第8話 再会(4)

 翌朝、深夜のアルバイト明けだった正樹だが、早い時間に目を覚ました。


「あら、昨日はバイトだったんでしょ?ずいぶん早いのね」

 リビングでは母親が朝食の後片付けをしていた。早いと言っても、妹へ学校に行った後だし、父親もとっくに仕事に出ていた。

 アルバイトはしているが、定職に就くことを考えて就職活動をしているわけではない正樹は、家族と顔を合わすのは気が引けていた。

 しかし、専業主婦の母だけは避けることができないし、口煩く言わないことに甘えている所もある。

 けれど平日の日中に春美の所へ行けるのは、神様が与えてくれた時間に思えていた。


 いつもは母が朝食と一緒に作り置いてくれる食事を、昼過ぎに起きてから食べているが、今日は早々に済ませて家を出た。

 昨日からネットで調べていた雑貨店に行って、春美にプレゼントする写真立てを買おうと思ったからだ。

 ただ写真を入れておくだけの物ならば、百円ショップでも購入できるが、そんな安値なものではなく、春美が喜びそうな物を選びたかった。


 正樹は雑貨店に入ると、いつもなら興味を示さないような物ばかりが棚に並んでいる店内に戸惑ったが、店員の女性に声を掛けらると、写真立てを探していることと、自分がイメージしている物を伝えた。

 いつも洋服店などでは、店員に声を掛けられるとあしらってしまうのに、今は助け船が来たように思える。


「何か、春をイメージしたような写真立てがいいです」

 正樹は季節柄と、春美の名前から単純に思い浮かんだイメージを伝えると、店員はガラスのフレームに桜の模様が描かれた写真立てを勧めてきた。


「これを貰ったら、私が彼女なら嬉しいですよ」

「あ、いや、彼女ってわけじゃないんですけど……でも、これにします」


 店員は品物を丁寧にラッピングした後に、メッセージカードを付けたらどうかと正樹に言ってきたが、流石にそれは照れくさいので断った。


 店を出ると、正樹は写真立ての入った紙袋を目の前にぶら下げて、顔を綻ばせた。

 大学一年生の頃は彼女がいたので、女性にプレゼントをしたことが無いわけでもないが、それは誕生日やクリスマスなどの決まりごととして渡していたので、何でもない日に自らの意思で、女性への贈り物を買ったのは初めてだった。


 喜んでくれるかなぁ……ちょっと派手だったかな?もうちょっと地味でも良かったのかな……正樹は春美の所へ向かいながら、そんなことを考えていると、後押しの言葉欲しさで裕介にメッセージを送った。


《マサキ:今、春美先輩にあげる写真立てを買ったんだ。喜んでくれるかなぁ……》


《ゆうすけ:きっと、喜んでくれるよ!》


 病室を訪れると春美は、昨日と同じ写真を手に持って見ていた。

 正樹にとっては、あまりにもタイミングが良いので、本当に神様がいるのか、それとも裕介が仕掛けたのかと、不思議なことを考える。


「春美先輩、また来ちゃいました。迷惑じゃないですか?」

 正樹は春美の顔を見た途端に、家族でもないのに連日来るのは、変な奴と思われていないか心配になる。


「そんなことないよ。病院って退屈だから、誰かが来てくれると嬉しいよ」

 その言葉に裏表が無いことは、春美の表情から伝わる。

 正樹は胸を撫で下ろすと、手に持っている紙袋を春美に渡した。


「これ、御見舞いです。開けてみて下さい」


 春美は興味深そうに紙袋の中を覗き、平箱の包まれたラッピングを解いて開けると、写真立てを見て目を輝かせた。


「わぁ、綺麗!でも、何で?」

「春美先輩が写真を持っていたから、それに入れて飾ったらどうかな?と思ったんです」


 春美は玩具を貰った子供のように、早速写真を収めると、嬉しそうな顔をして正樹に見せた。

 中学生の自分たちが、桜の模様に囲まれている。

 それを見ていると、正樹はとても朗らかな気持ちになった。


「ありがとう。凄く嬉しいけど、来てくれる度に何か買って来なくてもいいよ。それだと、悪い気がしちゃうから」

 慎ましい性格も昔と変わっていないと、正樹は思う。


「わかりました。じゃあ、今度は何も持たずに来ます……とは言っても、本当にいつまで入院してなくちゃいけないんですか?」

 正樹が訊ねると、春美はキャビネットの上に写真立てを置きながら、首を傾げた。


「分からない、まだはっきりは決まってないの。でも、本当に大したことじゃなくて、前にも同じようなことがあったから、ちゃんと検査しておこうってだけ」


 正樹は自分が大きな病院や怪我をしたことがないから、普通はどのくらいの入院期間なのかは分からないが、あまり長くなるのは心配だと思う。


「そうなんですか……でも、早く退院できるといいですね」

 退院したら、食事か映画でも観に行こうなんて言葉が出かけた正樹だが、落ち着いて考えれば連日会いに来たり、特別な理由もなくプレゼントを持ってきたりするのは、好意があってのことなのが見え見えではないかと思い始める。


 時が止まっていたように感じていたが、春美だって二十三歳になる年だから、交際相手くらい、いてもおかしくはない。

 性格上の優しさから何も言えないだけで、自分のしていることは迷惑行為ではないかと、正樹は不安になった。


「でも、いくら久しぶりだからって、毎日来たら鬱陶しいですよね……ほら、彼氏がいたら嫌がるだろうし……」


 独り言のように話している正樹を見ていた春美は、ぽかんと開けていた口を手で隠して、クスクスと笑い出した。

「彼氏かぁ……そうだよね、嫌がるだろうね。でも、残念ながら嫉妬してくれるような人はいないけどね」


 正樹は突拍子もないことを言ってしまったと思い、火照った顔を床に向けた。

 嫉妬してくれるような人はいないと聞いて、心の中で拳を握っていたが、自分が存在しない相手に嫉妬していたのは恥ずかしい。


「正樹君はどうなの?」

 春美の質問に、正樹は急に声を張り上げて、「僕はいないですよ!いるわけないじゃないですか!」と言うと、昨日と同様、他の患者からの注目を浴びて、春美が申し訳なさそうに頭を下げた。


 春美は人差し指を口に当てて、正樹に注意する。

「あ……すみません……急に大声出しちゃって」

「びっくりしたぁ……どうしたの急に?別に、いるわけないこともないでしょ……」


 正樹は、今までに彼氏がいたのかなんてことも気になり始めたが、これ以上話を掘り下げると、自分の株を下げることになりそうなので口を噤んだ。


「本当に鬱陶しくなんかないよ。でも、毎日来てもらうのは悪いから、次は退院したら会おう、その時は皆んなも誘って」


 よく見ると、写真立ての中にいる春美は上手く笑えていないのが心苦しかった。

 今度、五人で集まる時は、春美が笑顔でいられることが再会の条件だと、正樹は自分を戒めた。

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