第10話 警報

 買い物袋を下げた主婦が子供の手を引いてバス停に並んでいた。顔を上げた子供が必死に母親へ何かを語りかけているが、母親は主婦仲間の何人かとのお喋りに夢中のようだった。

 俺は遠巻きにその光景を眺めていた。

 静岡駅の南には汚染前の日常がある。近くにそこそこ裕福な区民が住む新興団地があるのだ。風力発電所が海上に並ぶ駿河湾沿いには小さな工場だの漁港だのがあって、静岡駅前とはまた違う活気に満ちているらしい。ぐるりと半円形に静岡居住区を囲む障壁が区内の心臓部をNPCから防衛している形になる。

 駅の南まで歩いたリサと俺は洋品店が多く並ぶ綺麗な大通りに入った。歩道まで整備された二車線の道は自動車も滞りなく行き交っている。行き交うひとも落ち着いた表情と綺麗な身なりの者が多い。移動にバスや自動車を使える連中はたいていが稼ぎのいい仕事を持っている上級区民だ。

 目を丸くしてキョロキョロしていたリサへ、

「ここらでお前が好きな服を一着だけ選べ。一着だけだぞ?」

 俺は言った。今、俺が着ているのはアンダーシャツの上にNPC狩人組合から組合員割引で買った暗い色のジャケットと黒いカーゴ・パンツだ。足元は頑丈な黒いブーツ。それに組合のワーク・キャップを頭にかぶっている。たいてい俺はこの恰好で通している。実用に耐え清潔ならそれで十分、服装に関してはこの程度のこだわりしかない俺に女の服は選べない。リサの好きにさせるほうが早いだろう。

 すぐ近くにあった洋品店のショウ・ウィンドウへ歩み寄ったリサはマネキンが着ている秋物のワンピースを眺めだした。

 茶色いニット生地のもので値段は――かなり高い。

 馬鹿高い。

 横についた俺はしかめ面を作ってリサを見やった。

 リサは茶色いワンピースをじっと見つめていた。

 着飾っていたほうが奴隷市場で高く見積もられるだろう。

 餞別代わりもある。

 まあ、多少高くても買ってやるか――。

 そう考えながら、

「リサはこのワンピースでいいのか?」

 俺がその店へ入ろうとすると、リサは逆の方向へ歩きだした。俺は首を捻ったが黙ってリサのあとについていった。ウロウロと視線を惑わせていたリサが入っていったのは丈夫な作業着を主に売っている大きな店舗だ。表から店内を覗くとガテン系の親父さんと威勢の良さそうなアンちゃん二人組がニッカポッカを吟味している。

 逞しい肉体を寄せ合った彼らは妙に仲睦まじいが――。

「――ここでいいのか?」

 俺は入店するリサの背に訊いた。リサは振り返りもしない。首を捻ったまま俺も入店した。その店でリサが選んだのは俺と似たような服装だった。白と朱色で色違いのタンクトップ二枚。ポケットが多くついた頑丈な軍用ジャケット。それにカーゴ・パンツだ。リサが選んだジャケットもカーゴ・パンツも色が地味なものだった。まだ背が伸びきらないリサに合うサイズがなかったらしい。袖が余ったジャケットは少しぶかぶかしている。

 着替え室からその恰好で出てきたリサへ、

「リサは本当にそれがいいのか?」

 俺は訊いた。返事もせずに俺の脇を抜けたリサは帽子が並んでいたコーナーへ歩み寄って、アーミー・ワーク・キャップを頭に乗せた。その帽子も洋服と同系統の地味な色だった。

