第6話 帰還

 廃棄された中学校へ戻るハンヴィーの車内だ。

「ここにあった集落が皇国軍へ保護を求めたとき、田辺一家は感染初期の状態だったんだろうな。だから、殺すに忍びなかった集落の住民は、田辺一家をまるっとあそこへ捨てていった」

 内山さんが言った。

 誰も返事をしなかった。

「感染者をきちんと処理しないとこうなるんだよ、バカヤロー」

 内山さんが続けて呟いた。

 そのあとの車内は無言だった。

 例の校舎で一夜を明かしてその翌日だ。

 俺達は田辺家の裏手にあった小山を調査した。そこでヒト型NPCの死体をたくさん見つけた。もう腐敗がはじまっていた。腐った全身を白い菌糸で覆ってゾンビ・ファンガス胞子を散らしている。一緒に人間の死体も多くあった。たいていは銃を持っていた。服装を見ると皇国軍関係者でもないしNPC狩人でもない。すべて一般人の死体だ。おそらくここの集落に住んでいた住民なのだろう。集落の住民とNPCの戦闘がこの場所で起こったようだ。これが皇国軍へ救援を求めるきっかけになったのかも知れない。俺たちは噴霧器を使ってゾンビ・ファンガスの苗床になった死体へ除菌剤を撒いたが、それで胞子の拡散が止まったのかと言われると疑問だ。見過ごしたものもあっただろう。俺たちは一応の処理を済ませたあと、組合本部へ無線で報告を済ませた。

 そのあとの俺たちは居住区と中学校を行き来する内山さんの団の輸送車から補給を受けながら、組合から指定されたエリアの偵察とNPC駆除を行った。新東名高速道路から北は不穏な気配を見せていたが、NPCの群れが南下してくることはなかった。

 活動を始めて三日後の早朝。

 予定通り居住区から来た組合の交代要員が中学校の運動場に到着した。車列を率いてきた団長は、四輪の装甲車ではなく本格的な装輪装甲車に乗っていた。物珍しさで運動場に散開していた団員が集まってくる。

 俺とリサも近くに寄った。

 運動場に入ってきた装輪装甲車は形状を見るとM93フォックスのようだった。これは元々独製でそっちの名称ではフクス装甲兵員輸送車という。塗装はカーキ色だ。

「――これ皇国軍の払下げ品なんだ。どうだ、見栄えはいいだろう。だが、どこか壊れるたびにパーツの調達がたいへんでなあ!」

 注目を浴びながら装輪装甲車から降りてきた交代要員の団長が「ガハハ!」と豪快に笑った。カウボーイ・ハットを斜めにかぶった中年男だ。あとから来たその狩人団も俺たちが使っていた校舎を拠点に使うらしい。

 仕事の引継ぎを終えた俺たちはハンヴィーに乗って藤枝居住区へ戻った。


 §


 障壁の検問ゲートを無事に抜けて、NPC狩人組合藤枝本部へ辿り着いた。時刻はちょうど正午で本部の表の駐車場は組合員が使う装甲車で満杯だった。団員を表に残した内山さんと俺、それにリサが階段を上がると七階のNPC駆除任務類斡旋事務所も混雑していた。今回の合同作戦――通称『藤枝北部ローラー作戦』に参加した組合員が報告のために殺到している。事前の会議で見た顔も何人かいた。

 普段、職員は十二時きっかりから十三時三十分までしっかり休憩を取って、ここへ訪ねてくるNPC狩人おれたちをイラつかせるのだが今日は来客が多すぎる。職員は昼どきの休憩時間でも対応に追われていた。職員が応対にバタバタしている受付を通り過ぎた俺と内山さんとリサは職員用のデスクが並ぶフロアへ歩いていった。

 やっぱり、そこに小池主任がいた。事務所の職員の誰もが働いてるなかで、ひとりだけデスクに座ってのうのうと弁当を使っているのですぐわかった。

「――おう、内山団長ウッチー、黒神団長、それにリサちゃん。無事に戻ったなあ、お疲れさん」

 気づいた小池主任が顔を上げてねばねばクチャクチャ笑った。

 俺は食い物を口に入れたまま喋る奴に笑顔を返す気になれない。

 内山さんもリサも憮然と無言だ。

「ああ、ハヤト、こいつらを応接間のテーブル席へ案内してやれ。俺は昼飯を食い終わった後に行くからよォ――」

 アブラ狸は箸を使いながら言った。こいつは訪ねてきた人間を気が向くまで待たせるつもりらしい。俺たちだって昼めしはまだなのだ。俺は苛々した。リサも眉間を凍らせて見るからに殺気立っている。内山さん握り固めた拳をぶるぶる震わせていた。

