第14話 思い出の音(2)

 春美が退院した翌日の日曜日に、正樹たち五人は集まることになった。

 学生時代はよく五人で江戸川の河川敷に集まって練習したものだが、久しぶりに集まるなら雰囲気を変えて演奏したいと陽子が言い出したことから、茂雄の用意したワンボックスカーに乗って、都内から離れた埼玉県にある、自然に囲まれた公園に来ていた。


 五人で話し合い、今後も毎週日曜日の午後に集まることになった。

 後になれば各々の予定に合わせて変更もあるが、陽子の仕事や純一郎の大学が休みなことと、茂雄のアマチュア楽団も土曜日の練習が多いので、日曜日が集まりやすい。

 正樹が働く店も日曜日定休なので、都合が良かった。


 芝生の広い場所で楽器を出すと、各々がウォームアップを始める。


「どうだ正樹、ちゃんと吹けるのか?」

 茂雄が冗談めかして話すと、正樹が躍起になって吹くリズミカルなトランペットの音が、芝生の上を駆け回るように響き渡る。


「サボらずに続けていた、お前らと比べたら劣るかもしれないけど、ただ遊びで吹くくらいなら大丈夫だろ」

 元々技術の高かった正樹は、ここ何日かの自主練習で感覚を取り戻すことができていた。


 各自ある程度唇を慣らすと、五人集まってチューニングを合わせる。

 芝生の上に譜面台を立てて、立ったままで演奏するのはきつい春美と純一郎は、折りたたみ椅子を広げて用意した。

 正樹が顔を見ると、春美は目を合わせて微笑みを見せている。


 何の曲を合わせようかと陽子が言うと、大学で作曲や編曲も学んでいる純一郎は、自分たちが中学生の頃に流行っていた歌謡曲を楽譜にしてみたと言って、皆に配った。

 春美と陽子は二人で楽譜に書かれたタイトルを見て、「懐かしい」や「この曲、携帯の着メロにしてた」などと話している。


 カラオケで思い出の曲を歌うことも療法になると聞いた純一郎が、自分たちができる方法として考えた案だった。


 春美が気に入った楽譜を見つけると、五人でその曲を演奏した。

 元々聴き慣れている曲だからでもあるが、全国大会で金賞を受賞したほどの腕前である五人の演奏は、初見とは思えないほどに息が合っていた。


 その演奏はとても聴き心地よく、離れた場所では、フリスビーに夢中になっていた親子も、手を止めて五人の演奏を聴いている。

 そこからは勢いに乗って、次の曲、その次の曲と演奏を続けた。


 正樹には、聴こえている音色が思い出の音でもあったが、新鮮にも感じられた。

 練習に練習を重ねたアンサンブルコンテストの時よりも、今の演奏の方が自然体であり、少しくらいの間違いは気にならない。

 中学生の頃は、正樹があれやこれやとメンバーに指摘して、それが雰囲気を重くしていたし、それが勝つための音楽ならば仕方がないと全員が思っていた。


 あの時はメンバー全員が笑顔を失っていたし、死んだ裕介のことを考えると、笑うことなど許されなかった。

 そんな窮窟な過去のことも、今の演奏を聴いていると浄化されて、思い出を美しく思わせる。

 そんな演奏の音が止まると、子供の拍手する音が風に乗って聞こえてきた。


 日暮れ前まで演奏を続けた後、一度自宅に帰って荷物を置いてから、地元の居酒屋に集合することになったが、春美は療養中で酒も飲めないし、あまり帰りが遅くなると家族が心配することから、そのまま帰宅した。


