第22話 想いを新たにして(2)

 春美にとって裕介が、他の後輩たちよりも贔屓する存在であったことは分かった。

 だからと言って、裕介の死に特別な感情を持つことがあっても、自分が原因だと思い込む理由までは分からない。


 それに、学校以外では話す機会もあった裕介が、態々春美に手紙を書いたことも、正樹には疑問のままだった。


「何もできなかったことを言えば、僕だって一緒ですよ……だから春美先輩が一人で抱え込む必要はないんです」


 正樹の宥める言葉に、春美は大きくかぶりを振って応える。


「違うの……私は裕介君が死のうとしていた事も知っていたし、飛び降りた時も、私はそこに居たの……」


 正樹の春美を労る気持ちが、裕介の自殺現場にいたことを聞いて、驚きに変わった。

 春美は手に持っているシュークリームの入った袋をキャビネットの上に置くと、裕介が自殺するまでの間、二人の間に何があったのかを話した。


 春美が中学三年生の夏休み、コンクールの予選が終わった頃であった。

 高校受験を控えていた春美が、塾から帰る途中の事、夜の公園に一人でいる裕介を見掛けると、それまでは余所余所しい態度に気を遣って話し掛けないようにしていたが、その姿を見て素通りはできなかった。


 裕介が同じ塾へ通っていたのを知っていたが、学年が違う春美とは講習の時間が違い、中学三年生の講習が終わった後に、入れ替えて二年生の講習が始まる。


 他の生徒たちは講習を受けている時間なのに、裕介は出席していないことが気になったので話し掛けると、中学生になってからは『春美先輩』と呼んでいた裕介が、『はるちゃん……』と呼んだのを聞いて、いつもとは違う様子に違和感を持った。


 春美が「誰も居ないんだから、昔と同じように話せばいいよ」と言うと、裕介は敬語を使うこともなく、胸の内を話した。


 それは、夏休みが始まる少し前から一緒に暮らし始めた義父のことであり、暴力を受けたことや、環境の悩みを裕介が話すと、春美には家庭内の問題を解決することは出来なくても、話しを聞くことくらいはできた。


 次の日も、その次の日も、春美は裕介を公園で見掛けると、声を掛けて話しを聞いた。

 何をできた訳でもないが、次第に裕介が笑顔を見せると、自分でも力になれている気がしていた。

 そして、塾の講習を終えて、入れ替えの時間に裕介の姿を見掛けるようになると、春美は問題が解決したと思い、一安心していた。


 コンクールの予選を終えてからのクラブ活動は、新学期に入ると直ぐに都大会を控えていたので、毎日ではないが夏休み中も練習があった。


 三年生は受験勉強もあるので、基本は午前中のみの練習であり、午後からは一、二年生のみが練習していた。


 その時間に、裕介がアンサンブルメンバーと曲合わせをしているのを見ると、春美は自分が気に掛ける必要も無くなったと思っていた。


 夏休みが明けて九月になり、コンクールの都大会が終わると、全国大会の出場は叶わなかった吹奏楽部は、アンサンブルコンテストに向けた練習が中心になった。


 春美はコンテストに出場しないので、卒業公演となる、年明け二月の定期演奏会までは、受験勉強に集中する意気だった。

 志望校は推薦入試を受けられる予定であったが、それでも確実に合格する訳ではないので、一般受験にも備えて勉強を疎かにしなかった。


 そして、いつものように塾の講習を受けていた日の事、裕介から『公園に来てほしい』というメッセージがあったので、帰り道に寄ると、暗闇の公園にあるベンチには、裕介が孤独そうに座っていた。