「――あ、はい、ご主人さま」

 横の椅子でおにぎりをもぐもぐやっていたハヤト君が立ち上がった。そのハヤト君に案内されたのは、応接フロアの中央の窓際の席だった。そこしか席が空いていなかった。

「今、お茶を持ってきます」

 踵を返したハヤト君がすぐ振り返って、

「あっ、黒神さんは珈琲のほうがいいよね?」

 ソファに座った俺へ腰を曲げて顔を寄せた。

 うつむいた俺の頬にかかるハヤト君の吐息が熱い。

 甘い匂いがする――。

「あっ、ああ、ハヤト君。俺は珈琲がいいな――」

 俺は呻き声で伝えた。横に座ったリサが右の手をピッと挙げた。これは「わたしも珈琲が欲しい!」の動作だ。リサもお茶より珈琲派なのだ。その珈琲党のリサは俺に近いハヤト君と俺を訝し気な目で見つめている。

 そんな目で俺を見るな。

 見るな――。

「おう、俺も珈琲で頼むぜ、ハヤト、コノヤロー」

 内山さんが茶色い手提げ鞄から報告書を取り出しながら言った。俺はハヤト君が去ったのを確認したあと顔を上げた。そうすると見覚えのある男の顔が二つ向こうのテーブル席に見えた。

 木村徹だ。

 その横に三十路前後の男がいた。小太りで手足が短く全身ブサイクな木村と違って、横の男はスタイルが良くスマートだ。比較するとの話だ。ブサイクと並ぶと誰だってスマートに見えるだろう。横の彼は木村の団の副団長なのだろうか。その木村と横の彼の対応に当たっているのは、前にも見た安藤職員だ。木村とそのツレは苛立っている様子で声が大きい。

 その会話が聞こえてくる――。

「――おい、安藤、俺たちの仕事はあるのか?」

 木村はブサイクな顔を真っ赤にして火吹き達磨みたいになっていた。

「今はちょっと、難しいですねえ――」

 安藤職員は視線を手元の書類ファイルへ落としたままやる気がまったくない態度だった。

「安藤さん、障壁の警備関係に空きはないのか?」

 木村の横の男が身を乗り出した。

「木村さん、そう言われましてもねえ。木村狩人団にゲートの警備できるような人員ないでしょ――?」

 安藤職員は長い前髪をいじりながら言った。

「――俺は猪瀬いのせだよ、安藤さん」

 木村の横にいる男は猪瀬というらしい。

 安藤職員は手元の勝利ファイルへ視線を落として、

「ああ、副団長さんは猪瀬さんでしたね。猪瀬さんねえ、そもそも先月の理事会で組合は障壁の外に重点を置いてNPCを警戒することに決まりましたからねえ。障壁警備員の仕事だって当然、相対的に減って――」

「安藤! ――安藤さんよ。前にここへ来たとき、お前は俺の団も北部のローラー作戦に参加できるとはっきり言っただろ、そうだろ、なあ?」

 木村が凄んだ。

「安藤さん、直前になって俺たちの団は弾かれた。あれはどうなっているんだ?」

 猪瀬の目つきも鋭くなった。

「ああ、あれねえ、木村さん。直前になって募集要件が変更されたんですよねェ。ローラー作戦に参加できる狩人団は三十名以上の団員と、それなりの装備が必要になりましたあ。事前の審査を通さないとねえ――ああ、ほらほら、ここにちゃんと書いてあるでしょ――」