「お連れさん、女の子のなのに随分と渋い趣味だよね?」

 リサの相手をしていた若い男の店員は不思議そうにしている。

 俺だって首を捻りっぱなしだ。

 その俺のジャケットの裾をリサが引っ張りながら頷いた。

 買い物は本当にこれで終わりらしい。

 リサと一緒にレジへ向かった俺は首を捻ったまま渋面になった。

 会計は四万六千二百円だった。

「おいおい、もう少し値段は負からないのか?」

 無理を承知で交渉してみたものの、

「うちの商品は全部仕事着だから――ま、長持ちは保証するよ」

 苦笑いの店員は一歩たりとも譲らなかった。

 今の日本は物不足なのだ――。

 渋々、俺は言われた金額を支払った。

 帰ろうとすると、また俺のジャケットの裾をリサがぐいぐい引っ張る。

 まだどこか行くところがあるらしい。

「何だよ、もう――」

 俺がボヤきながらついていくと、リサは同じ通りにあった、女性用下着を主に売っている店へ入った。躊躇した俺は入り口で立ち止まった。振り返ったリサが俺をじっと睨んだ。

 確かに下着も必要だろうが――。

 諦めた俺は暖色が目立つ店へ足を踏み入れた。店内のどこへ視線を送っても女性用の下着がある。店員は全員、若い女性だった。客も何人かいたがすべて女性だった。この空間にいる男は俺ひとりだ。

 気まずい。

 気まずい俺を気にする様子もなく、店内をあちこち物色したリサは何セット分もの下着を抱え込んで戻ってきた。

 フリルが過剰についた下着だの、

 スケスケのイヤらしい下着だの、

 柄物のド派手な下着だの、

 他にも色々だ――。

 それらを抱えたリサが天井を眺めていた俺をじっと見上げた。

 今からお前は何と何回戦の勝負をするつもりだ。

 この大馬鹿たれめが――。

「――そんな派手で高そうな下着は駄目。絶対に買わないぞ」

 俺は冷たい口調で言ってやった。

 きいっとリサが俺を睨む。

「下着なんて、もうひと組もあれば、それで十分だろ――」

 俺がそう言っている最中、リサはローキックを繰り出した。腰に捻りを加えた本格的な下段回し蹴りだ。つい先日、前蹴りを向う脛にもらった俺もこれを警戒していた。俺は足を引き上げて、インパクトするポイントをずらし、リサの蹴りを華麗にガードしてやった。

 こいつの行動パターンはもうだいたい読める。

 顔を真っ赤にしたリサは、ぱたぱた地団太を踏んだ。

 悔しいらしい。

 俺が暴れるリサを呆れて見守っていると、

「――お客様、何かお困りですか?」

 ゆるふわした長い髪の女子店員が助けにきてくれた。

「こちらのほうがお客様には似合うわあ」

「こっちもいいかも知れませんね――?」

「あらやだ、これもすごく可愛いわ!」

 手馴れた感じの店員からチヤホヤ接客されると、リサの傾いたご機嫌が直っていった。結局、上下がセットでデザインされた女性用下着を二組、俺は買わされた。両方、全然機能的でない長いリボンだとか、派手なフリルがついた高級品だ。会計は一万八千円だった。値段が馬鹿のように高い。こんな馬鹿高い下着を買う女はみな馬鹿だ。

 馬鹿に決まってる――。

 レジ前でのろのろと財布を引っ張りだした俺を見て若い女性の店員は笑いを堪えていた。

 俺はひどい渋面だったのだろう。

 青ざめていたかも知れない。

 実際、俺としては何も面白くないのだ。

 包装紙に包まれた女ものの下着を受け取った俺の横でリサは瞳を細くしていた。

 笑顔ではない。

 これは「してやったり」の表情だ。


 §


 痛みの幻覚を呼ぶほどの、赤、赤、赤。

 帰り道はすべてが西に半分顔を隠した夕陽に塗り尽くされた。途中、リサは食べ物の屋台を見つけるたび、ふらふらと歩み寄った。唇が半分開いている。よだれはかろうじて漏れていない。そのたび、俺はリサの襟首を引っ掴んだ。シャッと振り返ったリサは俺をギリギリと睨んだ。これは何度やっても同じ態度が返ってきた。

