第19話 残された言葉(3)

 病院から離れると、正樹は帰宅する気にもなれず、公園のベンチに座りながら、手紙のことや北原に言われたことを思い返していた。


《マサキ:裕介、何であんな手紙を春美先輩に送ったんだ?》


 正樹がメッセージを送っても、裕介からの返信は無い。

 自分で送った手紙のことを忘れてしまったのか……なんてことを思った正樹だが、裕介の性格から、それは無いだろうと思い直す。


 逆の立場なら、急にこんな質問をされたら戸惑うだろうし、あまり追求して連絡が途絶える方が嫌なので、無理な返信は求めずにいた。


 メッセージが送られてきた通知を見ると、正樹は裕介からの返信であることを期待したが、それは茂雄からだった。

 メッセージの内容は酒の誘いであり、一時間後の午後六時に、先日、四人で呑んだ居酒屋で待ち合わせることにした。


 アルバイトを辞めてしまったから時間はあるし、話したいこともあったので、タイミングとしては丁度良かった。

 あと一時間ここにいても仕方ないと思った正樹は、先に店へ行って待つことにした。


 待ち合わせ時刻の三十分前に着いて、店に入ると、案内された四人掛けのテーブル席に座った。

 席に着くと同時に注文した生ビールを飲みながら、茂雄が来るのを待っていると、店員が「お待ち合わせのお客様です」と言いながら、陽子を連れて来た。


「なんだ……あんたも来てたの」

 正樹は昨日の争いを続行するつもりもないから、軽く手を挙げて挨拶すると、陽子は躊躇なく向かいの椅子に座って、店員に生ビールを注文した。


 どんなに腹が立ったとしても、女の顔を叩いた自分が悪いと、正樹も反省をしている。

 けれど、謝るどころか目を合わすことすらできず、お通しに出された金平ごぼうを箸で触りながら目線を誤魔化していると、陽子が差し出した手のひらに気が付いて、ようやく目を合わせた。


「煙草ちょうだい」

 正樹は要求に疑問を感じながら、かぶりを振って断る。


「無いよ、やめた……なんだよ、お前、煙草吸うのか?」

「吸わないわよ、でも、あんたの顔を見ているとムシャクシャするから、煙草でも吸って、最後はあんたのおでこに押し付けてやろうと思っただけ」

 陽子は加虐的な事を言いながら、態とらしく左頬を手で摩っている。


「昨日は悪かったよ……いくらなんでも、やりすぎた。ゴメン」


 ようやく謝罪の言葉が出た正樹のことを、陽子は目をつり上げて睨んでいたかと思えば、店員が生ビールを持ってくると、まるで人格を変えたように、笑顔を見せて受け取った。


 店員が去ると陽子の表情は直ぐに戻り、ジョッキに注がれた生ビールを、乾杯もせず一気に半分以上飲むと、正樹の顔を見ながら小さなゲップを出した。


「やめろよ、女のくせに汚ねぇなぁ……」

「あぁ良かった。てっきり引っ叩かれたから、女だってこと忘れられているのかと思った」


 正樹は言い返すこともできず、陽子の態度に戸惑っていると、自分が飲んでいたビールの入っているジョッキを、黙って差し出した。


「煙草の火を当てられるのは勘弁だけど、酒をぶっかけるくらいならいいぞ」


 陽子はジョッキを受け取ると、そのままビールを飲み干して、正樹に突き返した。


「もういいよ、あんたにぶっかけるくらいなら、呑んだ方が気晴らしになるから……その代わり、私は謝らないわよ。今でも、思っていることは変わらないから」

 陽子は和解について意向を示すと、続けて自分のビールも飲み干す。


「それはいいよ……正直、何が正しいなんて、分からなくなっちまったから」


 急に覇気を無くした正樹を見ると、苛立っていた陽子も平静になってしまう。

 時計が午後の六時を示すと、茂雄と純一郎が二人でやってきた。


 茂雄は「もう来てたのか、お待たせ、お待たせ」と言いながら、店員に四人分の生ビールを注文している。


「正樹、聞いたぞ。陽子のこと引っ叩いたんだって?そりゃあ、いくら何でも、お前が悪いよ」


「あ、もうその話し終わったから。で正樹、そんな弱気になっちゃって、何があったの?」


 端から二人の仲を取り纏めるつもりでいた茂雄だが、既に収束している様子を見ると、それはそれで拍子抜けしてしまう。


 陽子が訊ねると、正樹はポケットから春美には渡さずに持って帰った、裕介の手紙を出して渡した。


 便箋から手紙を出して陽子が読むと、続けて茂雄と純一郎にも手紙を回す。


「これ、裕介が春美先輩に渡したってことか?」

 茂雄が訊くと、正樹は頷きながら、「そうみたい」と答える。


「でも、こんなことを裕介がするかなぁ……しかも、俺たちならまだしも、春美先輩にだぜ?冗談でも『死ぬ』なんて言う相手じゃないだろ」


 純一郎が疑問を呈すると、正樹はこの手紙について考えていた事を話した。


「だから、冗談じゃなかったんじゃないか?よく考えたら、『死ぬ』なんて言葉は、本気で受け止めてくれると思う人じゃないと、言えないよ。仮に今、誰かがここで『死ぬ』なんて言っても、冗談としか思われないだろ?だから、本気なら尚更言わないよ……そう考えると、春美先輩は裕介にとって、本気で『死』を伝えることができる存在だったのかもしれない」


 知らぬ間にテーブルの上に載せられていた生ビールに気が付いた四人は、とりあえず乾杯をして一口だけ飲んだ。

 メニューを見ながら、つまみを選んではしゃぐ雰囲気でもなく、純一郎が注文したことのある品を何品か思い出して、店員に頼む。


 茂雄が正樹に手紙を返すと、陽子は気後れした様子を見せながら話をした。


「あのさ……別に確かなことじゃないから、特に正樹は真に受けなくていいんだけど……私、中学の頃、塾からの帰り道で夜の公園に裕介と春美先輩が一緒にいるの、何回か見てるんだよね……」


 男三人とも、裕介から聞いたことのない話しであったのと、二人が深い関係であったようには見えなかったから、思わず声を出して驚いてしまう。

 中学生の男女が夜の公園で会っていた理由など、三人が同じ事しか思い付かないから、特に正樹は同様を隠せなかった。


「何だそれ!付き合ってたってことか?」


「おい、キスとかしてたのか?」

 正樹の心情を慮る茂雄は、幼稚なことを訊く純一郎の質問を、テーブルの下から足を蹴って止める。


「そこまでは知らないわよ……そこまで深くも考えなかったけど、どちらにしても変な噂を私が流したと思われるのも嫌だったし、中学生の時に一つ上の先輩なんて、凄く大人に見えたでしょ?まさか、裕介に歳上の人と付き合う大胆さがあったなんて、今でも思えないよ」


 二人が交際していたとすれば、正樹にとっては複雑な心境であったが、それが確かならば、裕介にとって春美は、自分の命に価値付ける相手であったことと繋がった。

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