 安藤職員が手元にあった書類ファイルを木村と猪瀬へ押しやった。

「――このまま遊んでいると、俺たちのNPC狩人認定は消されちまうだろ」

 木村が書類を見て顔を歪めた。益々もってブサイクな顔だ。

 俺はハヤト君が持ってきてくれた熱いレギュラー珈琲に飲みながら声を出さずに笑った。

 横のリサが顔を傾けて視線を送ってくる。

「組合から除籍とかな。冗談じゃないぜ、奴隷だとか社畜なんて――」

 猪瀬が呟いた。

「ええ、はあ、木村狩人団は全員がC等級に落ちてますねえ。このままだと来月には組合から除籍ですかねェ――」

 安藤職員が手元の書類を眺めながら適当な感じで言った。

 マジでどうでもいいよ。

 そんな態度だ。

「おい、安藤、どうするつもりだ!」

 木村が怒鳴った。

「狩人組合はそういうシステムですからねえ。僕に言われましてもねえ――」

 安藤職員が「ふいい」と溜息を吐いた。嫌々の気分が胸の奥の底から出てきたような溜息だ。

「安藤、他人事ひとごとみたいに言ってるんじゃねえよ」

 木村は低く唸ったが、

「実際、他人事だしなァ。ああ、いやだいやだ、こんなチンピラ相手の仕事はもういやだ。家へ帰ってアニメが見たいなあ――」

 安藤職員はそう呟いた。木村と猪瀬には聞こえなかっただろう。リサと一緒にいる時間が長い俺は安藤職員の口の動きで何を言ったのかわかる。読唇術だ。木村の顔が怒気で青紫色になっていた。それでも木村は暴れなかった。ここが組合員の泣きどころだ。組合員は組合の職員に生殺与奪権を握られている。

「――担当している組合員が除籍になったら、安藤、お前のボーナス査定も下がるんだろ?」

 比較的に冷静だった猪瀬が言うと、

「あっ、それって困るなあ。ただでさえ組合の職員はボーナスが安いのに――」

 安藤職員が慌てて背けていた顔を正面へ向けた。

 組合の職員にだって弱みはある。

「安藤な、このままじゃお互いヤバイだろ。何とか俺の団へ仕事を回してくれ」

 木村が唸るように言った。

「えっと、それじゃあねえ――西方面の偵察任務とかどうですか。これも競合する狩人団が多いから入札になりますけどねえ――」

 安藤職員がファイルのなかから書類を一枚抜いてテーブルの上へ置いた。

 渋い顔の木村がその書類を手にしたところで、

「――おい、徹。向こうのテーブル」

 猪瀬が声を上げた。

「何だよ、拓馬!」

 木村が苛立って怒鳴った。

 猪瀬の名前は拓馬というらしいね。

「いいから向こうを見てみろ、あれ、黒神武雄だぞ」

 そこで俺と猪瀬の視線がぶつかった。

 俺は愛想笑いを浮かべて見せた。

 猪瀬は表情を険しくした。

「――拓馬。今、事務所に来ているのは、たいていがローラー作戦に参加した組合員だろ?」

 木村が俺へはっきり視線を送りながら言った。

「――だから、おかしいんだよ」

 猪瀬が頷いた。

「横にいる顎は内山だよな、内山佐次郎――」

 木村が声をひそめた。

 そうしても唇を読めばわかるんだよ。

 内緒話をするときに口元を隠すていどの猿知恵もない、このブサイクな小チンピラの大馬鹿めが――。

「――あの顎は間違いない。黒神と一緒にいるのは静岡居住区で活動していた内山狩人団の団長だ。内山のところは大手の団だから、たぶん、ローラー作戦に参加しているだろう。黒神は内山狩人団へ入団したのかな。あいつは一匹狼で有名だったんじゃないのか?」

 猪瀬も声をひそめた。

 俺は珈琲カップに口をつけて愛想笑いを浮かべ続けた。

「――おい、安藤」

 木村が呼びかけた。

「――あ、はあ、何でしょうカ?」

 ファイルを眺めていた安藤職員が顔を上げた。

「あそこにいる黒神だ」

 俺を見ていないような態度で木村が言った。

 そこで俺も木村を見ていないフリをする。

「ああ、黒神さんがいますよねえ。あっ、リサちゃんもいる。リサちゃん、リサちゅぁん!」

 ソファから振り返った安藤職員がリサへ両手を振った。生白い頬を赤く染めた安藤職員は気持ちの悪い笑顔だ。動作もキモイ。リサは安藤職員をチラッと見てすぐに視線を外して、お茶請けの皿にあったミニ・ドーナッツへ手を伸ばした。

 すべて無表情での動作だ。

 リサは何のリアクションもしなかったのだが、

「はあ、リサちゅあんは相変わらず可愛いなあ。いいなあいいなあ、黒神さんは毎日、可愛い女の子と一緒に仕事ができて。僕なんかは、はぁーあ、つっまらない仕事だな、ここの事務員はババアばっかりだし――」

 そんなことを愚痴りながら安藤職員は振り向いた姿勢を戻した。

「――黒神の横にいるのはリサって名前なのか?」

 木村は顔をうつむき加減にして訊いた。

「ああ、木村さん、黒神さんの横にいる女の子ね。あの子は黒神さんの団の団員ですよ。黒神狩人団ね。リサちゃんは女の子でまだ幼いけど、あれで、すごい銃の腕前なんですって。ジト目系の美少女だし、ちょっと癖っ毛だけど黒髪ロングだし、いっ、いいよねえ、いいねえ――」

