第3話 絶たれたままの絆(イ)
「どこで何を食うかな――」
俺は歩く速度をゆるめた。リサもそうした。繁華街を行き交うひとは多かった。お宿の主人に言わせると藤枝の街中の道は以前、屋台が少なくて広々としていたらしい。しかし今は道の左右に屋台が並び、その席を背広姿や作業服姿の背中が埋めている。藤枝居住区は壊滅した静岡居住区から流れ込んできた難民で人口が増えたのだ。屋台の煙と人の熱で白く煙った夜の繁華街を歩いていると前に人だかりができている。道の中央に区内警備員のハンヴィーが一台止まっていた。
リサと俺の足もそこで止まった。
区内警備員の男たちが、ボロボロの服を着た若い女を脇道から引きずってきた。逃亡奴隷か住民票を持たないモグリの奴隷か犯罪者か、そのどれかだろう。顔が黒く汚れたその女はもう諦めているのか、泣きもしなかったし笑いもしない。区内警備員は引きつれてきた女を警備用ハンヴィーの後部座席に放り込んで、クラクションを鳴らした。ここで処刑は行われなかった。
リサは人混みをかき分けてのろのろと走り去るハンヴィーの尻を睨んでいる。
「――俺はあの店がずっと気になっていた。今夜の夕めしはあそこにするか?」
俺は顎をしゃくった。リサの視線を促したのは屋台の屋台の間にある建物の出入口だ。赤い暖簾がかかっている。
「!」
リサが瞳をキラキラさせた。その店で何を食わせているのか漂ってくる匂いでわかる。肉が焼ける匂いだ。
「まあ、焼き肉よりは安い筈だ――」
俺は歩きながら言った。
「――?」
リサはその店の前で立ち止まって小首を傾げた。
「ホルモン焼き」
俺は言った。『ホルモン焼き、にくだるま』暖簾に白文字でそう書いてある。
「――リサはホルモン焼きを知らないのか。お前は肉が好きなんだろ?」
俺は首を捻りながら引き戸を開けた。頷いたリサが俺に身を寄せて暖簾を潜った。店内から噴き出したホルモンを焼く煙で俺たちは包まれた。二十人も客が入れば、それで満席の小さな店だった。食欲をそそる煙が目に沁みた。
「はい、二名様、らっしゃい!」
「いらっしゃい!」
「はーい、いらっしゃい――」
店員の挨拶は一人を除いて威勢が良かった。中年女性の店員が向かい合って座る小さなテーブル席へ俺とリサを案内した。畳敷きの座席は満席だ。家族連れや背広姿のサラリーマンが焼き網を囲んで歓談している。席についた俺は豚のホルモンを大皿の盛り合わせで頼んだ。リサがメニューにある瓶入りのジュースとライスをドンドンと交互に指差していている。
「――ああ、ライスとジュース、それにビールの大瓶」
俺は言った。
「お嬢ちゃん、ジュースの味は何にしようかね?」
中年女性の店員がリサに訊いた。顔を上げたリサはメニューにあるオレンジ色のジュースを指差していた。俺とリサが注文したものは五分も待たないうちにテーブル席へ届いた。
俺が焼き網でホルモンを焼いた。
「!?」
小さなテーブルで向かい合って座ったリサは焼き網から上がる煙の向こうで眉間に苛立ちを見せた。その口はさっきからずっとモニュモニュしている。
「噛みきれなくても丸呑みすればいいんだぞ」
俺はアドバイスしてホルモンの数々を裏返した。
「――!」
リサは喉を鳴らして噛み切れないホルモンを呑み込むと焼き網へ箸を伸ばしてきた。
「駄目駄目。こいつらはまだ焼けてない」
俺は焼き網に侵入してきたリサの箸を箸でビシビシ弾き返した。あからさまにムッと表情を変えたリサはそれでも大人しく手を引っ込めて、ごはんが盛られたお椀へ箸を突き刺した。麦ではない白いめしだ。リサの顔は白いめしをもぐもぐやるとすぐにゆるんだ。
「リサはモツを食べたことないのか。お前は元々、お山でとれる獣の肉を食っていたんだろ――?」
俺は大瓶からコップへビールを注いだ。リサは瓶入りのオレンジジュースをコップへ注いだ。俺のコップもリサのコップも、日本にあったビール会社のシンボル・マークが側面についたコップだ。
ホルモンを焼くのに集中しすぎた。
俺は冷たさが足りなくなったビールを呷って、
「ああ、山でとった獲物はその場で内臓を抜いていたか?」