 一番乗りで居酒屋に着いた正樹は、一足先に生ビールを注文すると、出されたお通しをつまみながら、裕介にメッセージを送った。


《マサキ:今日、久しぶりに演奏したけど、なかなか良かったよ》


 正樹はジョッキを手に持って、ビールに口をつける。

 気分が晴れている時に飲む酒は、いつもより格別だと思いながら、一口目の余韻に浸っていると、裕介からメッセージの返信が来た。


《ゆうすけ:きいてたよ!やっぱり正樹はすごいや!》


「本当に聴いてたのかよ、こいつ……」なんて呟きながらも、お立て言葉に酒が進む。

 そのメッセージを見ながら、一人にやけ顔で呑んでいると、背後から陽子の声が聞こえたのに驚き、慌ててスマートフォンを隠した。


「何一人でニヤニヤしてるの、気持ち悪い……」

 正樹が「別に……何でもないよ」と言って誤魔化していると、続けて茂雄と純一郎もやって来た。


 其々の手元に酒が行き渡り、何品かのつまみを注文すると、四人はグラスを合わせて乾杯をする。

 酒の力を借りなくても、今日は全員が上機嫌であったが、その気分が酒を飲むペースまで上げさせた。

 全員が早々に一杯目のグラスを空けると、「今日はとことん呑もう」と陽子が言い出したことから、ボトルの麦焼酎を注文した。割り物に頼んだのは、ソーダ水とカットレモン。


 テーブルに並べられた料理をつまみながら呑んでいるうちは、今日の演奏についてや、春美も楽しそうで良かったなど、尋常に話しをていたが、皿の上からつまみが無くなる頃になると、全員が酒も回ってきたことから、純一郎はまだ童貞なのかとか、陽子はキスしたことがあるのかなどと、くだらない話をして笑っていた。


「正樹はあれだもんな……春美先輩が大好きなんだもんな」

 茂雄が正樹を茶化して話すと、酔っ払って悪乗りした純一郎も、「好きだって言っちゃえよ、結婚しちゃえ!」と言って揶揄っていたが、陽子だけは急に表情を強面に変えて、純一郎の話を聞き咎めた。


「何、馬鹿なこと言ってんのよ!春美先輩なんて、ダメに決まってるでしょ!」

 急に場の雰囲気を変えた陽子に、正樹と純一郎が驚いていると、場を和ませようとする茂雄が、戯けて話す。


「おい、どうしたんだよ急に……あれ?もしかして陽子、正樹のことが好きだったのか!」

「違うわよ、ふざけないで!私は、友達のくせに無責任だと思ったの。私だって、春美先輩のことは大好だよ。だけど、それとこれとは別の話。はっきり言うよ、春美先輩だけは好きになっちゃ駄目!」


 正樹は自ら言い出した話でもないが、それでも春美のことが好きなのは本心なので、それを頭ごなしに否定されるのは気分が悪い。


「何で、陽子にそんなこと言われなきゃならないんだよ!」


「冷静に考えなよ……春美先輩のこと好きになって傷つくのは正樹だよ。病気のことは可哀想だし、大変だと思う。大好きな先輩だから助けたいと思うけど、その気持ちと恋愛は別だよ。だって、春美先輩と普通の恋愛ができると思う?どんなに好きになっても、正樹のことだって忘れちゃうんだよ。そうなった時にどうするの?春美先輩は忘れちゃうかもしれないけど、正樹は一生、春美先輩のこと忘れられずに生きる気?馬鹿だよ、そんなの」


 茂雄と純一郎は冷静に話を聞くことがてきても、正樹にとって春美は特別な存在だから、陽子の言うことが、偏見を持った差別的な言葉にしか聞こえない。


「おい、言っていいことと悪いことがあるぞ!いい加減にしろよ!」

 激情する正樹を男二人は宥めて止めるが、陽子は叱咤されてもても、引き下がろうとしなかった。


「私は間違ったこと言ってないでは……春美先輩は大好きな先輩、正樹は友達。でもね、先輩と友達のどっちが大切かって言われたら、私は友達だよ……何か変なこと言ってる?それが変だって言ったら、そんなの綺麗事だよ……」


 陽子はどんなに正樹が睨みつけても、涙を浮かべながら震えている赤く滲んだ目を、逸らそうとはしなかった。

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