 安藤職員が熱い口調で語った。

「黒神狩人団だとォ――安藤、それは何の冗談だ?」

 木村が呟いた。

「あ、はあ、冗談じゃないですよ。黒神さんは黒神狩人団の団長ですよ?」

 安藤職員は言った。

「へえ、その黒神の狩人団は北部のローラー作戦に参加しているのか?」

 猪瀬が身体を起こして腕を組んだ。

「内山さんと一緒にいるから、どうも、そうみたいですねえ?」

 安藤職員が俺へ視線を送って首を捻った。

「――おい、安藤」

 木村が唸った。

「ああ、はい?」

 安藤職員が視線を木村の顔へ戻した。眉間をしかめたブサイクな顔だ。俺にはマウンテン・ゴリラのように見えた。ああいや、たいていのゴリラのほうがイケメンかも知れないよな。木村をゴリラに例えるのは、ゴリラに失礼な気がしたので内心で訂正した。

「黒神武雄はこれまで狩人団を運営していなかっただろ」

 不細工なゴリラのままで木村が言った。

「ああ、そう言えば静岡のときはそうでしたねえ――」

 安藤職員が頷いた。

「安藤さん、教えてくれ。黒神があの大規模なローラー作戦に参加しているのは、どういうわけだ。黒神の狩人団はこの書類にある募集要件を満たしていないだろ。静岡居住区が壊滅して一ヵ月だ。そんな短期間で、一人で仕事をやっていた黒神が車両や人員を揃えられるわけがない――」

 猪瀬が腕を組んだまま眉間を冷やした。

 その視線は卓の上の書類にある。

「はァ、そんなこと、僕は知りませんよ――」

 安藤職員はいい加減な返答をした。

「――何だあ、安藤、そりゃあ?」

 木村が見てわかるほど殺気立った。

「だから、木村さん、僕は知りませんよォ。そもそも、黒神狩人団は僕の担当でもないですからねえ――黒神さんはともかく、リサちゃんの担当は是非ともしてあげたいのにねえ――」

 安藤職員は面倒そうに視線を落としたが、

「おい、安藤、舐めるなよ」

 木村は唸り声でその顔を上げさせた。

「えっ、はぁあ?」

 安藤職員はまったくやる気のない対応だ。

「安藤。黒神の狩人団はローラー作戦に参加できたんだよな。どう見ても要件を満たしてないのに――」

 構わずに木村が唸った。

「あ、はぁん?」

 安藤職員が寝ぐせのついた頭をポリポリとボールペンで掻いた。

「どうして、俺の団はローラー作戦から弾かれたのか、ここで説明をしろ!」

 ソファから立ち上がって木村が怒鳴った。応接間が静かになった。周辺で打ち合わせをしていた組合員や職員の視線が木村へ集まる。顔を真っ赤にした木村はおかまいなしで安藤職員を睨みつけていた。安藤職員がそこでようやく視線を惑わせた。

「――なんだ、なんだ。さっきからギャアギャアうるせェな、あの小チンピラ」

 唸ったのは俺と同じソファにいる内山さんだった。

 ぬっ、とソファから立ち上がった内山さんが、

「迷惑だ、静かにしろ、このクソバカヤローッ!」

 木村へ壮絶な怒鳴り声を聞かせた。とんでもない迫力と音量だ。まるでスタン・グレネードだ。俺は耳鳴りがして顔を歪めた。俺と内山さんに挟まれて座っていたリサはうっと身体を丸めた。内山製スタン・グレネードの直撃を受けて目と口をぽかんと開いていた木村は、猪瀬に促されてようやくソファへ腰を下ろした。

「――なあ、リサちゃん、あのチンピラの怒鳴り声がBGMだと、せっかくの珈琲が不味くなるだろ?」

 ソファへ腰を落ち着けた内山さんが、まだ身を丸めていたリサへ甘い態度で笑いかけた。耳鳴りで眉間が厳しいままのリサは内山さんを「キッ!」と睨みつけた。まだ涙目だ。それで内山さんの笑顔が気まずいものになった。

