第11話 ミュータント・NPC(イ)
俺は歩きながらイアフォンを片耳に突っ込んで、携帯ラジオのスイッチを入れた。横からリサが携帯ラジオに手を伸ばしてくる。俺はリサの手をぺっと払った。リサが強く眉を寄せて俺を睨んだ。構わずに周波数を合わせた局は、民間放送の『レディオ静岡・ハンター・アイ』だ。
日本再生機構の管理下にある公共放送は信用ならない。
日本皇国軍の勇ましい喧伝放送はもっと信用ならない。
この時間帯の番組を月曜日から金曜日まで担当しているDJトキコが静岡居住区全体のNPC被害状況を、いつものアニメ声で伝えていた。
聞いている限り、やはり状況は良くなかった。
北東部の障壁に常駐していた障壁警備員とは音信不通。
障壁を突破したNPCの群れは東静岡駅付近にまで到達。
駅周辺では組合員と皇国軍がNPCの群れと交戦中。
詳しい戦況は不明。
俺が潜り込む予定の静岡駅周辺ではNPC発見報告はなし。しかし、駿府城跡基地に駐留していた日本皇国軍の一部が静岡駅前周辺を警備する為に部隊を派遣中だとのこと。
俺にとっては面倒だ。
おそらく皇国軍は奴らのお仲間――複合企業体と再生機構の関係者を優先的に脱出させる目的で駅周辺に展開をしている。組合員の身分証しかない俺は皇国軍が静岡駅で作った非常時の検問を突破できるかどうか怪しい。要人だけを優先的に脱出させたあと皇国軍はNPCと戦わずに東か西へ撤退して、東海地方にある他の基地の部隊と合流するに違いない。その後、静岡居住区は本格的に壊滅するだろう。今はNPCの巣になっている富士宮居住区でも皇国軍は同じ行動をした。皇国軍はNPC相手の戦闘を極力やりたがらない。感染者が本格的にNPC化する前――人間と化物の境界線上にあると曖昧な記憶と経験を頼りに突発的な攻撃行動をする。胞子汚染後の日本で東京湾に展開していた米海軍の原子力空母から数個の戦術核がまき散らされたのも、この未発症者の習性が原因だった。兵隊に感染者が出ると、あっという間に軍隊組織は崩壊してしまうのだ。
しつこく手を出してくるリサの胸元へ携帯ラジオを押しやって、
「急ぐぞ」
俺は言ったもののだ。表で立ち話を続けたり家財道具を運び出したり路上へ防衛用の土嚢を積み上げる区民の活動でどこを歩いても混雑している。路地いっぱいに陣取って点呼を行っている各町内会の自警団も多い。中学生くらいの子供までもが自動小銃を手にしていた。警報が響き渡る夜空に向かって手を合わせて念仏をがなりたてる婆さんもいる。
普段、お宿から南東十五分も歩けば静岡駅まで辿り着くのだが、南へ向かう路地は思うように先へ進めなかった。考え直した俺は道を右往左往する誰かしらと肩をぶつけながら、ときには罵り合いながら、リサをの手を引いて静岡駅とは逆の方向へ足を向けた。行先は再生機構の役所に面する四車線の大通りだ。
再生機構の役所の北には金持ちの区民が暮らす高級団地がある。他の居住区に移動しても暮らせる裕福な連中は静岡居住区に見切りをつけて静岡駅まで避難を開始する筈だ。役立たずの日本皇国軍も奴らと関わり合いが深い金持ち――パトロンだけは護衛せざるを得ない。おそらく皇国軍は駅前まで続く大通りに陸戦部隊を展開して避難民を誘導しようとするだろう。
その流れに俺たちも便乗させてもらう。
§
「区民のみなさん、避難は徒歩でお願いします。車道を走行中の自動車は大至急、道の脇へ寄せて停車をしてください。速やかな避難のために、日本皇国軍の作戦行動へ協力をしてください――」
拡声器を通して聞こえてくる声は苛立っていた。
俺とリサが路地を北へ抜け再生機構役所前大通りに近づくと、自動車の警笛が鳴り響いている。車道は渋滞していた。
俺としては混乱大歓迎だ。
役所の脇道から向こうから皇国軍の陸戦部隊が来ているのも見えた。米軍から供給されているストライカー装甲車やFMTVではない。一番手前に見えるのは、九六式装輪装甲車と一〇式戦車の部隊だ。今の日本にほとんど残っていない国産の兵器になる。特に一〇式戦車は日本国家存続の象徴として皇国軍は大事に扱っているらしいのだが、俺としてはそんなことどうでもいい。
何にしろ、皇国軍は虎の子の戦車部隊を役所方面の避難誘導に回したらしい――。
俺が怪訝に思いながら足を踏み出すと、
「――!」
リサが俺の腰にしがみついて足を止めた。
「――どうした?」
振り返った俺が訊いたところで、大路の北西から「タカタカタカタ――」と、銃声が聞こえた。銃声は西からだった。
NPC群れが突破したのは居住区北東の障壁だった筈だが――。
渋滞で立ち往生をしていた輸送車両から皇国兵が下りてきた。耐胞子マスクに防護服姿で自動小銃を持った鈍重な兵隊さんたちだ。
リサは真剣な表情で俺をじっと見上げていた。
こいつはあの小さな銃声が俺より先に聞こえたのか?
