第6話 再会(2)

 病院からの帰り道、茂雄が夕食ついでに一杯呑もうと言ったので、二人は町の中華食堂に立ち寄った。


 注文した料理が来る前に、瓶ビールをグラスに注ぎ合ってから乾杯をする。

 茂雄に大学の方はどうなのかと訊かれると、正樹は誤魔化さずに中退してアルバイトをしていることを話した。

 茂雄は「そうなんだ」と言うだけで、中退したことを咎めたりはしないが、「特にやることがないなら、うちの吹奏楽団に入らないか?」と勧誘してくるのを、正樹は丁重に断る。


「でもさぁ、何でトランペット吹くの辞めたんだ?」

 茂雄が訊くと、正樹は高校時代のことを話した。


 正樹の通っていた高校は、吹奏楽コンクール全国大会の常連校であり、地方からもクラブ推薦で入学してくる部員が大勢いた。

 その中でも大会の出場できるのは選抜メンバーだけであり、それは一年生であろうが三年生だとかは関係なく、技術の高い部員が選ばれる。

 中学生の頃は正樹も『天才トランペッター』と言われて天狗になっていたが、高校では同じレベルどころか、それ以上の技術を持った人間ばかりであった。

 正樹は卒業までの三年間、なんとか選抜メンバーに入ることはできたが、理想としていた音楽よりも、奪い合い、蹴落とし合いの環境に疲れてしまい、卒業するとトランペットを続ける気力を無くしてしまった。


 そのことを話すと、ならば茂雄が所属しているアマチュア楽団なら、競争意識など持たずに演奏できると言われたが、三年間も練習していない今では、音を出すのも精一杯だと思う。


「何か昔とちがって、色々弱気になったんじゃないか?」

 茂雄が言うことに、正樹はぐうの音も出なかった。口に出さないだけで、トランペットのことだけでなく、春美へのことも言っているのだろうと思ったからだ。


 正樹は春美に謝りたいと思っても、実際に会うと臆病になってしまった。

 茂雄は折角チャンスを与えたのに、何をしているのだと思っているはずだが、口煩いことは何も言わなかった。

 その後は他愛もない話をしながら食事を済ませて店を出ると、二人は駅前で別れた。


 帰り道に正樹は、春美のことを考えていた。

 今日の様子だと、今更になって昔のことを振り返す必要もないように見えたが、何もかも無かったことにできる話ではない。

 それに『言いたいことって何?あ、また私の悪口?』なんて言っていたから、今でも傷ついた言葉は、忘れていないだろうと思う。


 家の近所では、相変わらず踏切の遮断機が煩い音を鳴らしていた。

 もし、ここに過去の自分が立っていたら、線路に向かって突き飛ばしているだろう……と、正樹は思う。

 何故ならば、そいつは何の罪もない春美のことを、遠回しに人殺し扱いしていた男だからだ。

 それで春美に詫びることができるなら、殺してしまいたいと思うほど、過去の自分が憎らしかった。


 翌朝、いつもなら昼過ぎに起きる正樹だが、昨夜はアルバイトも無く、酒に酔っていたから早く寝てしまったので、高校生の妹が部屋の向かいにある洗面所にて、朝の身支度でドライヤーを使う音が聞こえて目を覚ました。


 寝ぼけ眼のまま、起きた時間を確かめようとしてスマートフォンの画面を見ると、『Messey』から友達リクエストの通知が来ていた。

 それを確認すると、正樹は驚きのあまり、寝ぼけていた目を見開いた。

 それは、来るはずのない裕介からであった。


 アカウントは中学生の時に登録していたものではなく、新しく変わっていたが、プロフィール画像のアイコンは昔と同じであり、中学生の裕介が写っているので、同名の誰かではないのは確かである。


 しかし、これが裕介本人などあり得るはすがないので、きっと誰かの悪戯だと思うと、真っ先に茂雄の顔が浮かんだ。

 正樹は直ぐに『おい、変なイタズラはやめろ!』と、茂雄にメッセージを送った。

 いくら何でも悪ふざけが過ぎていると思いながら苛立っていると、茂雄からは『何のことだ?』と返信が来た。


 初めは惚けていると思ったが、冷静になれば、茂雄が死んだ友人を装って悪ふざけをする男ではないと思い直す。

 それならば、純一郎か陽子なのかとも考えたが、この二人も悪戯をしそうなイメージではないし、こんなことをする理由も思いつかない。


 何も返信できずにいると、茂雄から『どうした?』『何があった?』どメッセージが来たが、裕介からリクエストが来たと言えば、今まで酒を呑んでいたのか、それとも頭がおかしくなったのかとでも思われそうなので、正樹は『何でもない、勘違いだった。ゴメン』とだけ、メッセージを返した。


 それから恐るおそる裕介からのリクエストを承認すると、トークルームにはメッセージが届いていた。


《ゆうすけ:久しぶり!元気?》


 これが裕介だとは信じられないが、とりあえず返信はしようと正樹は思う。


《マサキ:まあまあ元気だよ。そっちは元気か?》


 メッセージを送ってから、昨日、春美の病室で茂雄に言われたことを思い出すと、裕介に元気なのか訊ねるのも変なのかと思う。

 メッセージが直ぐに既読となると、間を置くことなく返信が来た。


《ゆうすけ:まあまあ元気だよ(笑)》


 正樹は自然に頬が緩んだ。次は何とメッセージを送れば良いのか考えていると、裕介の方から先に、次のメッセージが届いた。


《ゆうすけ:すごく遅くなったけど、アンサンブルコンテスト、全国大会金賞おめでとう‼︎》


 メッセージを読んでいるうちに、これが悪戯だと思う気持ちは消えていた正樹は、疑うことなく返信する。


《マサキ:ありがとう!でも本当は、いっしょに出たかった》


 たとえ幽霊だとしても、これが本当に裕介ならば、どんなに嬉しいことかと思うと、正樹は胸を躍らせた。

 けれど、嘘のような出来事に喜んでいるだけではなく、裕介には言わなければならないこともあるのに気がついて、次のメッセージを送る。


《マサキ:何も知らなくて、何もできなくて、本当にゴメン》


 七年間、心の中に閉じ込めていた気持ち文字にして送ると、溢れるように涙が流れた。

 感情を表に出せば、こうなってしまうのを正樹は自分で分かっていた。だから春美にも素直に謝れず、心の中でもがいていた。

 けれど裕介に気持ちを伝えると、心の中で溺れていた自分が、顔を出して叫び出した。


《ゆうすけ:僕こそゴメン。でも演奏は聴いてたよ、とっても良かった》


 正樹は溢れる涙を止めることなく流し続けた。今、涙を流し尽くした後に、今度は春美に謝らなければならないと思ったからだ。

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