 うつむいた俺が声を出さずに笑っていると、

「な、お前ら。あのチンピラは迷惑だし馬鹿だろお?」

 書類入れを小脇に抱えた小池主任がようやくやってきて、げひげひ笑いながら対面のソファへ腰を下ろした。

 二十分近く待たされていた俺たちは笑えない。

 誰も発言しないので、

「小池主任、向こうに面倒なのがいるみたいだな」

 挨拶代わりに俺が言った。

「面倒なんだよ、だから俺は安藤へあの馬鹿の担当を回した。馬鹿は馬鹿同士で仲良くしておけばいいんだァ」

 小池主任がまた笑った。

「ほら、報酬よこせ――」

 俺は手を突き出した。

 目をぐるんと丸くした小池主任が、

「額が額だから今回は銀行へ振り込みだ。黒神、俺はそう言っておいただろ?」

 俺は手を突き出したまま自分の記憶を辿ったが、そんな話を聞いた覚えがない。

 リサも胡乱な視線を小池主任へ送っている。

「――心配かあ?」

 小池主任が書類入れから茶色い封筒を二つ取りだした。

「うん、心配だ。俺はあんたを全然信用していないからね」

 内山さんと俺が受け取った封筒は軽かった。報酬の明細しか入っていないようだ。なかを見ると、明細にはそれなりの金額が書き込まれていた。俺とリサの報酬分で百七十万円以上ある。だがおそらく、リサの報酬は銀行口座へ振り込まれていないのだろう。だってリサは銀行口座を持ってないし――。

 しかし、半額と考えても報酬は八十五万円だ。

 まあ、悪くはないが納得はいかない――。

「黒神と俺はもう五年近くの付き合いなのに、また随分なお言葉よねえ!」

 スネた表情と態度を作った小池主任がクネッと言った。

 俺は心底イラッとしたし、リサは明らかに殺気立っている。

 手に持った報酬の明細から視線を上げて、

「まあ、黒神。この狸はどうか知らんが俺は信用しろよな、コノヤロー」

 内山さんが目尻にシワを寄せた。

「――で、どうだった?」

 小池主任が訊いてきた。

「何がだ、コノヤロー?」

「何がだよ、小池主任?」

 内山さんと一緒に俺も唸った。

「何がって藤枝の北の様子だよ。今回、お前らがやってきた仕事の話」

 小池主任がゲジゲジとした眉根を寄せた。

「金でなくて仕事の話だあ? 珍しいな、コノヤロー」

「あんたが仕事の話をするのか。俺は気持ちが悪いぞ」

 内山さんと俺だ。

 両方、真顔だった。

 リサが小さく頷いた。

「あのなあ、お前ら――」

 小池主任がうつむいた。

「何だ、バカヤロー」

「何だよ、このクソが」

 内山さんと俺だ。

「一応、俺だって居住区の治安を守るNPC狩人組合の職員だからなあ――」

 うつむいたまま小池主任が言った。

「俺たちが持ってきた報告書にそこらは詳しく書いてあるだろ。ちゃんと読めよ、バカヤロー」

 内山さんがテーブルの上にあった報告書を小池主任へ乱暴に放った。

「うん、そうだそうだ」

 俺は頷いた。

 リサもうんうんと首を縦に振っていた。

 小池主任はダルそうな態度と動作で手元にきた報告書を広げて、

「北で報道のヘリが墜落したんだって?」

「報告書を見る前に知ってたのかよ、コノヤロー?」

 内山さんが怪訝な顔になった。

 俺が訊いた。

「小池主任、どうしてそれを知っているんだ?」

「ここ三日間ほどな。テレビやラジオでワーワーやってるぜ。外国の番組、日本でも衛星放送で見れるだろォ。あいつらが面白半分に煽り立てやがってなァ。あーあ、面倒くせェ――」

 小池主任が広い額へ手をやった。

「それは穏やかじゃねェな、コノヤロー」

 内山さんが背もたれに体重を預けて大きな息を吐いた。

「小池主任、俺たちがいない間に藤枝居住区で何が起こった?」

 俺は視線を落として鼻先に手をやった。

「たいしたことじゃない。藤枝居住区の北からNPCの群れが南下してるってなァ、騒ぐ奴らが多くなっただけだ――」

 小池主任は報告書に目を走らせながら言った。

「テレビやラジオが吹聴しているのか?」

 俺が訊くと、

「そうだ。報道ヘリが撃墜されたから報道陣が感づいたんだな。バード・ストライクは変異種・NPCしか使えないだろ。だから、『静岡居住区を壊滅させたあのNPCの群れが、藤枝の北へ迫ってるんじゃないか』ってな、そんな憶測が出たわけだァ。まァ、デマだよデマ――」