リサはオレンジジュースを飲みながら頷いた。
「山の漁師に世話になったことがあってな。知ってるぜ。仕留めた現場で獲物から内臓を抜かないと重量的に運ぶのがしんどいらしいな。内臓は痛みも早いから――ああ、焼けたぞ、リサ」
俺が言うとリサが焼き網へ箸を出した。焼き網には、シロ、ハラミ、ガツ、カシラにタンにナンコツと、いろいろなホルモンの部位がある。リサは違う味と違う食感を口にするたび首を捻ったり頷いたりしていた。俺も焼き上がったホルモンを口に入れた。俺の口のなかでなかなか噛みきれないのは豚の小腸だ。ぬるくなったビールで口にいつまでも残るそれを流し込んだ。ぬるくなっても日本でスタンダードな黄色のビールは旨いものだ。
汚染前の日本を思い出す味――。
俺がホルモンをモニュモニュするリサを眺めながら物思いに耽っていると、
「はい、そっちのお兄さんはビールの大瓶、こっちのお嬢ちゃんはオレンジ・ジュースね」
店員の手でテーブルにビールの瓶とジュースの瓶が届いた。これを持ってきたのは、さっきよりずっと若かった。紺色のバンダナで黒髪をくくって、ハキハキとした態度と動作で、化粧っ気が少なくて、まつ毛がツンと跳ね上がって清々しい印象の姐さんだ。ホルモン焼き屋の店主や女将さんとのやり取りを見ていると、どうもこの彼女は店主夫婦の身内――おそらくは娘さんなのだろう。
「――ジュースは同じ味でよかった?」
店員の姐さんが訊くと、リサが唇をモニュモニュさせたまま頷いた。少しの笑みを見せた姐さんが腰から下がっていた小さな栓抜きを手に取った。
「ああ、姐さん。俺は注文をしていない。別の席の注文の間違いじゃないのか――?」
俺はビール瓶の蓋にかかった女の手を見つめた。
その横にあるビールの瓶は俺が空にした。
「お兄さん、まだまだ飲みたそうな顔だけど?」
店員の姐さんが笑った。
「――うん。もう一本、ビールをもらおうか」
俺は二本目のビールを空けることを決意した。
店員の姐さんは片手でビールの蓋を器用に取って、
「で、他に注文は?」
彼女はぞんざいな態度だったが、それで悪い印象を俺はまったく受けない。
「いまのところはないかな」
俺は曖昧な返事をした。
「あら、そう?」
店員の姐さんは笑うと空になったビール瓶を片手に踵を返した。
背が高くて脚の長い女だ。
「贅沢をしすぎか――」
冷たいビール瓶を手に笑った俺を見て、リサが不思議そうな顔をした。
§
後日だ。
俺とリサはアブラ狸の指示通り組合本部の八階で行われた会議へ参加した。そこに集まってきたのは静岡居住区から退避してきた狩人団や、西の居住区からわざわざこの仕事のために移動してきたらしい大規模な狩人団の団長さんとその取り巻き連中だった。黒神狩人団は俺が団長でリサが副団長になる。この二人だけだ。一応、黒神狩人団は二十名近くの団員がいることになっているが、そいつらは全部、アブラ狸が書面の上に作った幽霊だ。車両や人員、それに装備の大がかりな調達を相談し始めた団長に囲まれて、俺は落ち着かない。それに女のNPC狩人組合員は珍しいし、リサはかなり若い。会議の参加者は全員、俺たちへ胡乱な視線を送っている。
俺は愛想笑いで誤魔化した。
リサは出されたお茶を飲みながらシレっと無表情だった。
「まあ、細かいことは俺に任せろ」
アブラ狸はそんなことを断言していたが、しかし、当の本人が会議室にいない。会議の進行するのはNPC狩人組合の区外警備本部長と部下の何人か、それに再生機構の職員――居住区のお偉いさん連中だ。
「えェ、各団長さん、お互い自己紹介も終わったでしょうし、今回の行う作戦の概要から説明を始めましょ。ああ、私は区外対策部の本部長の飯野健司と申します。どうぞ、よろしく――」
壇上に立った本部長が挨拶をすると照明が落ちて暗くなった。
プロジェクターから藤枝居住区の地図が投射されたところで、
「おうおう、もうやってるのかよ、コノヤロー!」
いかり肩で大顎の巨漢が会議室の扉をバンと開いて入ってきた。十五分以上の遅刻だったが悪びれもしない。黒い髭の団員を連れ立ったその大顎が、長机の片隅で身を縮めていた俺とお茶請けの深皿を漁っていたリサの横の椅子を引いて、そこへどすんと腰を下ろした。
