第7話 再会(3)

 裕介が何故、このようにして現れたのかは不思議だった。

 もしかすると、春美に対して沸きらない態度なのを見ていて、急き立てているのかと正樹は思う。

 相手が裕介だから心霊現象みたいに思いたくないが、気持ちを落ち着かせると、こんな非現実的なことがありえるのだろうかと思ってしまうが、正樹には信じたいと思う理由もあった。


 裕介の葬式が行われた晩のこと、正樹は裕介の夢を見た。

 本当は物凄く嬉しいはずなのに、夢の中の正樹は、死んだはずの裕介が現れたことに怯えてしまうと、寂しそうな顔をして消えてしまった。

 その夢は今でもはっきりと覚えている。


 消えてゆく時の悲哀に満ちた表情も忘れないし、それから裕介の夢を見ることは無くなったのが、偶々だとも思えない。

 だから、この出来事を嘘だと疑ってしまえば、また裕介が消えてしまう気がした。


 午後になると、正樹は春美の入院する病院を訪れた。

 昨日は御見舞いの品も持たずに来たが、今日は来る途中に立ち寄った店で、ドーナツを買った。

 病室の扉を開けると、春美はベッドの上でスマートフォンを触っている。


「春美先輩」

 正樹が声を掛けると春美は目を合わせて、耳につけていたワイヤレスイヤホンを片方だけ外した。


「あれ?昨日も来てくれたのに、どうしたの?」

 春美は不思議そうにしていながらも、陽だまりのような笑顔を見せている。


「あ、昨日は手ぶらで来ちゃったから、今日はこれを持ってきました」

 正樹がドーナツの入った箱を差し出すと、春美はそれを嬉しそうに受け取った。


「わぁ、ありがとう。でも、気を使わなくて良かったのに」

「気なんか使ってないですよ。あ……何してたんですか、動画でも観てました?」

 春美は小さくかぶりを振ると、外していた片側のイヤホンを正樹に差し出した。


「あのね、これを聴いてたの」

 正樹がイヤホンを耳につけると、流れていたのは春美が中学三年生の時にコンクールで演奏した、A.リード作曲の『エル・カミーノ・レアル』だった。

 聴いてみると、プロにしては演奏が荒いように正樹は感じる。


「これ、私達の演奏だよ。懐かしいでしょ?コンクールでは全国大会まで行けなかったのが残念だったけどね。まぁ、これじゃあ当たり前か」


 懐かしさと共に、この演奏には裕介の音も混ざっているのを考えると、正樹は切なさが込み上げてきた。

 感傷的になって聴いていると、また涙が出そうなのでイヤホンを返すと、春美は自分がつけている方も耳から外して、ケースに仕舞った。


 今日、正樹がここに訪れた理由は、春美に謝罪をするためだが、本人を目の前にすると、やはり躊躇してしまう。

 けれど今日も逃げてしまったら、いつまでも詫びることなどできない。

 そんな自分の情けない姿を裕介が見ていると思った正樹は、大きく吸った息を言葉に変えて吐き出した。


「先輩、僕、本当は謝りに来たんです。アンサンブルの時に、裕介が自殺したことを、ずっと先輩のせいみたいに言っていて……あれだけ先輩が協力してくれたのに、傷つけるようなことばかり言って……その後、ずっと謝りたかったのに言えなくて……本当にすみませんでした!」


 正樹が大きな声を出しながら深々と頭を下げると、他のベッドに居る患者が、一斉に注目した。

 春美は驚いてベッドから降りると、「ちょっと、正樹君、頭を上げて」と言いながら、他の患者に頭を下げている。


 正樹が頭を上げると、春美は急に立ち上がったのと驚きが重なって、少しだけ立ちくらみを起こしたので、ベッドに腰を掛けた。


「ごめんなさい……先輩、大丈夫ですか?」

「全然平気、でも驚いたわよ……それに、正樹君が私に謝るようなことなんて、何もないわよ」


 春美はそう言うと、ベッドの横にあるキャビネットの引き出しから、一枚の写真を出して、正樹に見せた。

 それは、アンサンブルコンテスト全国大会の時に、五人で撮った写真だった。


「確かにね、意地悪なことを言われて嫌だった時もあったけど、私は素晴らしい時間を貰ったと思ってるの。でもね、この時間が本当は裕介君の物だったんだから、正樹君が私を邪魔だと思うのは当たり前よ。だから裕介君の分も、私がこの思い出を忘れちゃいけないと思って、いつもこの写真を持ってるの」


 胸のつかえが取れた正樹は、春美の話を聞いて涙を浮かべるが、歯を食い縛り、目尻に力を入れて、ぐっと堪えた。

 辛い思いをさせた春美の前で、自分が涙を流すのは違うことだと思っていた。


「春美先輩、また御見舞いに来てもいいですか?」

「もちろんよ。でも、そんなに長い間入院していたくはないけど……」


 春美の屈託のない笑顔につられて、正樹も頬を緩ませた。

 春美が笑っているのを見れば、いつも幸せな気持ちになっていた。練習が厳しい時も、コンクールの予選で落ちた時だって、いつもその笑顔に励まされていたのに、正樹はそれを忘れていた。

 あの頃と変わらない笑顔を見ていると正樹は、彼女に抱いていた本来の気持ちを思い出していた。


《マサキ:今日はとてもいい日だ!》


《ゆうすけ:どうしたの?でも正樹が喜んでいると、僕も嬉しいよ》


 病院を後にした正樹は、とても晴れやかな気持ちで歩いていた。

 来るまでの道と同じ通りを歩いているはずなのに、まるで別世界のように見える。

 久しぶりに見上げた空は雲一つない青空なのが、自分の心を眺めているように思えた。


 あの場所から裕介は見ているのかな……なんて思うと、少しだけ恥ずかしい気もするが、正樹は今の気持ちを、裕介に伝えたかった。


《マサキ:今日はとてもいい天気だね、そっちはどう?》


《ゆうすけ:こちらは毎日、ぽかぽかです》


 いつもは眩しくて煩わしいと思っていた太陽も、身体に当たる陽射しが暖かくて、春の訪れを感じる。

 次に春美先輩と会う時には、あの写真を入れる写真立てをプレゼントしよう……正樹はそんなことを考えながら、昼下がりの町中を歩いていた。

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