともだち』は全員死んだぜ?」

 俺は視線を落とした。血が漏れ出る肩口を手で押さえた木村が覇気のなくなった視線を返してきた。ブサイクな顔が真っ青だった。

「ああいや、ちょっと待てよ、おかしいだろ――?」

 俺はもう一度、現場に視線を巡らせた。

 木村狩人団の死体は十三あった。

 まだ生きている木村を含めると十四になる。

「数えると死体は今から死体になる予定のを含めても十四しかない。確か木村狩人団は十五人の構成だって小池主任が言っていた筈だ――ああ、おい、徹ちゃんよ。この前、事務所で見た猪瀬の顔がここに見当たらないみたいだが?」

 俺は靴底を木村の肩にある傷口へ押しつけた。

「ぐっああ――!」

 木村が呻き声を上げた。

「おい、小チンピラ。あんたのところの副団長――猪瀬って野郎はどうした。今日は来ていないのか?」

 俺は靴底を使って木村をアスファルトへ寝かせた。

「ぎゃ、あぁあぁあぁあ!」

 木村は悲鳴を上げた。

「ぎゃあぎゃあ喚いてるんじゃねェよ、すっトロくせェ。さっさと俺の質問に応えろ。こっちは木村狩人団の一匹でもり逃がすと死活問題に繋がるんだ。ああ、木村、いい機会だから教えてやる。世間の建前とは違って、人間の命は誰にでも平等な重さがあるわけじゃない。あんたらみたいな雑魚キャラ十五匹の命よりも、リサと俺の命は遥かに重いんだぜ――」

 俺は靴底に体重を乗せた。

「ぎゃっ、助けて、たっ、助けえっ!」

 木村がアスファルトの上で泣き喚いた。ブサイクな顔がブサイクな涙を流していた。鼻提灯まで作ってやがる。

 不愉快だ。

 俺は不愉快の傷口を靴裏で踏みにじった。

 悲鳴と一緒に木村は暴れる。

 ああ、耳障りな声だ――。

「ほら、簡単に『助けて!』とか言うよな。やっぱり、これは死んだほうがいいたぐいの馬鹿だぜ。俺はあんたの要求なんて一度も尋ねていないだろ。俺が知りたいのは猪瀬の居場所だ。奴はどこにいる。団の『保険』で猪瀬を先回りさせていたのか。猪瀬を藤枝居住区に残したのか――」

 俺はリボルバーの撃鉄を起こした。

 靴底は木村の傷口を踏みつけたままだ。

「たっ、拓馬は俺たちがあんたの女を――リサを輪姦マワしているのを見て顔色を変えた。拓馬は妹の沙也加さやか――自分の奴隷と一緒に藤枝からトンズラしたんだ。あの野郎は汚染前からずっと一緒にやってきた幼馴染なのに――俺を裏切りやがったんだァ!」

 木村は泣き喚きながら応えた。

 こいつには見栄を張る余裕がなくなったらしい。

 だが、そんなこと俺にとってマジでどうでもいいことだ。

「――拓馬って誰だ?」

 俺は首を捻って見せた。

「いっ、猪瀬だ、猪瀬拓馬!」

 木村が叫んだ。

「ああ、あの猪瀬って野郎は拓馬って名前だったね。あいつはビビって逃げたのか。あんたと違って猪瀬拓馬ってのは賢いぜ。馬鹿っていうのはさ、総じて相手の力量を察する能力がニブイんだ。だから、片腹痛いことを平気でのたまうわけだよな。お前がアホな戯言を聞かせている相手はな、お前の浅い考えの裏の裏まで読んでいるんだぜ。ま、これは俺の経験則だけどね――」