俺は怪訝に思ってリサの顔を見つめた。
リサはすべてが真剣だった。
俺とリサは路地で佇んだままだ。支流から本流に合流する川の流れのような形になる。大通りへは路地から避難民が次々追加されていった。
リサと俺はまだ支流にいる。
自動車の警笛と怒号と銃声、避難民の速やかな誘導を促す拡声器の声、そのすべての音が大きくなった。大通りに視線を戻すと、車道はもちろん駅を向かう歩道のひとの流れも停滞していた。西からの銃声は近くなっている。
この様子だと、どうやらNPCの群れは静岡駅に近い北西の障壁も突破したようだ。撤退をしながらNPCに応戦している障壁警備員の銃声が西から聞こえているらしい。なるほど、このまま大通りで立ち往生している避難民の列に紛れると本格的な戦闘が始まったとき、俺たちの逃げ場がなくなってしまう。いよいよとなった皇国軍は避難民に構わずに、戦車砲――フレシェット弾やグレネード弾を広く撒き散らすだろう。
リサは運のいい奴だ。
リサはカンもいい奴だ。
少し考えたあと、俺は背嚢を下ろした。
リサは小さく頷いた。
俺は背嚢のなかから耐胞子スポーツタマスクを取り出して口と鼻を覆って、
「リサ」
俺の手には赤いハンカチーフがある。
「?」
身を屈めたリサへ、
「これで鼻と口を覆え。胞子対策だ。気休めだがな」
俺は赤いハンカチーフを渡した。頷いたリサは顔の下半分をハンカチーフで覆った。軍用ジャケットにカーゴ・パンツ、頭にアーミー・ワーク・キャップを乗せたリサはこれでストリート・ギャングのような恰好になった。
「リサの言う通りだ。大通りはどうも駄目みたいだな――」
背嚢を背負った俺は路地の角から大通りの西へ視線を送った。
次の瞬間、俺のなかにある感情の動きがすべて止まった。
「!」
リサが眉間を極端に厳しくした。大通りの西の遠いところで自動車が宙を舞っていた。舞い上がった自動車は着地した場所で火の手を上げる。次々と爆発が起こった。大通りを埋めた避難民から悲鳴が上がる。逆に鳴り響いていた自動車の警笛はどんどん消えていった。車内で粘っていたひとが表へ飛び出しきたのだ。爆炎と黒煙のなかを小山のような影が動いている。それは四本足で移動する巨大な獣だ。
菌糸で増強された筋肉で膨れ上がって、目算で体高は六メートル以上ある――。
「動物のNPC。猪型か。どうも奴らは本当に樹海から移動してきたらしい。しかし、いつ見ても馬鹿でかいな――」
俺は呻いた。
寄ってきたリサが俺の背へ――背にあったライフル銃へ手を伸ばした。
「おい、リサは何をするつもりだ?」
俺はリサの手をとっさに掴んだ。
何も言わずに行動をするからこいつはかなり危ない。
「――!」
リサはギッと歯噛みした。
「――冗談だろ。リサはあれと戦うつもりか?」
呆れて言った俺へ、
「!」
リサは力強く頷いて見せた。
「本当に好戦的だな、お前って――」
俺は声を出さずに笑って、
「お山の狸を相手にしているのとはわけが違う。奴らは装甲車だって簡単にひっくり返すんだ。銃弾が通るのだけは救いだが――どこかにあの動物型NPCを操ってる奴――
俺はリサの手を引いて元来た道を引き返した。
「!?」
怪訝な顔のリサが後ろへ体重を残しているので俺は歩きづらい。
「いいから、俺について来い」
俺は唸った。
まあ、リサの場合はいつも黙っているのだが――。
ともあれ、俺の手を振り払ってリサも歩きだした。俺とリサが路地の角から離れた直後、大通りから脇道へいっぺんに雪崩込んでき避難民が将棋倒しになった。振り返るとその下敷きになった手が――子供の手が俺の視界の片隅に映った。