「ああ、確かあんたは――?」
俺が先に声をかけた。
「黒神武雄だな。生きてたな、コノヤロー!」
目尻のシワを増やした彼は壊滅した静岡居住区の組合本部で一度だけ顔を合わせた、あの内山団長だった。
「やあ、内山団長さん。お互い、生きてたね」
俺は少し笑った。
リサがざらめのせんべいをパリパリ食べながら内山団長へ目を向けた。
「相方は新宮りさちゃんだったな。おし、黒神、リサちゃん、会議では俺に話を合わせろよ、コノヤロー」
内山団長が言った。
「あー、内山さん、もしかして小池主任の差し金で?」
俺が訊くと、
「あいつは昔ッからやることが汚ねェんだよ、バカヤロー――」
内山団長が鼻先にシワを寄せて見せた。
§
ハンヴィーは六人まで乗れるらしい
今はそれに七人が乗車している。
ガタガタと悪路を突っ走るハンヴィーのなかにいるのは、
俺、
内山佐次郎団長、
内山さんのところの団員が四人、
それに俺のリサだった。
「リサちゃんは子供だから半人分の重量計算だなあ、十分乗れるぜ、コノヤロー!」
内山さんは笑っていたが定員オーバーには違いない。ただっ広いハンヴィーの車内だが、それでも七人乗ると狭く感じた。
俺とリサは内山狩人団と合同で区外のNPC駆除任務中だ。
小池主任の薄汚い計らいで戦力が足りない俺とリサは内山狩人団の車両に便乗してこの作戦――藤枝居住区北部合同NPC駆除作戦へ参加している。むろん、黒神狩人団に所属する幽霊団員の報酬はアブラ狸の懐に収まる寸法だ。そのうちの何割かを内山さんが受けとる手筈になったらしい。
「おいおい、後ろからNPCに追いつかれるぞ。シゲ、車のスピードをもっと上げろ、コノヤローバカヤロー!」
アブラ狸に買収された内山さんが、ハンヴィーの運転手をやっている団員の
ハンヴィーのスピードが突然落ちた。
「内山団長、無茶を言わないでよ。ハンヴィーじゃこのていどの速度が限界だ――」
八反田が呻いたところで、ハンヴィーのタイヤが横倒しになっていた電信柱へ乗り上げた。
「――!?」
振動でおしりを跳ね上げたリサがムッと眉を寄せた。この米国製の高機動多用途装輪車両は元々乗り心地が良くない。
その上で、
「走っている道もこの通りで、かなり悪いからさあ――」
八反田が言った。俺たちがいるのは藤枝居住区の障壁の外だ。震災で壊れた道路は整備されていない。うぉんうぉんとエンジンを唸らせていたハンヴィーがようやく路上の障害物を乗り越えた。
追ってきたNPCはかなり近くなっている。
「――上等だあ、コノヤロー!」
腰を浮かせた内山さんの肩へ手をかけて、
「いや、内山さん。他の班と合流前に銃座のミニガンをぶっ放すのはやめておこうよ。周辺にまだNPCが何匹も潜んでいるかもしれないし!」
俺は大声で言った。エンジン音がうるさくて大声でないと聞こえないのだ。
「――んだと、コノヤロー?」
内山さんが不満気な声を上げたが、
「俺がやる」
俺は短く言ってハンヴィーの天井の銃座から上半身を出した。
そこで銃を構える。
これから使うのは、藤枝居住区の古戸火砲店で購入した
説明をしよう。
このブレイザーR93は特殊なボルト・アクション機構――ストレート・プルボルトで排莢と装填を高速で行うキワモノだ。お宿の近くにある「古戸火砲店」の店主をやっている古戸の親父が言うには、銃身のブレがなく精度の高い狙撃銃らしい。俺の使っているR93は軍や警察が使用する為に改造された三三八ラプア・マグナムを使うタイプだ。
正直なところ、俺はこの銃をあまり好いていない。
軽量化のため肉抜きをした銃床の有機的な形だとか、バイポットを付けるために銃身の下から突き出したツノが見るからに落ち着かないし、遠距離から一発必中が売りであるボルト・アクション式狙撃銃のリロードが多少早くなったところで、何か意味があるのだろうかと疑問にも思う。逃げる獣に何発も発砲する猟銃として使うならば、ともかくとしてだな――。