 小池主任がぶ厚い顔を上げた。

「小池、それはデマでなくて事実だろ、バカヤロー」

 内山さんが言った。

「うん、そうだよな、内山さん」

 俺は頷いた。

「大衆に事実なんて必要ねェだろお。馬鹿は死ぬまで叶わない夢を見ていればいいんだよ。そのほうが幸せなんだろうしなあ――」

 小池主任の暴言だ。

「――な、黒神。こういう奴なんだよ、コノヤロー」

 内山さんが送ってきた視線と、

「――うん、よく知ってる」

 頷いた俺の視線が交錯した。

「もうビビッて逃げる区民が出ている始末でなァ。あちこち段取りが狂って俺の仕事が面倒になるんだよなァ、もう――」

 小池主任がぶ厚い顔を捻じ曲げた。自分にとって都合の悪いことは全力で嫌がるし、回避するのがこの男の性格だ。突き詰めれば誰だって同じなのだろうが、このアブラ狸は目も当てられないほどその傾向がひどい。

「小池主任」

 俺は呼びかけた。

「何だァ、黒神?」

 小池主任が俺に顔を向けた。

「あんたもここから――藤枝居住区からすぐに逃げる予定なのか?」

 俺は訊いた。保身と自分の利益が最優先。その上で危機察知能力が異常に高い。それが小池幾太郎という男だから、こいつがドロンと消えるとなると藤枝居住区は完全にヤバイと判断できる。

 俺の顔をしばらく眺めたあと、

「――まァ、まだ大丈夫だろ?」

 小池主任は面白くなさそうに言った。

「ふん、小池はいいだろ。居住区がどうなっても皇国軍にツテがあるからな、コノヤローはよ――」

 内山さんが自分のカップへ珈琲を注いで、そのポットを俺へ突き出した。俺は右手を振って遠慮した。昼は過ぎたがまだ昼飯を食う前だ。頷いたリサが空の珈琲カップを手にとった。俺が両手でそれをガッシと制止した。リサが横目で俺を睨んだ。俺は無言で視線を返した。

 珈琲で腹を満たすな。

 昼めしが不味くなる――。

「――内山団長ウッチーなあ」

 小池主任が顔を上げた。

「何だ、コノヤロー、バカヤロー」

 内山さんが冷めた珈琲を一息に飲み干して唸った。

「俺だって居住区を移動するたび、あれこれ入用で金が消えるんだ。居住区はこれ以上壊滅してほしくないぞ?」

 小池主任は笑わずに言った。

 俺は何も言わなかった。

 リサが空の珈琲カップをソーサへ戻した。

「まあ、いいや。小池、報告書には問題がないのかよ、コノヤロー?」

 内山さんが腰を浮かせて小池主任へSDメモリカードを手渡した。デジカメで撮った画像が記録されたものだ。田辺家のショッキングな食卓の画像もそれに記録されている筈だった。

「――なしだ。お仕事、お疲れさん」

 小池主任が受け取った報告書とSDメモリカードを書類入れに収めた。

「小池主任、次の仕事はまた三日後か?」

 俺はソファから身を乗り出して訊いた。ローラー作戦はなんやかんや言って楽だったし、金銭的に旨味のある仕事でもあった。

「ああ、そうだそうだ、言い忘れてた。次にお前らが区外へ出るのは一週間後な。また会議をやるところからだから正確には五日後か。今回と同じ段取りでまた頼むぞ」

 小池主任が立ち上がりながら言った。

「小池、そんなに時間が空くのかよ、バカヤロー!」

 内山さんが怒鳴った。

「暇な時間が多すぎないか?」

 俺も鼻を鳴らした。

 リサは小池主任をじっと睨んでいる。

「あのなあ、内山団長、黒神――」

 ぶ厚い唇を突き出しておどけた表情を作った小池主任が、内山さんと俺を交互に見やって苛立たせ、

「それに、リサちゃんもなあ――」

 リサへも視線を送って俺の彼女を猛烈に殺気立たせたあと、

「この仕事は人気があってどこの狩人団も順番待ちなんだ。報酬だってかなり高いしなあ。だから、お前らは俺に感謝をしろよなァ!」

「ふざけんな、バカヤロー!」

「あんたに感謝なんてね。死んでもお断りだ」

 内山さんと俺が同時に言って、ソファから立ち上がった。

 リサは喋れないので何も言えなかったが何度も頷いて賛同していた。

「おいおいおーい、お前ら俺に感謝をしろよォ!」

 踵を返した俺たちの背へ小池主任が大声で言った。

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