 春美がまた何かあったのかを訊ねると、裕介は、母と義父は再婚したと言っても、現在は籍を入れてなく、同棲しているだけであることを話した。


 けれど、正式に婚姻届を出すから苗字も変わることを母に告げられた裕介は、義父の姓を名乗ることに大きな不満を持ったが、その意見は通らなかった。


 ただ一方的に母親の意見を突きつけられた裕介は、自分の存在意義を見失ない、自殺することを考えると、その前に春美へ頼みたいことがあると言って、一通の手紙を渡した。

 それは、自分が死んだ後に、正樹へ渡してほしいと言う手紙だった。


 春美はその手紙を受け取るのは、裕介の死を認めることだと思ったから、その頼みを断った。

 そして、悩んでいることがあるならば、自分も話しを聞いて協力するから、死ぬのだけは絶対に駄目だと言って、自殺を思い止まらせた。


 それから春美は、裕介の母親に会って再婚を考え直してほしいと頼んだが、他人の問題に中学生が入り込んでも話を聞き入れられる訳もなく、裕介の母と義父は、正式に夫婦となり、姓も変えた。


 学校では、裕介が悩んでいることを顧問の有村に話すと、そこから職員の間で話し合われ、本人や両親からの強い要望がない限り、校内では通称という形で、旧姓を使う事が可能になった。


 春美は、裕介がこの件を正樹たちではなく自分に話した理由は、身近な友人に家庭の問題や悩みを知られたくなかったからと思い、身近な大人以外を頼ることなく、自分だけで背負い込んだ。


 そんな時に正樹から言われたのが、アンサンブルコンテストへの出場を諦めてほしいと言う話しだった。

 有村が出した条件を聞いた春美は、その件について自分は話しを聞いていなかったので、正樹に出場を拒否した。


 裕介が唯一、生きる希望を持っていられる場所を、自分が掻き乱すような真似をしたくないと思った春美は、何故、自分が希望をしていない事を言い出したのかと有村を咎めると、本当の理由は、春美が出場する為ではなく、裕介のことを考えた策であったのを聞かされた。


 裕介がアンサンブルコンテストに出場するならば、本名で登録しなくてはならないから、周囲の人間に姓が変わったことを知られてしまう。

 なので裕介本人と話して、それでも出場すると言うならば、春美を加えた六重奏にすれば良いし、出ないと言うならばメンバーを入れ替えられるように有村は考えたが、ありのままをメンバーに伝える訳にはいかないので、建前として春美のために変更するように話していた。


 春美はその件については理解したが、正樹が反対している以上は、自分がメンバーに入ることはできないと有村に伝えたが、数日後、裕介は春美の下駄箱に、アンサンブルコンテストに出てくれないのならば、自分は死ぬと書いた手紙を残して、学校へ来なくなった。


 春美は、裕介の覚悟が冗談ではないことを知っていたから、死を思い止まらせることができるのならば、どんな要求も受け入れるつもりだった。


 ただ、手紙だけを読んで一方的に受け入れるのではなく、裕介と直接話しをしたいと思っていた春美は、当時の正樹と同じように家を訪れたり、メッセージを送ったりもしたが、会うことはできずにいた。


 それでも諦めることなく、裕介と会えるように朝晩、毎日家を訪ねたが、入れ替わりで来る中学生を煩わしいと思っていた義父が対応することはなく、母親も夜の勤めに出て、朝方に帰ると寝ていた生活であったから、裕介の状況を聞くことすらできなかった。


 その間、裕介が親戚の家に居ることまでは気が付かなかった春美だが、返信のないメッセージを何通も送り続けていると、数日経ってようやく一通の返信を受けたが、その内容を見て驚愕した。


《ゆうすけ:はるちゃん、ごめんね……やっぱり僕は生きていくのが辛いよ。だから、僕が死んだ後、正樹に渡してほしい手紙があるんだ……これが最後のお願いです》


 メッセージを呼んだ春美は、何としても自殺を食い止めなければと思い、裕介の家に向かった。

 何度訪れても会うことのできなかった場所に行っても、裕介がいる確信など無かったが、何通も送るメッセージが既読されなくなると、指をくわえて待つことなど出来なかった。


 由々しき事態にならぬことを一心に思いながら、自転車のペダルを全力で漕いでいると、その横をパトカーや救急車が、不安を煽るサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行く。


 その車両が次々と、裕介が飛び降りた後のマンションに止まるのを見ると、春美の心は、最悪の事実を受け止める覚悟を拒絶した。

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