「奴隷のお前はお宿のマズメシが食えるだけでも十分だ。身の程をわきまえろ!」

 俺はリサを半ば引きずって人宿のお宿こまつへ帰ってきた。

 丁度そこで、今日の陽が西へ完全に消えた。

 俺は再生機構の役所にも立ち寄って、リサの首輪と奴隷証明書を取ってくる予定だったのだが買い物に時間がかかってそれはできなかった。

 まあ、明日の午前中でいいかと俺は思った。

 お宿の軋む扉にかかった俺の手が止まった。

 リサは素直に奴隷市場へ俺と同行するのだろうか。

 俺は後ろへ視線を送った。

 リサはひどく不満気な顔つきでまだそこにいた。

 今はまだここにいる。

 だが彼女が選んだ服は明らかに――。

 ウォォォォォォォォオ、

 ウォォォォォォォォオ、

 ウォォォォォォォォオ――。

「――!」

 リサの表情が硬くなった。

 街頭に設置されたスピーカーから機械の叫び声が鳴り響く。

 耳障りな叫喚はすべての方角から聞こえた

 警報は方向感覚を失うほどまでに重奏している。

「――NPC強襲警報!」

 俺は怒鳴った

 リサが俺を見上げた。

 それ以上の動作はない。

 だが彼女の瞳が語っている。

 このときの俺はリサの言いたいことがすぐ理解できた。

「ああ、そうだ。これはNPCが居住区を囲う障壁に迫ったことを知らせる警報だ」

 彼女の瞳に映った俺の顔が頷いた。直後の行動は俺もリサも同じだった。路地を往復して駆け抜ける警報を追うように視線を巡らせる。狭い路地が近くのコインランドリーや喫茶店から出てきたひとで埋まっていった。性別も年齢もみな違う。だが、全員が無言で警報に聞き入っている。

「――静岡居住区全体への警報。終わる気配がない。急げ、リサ」

 俺は声をかけながらお宿の扉を開けた。

「?」

 怪訝な顔になったがリサはあとをついてきた。

「お前の服のチョイスは正解だった。やっぱりお前は運がいい。いや――」

 俺は玄関を潜ったところで足を止めて、

「――カンがいいのか?」

 と、背後のリサを見やった。

 リサは俺に視線を返してきただけで他の反応をしない。

 表で響いている警報は、お宿の屋内にも深く侵入していた。半分くらいの客室が埋まっていたのだろうか。宿の受付で男の集団と俺はすれ違った。全員がめいめい銃で武装をしたNPC狩人だ。どこかの狩人団がこのお宿を定宿にしていたのかも知れない。横にも縦にもできるだけ繋がりを作らないようにこれまで生きてきたこの俺だ。それ以上のことはわからない

「小松の親父さん、静岡居住区はどういう状況なんだ?」

 俺は受付でテレビを眺めていた小松に声をかけた。

「――ああ、黒神さんか。どうも、北東の障壁がNPCの群れに突破されたらしい。外へ出ていたリポーターがそう口走った途端、画面はスタジオに切り替わっちまったが――」

 小松はテレビを見つめたまま応えた。

 招き猫だの将棋の駒だのと雑多なものに囲まれた小さなテレビ画面だ。

『静岡居住区のみなさんはNPCに警戒してください。戸締りを確認し、再生機構の指示があるまでは絶対に外出しないようにしてください。静岡居住区で外出中の区民のみなさんは大至急、最寄りの避難場所へ――』

 防災ヘルメットをかぶったニュース・キャスターが同じ内容の警告を延々繰り返していた。太い眉毛が印象的な若いニュース・キャスターの表情は強張っている。NRHKの本部がある名古屋のスタジオから、この放送は送信されている筈だ。名古屋居住区に危険が差し迫っているわけではない。

 それでも彼は戦慄している――。

「――北東の障壁だって? もしかして樹海に近い――富士宮方面から静岡居住区へNPCが押し寄せたの?」

 俺が訊くと、

「この様子だと最悪、そうなっちゃうよなあ――」

 小松はテレビを見つめたまま唸った。

「小松の親父さんは、これからどうする?」

 そう訊いたあと、俺は視線を落とした。

 どうも馬鹿なことを訊いてしまったよな――。

「どうするってね、黒神さん。もちろんこうするのさ――」

 くっくっ、と笑った小松が机の下から厳つい散弾銃を引っ張り出した。RDIストライカー12。スリムな銃身にシリンダー型の弾倉をつけた巨大なリボルバーのような形状のユニークな散弾銃だ。

