第30話 手紙の行方(2)

 手紙が差し替えられているのを濃厚な説として考えても、正樹には、手元にある手紙の一文だけでは、裕介が書いた手紙の内容まで読み取ることができなかった。


「後悔してほしくないから、頑張れって……一体、何を頑張れって言ってるのかな……」


 正樹は過去を振り返りながら、裕介が手紙に何を書いていたことに対して、春美がこの返事を書いたのかを想像するが、裕介の悩みや家庭環境に気付かなかった自分では、手紙に励ますことや、手を差し伸べる言葉を書くまでの過程すら思い浮かばない。


「でも、『後悔』とか『頑張って』なんて言葉が、私たちの中で当てはまるとすれば、やっぱり部活のことしかないんじゃない……だから、裕介がアンサンブルのメンバーから抜けようとしていたのを、春美先輩が止めていたとか……」


 陽子の考えについては、正樹も思い付いた点ではあるが、その理由であれば、春美が掛ける言葉としては、少し安易すぎると思う。


「でも春美先輩は、死のうとしていた裕介のことを、ずっと止めていたんだぞ。裕介は自分がアンサンブルのメンバーにいることも悩んでいたのに、それに対して頑張ってほしいなんて言うのかな……普通なら死なせたくないから、悩みを解消させるようなことを言わないか?頑張れなんて言うのは、悩みを抱えたままでいろって言っているのと同じ事だと思うけど……」


「じゃあ、それ以外に何を頑張れって言うの?」


 正樹は陽子の質問に対して、答えは思いついているが、その答えに辿り着くまでの公式みたいなものは浮かばない。

 それを考えていると、春美が手紙で伝えたかった事も、答え以外は必要なかったように感じられた。


「きっと『生きる』ことじゃないかな……」


「生きること?」

 陽子は正樹の言うことに、悩ましい顔を見せて疑問を投げ掛ける。


「何に後悔してほしくないのかは分からないよ。それはアンサンブルの事かもしれないし、死んだら後悔するって意味かもしれない……でも、裕介が春美先輩に『死にたい』と言っていたのは事実だから、この『頑張って』と書いてある意味は、何にしても生きることを諦めないでほしいって意味じゃないか?きっと、生きることに理由や理屈なんてないから、それしか言えなかったんじゃないかな……」


 正樹は言葉を詰まらせて黙ってしまうが、沈黙の中にも、正樹が言いたいことだけは陽子にも感じ取れる。


「ねぇ、もう直接聞いてみればいいんじゃない?手紙には何を書いてあるのかって?」


 陽子が案は素直だと思えるが、正樹にとっては避けたい方法であるから、かぶりを振って否定を示した。


「そんな簡単にいかないだろ……春美先輩だって、もし何か隠しているのなら、それなりの理由があるからだろうし、あっさりと応えてくれるようには思えないよ……それを無理に問い詰めて、この前みたいに気を取り乱したりでもしたら、また先輩を苦しめることになるだろ」


 正樹が話すと、陽子はそれに対して意志の疎通ができてないことを、渋面にして見せた。


「誰が春美先輩に聞けばって言ったのよ、裕介に聞けばいいじゃない」


「は?裕介」


 陽子の言うことは、まるで穏やかな水面に向けて岩を投げ込むような発言であり、正樹は予想外の言葉を耳にして狼狽する。


「だって、あんた裕介と連絡とってるんでしょ?それなら、裕介に聞けばいいじゃない」


「だから、それは……」

 正樹は、陽子も考えが行き詰まった挙句に、ふざけているのかと思う。


「それは春美先輩だって言いたいんでしょ?でも、先輩は裕介としてメッセージを送っているんだし、正樹だって、そのつもりなんでしょ?」


「でも、結局は春美先輩が読むんだから、それは先輩に聞いているのと、同じ事だろ?」


 陽子の話しを聞いていると、正樹はいつもと立場があべこべなった気がして、否定している自分にも違和感を覚える。

 けれど陽子の方は、真顔の中に更なる芯を通したような面持ちを見せて、正樹の発言に異議を唱えた。


「それは違うよ。だって、春美先輩は裕介が言いたかったことを、裕介として正樹に伝えたいから、自分を隠しているんでしょ?なら、裕介に聞きたいことを先輩に聞くのも変じゃないかな?だって、自分ならどう思う?聞きたいことかあるなら、直接聞けよって思うでしょ」


