5.タピオカミルクティー

「うおっ、どうしたのさ?」


 白いビニール袋を手に持った義雅ぎがくんが帰ってきて、ドアの内側で丸まって震えている自分の前にしゃがみこんだ。


「大丈夫かい? タピオカキャラメルミルクティーあるぞ、飲むかい?」


 そして初めて会った時と同じように、義雅ぎがくんが袋から取り出したタピオカミルクティーを、震える手を支えながら持たせてくれて、太いストローを口まで運んでくれた。


 ミルクティーの、舌に絡みつく甘さ。鼻から抜ける花のような香り。あとタピオカの、丸くてつるんとして、噛むともちもちした無味の物体。


 自分の現実世界には全く存在しないこの不思議な飲み物を飲むことで、あの世界から自分は逃げて、生き延びていることを実感できた。


「……義雅ぎがくん」

「なに? ほかにもなんかいるかい?」

「……ありがとう」

「お、おう」

「……でもこれ、キャラメルじゃない」

「あ、ほんとだ。それ俺のだったな。ごめん」

「ごめん……義雅ぎがくんの、ほとんど飲んじゃった」

「じゃあ俺、こっち飲むからいいよ」


 義雅ぎがくんはビニール袋からタピオカキャラメルミルクティーを取り出し、飲み始める。


「おい。椅子に座って飲めよ」

「はいよ、マスター」


 林堂りんどうさんがの言われた通りに、ぼくらはカウンター席に座った。林堂りんどうさんは店のドアに鍵をかけ、それから自分の隣の席に座ると「悪かったな」と謝った。


「いえ。大丈夫です。あの、ぼくがそこのドアから出て元の世界に戻っている時。こっちの世界のぼくは、どうなっているんでしょうか」

「どうって。いないよ。消えた、急に。でもすぐ、尻もちして現れたな」

「へえ。じゃあ店の外に出るのは、まだ難しそうだなあ」


 ズズッ……と底に溜まったタピオカを飲み干した義雅ぎがくんが、妙に真剣な顔つきで見つめてきた。


「な、なにか?」

「あのさ。タピオカミルクティーを売ってる店の人がな。毎日、うちのタピオカミルクティーを買って飲んでくれている人に会ってみたい、ってさ。肉も魚も全く食えねえで、ご飯もパンも野菜もちょびっとしか食べられんで、ほぼタピオカミルクティーだけで栄養を摂っている人間が、どんなだか気になるって言ってたわ」

「はあ……ははっ……」


 苦笑いしか出ない。


「まあ。ゆっくりしてなって。うちはこの街でも超人気のハンバーグステーキ屋で、いつでも人手不足だから。なあ、マスター?」

「ああ、そうだな」


 老眼鏡をかけて新聞を読んでいる林堂りんどうさん。


 飲み終わったタピオカキャラメルミルクティーのカップをビニール袋に入れる義雅ぎがくん。


 ふたりの日常の中に、突然入り込んできた自分。


 この世界で、唯一の場所を与えてくれるレストランりんどう。


 飲み込んだタピオカとミルクティーは甘く、そのせいで少しずつ、怖くて悲しくて悔しい気持ちが鎮められていく。


 ここに塩が入ってしょっぱかったなら、そうはならなかったのかもしれない。




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レストランりんどう 春木のん @Haruki_Non

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