悲鳴、怒号、悲鳴――。
俺は歩く足を速めた。
後ろへ視線を送っていたリサも早歩きになった。
§
俺とリサは静岡駅の北数百メートル付近――江川町の交差点まで辿り着いた。路地の南へ視線を送ると積まれた背嚢向こう側に区民の銃口が並んでいる。
俺は両手を上げて近づこうとしたが、
「――駄目だ。駅へ避難をする奴らは、大通りへ回れ!」
背嚢の向こう側にいた防災ヘルメットの中年男が怒鳴り声と一緒に自動小銃の銃口を俺へ向けた。その周辺にいる奴らも全員こちらへ銃口を向けている。揃って舌打ちをした俺とリサは東の大通りへ足を向けた。
案の定、大通りは避難民で埋まっていた。北で広がった爆炎の向こう側に、巨大な猪の影がいくつも出現している。車の上を器用に走っていた避難民が突進してきた猪に自動車ごと弾き飛ばされて宙を舞った。猪型のNPCは手当たり次第に突進を繰り返して地へ落ちたひとを咥え振り回すようにして噛み砕く。ぶちゅんぶちゅんと猪の牙の間に挟まった人間が潰れていった。粘土で作った人形のようなあっけない壊れ方だ。千切れた腕や足が猪の口元からポロポロ落ちる。脇道から銃声が鳴っていた。猪型NPCは小口径弾を脇腹に食らい続けているようだが、さほどの効果があるように見えない。奴らの胴体部分を狙って動きを止めるにはおそらく戦車砲が必要だろう――。
現実感が限りなく薄い光景だ。
立ち止まった俺とリサは、怒号と悲鳴で埋まる大通りの交差点をしばらく眺めていた。居住区の深くにまでNPCの群れが侵入している。だが、戦車砲の音はひとつもない。やはり日本皇国軍はNPCと交戦をせずに撤退を決断したらしい。北西から障壁を突き破って押し寄せたNPCの防波堤はなくなった。交差点を埋め尽くす避難民は恐慌している。ここから南へ数百メートル行けば、俺の目指している静岡駅に辿り着く。しかし、どうにも、避難民の列が南へ動いてる気配はない――。
俺は無秩序な移動を続ける人波に揉みくちゃにされながら視線を巡らせた。
交差点の一角だ。ビルディングの一階に『木村火砲店』の看板がある。表の頑丈な防犯シャッターは閉まっていた。シャッターの間からなかの明かりが漏れている。
「――こっちだ、来い」
俺はリサの手を引いた。
一瞬、怪訝な顔になったが、リサは大人しくついてきた。
人混みを押し退けて交差点を渡ったリサと俺は、ビルとビルの間にあった小さな駐車場を抜けて路地へ回り込んだ。木村火砲店の裏手の路地だ。ここでも何人かのひとが駅への逃げ道を探して右往左往していた。それでも交差点に比べればひとはずっと少ない。
俺は木村火砲店の裏口のドアに手をかけた。鍵はかかっていない。なかに入って狭い廊下を少し歩くと半開きのドアから光が漏れている。俺はその隙間から様子を伺った。段ボール箱がそこらじゅうに積み上げられた雑然とした事務所だ。その奥の机に奴が座っていた。
木村火砲店の店主の木村勇だ。
無線のレシーバー握りしめた木村は、机の上の黒い無線機と睨めっこをしていた。
「――リサ、他にひとはいるか?」
俺は小声で訊いた。
耳を澄ませていた様子のリサは首を左右に振った。
「――そうか、リサは部屋の外で待ってろよ」
頷いた俺は小声で言った。
リサは一瞬の間を置いて頷いた。
俺は事務所のドアを開いた後でコンコンとそれをノックをして木村に来客を知らせた。
親切だろ?