「私らは他の区の住民票を買う金まではない庶民だから、静岡居住区ここから逃げても、どうしようもないよ――」

 廊下から女のぶっとい声がした。俺が視線を送ると小松の奥さん―宿の女将さんが向こうから大股で歩いてくる。小柄な小松と違って、女将さんは筋肉で固太りした、男顔負けの大女だ。その女将さんはエプロン姿に防災ヘルメットをかぶってM240機関銃を軽々と肩に担いでいた。

「そうか――」

 俺の視線が床へ落ちた。薄汚れた赤い絨毯が敷かれた人宿のお宿こまつの廊下だ。静岡居住区に流れてきた俺は、このお宿を半年近く使っている――。

「――ああ、黒神さんねえ。私と嫁さんは今から町内会へ行って防衛戦の段取りをつけなきゃいけない。私は一応、人宿町内会の会長だしねえ。急かして悪いけど早く荷物をまとめてよ。この宿、完全に閉めちゃうからさ」

 小松が禿散らかした頭を防災ヘルメットで隠して廊下に出てきた。

「ああ、そうだ。親父、女将さん、家賃だ。今月分の清算を済ませてから――」

 俺が言うと、

「黒神さんは馬鹿なことを言うねえ!」

 それを女将さんが笑い飛ばした。

 遅れて小松もくしゃっと破顔した。

 それはもう自分たちに必要がないのだ。

 そういうことなのだろう。

 小松夫婦には昔、東京で暮らす息子が二人いたらしい。東京の大学を卒業してそのまま東京の会社へ就職した息子たちだ。その息子は二人とも家庭を持っていて孫までいたと俺は小松夫婦から聞いたことがる。受付の小部屋にあるテレビの脇に並んだ写真立てに小松夫婦の息子と、その嫁、それに孫の写真が何枚も飾ってあった。孫の写真は特別多い。ゾンビ・ファンガスの汚染が始まった直後、東京で働いていた小松夫婦の息子二人は嫁と孫ともども消息を絶った。

 小松夫婦はこの日を覚悟していたように見えた。

 それどころか、この日を待ち侘びていたように見えた。

 無様に怯えてくれたほうが良かった。

 それなら、俺は臆病者をせせら笑いながら気分良くここから立ち去れた――。

「――それで、黒神さんとリサちゃんは、これからどうすんだい?」

 女将さんが訊くと、リサが俺を見上げた。

「――あっ、ああ――俺はこいつを――リサをつれてどうにか静岡駅へ潜り込むつもりだよ。武装ディーゼル機関車に乗り込んで、そうだな――藤枝居住区あたりまで、逃げるか――」

 俺の声は最後のほうで小さくなった。

 リサが眉を強く寄せている。

「――そうかあ、黒神さんたちは逃げるか」

 小松が険しい顔で頷いた。

「黒神さんはあくまで流れ者の一匹狼だったね。それで正解だよ」

 女将さんは少し笑った。日本NPC狩人組合の組合員はNPCと対峙することで、区民同様の権利を日本再生機構から保障されている。その代償にすべての組合員には、NPCが区外から押し寄せきた場合の徹底抗戦を義務付けられている。だが、組合からの依頼を単独で請け負う俺のような流れのNPC狩人は少しだけ事情が違った。もちろん、俺はNPC狩人組合の組合員だから居住区と区民を死守する義務がある。だが、組織に――狩人団に所属をしていない俺は組合から課せられた義務の放棄が容易たやすい。常に単独で行動している俺を監視する目はない。