 陽子の目を見ていれば、やぶれかぶれに言っているわけでないのは、正樹にも分かる。

 空想的に聞こえる話しの中にも、現実的な意見は込められていて、裕介と名乗られたメッセージも、今では春美の偽りに合わせているようになっているが、そんな自分の振る舞い方が、相手にとっては、本来の目的を退ける原因になっているのかと思い始める。


 春美だって、遊びのつもりで裕介を名乗っている訳でないのは、正樹だって分かっている事である。

 けれど何のためにとか、はっきりとした答えは分からず、今は手探りの中に正解があることをばかりを願っているが、陽子の話しを聞いていると、それを見つけただけでは答えを解いたことにはならず、ただ問題を暴き出すだけだと思わされる。


「裕介が言いたいことは、裕介の言葉で言わせないと駄目だよ……人から聞いたこたは、ただの告げ口と一緒だよ」


 陽子の意見は、物事についての本質を捉えていて、正樹は気付かされることばかりだった。

 その中には、春美や裕介のことばかりではなく、自分について知らされることもある。

 それは、春美に対して自分の心を強く動かしているは、決して同情や慈悲するものでなく、一つの曇りない感情であることだった。


「裕介に正直になれというならば、春美先輩にも正直にならいとだな……」


「それって……自分の気持ちを伝えるって事?」

 陽子が訊くことに、正樹は頷いて応える。


「裕介もそうだったし、きっと春美先輩だって、まだ本音を打ち明けられる相手だと思えていないから、素直な気持ちを話してくれないんだと思うんだ。裕介が悩みを話すことができなかったのは、友達としての信頼に欠けていたからだと思う……だから今度は、春美先輩にとって信頼される立場になりたい。その為には、自分の気持ちにも正直にならないと駄目なんだって、陽子の話しを聞いて思ったよ。この先も、春美先輩が悩みや苦しいと思ったことを、素直に話せる人間でありたいって……」


 陽子は正樹が主張することに反応せずに、じっと目を合わせて無言で応える。


「お前は反対なんだろ……分かってるよ。でも、自分が正直にならないと、人に正直になれなんて言えないよ……」


 無言を貫いていた陽子も、固い意志を示す正樹を見ていると、口を動かされるように話し始めた。


「反対だよ。じゃあ、正直になるって言うなら私も言うけど、私は正樹のことが好き。だから、好きな人の話しをされるのも不愉快だし、正樹が苦労するのは目に見えているのに、黙っているのも嫌なの。でも、正樹がそれでも春美先輩のことを求めるのなら、もう私には止められないよ……」


 陽子の告白から伝わることが、正樹の中では愛情の表現よりも、友情としての優しさの方が強く、それに報いることのできない自分の振る舞い方に悩む。


「言っておくけど、返事なんかしないでいいからね……正直にならないとなんて言ってるから、つい言っちゃっただけで、これで振られたりでもしたら、私が馬鹿みたいだから……ただ、正樹に辛い思いをしてほしくないのは本当だから、苦しかったり、耐えられなくなったら、その時は私に甘えればいいよ」


 陽子の颯爽とした優しさには、女らしいと言う褒め言葉は当てはまらないが、正樹にとって陽子は、何ものにも代え難い存在であるのを確信させた。


 ファミレスを出た二人は、帰り道を歩いていると、陽子は公園に植えられた桜の木の下で足を止めた。


「桜、咲くかねぇ……」

 桜色を見せ始めた蕾を見ながら、枝に向かって呟いている陽子を見て、正樹も木を見上げる。


「今週中には咲くんじゃないか?」


「馬鹿だな、あんたの事よ。だって、気持ちを伝えたからって、春美先輩が受け入れるとは限らないでしょ。この桜が咲く前に、あんたの桜は散ってたりして」


 嫌味なことを言って笑う陽子に対して、正樹は怒るような態度も示さずに、ただ笑って誤魔化した。

 それは皮肉にも聞こえず、可能性としては正解を言われたことに胸を痛める。


「でも、あんたの桜が咲かなくても、この桜はちゃんと咲いてくれるから大丈夫。そうしたら、嫌だったことも、悲しかったことも、全部花びらと一緒に散ってもらって、嘘だったことにするの。そうすれば、春色の花びらが空に舞って、嫌なことを全部、そらごとにしてくれるから」


 陽子はそう言って顔を背けると、大きく足を踏み出して、正樹の前を離れて歩いた。

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