 頷いた俺は靴底を木村の肩口から離した。

 傷口を手で押さえた木村は海老みたいに丸まっていた。

 体形的にはダンゴ虫のほうが近いかも知れないね。

 何にせよブサイクなそれに、

「こうなる前に、お前には理解をしてほしかった」

 俺は言った。

 木村は虚ろな目で俺を見上げていた。

 汚い涙で濁った目だ。

 ああ、こいつは何もかもが不愉快な不細工だ――。

「黒神武雄に煽りを入れてキレさせたお前ら兄弟は世界一の馬鹿野郎だぜ」

 俺はリボルバーを撃った。

「――あっ、げっ!」

 両膝を撃ち抜くと、木村はこんな悲鳴を上げた。

「――あへっ!」

 無傷だった左の肩口を撃ったときに上がった木村の悲鳴だ。

「あひっ、ひっ、ひっ。母ちゃん、兄ちゃん。痛ェ、すげえ痛ェよォ――!」

 四肢の自由を完全に失った木村はアスファルトの上で無様に身を捩った。

 これは、まさしく泣き言だよな。

 俺は薄く笑いながらリボルバーのシリンダーをスィングアウトさせて、エジェクターロットを叩いた。足元に空薬莢が七つ転がった。

 俺は空薬莢が硬い地面に落ちる涼しい音が大好きだ――。

「――おい、徹ちゃん。あの世であんたの母ちゃんと兄ちゃんに出会えたら、俺がよろしく言っていたと伝えておいてくれ」

 俺は笑い声で伝えて脇に避けた。

 俺の背中に当たっていた彼女の射線へ道を譲ってやったのだ。

 こうするのがスジだろう。

 俺がポケットのスピードローダーでリボルバーの弾倉を満たして視線を上げたとき、木村はもう泣いても呻いても動いてもいなかった。木村徹の頭からその内容物がどろりとこぼれている。こいつの人生を終わらせたのはリサの狙撃だ。俺はスィングアウトさせていたシリンダーを戻した。ヂャグと小さな金属音が鳴った。

 そうしてから、俺は声に出してひとしきり笑った。

 だが、いつまでも面白おかしく笑っているわけにもいかない。

 殺しをやるよりも殺しの後片付けのほうがずっとたいへんだ。

 区外の拠点に近いこの道は他の組合員も利用する。

 十四体もある組合員の死体を、そのままにしておくわけにはいかない。

 壁に耳あり障子に目ありだ。

 証拠を隠滅する必要がある。

 俺はハンヴィーに戻って後部座席にブルーシートを広げた。このハンヴィーは内山さんの団からの借り物だから死人の血で汚すわけにはいかない。俺はこのハンヴィーで区外の辺鄙なところへ作った死体を捨てて帰る計画だ。

 しかし、十四人分の死体を運ぶのは面倒だよな。

 死体って持つとすごく重いし。

 銃声を聞きつけたNPCがそこらから走ってきて、道に転がっているこいつらの死体を全部食ってくれないかな。

 それなら俺は楽できるんだが――。

 俺は後部座席から出て周辺を見回した。

 NPCはやってこなかった。

 その代わり道の北からハンヴィーが何台かやってきた。

 内山さんの団だ。

 俺は首を捻った。

「――おゥ、黒神。お疲れさん。見事な手際だったぜ」

 目の前で停車したハンヴィーからが内山さんが降りてきた。運転席から島村さんも降りてきた。俺の近くにまできた団長と副団長は道に転がった元同業者の死体の数々を見回した。

 そのまま二人とも黙っていた。

「――内山さん、島村さん、どうしたの?」

 そう訊いた俺は怪訝な顔だったと思う。

「黒神、お前が作った死体はな。俺の団が片付ける段取りになっているんだよ、コノヤロー」

 内山さんが言うと、

「おーし、野郎ども、『本物の引き継ぎ』が来る前に仕事を終わらせろ!」

 島村さんが声を上げた。後続のハンヴィーから降りてきた内山狩人団の団員が死体を車のなかへ放り込んだ。死体を軽々運ぶ団員はみんな厳つい顔と身体つきで見た目相応に腕力も強かった。

 内山狩人団の団員はおっかない連中が多いのだ。

「ああ、なるほど。そういうことか――内山さん、俺にひとつだけ教えてくれる?」

 俺は横にそびえ立つ内山さんの大顎へ視線を送った。

「なんだ、コノヤロー?」

 内山さんが無感動な声で言った。

「小池主任の依頼は死体の後片付けだけだったの?」

 俺は意図的に内容をボカして訊いた。

「黒神、小池はともかく俺は信用しろって前に言っただろ。二度も同じことを言わせるなよ、バカヤロー」

 内山さんは俺へ視線を返さずに即答した。

 内山さんは話がわかる男だ。

 内山さんはスジを通す男だ。

「まあでも、黒神さんに全然、害はないでしょう」

 これはサダさんの発言だ――。

「――アブラ狸の掛けた『保険』は内山さんの狩人団だったのか」

 俺は納得して頷いた。

「俺もあの古狸とは付き合いが長いからな、バカヤロー」

 内山さんが思い切り顔をしかめた。

 俺は声を出さずに笑った。

 内山さんも色々と事情があるのだろう。

 細かいことは訊かないほうが良さそうだ。

 ちょっとしたことで怒り狂う男でもあるからね――。

 遅れてもう一台のハンヴィーが現場に到着した。

 運転席から降りてきたのは斎藤君だった。後部座席からは橋本が降りてきた。最後に助手席からリサが降りてきた。リサは俺が貸したブレイザーR93(改)を抱いている。これは先日、お宿の近くの古戸火砲店へ頼んで五発の弾倉を二十発入るよう改造したものだ。あの店の親父は寡黙で腕が良かった。短時間でやるには無茶な要求だったが、詳しいことは何も訊かず店の親父は俺の依頼を請け負ってくれた。ここでやった一方的な虐殺は命中精度を保ちつつセミオート並みの連射速度を可能にするストレート・プル機構を持ち、さらに通常より弾倉を多くした狙撃銃――ブレイザーR93(改)を調達したことで無事に成功した。

