第4話 経過報告(4)

 裕介が亡くなった後、春美はアンサンブルメンバーの一人一人に頭を下げて、自分を加えて本大会に出場してほしいと頼んでいた。


 色々な理由から、初めは誰も春美の頼みを聞こうとしなかったが、それでも諦めずに何度も頭を下げる姿を見て、陽子、茂雄、純一郎は観念したように諾了したが、正樹だけは聞き入れなかった。


 茂雄は裕介のためにも大会へ出場しようと言ったが、正樹は『戦いの組曲』を弔い合戦の曲にして演奏する気にはなれなかったし、春美を加えて出場すれば、裕介の存在が本当に無くなってしまうように思えた。

 それに出場を拒否していた春美が、裕介がいなくなった途端にメンバー入りさせてほしいと言うことが、都合よく見えたりもした。


 それでも春美が頭を下げて願い、涙を流しながら頼み込む姿を見ていると、自分が意地を張っていることは、裕介を悩ませた時と同じことを繰り返しているように思えた。


 春美がこここまで頼む理由が罪の意識からだとすれば、自分も償わなければいけないことがあると思った正樹は、有村にも頭を下げて本大会への出場を願い出ることにした。


「正直言うとあの時、俺たちは最悪の場合、正樹以外のメンバーを入れて出場しようかとも言ったんだ。でも、春美先輩だけは正樹じゃないと駄目だって言ったんだよ。誰かの代わりなんていないって言って……自分は裕介の代わりだったのに」


 正樹は春美の言うことに偽りはないのを気がついていた。

 春美は、自分をメンバーに入れてほしいと言っていたが『裕介の代わりに』とは、一言も言わなかった。

 あの時の正樹も、裕介の代わりなど絶対に嫌だと思っていたが、春美は『裕介の代わり』ではなく『裕介のために』本大会の出場を願っていたのが伝わってきた。

 そうでなければ、春美のメンバー入りを認めることはできなかっただろう。


「だから俺たちは春美先輩に助けられたのさ。結果的に、全国大会も出場できたし、裕介だってそれを望んでただろう、きっと……」


 茂雄の言う通り、春美がいなければ全国大会どころか、あの時点でトランペットを辞めてしまっただろうと正樹は思う。

 後から聞いた話によれば、表面では正樹が有村に謝罪して、本大会の出場を認めてもらったようになっていたが、その前から春美が頼み込んでいたことを知った。

 有村は練習もしていなかったメンバーのことを見て反対していたが、春美がどうしても一緒に出場したいと言ったから承諾されたことを聞けば、全ては彼女が導いたことだった。


「なぁ正樹、俺たちは何で全国大会に行けたと思う?」

「そりゃあ、春美先輩のおかげもあるけど、あの時の演奏は完璧だった。結果的にはそこだろ」


 正樹の言葉を聞いて、ジョッキの縁から離した茂雄の口が、小さくほくそ笑む。


「確かに、あの演奏は良かったよ。皆んなが裕介のためにと思いながら一生懸命だった。けれど完璧ではないぞ、俺たちの演奏はあからさまに感傷的だった。覚えるだろ?正樹は練習中、春美先輩にここはp(ピアノ)じゃなくてmp(メゾピアノ)だとか、f(フォルテ)が弱いから譜面通りに吹いてくれとか煩く言うのを、あの人は黙って聞いていた。でも、本当に完璧な演奏をしていたのは春美先輩だったんだ。本番で感傷的になっていた俺たちの演奏だって、あの人が合わせてくれたから、結果的にアンサンブルが出来上がっただけだ」


 当時の正樹は、春美に何か文句をつけるだけのような態度を取る時があった。

 特に問題のない春美の演奏を指摘する時もあれば、昨日、今日と言うことが違う時もあった。

 下級生から物言われるだけでも屈辱感があったはずなのに、春美は正樹の言うことを文句一つなく聞いていた。

 だから、何が正しいのかなんて分からなかったはずなのに、春美は本場になると見事に合わせてきた。


「そうだな……春美先輩には本当に悪いこといたと思ってるよ」

 思い出せば気が重くなる話しばかりで、正樹は目の前にある酒のつまみに手をつける気になれない。


「春美先輩、今日も来てないし、何してるんだろうな……」

 茂雄はねぎまの串焼きを手に取りながら、ボソリと呟く。

 以前の同窓会の時は、海外にいるので来れないと聞いたが、その後のことは二人とも知らない。


「そういえば、インドとかネパールに行ってたって聞いたよな」

「大学に行かないでバックパッカーみたいなことしてるって、サックスの矢部先輩が言ってたけど、特にSNSでアップしているわけでもないし……何しているんだろうな」


 茂雄は同窓会の幹事だが、参加者の集いは同期の人間同士で行っていたから、連絡先も知らないと言う。


「正樹も今なら、会いたいだろ?本当は春美先輩のこと好きだったもんな」

 口に出さなくても、正樹にとって春美がどういう存在であったのかを、茂雄は当時から気づいていた。


「そういうのは関係ないけど、会えるなら謝りたいよ。裕介のことは事実を知れば尚更、あの人には悪いことしたと思うから」


 茂雄は「今更、気にしてないんじゃないか」と言っているが、正樹には、そう思えなかった。

 春美は全国大会で金賞をとって皆が大喜びしている時まで、『裕介君じゃなくて、本当にごめんね』と言っていた。

 そう思わせていたのが自分だとすれば、今では悔いしか残っていない。


「そろそろ戻らないと、バックれたと思われそうだから会計しようぜ」

 茂雄がそう言うと、正樹は割り勘の代金とは別にして五千円を手渡した。


「これ、今日の会費だ。やっぱりここで帰るよ。また別の日に呑もう」

 茂雄は話の流れから正樹の心情を察したので、引き止めずに会費だけ受け取ると、「じゃあ、ここは誘った俺の奢りだ」と言って、割り勘代金を返した。


 茂雄と別れた正樹は、ほろ酔いで帰り道を歩いた。

 外はまだ、春が待ち遠しく思える冷たさの風が吹いているが、酔い覚ましには丁度良かった。

 三日月の浮かぶ夜空を見上げて、いつも裕介と一緒だった部活帰りの夜道を思い出すと、潤んだ目が月明かりを滲ませた。

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