ただ、これまで使用している限りでは銃の性能に何の問題もなかった。これは俺の好みの問題だ。余計な独自機能があると本体の値段もパーツの値段も高くなる。生活のために戦うNPC狩人は道具の値段だって重要だし――。
悶々としているうちに、スコープの照準がNPCの頭部を捉えた。人間の形だが人間性を失ったNPCの顔はやはり男性だった。元、男性だ。今の彼は人間ではない。ヒト型のNPCだ。車体の揺れ以外、特別な計算が必要がない距離に俺の的は――NPCは迫っていた。俺はR93のトリガーを引いた。先に消音機をつけた銃口からはやんわり手を叩いた程度の発砲音しか出ない。ハンヴィーを追ってきたヒト型NPCの頭がガクンと後方へ仰け反った。
命中。
頭部を砕かれたヒト型NPCは前のめりに崩れて落ちると、全体の制御を失った四肢が暴れて土埃が上がった。
「――おほう、黒神さん。走っている車の上から的に当てたかあ!」
銃座の下から島村さんのガラガラとした声が聞こえた。この島村さんは内山さんの古い馴染みで内山狩人団の副団長をやっている髭の男だ。彼は内山さんと同様、還暦に手が届く年齢らしいのだが顎と頬に生えやした髭は黒々として中年ていどに見える。
「俺と『コイツ』だってこの距離なら一発で
暗い声で言ったのは内山狩人団の斎藤君だ。この彼は俺と同い年らしいので「君」でいいだろう。斎藤君が得意にしているのも、俺と同じ長物の銃を使った狙撃だと聞いた。実際、座席にいる斎藤君はM110SASSを愛人のように抱きかかえている。これは米国製でセミオート方式の狙撃銃だ。
「S等級の
そう唸ったのは同じく内田狩人団に所属する橋本だ。どこもかしこもパツンパツンに太った寡黙な巨漢の橋本青年はかなりの力持ちらしい。この彼は分隊支援火器――軽機関銃の扱いが得意だと内山さんから聞いた。この彼はかなりシャイらしく面と向かうと極端に口数が少なくなる。
「――やるなあ、黒神、コノヤロー!」
内田団長が銃座に顔と大顎を見せた。
狭い銃座に男二人は狭苦しい。
しかし、俺は愛想笑いを見せながら、
「内山さん。また一匹、脇から来てる。ハンヴィーのエンジン音が奴らを呼び寄せてるらしいね――」
走る車の後方にあった廃屋の影からNPCがまた一体飛び出てきた。背丈の半分もある汚れた髪を振り乱したヒト型NPCだった。体形的に女だ。恐ろしい勢いで、ハンヴィーへ全力疾走してくるあのNPCが人間だった頃は女性だったのだろう。
「――何だ、まだやる気かよ、今度こそ上等だ、コノヤロー!」
息巻いた内山さんが銃座にあったミニガンへ手をかけた。
苦笑いで諦めた俺は車内へ戻ろうとしたが、
「――ん?」
リサが胸元から「にゅっ」と顔を覗かせた。
リサは俺が持っているライフル銃へ手をかけている――。
「――そうか、じゃ、あいつの処理はリサに任せたぞ」
車内へ降りた俺はリサの足を持ち上げてやった。俺がこうしないと身長が足りないリサは銃座から身体が出ない。上から空薬莢がひとつ落ちてきた。俺がさっき撃った弾の空薬莢だ。
「おいおい、リサちゃんがライフル銃を撃つのかあ。黒神の使ってるライフル銃の弾はラプア・マグナムなんだろ、コノヤロー。子供が制御できるような弾じゃ――」
内山さんが呻いた。
その最中、小さな発砲音が鳴った。
「――おおっ、やるじゃねェか、リサちゃん、コンノヤロー!」
内山さんが感嘆の声を上げた。内山さんは子供に――リサに甘い態度を見せる。若く見えても内山さんだって孫がいてもおかしくない年齢だ。その内山さんが作った家族は汚染後の混乱で死に絶えたらしい。今の日本で生きているのはそのほとんどが、汚染前の日常ならあって当たり前だった繋がりを絶たれて、それを断絶したままにしてある人間だ。
NPC狩人はそんな連中が特別多い――。
「――リサ、他に敵はいるか?」
俺は訊いた。
銃座のリサが下向けた顔を左右に振って応えた。
頷いた俺はリサの両足を床へ下ろした。
リサがライフル銃を俺へ返した。
俺に銃口は向けない。
座席へ戻ったリサの顔に特別な感情もなかった。
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