第25話 呼び戻される時間(1)
日曜日が来ると、春美を除いアンサンブルメンバーのは、河川敷に集まり四人で合奏をしていた。
二日前に春美は退院していたが、前回のこともあるので、適度な散歩以外は自宅療養しているようにと、北原から止められていた。
本来ならば、この集いも春美の為であるから、当の本人が不在であれば集合する理由も無いが、自分がいないから中止になったと聞けば、春美は気にするのではないかと言った陽子の意見に、全員が同感した。
ならば、四人の演奏している様子を録画すれば、SNSを通して春美に聴かせることができるという話しになり、週一回のアンサンブル合奏は、中止することなく行われた。
「あのさぁ、合奏は週一かもしれないけど、ここ最近、俺たち結構会ってない?もう、お前らの顔は見飽きたよ」
純一郎の戯れ言に、茂雄も「俺もだよ」と言って同調する。
「私なんて、昨日以外は毎日、正樹の顔見てるわよ……中学卒業してからなんて、同じ地元に居ても、ほとんど会ってなかったのに」
そのぼやきに関しては、「なら、良かっただろ」と、純一郎が揶揄って言うと、陽子は手を振り上げて、会話を阻止しようとしていたが、正樹には、特に深い意味で聞こえてはいなかった。
合奏は、『ムーンライト・セレナーデ』や、『イン・ザ・ムード』『A列車で行こう』などと、グレン・ミラーに関する曲を、即興アレンジを加えてながら演奏した。
録画した動画に、コメントを添えてSNSに上げると、春美からも早速、『ありがとう』というコメントと、『いいね!』の印が付けられる反応があった。
「でも、便利な世の中だよね……こんな簡単に、メッセージでも動画でも送れるんだから」
「そうだよ、うちの親が学生の時なんて、『ポケベル』とか言ってたけど、メッセージも、十文字くらいしか送れなかったらしいぞ」
茂雄の話しを聞きながら、陽子は「何それ、超不便じゃん」と言って、笑っている。
「だから言ったんだよ、なんで裕介は、手紙なんか書いたんだって。俺なんて、正月の年賀状も書いたことないぞ」
そう純一郎が言い出すと、議題はまた、裕介の話しになった。
居酒屋で話した以降、裕介が書いた手紙について進展するような案は、誰からも出ていなかった。
正樹も、そのことについて考えることはできても、頭の中で問題を思い浮かべ続けるだけで、そこから解答が生み出されてはない。
それは他の三人も同じことであり、今は皆が、鍵の開かない扉の前に座り込んでいるような状態だった。
「でも、少なくとも裕介には、何かを『書き記す』という習慣はあったんだよな……だって、親父と言えるのか知らないけど、そいつが捕まったのも、裕介のノートがあったからだろ?俺なら、ネットの掲示板とかブログに書いて、できるだけ大勢に見せるようにするけどな……」
茂雄の話しを聞くと、正樹はノートのことも気になり始めた。
裕介が義父から暴力を受けていたことが書かれていたのは聞いていたが、その内容を読んだことはないし、実際に物を見たこともない。
裕介はそのノートに、恨みや苦しみ、悲しみを訴える言葉の他には、何も書き残さなかたのだろうかと、その内容が気になる。
もし、そのノートが今でも残っていて、春美のや自分たちのことが書いてあれば、そこから何かを知ることができるのではないかと思った。
「なぁ、裕介がノートを残していた、親戚の家に行ってみないか?もし、そのノートがあれば、手紙のことも何か分かるかもしれないから」
正樹が申し出ると、茂雄は時計を見てから、一日の時間にまだ余裕があるのを確かめると、他の二人も同意させた。
意見が纏まると、四人は茂雄の車に乗って、裕介の親戚が住む家へ向かった。
地元の隣町にある、家の場所には、正樹も以前に一度だけ、裕介に連れられて行ったことがある。
「なぁ、引っ越ちゃってたり、しないのか?」
「さぁ……でも、一軒家だったから、していないと思うけど」
正樹は記憶に頼りながら運転する茂雄に道案内をすると、辿り着いた場所には、見覚えのある一軒家が残っている。
「あ、ここだよ、ここ」
うろ覚えでもあるが、正樹の記憶と佇まいも変わっていないから、引っ越されてはいないことが期待された。
近くにコインパーキングを見つけて車を駐車すると、四人は車から降りて道を戻る。
家の前に着いてインターホンを押すと、開いた玄関からは、正樹たちの親よりも少し歳を取って見えた女性が姿を出した。
正樹が女性に、裕介の同級生であったことを話すと、その女性が裕介の亡くなった父方の伯母であるのを確認できた。
伯母は、一度しか会っていない正樹のことも知っていて、四人は躊躇われることなく家の中へ案内されると、部屋にある仏壇に、裕介と父親の写真が並んで置いてあるのを目にした。
「信じられないでしょ……あの子の母親、男が逮捕された後、子供の位牌まで置いて、いなくなっちゃったのよ……」
その話しを聞いた陽子が、痛切を訴えるように泣き出すと、伯母から「きっと喜ぶから、話しかけてあげて」と言われて、四人は仏壇に手を合わせた。
額の中では、正樹の記憶とは何も違わない裕介が、卒業アルバムの写真でも撮られているように笑っている。
正樹の後ろでは、陽子が涙を膝に溢しながら俯いていたが、両隣では茂雄と純一郎が、じっと見開いた目を赤くしながら、裕介の写真に視線を向けているのを見て、正樹は男の中で自分だけが涙を流すわけにはいかないと思わされた。
「お前に送られてるメッセージ……それ……本当に裕介だったら、いいんだけどな……」
正樹は茂雄が言ったことに、涙を誘われそうになるが、ここに来た理由は裕介が本当に残した言葉を知るためだと思い、眉宇を引き締める。
「あの、すみません……今日は僕たち、裕介が残していたノートのことを思い出して伺ったのですが、今ここに、そのノートはあるんですか?」
正樹が訊ねると、伯母は「ちょっと待っててね……」と言って、その場から離れた。
伯母の様子から、ノートがここにあるのを感じ取ると、陽子も涙が止まり、四人に緊張感が走った。
仏壇に背を向けて少しの間を待っていると、戻ってきた伯母から、灰色の表紙が色褪せた、古いノートを差し出された。
「本当は、あの子が苦しんでいた事ばかりが書いてあるから、捨ててしまいたいと思ったけど、それでも裕介が残していた、唯一の言葉だったから……」
正樹はノートを受け取ると、伯母が今もノートを持ち続けている思いと、生きていることに苦しみを抱いていた、裕介の言葉が綴られている重みを感じながら、表紙の縁に指をかけた。
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