第29話 手紙の行方(1)
店を出て裕介の母と別れた正樹は、駅に向かって帰り道を歩いた。
背後からほんのりと漂う海の香にも気付こうとせず、裕介の母から聞いたことについて考える。
裕介が間接的に手紙を渡すとしたら、方法は何か……それについて考えるが、自分自身に思い当たる事は無かった。
裕介に貸したことがある物など、週刊誌の漫画くらいで、そんな物に手紙を挟んでいるとは考えられないし、それならば疾うの昔に捨ててしまっている。
それを考えると、手に渡っているとすれば、やはり春美なのではないかと思う。
帰りの車中、陽子から『何か分かった?』とメッセージが届いたので、正樹は先程までの出来事と、裕介の母に聞いた事について伝えると、『それなら、話したい事がある』と返信が来たので、地元へ到着する時間に合わせて、待ち合わせることにした。
都心へ近づくにつれて、車内は平日の帰宅ラッシュで混み合いだす。
正樹が途中で老女に席を譲り、立っている人混みの中ではスマートフォンを持っている手を塞がれて、再び空いた席に若い男性が座るのを見て苛立つような時間を過ごす中、電車は地元の駅に到着すると、改札を出て陽子と待ち合わせたファミリーレストランへ向かった。
店に着き、正樹が店員に待ち合わせの女性が来ていないかを訊ねると、ドリンクバーの飲み物と、スマートフォンで暇をつぶしていた陽子が待っている席に案内された。
正樹は店員にドリンクバーの注文だけ済ますと、メッセージでも伝えた内容と同じことを、言葉に変えて陽子に話す。
一通り話し終えると、陽子は「それでね」と言いながら、持っていたトートバッグから、月日によって薄汚れたように見える、黒い楽譜入れを取り出した。
「何だよ、これ?」
「さっきのメッセージ読んで思い出したんだけど、これ、裕介の楽譜入れなの……」
陽子は、その楽譜入れは裕介が自殺する前に、春美から預かった物であることを、正樹に話した。
「裕介が学校へ来なくなる前に、アンサンブルの楽譜が入っているからって、これを春美先輩に渡していたのよ。ほら、トロンボーンとユーフォニアムは同じ楽譜だし、それまでの注意点や変更点も記入してあるからでしょ?でも、春美先輩は出場する気がないから返そうとしたけど、裕介が学校へ来ていないから返せないって言っていたのを、私が預かったの。ほら、裕介とはクラスも同じだったから、また学校へ来るようになれば、部活に出なかったとしても、教室で渡せると思ったし……でも、裕介は死んじゃったから、そのまま私が持っていたのよ」
正樹が、それならば春美が出場すると決めた時に、この楽譜入れも渡せばよかったのではと言えば、陽子の言い分としては、その頃には春美も自分で楽譜を用意していたし、一度預かった物を差し戻すのには、気まずさもあったと話す。
「何が気まずいんだよ、そもそもお前は関係ないんだから、別にいいだろ」
「何か、裕介が死んだから春美先輩へ返しますって言うのは、私が持っていたくないみたいで嫌だったのよ……そもそも春美先輩が持っている理由もないと思ったから。でも、さっき正樹から話をを聞いて、もしかして裕介がこれを春美先輩へ渡した理由は、楽譜じゃなかったのかもって思ったら……」
陽子が楽譜入れのページを捲り、『戦いの組曲』の楽譜が挟まれたページを開くと、フィルムシートの中には、楽譜と一緒に、『正樹へ』と宛名の書かれた、一通の便箋封筒が入っていた。
「お前、ずっとこれを持っていて、今日まで気付かなかったのかよ!」
「だって、ただ預かっただけだし、裕介に恋愛感情でもなければ、中なんて一々見ないわよ。私が鈍感なんじゃなくて、それがマナーでしょ!」
自分の性格とは相反するが、陽子の言い分も理解できる正樹は、話を本題に戻して、封筒をフィルムシートの中から取り出した。
「これ、中はもう見たのか?」
「ううん、まだ……だって、私への手紙じゃないのは確かだし、それは正樹が先に読むべきだと思ったから」
正樹は淡い水色の便箋封筒を開くと、中には折り畳まれたルーズリーフの用紙が一枚入っていた。
それを取り出すと、正樹と陽子は目を合わせて息を飲んだ。
探し求めていた物ではあったが、いざ手にすると、何が書かれているのか分からないことに、気後れしてしまう。
この折り目開けば、最期に裕介が言いたかったことを知ると思えば、禁を解くような緊張が走る。
正樹は意を決してルーズリーフを広げると、そこには『やっぱり後悔してほしくない。だから頑張って』と、それだけの文が書かれていた。
二人にはその文が理解できず、緊張で仕込まれていた頭の中が、咄嗟に謎一色へ変わってしまう。
「え、どういう意味だ?」
「さぁ……何だろう……」
正樹と陽子には、考えても書かれていることに示された意味は解らず、まるで問題を知らないのに、答えだけを見たような感覚に陥る。
「何かしらないけど、俺たちが後悔しないように頑張れってことか?」
正樹は、言葉に持たされた意味を考えることが出来ず、ただ直球に受け止めた解釈だけを述べる。
「さぁ……でも、これ、何か不自然なのよね……」
陽子が首傾げるのを見て、この手紙に違和感を持つこと自体が謎に思える正樹は、頭の中に疑問符を増やす。
「何が変なんだ?」
「だって、この手紙の字は裕介じゃないんじゃない?ほら、封筒に書いてある宛名と手紙の字を比べると、筆跡が違うでしょ?一見気付かないけど、多分こっちは、女の人が書いた字だよ。それに、この封筒に対して、中の手紙が不自然じゃない?だって、これ、封筒に合わせた便箋じゃないじゃん?」
陽子に言われれば、正樹も気付かされることもあるが、筆跡に関しては共感できても、手紙の素材までは理解できない。
「そんなの、封筒はあったけど、手紙を書く便箋は無かったから、有り合わせで賄ったんじゃないか?」
「だったら、こんなルーズリーフの紙に書いた手紙なんて、ご丁寧に封筒なんて入れないでしょ?だから、この手紙は後から入れた物で、封筒の中には別の手紙が入ってたんじゃないかな……」
陽子が推測する方向で考えてみると、正樹が思い付く中で、裕介に手紙を送る女性など、一人しか思いつかなかった。
「でも、女の人って言ったら、春美先輩以外にいないぞ」
「私もそう思う。だから、私が楽譜入れを預かる前に、春美先輩がこの中に入っていた手紙を読んだから、裕介に返事を書いて渡そうとしたんじゃないかな……」
陽子の言うことに合わせて考えれば、封筒の宛名が自分になっているから、書いている文の内容からしても、本当は別の手紙が入っていた想像は正樹にもできる。
けれど、春美は手紙を預かることが出来なかったと言っていたし、ましてや他人宛に書かれた手紙を読んで、それに返事を書くことには理解を持てない。
「だったら、手紙を預かっていないなんて、そんな嘘を付く理由って何だよ」
正樹は即座に答えを求めようとするが、陽子も気になったことを話しただけなので、それに理論づいた回答は持っていない。
「そこまでは分からないけど、その手紙を隠しているならば、そうしなきゃならない理由はあるんでしょ……勝手に人の手紙を読んだと思われたくないとか、それとも、裕介が自殺する前に渡そうとしていたのが、この手紙だとは思っていないとか……」
正樹には、陽子の言うことを信憑性があるように聞こえなかったが、だからと言って、それを根拠のない仮説と捉えて、否定することも出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます