第9話 本当の理由(1)

 正樹と春美が最後に会ってから、一週間が経っていた。

 次に会うのは退院したらと約束してから、その目処は立っていない。

 メッセージグループ内でのやりとりはしているが、そこでの春美からは、良くも悪くも変わりのない報告があるたけ。


《マサキ:春美先輩がまだ入院したままです。大丈夫なのかなぁ……》


《ゆうすけ:きっと大丈夫だよ。正樹はいつも心配しすぎなんだよ》


 裕介からのメッセージを読むと、いつも近くにいるような気がしてしまうので、やっぱり空から見ているのかなぁ……と、正樹は思ってしまう。

 この数日で分かった裕介のことは、日が昇ってから沈むまでの時間だけ、メッセージが来ること。

 夜に送ったメッセージは、翌朝にならないと既読されないので、空が暗くなったら寝てしまうのだろう……なんてことを、正樹は想像していた。


 裕介に心配しすぎだと言われても、やっぱり春美の容態が気になる正樹は、御見舞いに昨日行ったはずの陽子に、聞いてみることにした。

『春美先輩どうだった?』と陽子にメッセージを送ってみたものの、きっと勤務中だろうと思っていたが、直ぐに既読になって返信が来た。


「なんだ、こいつ……ちゃんと仕事してんのかよ……」

 口では何を言っても、頭の中は春美のことしか考えていないので、陽子の敏速な対応は有り難い。


 陽子からのメッセージは、まだ退院できそうにないと言っていた報告の他に、『病室が個室に移るって言ってたよ』と書いてあるのを見て、正樹は不安が過った。


 いくら頭を打ったからといっても、貧血を起こしただけで、そんなに長く入院するものなのだろうか……もしかすると、本当は命に関わる病気ではないのだろうか……

 色々なことを悪い方向に考えてしまい、不安が抑えられなくなった正樹は居ても立ってもいられなくなり、病院へ向かうことにした。


 正樹は病院に着くと、春美が移った病室を受付で聞いて部屋に向かった。

 表札に『澤村春美』と書かれた部屋の扉をノックすると、中からはテレビの音に混じって、明るく返事する春美の声が聞こえた。


 扉を開けると春美は、ベッドの上でうつ伏せになりながら、フットボードに頭を向けてテレビを観ている。

 正樹と目が合うと、行儀の悪い体制でいたのを恥ずかしそうにしながら、慌てて起き上がった。


「あ、正樹君だったんだ。てっきりお母さんかと思った」

 春美はテレビを消すと、枕のある方向に頭を戻して体制を変えた。


「急に来てごめんなさい。でも、どうして個室に移ったんですか?何か思い病気なんですか?」

 正樹が訊ねると、春美は「違うよ、正樹君が大きな声出してもいいように、個室になったんじゃない?」と、微笑しながら答える。


「冗談言わないで下さいよ……陽子から聞いて、慌てて来たんですから……裕介は心配しすぎだって言っても、やっぱり心配ですよ……」


 春美が首を傾げながら、「裕介君に?」と言っているのを見ると、正樹は勢いあまって余計なことを言ってしまったと思い、顔を顰めた。

 けれど春美を見ていると、彼女ならどんなに不可思議な話でも、疑うことなく聞いてくれそうに思えてしまう。


「あの……今から話すこと、聞いても絶対に笑いません?」

 春美はにこりと微笑みながら、「笑わないよ」と応える。


「絶対に笑いません?」

「うん、笑わないよ」


「頭がおかしい奴だと思いません?」

「大丈夫、思わないよ」


「頭でも打ったんじゃないかと思いません?」

「頭打っておかしくなるなら、私だって一緒だよ」


 正樹が裕介からメッセージが届いたことを話しても、春美の口からは嘘や信じられないという言葉は、一言も無かった。

 裕介からのメッセージを読んで、春美に謝ることができたことや、他愛もないやりとりの内容について正樹が嬉しそうに話しているのを、春美は疑う素振りもなく聞いている。


「でも、シゲやジュンに話しても馬鹿にされそうだから、このことを話したのは春美先輩だけです」

「そうなの?でも、裕介君のことだもん、馬鹿になんかしないんじゃない?」


 正樹は春美のことを、なんてお人好しな人だと思いながら、大きくかぶりを振った。


「絶対にしますよ、特に陽子は。でも、他の誰が信じなくても、僕はまた裕介と話すことができたのが、嬉しくてたまらないんです。だから、裕介のことを誰かに否定されるのは嫌なんです」


 感情を露わにした正樹の話を、春美は嫌な顔一つ見せず、仏のように聞いている。

 正樹はそんな春美に甘えて、つい自分の話ばかりを聞かせていたが、彼女の容態については、まだ何も聞いていないのを思い出した。


「それより、体は本当に大丈夫なんですか?」

「本当に大丈夫、裕介君の言う通り心配しすぎだよ」


 正樹には、春美が心配させまいとして誤魔化しているように見えるが、これ以上問い詰めれば、自分が困り者に思われそうな気もする。

 そんな考えに言葉を詰まらせていると、病室の扉をノックする音が聞こえた。

 春美が返事をすると、歳は四十代前半に見えて、正樹がイメージする医者と比べれば、とても愛想の良い男性医師が入ってきた。


「面会中だった?検査の時間なんだけど、大丈夫かな?」


 正樹は男性医師に向かって会釈すると、首から下げられた名札を見つける。

 札には、『脳神経内科 北原尚之』と書いてあった。


「あ、僕は帰りますので。それじゃあ春美先輩、また来ます」

 春美は、「ごめんね、ありがとう」と言いながら、正樹に手を降っていた。


 正樹は春美から病状について聞くことをできなかったが、特に気になった様子も見当たらなかった。

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