 もちろん古戸火砲店の親父には、それなりの代金を取られたが――。

 言うまでもないことだが、リサの狙撃の腕前スキルに拠るところは最も大きい。

 リサは本当によくやってくれた。

 のろのろ歩み寄ってきたリサの表情は、頭の上のアーミーワークキャップの鍔が作った影になって見えなかった。

「斎藤君や橋本も俺たちの仕事を手伝ってくれたのか?」

 俺は笑顔で訊いた。斎藤君は愛用のM110SASSを背負っているし、橋本の首からは双眼鏡が下がっている。狙撃手スナイパー観測手スポッターのような感じだ。

「いや、黒神。俺はコイツを一発も撃っていない。念のために狙いだけはずっとつけていたが――」

 斎藤君が背の愛銃へ視線を送った。

「リサちゃんだけで、全部、やったんだ」

 橋本は硬い声だ。

 リサの仕事を目の当たりにした斎藤君と橋本は、怯えているのかも知れないな。

「一発も撃つ必要がなかったか。どうだ、俺のリサはなかなかの腕前だっただろ?」

 俺は自慢気な気分になって言った。

 斎藤君と橋本は返事をしない。

「まあ、良かったじゃないか。リサは自分の手で木村とその手下のアホどもへ復讐を遂げて――」

 それでも頷いて見せた俺は笑いながらリサへ声をかけた。

 寄ってきたリサは抱えていたR93(改)を俺へ返した。

 銃口は俺に向けなかった。

「ああ、くそっ、そうか――」

 俺はR93(改)を受け取って呻いた。

 斎藤君と橋本は、これに怯えていたのだ。

 俺を見上げたリサの瞳が揺らいでいる。

 俺もそれを見て怯えた。

 心の底から震え上がった。

 リサは人間を殺したことがない。

 おそらく、今日が初めての殺人――。

 すぐに泣きべそでは済まなくなった。

 リサはうなだれてボロボロ泣きだした。

 俺は視線をぐるぐる惑わした。そうすると、内山さんが俺を睨んでいるのがわかった。顔を真っ赤にした内山さんは完全に鬼の形相だ。島村さんも、斎藤君も、橋本も俺を真っすぐ睨んでいた。

 俺は命の危険を感じて益々視線を惑わせた。

 東の地平線から顔を見せた朝陽が、リサと俺が作った殺戮の現場をニコニコ眺めている。

 本日は陽が落ちるまで気持ちよく晴れた一日になりそうだ。

 東の空で富士山が綺麗に見えた。

 背を丸めた俺はそれを小さな声でリサに教えた。


 §


 今日はマフィアの親分的な服装ではない。

「やっぱり、黒神の気持ちは変わらねェのか?」

 組合のジャケットを羽織った内山さんが言った。

「何だか悪いよ、見送りまでしてもらって――」

 同じ組合のジャケットを羽織った俺は苦笑いだ。

「黒神、リサちゃん。悪いことを言わねェから、俺の団へ籍をだなあ――」

 途中まで言った内山さんが、

「――ま、さすがに何度も女々しいな。もうやめておくぜ。コノヤロー」

 と、目尻のシワを増やした。

「黒神さんは森地区の――大農工場メジャー・ファームの区外警備をするんだって?」

 島村さんが訊いた。大荷物を背負ったリサと俺は藤枝駅のプラット・フォームで下り行きの武装ディーゼル機関車を待っている。語弊があった。大荷物を背負っているのは俺だけだ。部屋にあったリサの所有物で荷が無駄に大きくなった。俺は小山のようになった背嚢に加えてキャリーバッグまで持っている。俺は藤枝のお宿もみじを引き払う際、リサの無駄なお洋服を全部古着屋に売ってしまおうしたのだが、それは当人の猛反対で頓挫した。引っ越し屋に頼むと値段が馬鹿高くつく。俺は気合で荷造りをした。必死な俺の横でリサは自分の荷物を捨てられないよう監視していた。荷造りの最中、リサはほとんど働いてくれなかった。

