第31話 手紙の行方(3)

《マサキ:おはよう。昨日、桜の木を、見たけど、もうすぐ花が咲きそうだったよ》


《ゆうすけ:おはよう。そうだね、咲くのがとても楽しみだよ》


 翌日の朝、正樹はいつも通りのメッセージを、裕介に宛てて送った。

 最期に書いた手紙についても訊こうとしたが、正樹の中で決めた順序は、まず春美と直接話して気持ちを伝えることだと思い直して、メッセージを打つ指を止めた。


 気持ちを切り替えて、春美本人へメッセージを送ると、『何をしているんですか?』と送った文に対して、『部屋で本を読んでいるよ』と返信が来たので、正樹は身支度をを済ませて、春美の家に向かうことにした。


 春美の家に向かう道を歩きながら、正樹は伝えたいことが支離滅裂にならぬように、自分の気持ちを整理していた。


 春美のことを愛する気持ちは、これから先に何があろうとも揺らぐことはないが、それを直球に伝えても、受け入れられないのは目に見えている。

 それは、自分で改善できる理由などではなく、きっと春美は、これから病気が進行して行く自分とは、深い関わりを持たせたくないと言うのが予想できていた。


 正樹は、それでも春美の傍にいたいと思う強い気持ちはあるので、性格や相性などの人間性を理由に断られるなら諦めもつくが、病気を理由にして退けられるのは不本意だった。


 裕介の手紙についても、春美の性格から考えられることもあった。

 きっと手紙を読めば、裕介が自殺したことに対して責任を感じるような内容が書いてあったから、春美は隠しているのではないかと、正樹は思う。


 それは優しさにも思えるが、裕介が正樹に宛てて書いた手紙のはずなのに、春美の自己判断で隠されているのは、その内容を受け止めるだけの度量がない人間と判断されているように思えた。


 春美の家に着いた正樹がインターホンを押すと、玄関からは幸恵が出てきて、家の中へ招かれた。

 階段を上って、二階にある部屋の前に立つと、幸恵が扉をノックして、正樹が来たことを春美に伝える。


 正樹は、春美の呼び声に招かれて部屋の中に入ると、幸恵は「それじゃあ」と言いながら手を振って、自分の部屋に戻って行った。

 春美がベッドに腰掛けながら、読んでいた本を閉じて、にこりと笑った顔を見せると、正樹もつられて笑みをこぼした。


「先輩、そう言えば退院してから会うの、初めてですよね。おめでとうございます」

 正樹は手に持っている箱詰めのケーキを見せて、春美に渡す。


「ありがとう。でも、あんまり餌ばっかり与えると、猫と一緒で癖になるよ」


「なら大歓迎ですよ。猫はほっぽらかしておいても、ちゃんと飼い主の所へ戻ってくるから安心です」


 春美は、正樹の言う冗談を、クスクスと笑いながら聞いている。

 正樹にとっては、今のような時間が永遠に続けば良いと思えるが、実際にそれでは上面だけの幸せであり、春美には胸に抱えている苦しみや隠し事があると思えば、この偽られた時間を、早く本物に変えたいと思う。


 腰掛けたまま話しを続ける春美に対して、立ったまま見下ろすように話すのは、威圧感を与えてしまうように思えた正樹は、フローリングの床に腰を下ろすと、胡座をかいて座った。

 そして、もう一度頭の中を整理しながら、春美に話すことの順序を並べると、深く息を吸って、言葉を準備をする。


「先輩……覚えていますか?中学の時に、裕介に返すつもりだった楽譜入れを、陽子が預かったこと……」


 正樹の質問に春美は、厳かな雰囲気を醸しながら、「えぇ、覚えているわよ」と言って頷いた。


「それ、陽子は結局渡せないまま、今でもずっと持っていて、楽譜と一緒に、僕宛の手紙が入っていたから、きっと裕介が書いたものだと思ったんですけど、封筒の中に入っていたのは、僕に関係ない手紙だったんです。それも多分、裕介じゃない人が書いたと思うんですけど……それって、春美先輩が書いたんですよね?」


 正樹が訊くと、春美はそれに頷きも見せず、「陽子ちゃん、渡せなかったんだ……」と呟きながら顔を俯けている。

 その様子を見て正樹は、春美が裕介の手紙を持っていることを確信したが、過度に詮索して追い詰めれば、春美を苦しめてしまうことを考えると、無理に問い詰めることはできなかった。


「でも、その事はいいですよ……先輩にだって、何か理由があるんでしょ。でも、僕のことを気にして苦しい思いをしているのなら、それはやめて下さい。僕は先輩に庇ってほしいんじゃなくて、こらからは僕が、春美先輩のことを守りたいんです……」


 春美は俯いていた顔を上げると、正樹の言葉について、声や素振りで驚いた様子は見せず、まるで静止画のように動きを止めていた。


「感がいいから気づいていると思いますけど、僕は春美先輩のことが好きです……それは、先輩としてとかではなく、一人の女性として、ずっと一緒にいたいと思う気持ちです」


 正樹が意を伝えた後、息を飲んで喉を鳴らしている間に、春美は優しく微笑みながら、静かにかぶりを振って気持ちを示した。


「昨日、私ね、病院から帰る途中で、帰り道が分からなくなったゃったの……」

「え……」


 春美の話すことは、正樹が心構えていたどの設定にも当てはまらず、選択肢にないケースが混乱を招く。


「その前の日は、自分の携帯番号が分からなくて、今朝は、今日が何月何日だか分からなかった……私ね、一見大丈夫そうに見えるけど、やっぱり病気は進んでいるの……これから、もっと酷くなって、もしかすると、家族のことも、皆んなのことも誰だか分からなくなる……それだけじゃなくてね、数年後には死んでしまうかもしれないの。だから、正樹君の気持ちは嬉しいけど、傍にいてほしいなんて言えない……」


 春美の瞳に溜まり始めた涙の塊が、瞼を閉じる度に切れて頬を伝うのが見えると、正樹は立ち上がって春美の傍に寄り添い、ここへ来るまでの間に考えていたような台詞など全て忘れて、感情のままに身体を抱き寄せた。


「たとえ僕を忘れたとしても、僕は春美先輩と一緒に過ごした時間を、絶対に忘れないです……春美先輩が忘れたくないことは、全部僕が覚えていますから……そして、今までの事も、これからの事も、いつも一緒に話しながら、新しい毎日を過ごせばいいんです……だから、恋人なんて思ってくれなくてもいいです。特別な存在にならなくてもいい。ただ僕が、あなたの『記憶』になりますから……」


 春美は正樹の胸に顔を埋めて、産声を上げるように泣いていた。

 春美の泣き声は、正樹の抱き寄せた胸の鼓動と重なり、身体の中で響き渡ると、心を強く締め付ける。

 春美の体から伝わる温もりが、声を上げる度に熱くなるのを掌に感じると、正樹は全てを取り込むようにして、腕に力を込めた。


 春美からは、想いを受け入れた言葉も無ければ、断りを示すような態度も見られなかった。

 けれど、春美が胸の内で悲鳴を上げているのを聞いた正樹の心は、守りたいと思う気持ちを一層に強くさせていた。

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