第26話 呼び戻される時間(2)

 正樹がノートを開くと、そこには裕介の筆跡で、日記のような文が書かれていた。


 最初の一ページには、母親と男が一緒に暮らしている不満や、本当の父親がいないことの寂しさを書いてあるが、裕介の結末を知っているから悲観的に見えるものの、文章そのものは、親が再婚した子供なら、少なくも難色を示すこともあるのを感じ取る程度であり、自殺に追い込まれるほどの、大きな悩みを抱えているようには見受けられなかった。


 二ページ目、三ページ目にも同じように、裕介が義父に対して思う不満が書き綴られてるが、読み続けていると、ページを捲るごとに、その文は不満から憎しみへ変わっているのが伝わった。


 ※

 あの男がきらいだ。そして、あの男といる母さんもきらいだ。

 きっとあの男だって、僕のことがきらいだろう。

 毎日のように殴られて、そのたびに殺してやりたいと思うけど、きっと殺されるのは僕の方だ。


 正樹がページを捲る度に、四人は裕介が書いた言葉を読んで、心を痛めた。

 義父の暴力が日を追うごとに増しているのが伝わると、その痛みが自分の触感に思えるど、肌の錯覚を覚えた。


 ※

 はるちゃんには、なぜか素直に悩みを話すことができる。

 はるちゃんと話した後は、いつも明日はいいことがあるように思えて、まだ生きていたいって思えるから不思議だ。


 春美の名前が書かれ始めると、その次も、その次にも春美のことが書いてある。

 それを見ると、自分たちがコンクールやアンサンブルコンテストのことばかりを考えていた時に、いつも裕介の側で支えになっていたのは、春美であったのが立証される。


「きっと、そうだ……裕介はきっと、春美先輩に手紙を預けたかったけど、顔を見てしまったら、自分の覚悟や決心が揺らいでしまうと思ったから、迷いを避ける為に会わなかったんだ……」


 裕介の書いたノートを読めば、自殺に至るまでの心情も感じ取れたし、正樹の思うことにも、全員が納得できた。


 続けて捲ると、悩みは義父のことから一転して、四人にも関することが書かれていた。


 ※

 アンサンブルコンテストの本大会に出場できることになった。

 僕もすごくうれしいし、みんなも喜んでいるけれど、正直、気持ちが追いついていない。

 いいことが起きるたびに、嫌なことや不安が大きくなって、それに気持ちが負けてしまう。

 このまま自分がメンバーにいても、みんなと同じ気持ちにはなれないし、一緒に喜ぶこともできない。

 僕はいつ、また死にたいと思うかもしれないし、あの男に殺されるかもしれない。

 それで僕がいなくなれば、みんなに迷惑をかけることになるし、大会が近くなれば、もう取り返しはつかなくなる。

 ならば、もっと早く僕が死ねば、みんなの迷惑とならずにすむかもしれない。


 その一文を読んで正樹は、裕介が考えた事と、春美に渡した手紙の内容が一致した。

 きっと裕介は、自分がアンサンブルコンテストに集中できるほどの精神状態ではないし、それによって自殺を図る可能性が無いと言い切れないから、大会への出場登録をする前にメンバーから外れたかったのだろう。


 けれど、その理由を話すこともできなかったし、皆を納得させるような嘘も思い付かないから、春美に出場してもらうか、自分が死んでいなくなれば、自ずと代役が立てられると思い、あの手紙を春美に差し出したのが判明する。


 春美がメンバーに変わってくれなければ死ぬと書かれていた手紙は、決して脅迫を真似するようなことでなく、それ以外には方法が見つからなかったことと、命を代償にしてでもメンバーに迷惑をかけたくなかったと思っていた、情に満ちた裕介の人間性だと捉えられる。


 それならば、当時、春美を悪者にしていたのが大間違だっただけで、アンサンブルコンテストは裕介の死に関連する理由の一つであったことに見えてくると、それよりも重い罪ばかりに原因を押し付けていた自分が卑怯に思えたのは、正樹だけでなく他の三人も同じ気持ちだった。


 正樹は止めることなく、ページを捲り続けた。

 それからは、文章の一文、一文に対する受け入れ方が変わっていた。

 一行の中には、自分たちが気付かぬ間に犯していた罪の証拠が残されていないか、知りたいと思う気持ちと、知ることへの恐怖や抑圧が、心の中で掻き乱れる。

 それを目の当たりすることに臍を固めて読み続けると、裕介の遺文は最後の一ページになった。


 ※

 はるちゃんがくれる手紙だけが、僕の勇気になっていた。

 はるちゃんの手紙を読むと、僕は明日も生きていたいと思えた。

 けれど、あの男は僕の前で、その手紙を破り捨てた。

 殺したい、殺してやりたいけど、あの男が死んで喜ぶのが、僕だけなのが悔しくて、それができない。

 ならばもう、僕があいつの前からいなくなればいい。

 僕はもう、あいつの所には戻らない。


 全てを読み終えると、悲しみや寂しさだけでなく、悔しさや憎しみ、過去の自分に対する後悔と懺悔、裕介の苦しみや絶望に向き合っていた緊張感の脱力が、涙の止め方を打ち消していた。


 裕介が残したノートによって呼び戻される時間の中で、四人は過去の真実を見過ごして生きてきた故に、浅はかな現状があることを悔やむ。


「正樹、やっぱり裕介が最期に残した手紙、ちゃんと探そうよ……これ読んだら、裕介が言いたかったことは、全部知らなきゃ駄目だよ」


 陽子は言葉と呼吸を交互にしながら、今、自分が強く思うことを、惑うことなく主張する。


「でも、何処にあるどころか、それが残っているかも分からないんだぞ……それでも探すのか?」

 正樹は、ただ感情から出てきた言葉ではないかを確かめるように、疑問を呈して、反応を求めた。


「見つかるから探すんじゃなくて、見つける為に探せばいいじゃないか……たとえ、見つからなかったとしても、きっと探さなかったことの方が後悔するよ」


「そうだよ、春美先輩のために探すだけじゃなくて、自分たちのために探そう」


 茂雄と純一郎の決心を聞いて、正樹が否定する理由など、何もなかった。


 ノートからは手紙についての答えは見つからないが、そこに結びつける真相は知らされた。

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