第18話 残された言葉(2)
幸恵と別れた正樹は、春美との面会ができることを聞いて、病院へ向かった。
もしも春美が、裕介からの手紙に書いてあったことを間に受けて負い目を感じているならば、その呪縛を解いてあげたいと思う。
正樹も幸恵と同じように、いくら裕介が辛い思いをしていたとしても、春美に送った手紙の書き方は非道だと思うが、それは今だから思えることであり、それに加えて追い討ちをかけていた自分がいたのも事実。
あの手紙を読んだ春美は、自分のせいで裕介が自殺したと苦しんでいたはずなのに、その核心に触れるような態度を取っていた中学生の自分を思い出すと、正樹は良心の呵責に苛まれる。
初めは裕介への怒りもあったが、そのことを考えていると憎むべき矛先は、当然の如く自分へ変わっていた。
病院へ着くと、春美は先日と同じ個室部屋へ移っていた。
扉を開けた正樹と目が合った春美は、流石に笑顔を振りまくことはなく、神妙な面持ちを見せている。
「ごめんね……迷惑ばっかり掛けちゃって……」
いつもは素顔を忘れてしまいそうなほどに微笑みを絶やすことのない春美が見せる鬱屈とした表情に、正樹は小さくかぶりを振って応えた。
「迷惑なんて掛かっていませんよ……でも、心配はしましたよ」
薄暗い部屋にいると、それたけで重い空気が漂っているように思えた正樹は、閉ざされていた窓のカーテンを広げて明かりを入れた。
昼下がりの空が窓に映ると、春美は眩しそうにしながら顔を顰めている。
正樹は春美の面差しから、眩しさに慣れてきた様子を見受けると、羽織っていたコーチジャケットのポケットに入れていた、裕介の手紙を出して春美に見せた。
「これ、幸恵ちゃんから預かりました。部屋で見つけたって……それで、勝手なことをして申し訳ないですが、読ませてもらいました……」
春美は正樹の話を聞いても、心境に変化を見せる様子もなく、ただ「そう……」とだけ呟いて、顔を俯かせた。
「あの、もし春美先輩が原因で裕介が自殺したと思っているなら、それは大間違いですよ。あいつは、家族のことで悩んでたんです。だから春美先輩がコンテストの出場を拒否したことなんて、これっぽっちも関係ないんですよ」
春美は正樹の気持ちに応える様子もなく、俯いた顔を見せぬまま、「関係なくないよ……」と言って、掠れた声を聞かせた。
「関係なくないよ……私だって、裕介君が悩んでいたことを知っていたの……でも、私にはどうすることも出来なかった……だから、せめて皆んなとコンテストに出て、元気になってほしいと思っていたのに……だから私は出ないって言ってたのに……」
正樹は春美の流す涙を見るのが、怖くてたまらなかった。
今の春美を追い詰めれば、また昨日と同じような事をするのではないかと思えば、これ以上問い詰めてはならないと思う。
「もう泣かないで下さい、ごめんなさい変なことを思い出させちゃって……もう、忘れましょう」
宥める方法など分からなかった正樹が言った、思いつきの言葉を聞いて春美は、俯いていた顔を上げて過敏な反応を見せた。
「変なこと……何が変なことなの?裕介君のことは、そんなに変なことなの?それに、どんなことだって思い出せるなら、思い出せばいいじゃない!そんなこと今から望まなくったって、思い出したくても思い出せなくなる日が来るし、私の頭はいつか、忘れたくないことも忘れちゃうんだよ!」
「ごめんなさい!そんなつもりで言ったんじゃないんです。だから、落ち着いて下さい!」
目の前にいる春美が、正樹には別人の姿に見えた。
正しくは別人と言うよりも、同じ感情を持った人間の姿には見えず、声を張り上げて泣く姿や、ベッドのシーツを引き裂こうとする姿、頭を掻き毟ったかと思えば、髪を引き抜こうとするような姿は、まるで何かが憑依しているように見えてしまった。
部屋の外まで漏れていた泣き声に気がついた看護師が入って来ると、正樹は病室から出された。
正樹は何もすることができず、病室の前に立ちすくんでいると、駆けつけた北原を見て、救いの言葉を求めた。
「春美先輩どうしちゃったんですか!先生!ねぇ、先生!」
「とりあえず、事の経緯だけ聞きたいから、ちょっと待ってて。今は彼女を落ち着かせることが先だから」
正樹は言われた通りに、受付のソファーに腰を掛けて待っていると、三十分ほどして北原が姿を見せた。
「お待たせ。澤村さんなら、もう大丈夫だから。心配だったでしょ?ちょっとコーヒーでも飲もうか」
北原は院内に設置されている自動販売機で缶コーヒーを買うと、それを正樹に差し渡した。
「で?澤村さんとは、何があったの」
正樹が病院に来てからのことを話すと、北原はコーヒーを飲み込んだ喉を鳴らした後、「なるほどね……それは良くないな」と言った。
「いい思い出ならまだしも、辛い記憶を他人が掘り返してあれこれ言うのは、病気とか関係なく、誰でも嫌なんじゃないかな……その上、彼女は今、精神的に不安定な状態だから、何気なく言った言葉でも不安を感じてしまう。大切なのは彼女の思いを否定するのではなく、同じ気持ちになってあげることなんだよ」
正樹には、北原の言うことが理解し難かった。
同じ気持ちになれと言われても、裕介のことで罪悪感を背負っている春美と同じ気持ちになることが、悩みの種を取り除くようには思えない。
「でも、それで春美先輩が余計に負い目を感じちゃったら、どうするんですか?」
「そもそも澤村さんは、その手紙を今でも持っている理由が、そんなに負を意味したことなのかな?その彼が亡くなった理由が本当に澤村さんだとすれば、見ただけで思い出してしまうような物を、君なら持っていられるかい?」
正樹は、北原の話を聞いて感じることがあった。
春美が今でも自分のせいで裕介は自殺したと思っているならば、あの手紙を持っていることは、人を殺めた凶器を持ち続けているのと同じ心境だろう。
「同じ気持ちになるということは、何も一緒になって落ち込んだり、責任を背負うことじゃないんだよ。亡くなった彼から残された言葉に、澤村さんは何を感じていたのかを、一緒に考えることが大切だったんだよ」
正樹は、裕介が残した言葉の意味を考えながら手紙の内容を思い出していると、そもそも手紙が送られたこと自体に違和感を持った。
冷静に考えれば、やはりあの文章の書き方は唐突すぎるし、礼儀正しかった裕介が先輩に取るような行動ではない。
事の順序を考えると、あの手紙を春美が受け取る以前から、二人には何かがあったように思わされた。
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