俺は声を出さずに笑っている。
「――
木村が椅子から振り返ったところで咥えていた煙草が床へ落ちた。火はついていなかった。木村は頬や額にあばたを残した四十絡みのブサイクな中年男だ。不自然に細い目がすごい角度で吊り上がっていた。
これは誰が見ても楽しくなるような面構えではないと思ったが、
「やあ、こんばんわ、木村さん」
俺はこいつの弟同様にブサイクな男の顔へ微笑んで挨拶をしてやった。
「あんたは――黒神さんだな。どこから入ってきた?」
木村は訝し気な顔になった。
「うん、そうそう、俺はその黒神だよ。覚えていてくれたね。この前、俺が木村さんの店で注文した、M24のリア・サイトとバレルなんだけど――」
俺は笑顔で頷きながら歩み寄った。
「――は?」
唸った木村の気配が変わった。木村は上も下もダボダボとした紺色のジャージ姿だ。首元には趣味の悪いネックレスをジャラジャラつけている。足元は素足に革のサンダルだ。腰にホルスターも拳銃もない。だが卓上にある無線機の脇に銃身を短く切り詰めたショットガン――ソードオフ・ショットガンが置いてあった。二発分の散弾を元込めする中折れ式の散弾銃だ。
「――ああ、木村さん、もう忘れたの? 俺は注文した品を受け取りにきたんだよ」
俺はにこやかに、穏やかな声を使って、卑屈な態度で言った。
「あんた、寝惚けているのか。NPCが区の障壁を完全に突破したんだぞ。この非常時に何を言っていやがる――」
木村は眼光を鋭くした。
「いやいや、非常時だから寄ったんだ。頼んだモノがないなら渡した前金を俺に返してくれないかなあ――」
俺のは頭に手を置いてできる限りの困り顔を作った。
視線を下に向けて背も丸めた。
「――ああ、またあとでな。今日はこの通り無理だ。店も閉めちまったしな――畜生、徹、応答しろ。早くトラックを店へ回さないと――このままだとウチの商品は全部オジャンだぞ――」
いい加減な言葉で俺をあしらった木村はまた無線機をいじりだした。
「おい、木村さん、木村さんってば――」
俺は呼びかけた
俺は役者じゃないから、声が硬くなった。
だが、まだ笑顔のままだった筈だ。
「うるせえな。失せろこのクソガキ。ここでぶっ殺され――」
木村が無線機の脇にあったソードオフ・ショットガンへ手を伸ばした。その手はその途中で止まった。俺のリボルバーの銃口は木村のこめかみに密着している。奴の手が銃へかかる前にだ。
こいつをホルスターから抜くのが、お前に見えたか。
見えなかっただろ。
これが俺の特技だ――。
「――あっ」
動作を止めた木村が横目で俺を見やった。
木村は驚きが過ぎて間抜けた顔になっていた。
俺は撃鉄を起こした。
キリッと小さな音が鳴ってシリンダーが回転する。
「ま、どんな返事をしようとな。お前にはここで死んでもらう予定だったんだ。あばよ」
俺はトリガーを引いた。三五七マグナム弾が木村の頭蓋骨を食い破って、その向こう側から飛び出した。机の上で横倒しになった木村は脳みそが足りなくなった頭を無線機の角へ派手にぶつけた。そうなったところでこいつはもう痛くも痒くもないだろう。これだけは少し残念だったかも知れない。
タイミングよく、
『――勇兄貴、勇兄貴! 俺だ、徹だよ、徹だ。トラックの手配ができたから、今すぐ店へ向かうぜ!』
と、無線機からの応答があった。
もちろん、俺にただ今ぶっ殺された木村は応答することができない。
無線機に振りまかれた血と脳漿を眺めながら、
「へえ、木村。お前の頭の中にはクソでも詰まっているのかなあと心配していたんがな。どうやらこれは脳みそらしい色じゃないか?」
俺は耐え切れなくなって笑いだした。
俺が面と向かって侮辱するのは死人だけだ。
死人が相手ならどんな悪態をついても絶対に反撃をしてくることはない。
笑いが止まらない――。
声に出して笑い続けていると、
「!」
背後でひとの気配がした。
銃口と一緒に振り向くと事務所に入ってきたリサが肩を竦めている。
顔が青ざめていた。
「リサ、そんな顔をするな。このオッサンは殺されて当然の屑だ。それにこの騒ぎなら、誰が殺したかなんてのはわからないしさ――」
俺はリボルバーをホルスターに納めて、リサの肩をポンと叩いた。
リサは木村の死体をまだ見つめている。
「木村が店にいなければ殺さなくて済んだ。だから、
俺は事務所を出て店のほうへ足を向けた。
振り返ると視線を落としたリサがあとをついてくる。
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