 背嚢が肩に食い込んでひたすら重い。

 お宿から藤枝駅まで歩いてくるだけでも俺は疲れた。

 座りたい。

 しかし、常時ひとで混み合う東海道本線のプラット・ホームの少ないベンチに空きはない。

 俺は横のリサへ視線を送った。

 横目で視線を返してきたリサは無表情だった。

 リサの荷は女の子セットが入ったワンちゃんの顔の背嚢だ。

 軽そうだ。

 重量があったり大きくてかさばるものは、全部俺に持たせているのだから軽くて当然だろう。リサが可愛がっている大きな犬畜生のぬいぐるみだって俺の背中にある。

 苛々してきた俺はリサを睨んだ。

 睨んでも彼女の表情はまったく変わらない。

 リサは俺をじっと見上げている。

 いつものことだ――。

 俺は溜息を吐いて、

「耳が早いなあ、島村さん。そうなんだよ。次の職場は大農工場だ。あそこで仕事をやるの俺は初めてだからね。かなり特殊な環境だから少し心配だよ」

 そこでリサが、俺の視界の片隅でニンマリした。

 嫌な感じの笑みだ。

 こいつは俺より先に視線を外したら負けだと思っていたのかな。

 ああ、もう苛々する――。

「黒神さんらしくないな」

 島村さんが笑った。

「いや、島村さん、俺は小市民だからね。本当に気が小さいんだよ」

 俺も弱く笑って見せた。

「黒神自身が大農工場への配属希望を出したのか、コノヤロー?」

 内山さんが怪訝な顔で訊いた。

「それは違うんだよ。小池主任が言うにはね――」

 俺が応えている最中、視界の横から煙草の箱がにゅっと出てきた。それを突き出したのは斎藤君だ。小池主任から俺たちが転勤することを聞いたらしい、内山さんと島村さん、それに斎藤君と橋本が駅までわざわざ見送りにきてくれた。

「あっ、例の洋モクだ。値段の高いやつだ。これはありがたい――って、斎藤君。これをカートンで俺にくれるの?」

 俺は長い前髪で半分隠れた斎藤君の顔を見つめた。

「黒神、黙って持っていけよ。ククッ――」

 斎藤君が顔を背けて暗く笑った。

「本当にいいの、こんなたくさん。悪いね――」

 恐縮しつつも俺はワンカートンの煙草をありがたく受け取った。

「黒神、俺たちからの餞別代わりだ!」

 橋本が吠えた。

「ありがとう」

 俺は視線を落として笑った。

 身の置き場がないような気分だった。

「まあ、内山さんね――」

 俺は弱く笑ったまま呼びかけた。

「おゥ――」

 内山さんが頷いた。

「リサと俺は面倒事の直後だろ。だから、『藤枝居住区からしばらく離れて、ほとぼりが冷めるのを待っていろ』って。小池主任が言うにはそんな話だった。しばらくしたら俺たちは藤枝居住区に戻るかも知れない。そのときは、内山さん、また一緒に仕事を――」

 俺は内山さんの大顎へ視線を送った。

 顎が好きなわけではない。

 巨漢の内山さんのしゃくれた大顎の高さは、いつでも俺の視線の先にあるのだ。

「おゥ、黒神。藤枝に帰ってくるのは考えものだぜ、コノヤロー」

 内山さんが声を低くした。

「うん?」

 内山さんの視線を俺は追った。内山さんはプラット・フォームを八割ほど埋めた人の波を眺めていた。

 少し間を置いて、

「――最近の小池は腰が落ち着かない感じだからな」

 内山さんが呟くように言った。

「ああ、そうか。リサと俺の転勤もすぐ決まったね。いや、待てよ。決まっていたものを押しつけてきたのか。状況がヤバイと判断したアブラ狸は、また巣を変えるつもりかも知れないな。あいつ『追って連絡をする』とか何とか言ってたし――」

 アブラ狸のぶ厚いツラが脳裏に浮かぶ。

 俺は思い切って顔をしかめた。

 不愉快だ。

「黒神さん、藤枝の北部でとうとう例のあれが出た。今朝のローラー作戦会議は集まった連中が全員殺気立っていたよ」

 沈黙した内山さんに代わって島村さんが言った。

「例のあれっていうと、変異種ミュータント・NPCのこと?」

 俺は訊いた。

 硬い声だった。

 向けた顔も強張っていたかも知れない。

「そうだ。団長連中の話を聞くとやはり熊型NPCだったらしい。大手の狩人団が二個、ほぼ壊滅状態だ。そのあとも悪い。組合員に何人か胞子感染者も出た。感染者の処理が俺たちにとっては一番辛い――それでも、今回は静岡居住区のときと違って襲撃してきた個体数が少なかった。だから、どうにかこうにか熊の奴らを仕留めたらしいが――」

