第27話 呼び戻される時間(3)

《マサキ:おはよう、昨日の演奏は聴いてくれたかな?》


《ゆうすけ:おはよう、懐かしい曲が空まで聴こえてきました》


 翌朝、正樹はいつも通り裕介に宛てたメッセージ送ると、手紙について考えた。

 裕介の手紙が見つかれば、メッセージのやりとりも無くなってしまうと思えば、切ない気持ちにはなるが、それが自分にも、春美のためにも良い結末になるのなら、必ず果たさなければならない事だと、心に言い聞かせた。


 昨日のノートを読んでから四人で話した中で、いくつか解明する点もあった。


 そもそも、手紙を描いて渡す習慣があったのは春美であり、裕介がそれに勇気づけられたから、正樹にも手紙で何かを伝えようとしていたと言う、純一郎の見解。


 春美からの手紙を義父に捨てられた時に、裕介が書いた手紙も捨てられてしまったのではないかと言う、茂雄の推測。


 ノートの最後を読むと、文章が書かれたのは裕介が自殺する直前ではなく、親戚の家へ逃げ込んだ当初だと思われるから、その後に春美へ手紙を渡してほしいと連絡したのならば、最期まで手紙を残っていたのではないかと言う、陽子の考察。


 皆の話しから要点を纏めれば、知るべき事は、裕介が親戚の家から自宅に戻った後、自殺に至るまでの間に起きた出来事だと、正樹は考えた。


 春美から詳しく聞きたいこともあるが、あまり根掘り葉掘りと取り調べのような真似をして、憂鬱になる事を思い出させたり、余計な心配を掛けたくはないので、極力は質問を控えようと決めていた。


 裕介の伯母から聞いた話だと、自殺した日の昼頃に、裕介の母親が迎えに来たと言っていた。

 最初は裕介も帰宅することを拒んでいたが、母親が義父と別れて、裕介と二人で暮らす態度を示すと、それに納得して連れ帰られたと、話には聞いている。


 けれど二人は、裕介が亡くなってからも離れて暮らしていた様子もなく、義父が逮捕された事によって、裕介の母も世間の目から逃れる為に身を隠したらしい。


 それならば、母親に会って話を聞くことが一番の手掛かりになるが、伯母も今は何処にいるのか知らないと言っていた。


 けれど正樹は、思い当たると言うには足りない情報だが、手掛かりにはなりそうな事を一つ思い出した。

 それは、裕介から絵葉書が送られてきたことがあり、送り先が母方の実家である住所になっていたことだ。


 この事に気付いたのは、純一郎が『俺なんて、年賀状も書いたことがない』と言っていたのを、思い出したからだ。


 その実家では、母親の両親と兄夫婦が小さな旅館を営んでいて、小学六年生の冬休みに、裕介が母と行った先から送られて来た葉書だった。

 この年に裕介は父親は亡くしていたので、年明けの年賀状は出せないけど、土産屋で見つけた絵葉書を代りに送ったと言っていたが、正樹も絵葉書など初めて受け取ったので、とても珍しい物に思えた。


 今では形見の品になってしまったが、亡くなる前から、それは裕介から貰った思い出の一通だったので、小学校の卒業アルバムに挟めて、大切に保管していた。


 その送り先を訪ねれば、裕介の母親が今、何処にいるか分かるのではないかと思い、正樹は熱海へ向かった。


 向かう道中を一人でいる時間、正樹の脳中は休む間も与えられずに、考えることを強いられた。

 それは裕介の事ばかりでなく、今後の自分についても、これから先、春美とどうやって向き合うかも考えた。


 今は自分ができることや、するべきことに向かって行動しているように見えるが、実際はまだ、現実の途中みたいな時間であり、これから春美の病状は月日と共に進行して行く。


 そうなると、今のように直接病気には関係しないことばかりを追い求めるだけでなく、彼女の病に向き合わなければならない時が、必ずやって来る。


 その時に、愛しているから守りたいとか、救いたいだのと情熱的な思考だけではなく、彼女の将来に赴く資格があるのか、それに相応しい立場になれるのか、寄り添うことが許される人間であるのかを考えさせられる。


 今の正樹には、春美と自分では、時計の針を逆へ回しているように感じられた。

 彼女にとって刻々と前に進む時間の中で、自分が過去の事に彷徨う時間が長くなれば、それだけ春美との距離が、離れているように思える。


 その為にも、早く裕介の手紙を見つけることで、互いの時間を同じ刻みに戻さなければ、この先に自分が、春美の側にはいられないと感じた。


 熱海駅に着いた時には、空も夕方を迎えようとしていた。

 正樹は、絵葉書の住所を頼って場所を辿ると、一見は古めかしく見えるが、土地の雰囲気には馴染んでいて、老舗の趣を感じられる旅館に辿り着いた。


 正樹が旅館の敷居を跨ぐと、直ぐに着物を着た中年女性がやって来て、出迎えの挨拶をした。


「あの、すみません……僕、客じゃないんです」


 正樹が自分は何者なのかを伝えて、裕介の母親のことで訪ねて来たのを話すと、女性は「ちょっと待ってて下さいね」と言って、受付の背向にある扉の中へ入って行った。


 三和土と受付の間に距離はなく、壁の裏から、「ちょっと、姉さんに会いたいって、若い男の子が来ているわよ」と話す声が聞こえると、会話の情報から、正樹は今の女性は嫂だろうと思う。

 突然の訪問に警戒していると感じられたが、嫂の声で「裕介君の同級生だったみたいよ」と話している声が聞こえた後、扉の奥から中年の男性が姿を見せた。


 男性は、母親の兄であり、裕介の叔父にあたることを話した。

 正樹は、自分が裕介から受け取れなかった手紙があり、その件で聞きたいことがある旨を伝えると、叔父からは裕介の母親が小料理屋で働いていることを聞けた。


「東京から戻って来た後にはね、少しの間ここにいたんだけど、あの男が捕まった件で、変な奴らが家に来られても困るから、誰にも知らせてなかったんだよ。でも、雲隠れみたいなことを親父とお袋がいつまでも許しはしないから、直ぐに出て行って、今はアパートに住みながら小料理屋をやっているよ」


 裕介の叔父は、観光案内用に地図が書かれたチラシに、店の場所を印つけ、住所と電話番号、店の名前を手書きで書いて差し出すと、正樹はそれを受け取って、旅館を後にした。


 地図を見ると、駅前にある土産屋が並んだ商店街を抜けて、そこから十分ほど歩けば着きそうな場所だった。


 正樹が知っている裕介の母は、外見は派手に見えても、子供思いの優しい母親であった。

 だからこそ義父に会ったことのない正樹には、裕介が家庭環境で悩んでいたことに気づけなかったが、今になって諸々の事実を聞けば、母親に対しても憎しみが増している。


 路地裏に入り、石段の上から道筋を見渡すと、建物との間に海の色が見える。

 脇道に立ち並ぶ家や、小さな商店の前を通り過ぎ、暖色の明かりが漏れるガラス扉を見つけると、正樹はそこで足を止めた。

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