 女将さんの言った通りだ。

 俺は誰からも同情されない、誰も同情しない流れ者を選んで生きてきた。

 俺ひとりが生き残ればいい。

 ただ、それだけの理由で――。

「――黒神さん、達者でな」

 小松が笑顔で言った。

「リサちゃんもね、元気でやるんだよ」

 女将さんは笑いながら少し目を揺るがせていた。

 リサがその女将さんを痛みのある顔で見つめていた。

 どうもリサと女将さんは俺の知らないうちに少し仲良くなっていたようだった。

「――ああ」

 生返事をした俺は二階の貸し部屋へ足を向けた。

 俺は歩きながらまだお宿の汚い床を見つめていた。

 お宿の階段を上がり切ったところで、走ってきたリサが俺を追い越した。

 そのまま走ったリサは貸し部屋のドアに背をつけた。

「リサ、何をしている?」

 俺は言った。

 ドアの前のリサは、俺をはっきりと睨んでいた。

 眼光が強い。

 わからなくても良かったのだが。

 俺はまたリサが何を言いたいのかを理解できた――。

「――俺だけが逃げるのは卑怯か?」

 俺は訊いた。

 リサは強く頷いた。

「いいか、良く聞けよ、リサ」

 俺は言ったが、リサは頷かない。

 構わずに言った。

「区外の集落で生きてきたお前が知らないのは無理もない。NPCの群れに障壁を越えられたらもう手の打ちようがないんだ。この居住区は――静岡居住区は終わりだ。これまでもこんな形で居住区がNPCの群れに呑まれていった。俺が半年前にいた富士宮居住区もそうだった。NPCを駆除しても死体から奴らの胞子が広く散らばるんだ。大気に舞う胞子の吸引することだけが寄生される経路じゃない。ゾンビ・ファンガス胞子は食い物や飲料も媒介する。他にも――」

 説得しようとする俺を、

「?」

 リサはすごく怪訝な顔で見つめていた。

 この説明じゃ駄目かな――。

「――とにかく、NPCを運良く撃退できたあとが問題なんだ。生き残った奴らは、ゾンビ・ファンガス胞子に感染した人間の駆除をしようとする。ゾンビ・ファンガスは人体への潜伏期間が長い。感染者が本格的にNPC化するまでは思考も容姿もほとんど人間と変わらない。誰だって人間でいる間は死にたくないだろ。感染者は自分を駆除しようとする非感染者に抵抗を始める。そうしてどうなるか、リサにも想像はできるだろ?」

 俺は言った。

 リサは表情を変えずに俺を見上げている。

 俺は溜息を吐いて、

「リサはまだわからないのか――押し寄せてきたNPCを仮に撃退できたとしてもだ。そのあと胞子に感染しなかった人間と胞子に感染した人間が殺し合いを始める。居住区の人口を考えてみろ。収拾がつくと思えるか?」

「!」

 リサの表情が強張った。

「――あれは魔女狩りみたいなものだった。もっとも、殺されたのは男女構わずだよ」

 俺が言うとリサは瞳を伏せた。

「生き延びたければ逃げるしかないんだ。わかったら、そこを退いてくれ」

 俺はリサの肩を抱くように貸し部屋に入った。最低限の野営道具と着替え、金庫から取り出した保険証やら組合員証明書を背嚢へ突っ込む。その途中でリサが買ってきた下着やら部屋の小さな冷蔵庫にあった缶詰の飲料を大量に持ってきて、横から俺の背嚢へ突っ込んだ。

 俺は許可を出していない。

 確かに飲料も必要だけどな。

 余計な荷物で重くなった背嚢を、お前に背負わせてやろうか?

 俺はリサの顔をじっと見つめた。

 表情を変えずにリサが視線を返してくる。

 すぐ諦めた俺はマガジン・ベルトを腰に巻いて背嚢と一緒にライフル銃を背負った。無駄な荷物を増やさないよう暮らしてきたつもりだ。しかし、貸し部屋で荷造りをしてみると捨てざるを得ないモノが多かった。

 仕事をすればまた買える。

 俺は自分に言い聞かせて貸し部屋を出た。

 何も言わなくても、リサがついてきた。

 階下に降りると、女将さんが残っていた。

 俺たちの他にいた宿泊客は全員がお宿から出ていったらしい。

 お宿の玄関から表へ出たところで、

「黒神さん、リサちゃん、元気でやるんだよ」

 もう一度、別れの挨拶を口にした女将さんが扉を閉めた。

 閉まった扉の内側から施錠をする音が聞こえた。

 蝶番は錆びついているが、二十四時間、その扉はいつでも開いている。

 それが人宿のお宿こまつの売りだった。

 警報は居住区全体で鳴っていた。

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