 島村さんが呻くように言った。

「襲撃を受けたエリアへ駆けつけた増援が、対物ライフルとグレネードをこれでもかとぶち込んで、その熊型はようやっと動かなくなったらしい――」

 斎藤君が瞳を暗く燃やして唸った。

NPC狩人ハンターの意地だ!」

 橋本が吠えた。

「内山さんたちは今後どうするんだ?」

 俺は訊いた。

 平坦な声だった。

「あの化物に付き合って死ぬのは大損だけどよゥ――お前はどう思う、島村、コノヤロー?」

 内山さんが島村さんに視線を送った。

「――団長、それでもだ。藤枝居住区に残って、もう少し様子を見るべきだろう。しかし、身の振り方を考えておく必要はあるね」

 島村さんが重い声で応えた。

「ああ、そうだよな――」

 頷いた内山さんが目を鋭くした。

「そっか――」

 俺は視線を落とした。埃っぽい男が多く集まる狩人団は各々に譲れない面子があって、ヤバイ状況になっても身を引けないことが多い。俺が狩人団へ所属しない理由のひとつだ。

 うつむいた俺へリサが視線を送ってきた。

 それで、いいの?

 リサは訊いている。

 俺たちはこれでいいんだ。

 俺が胸のなかで応えると、リサの視線は俺の頬から外れた。

 下りの武装ディーゼル機関車はまだこない。

 構内の丸い時計に視線を送ると、時刻は午前十一時の十分前だった。

 時刻表ではあと十五分で次の下り便が到着する予定――。

「――おゥ、八反田シゲ、遅いじゃねェか、バカヤローッ!」

 内山さんが階段のほうへ怒鳴った。すごい大声だ。周囲にいたひとみんなに見られた。内山さんがそれを気にしている気配はない。その横にいる島村さんは苦笑いだ。顔を微妙にしかめた斎藤君と橋本は迷惑そうにしている。

 箱を抱えてバタバタ駆け寄ってきた八反田が、

「――団長、すんません、遅くなりました!」

 ずっと走ってきたらしい。

 八反田の顔は汗まみれだ。

「やあ、八反田。傷のほうはもういいのか?」

 俺は先日まで入院していた八反田に訊いた。

「あっ、うっスうっス、黒神さん。お陰さまで元気ビンビンっス!」

 八反田が不自然に白い歯を見せた。

「ああ、差し歯も入れたんだね」

 俺も笑って返した。

「――オラ、八反田シゲ。モタモタしてんじゃねェよ、バカヤロー!」

 内山さんが八反田が持ってきた箱をひったくった。

「うん?」

 俺は首を捻った。内山さんが持っているのは発砲スチロールの青い箱だ。この大顎の大男が持つと小箱に見える大きさだった。

「――この餞別はリサちゃんにだぜ」

 内山さんがリサの胸元へその箱を押しつけた。

 箱を受け取ったリサは内山さんを見上げて顔を傾けた。

「リサちゃん、開けてみろ」

 内山さんが言った。

 頷いたリサがうんしょうんしょと箱を開いた。

 箱から破り取られた包装用のテープがその場に落ちる。

 冷気がもわっと漏れて、それも下に落ちていった。

「ああ、箱の中身はアイスクリームか――」

 俺は苦く笑った。

「おっ、リサちゃんが!」

 島村さんが目を丸くした。

「リサちゃん――」

 斎藤君が目を見開いた。

「リサちゃん!」

 橋本が吠えた。

「良かった。走った甲斐があったよ――」

 八反田が呟いた。

 俺のリサは笑顔を上向けている。

「――リサちゃんは本当に可愛いなあ。いつも、そうやって笑っていろよ。そのほうが可愛さ倍増しだぞ、コノヤロー!」

 目尻のシワをうんと多くして内山さんが吠えた。

 その強面で巨漢の団長は全開の笑顔を見せている。

 恵比須えびす顔だ。

 見ているがこっちが恥ずかしくなるほど甘い態度だ。

 島村さんと斎藤君と橋本が揃って笑った。

 顔を真っ赤にした八反田は笑いを堪えている。

 俺も声に出して笑ってやった。

 今ここにある笑い声には苦いものも暗いものもない。


(第2章 廃墟の決闘 了)

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