第2話 生ハムメロン味?!
翼が准教授を務め、昴が大学生として通う大学は、この地方では有名な私立大学だ。規模も大きく、学生は全学部合わせると一万人を超えるマンモス校でもある。
そんな大学で、翼と昴は理学部に所属している。翼はすでに物理学者であり、父の月岡悟も物理学者。その流れで昴も理学部の物理学科に進学したものの、先ほどのように深い悩みに苛まれているのである。
「そこまで負けているって思うなら、どうして同じ道を進もうとしたんだよ」
午前中の講義が滞りなく終わり、昴と由基は昼食を食べるべく、小説同好会の使うサークルの部室へと向かっていた。それはキャンパスの西側の端にあり、理学部の校舎から近くて便利だった。しかしプレハブであり、これから夏になると扇風機しかないために辛い時期になる。五月半ばの今も、夕方になると蒸し暑かった。しかし昼間はまだ日陰になるために、快適なのだ。しかも好きな小説を書くのも読むのも自由。これほどいい場所はない。
さらに他の文科系の部活も同じようなところにプレハブ小屋を建てていて、その辺りは独特な空気があるのも、またよく足を向ける理由であった。大学の自由な空気が濃縮されているというか。ともかく、よく世間で言われるようなキャンパスライフから遠い理系の昴にとって、ここは唯一開放的な場所だった。
「どうしてって言われてもねえ。自分だけ違う道ってのが気持ち悪かった、ってのはあるかな。母親も今は引退しているけど化学の研究をしていたから、大学院まで行くものだと思い込んでいたところはある。物理だったのは、やっぱり兄貴に負けっ放しは嫌でさ」
大学を選ぶ時点で違う道を選んでいたら、それはそれで悩んでいたことだろうと昴は思う。それに科学は好きだ。その中でも物理に興味があったので、自然と進路は決まっていた。だから今更それを訊かれても困る。しかし、翼がこの大学に引き抜かれたことで、何かがおかしくなったのは確かだ。
実は大学進学に悩んでいる時期、翼は東京のかの有名な国立大学で引き続き研究をしていて、地元にいなかった。そして昴は、翼はその大学でずっと研究するのだと思っていた。だから地元の大学ならば、同じ道でも気にせずにやっていけるのではないか、という計算はあった。だから同じ道でも迷わずに進もうと思ったという経緯がある。が、現実はそう甘くなかった。
「なるほど。一応、そういうことは考えていたのか」
話を聞けば聞くほどややこしさが解るなと、由基はもうどこをどう質問すればいいのかも解らない。しかも母親まで学者となると、たしかに他の道は進み難いだろう。より劣等感が生まれてしまう。
「どうしてこの大学なんだ。他に大学なんて死ぬほどあるのに」
「いや、大学はたくさんあるが、物理学科って意外とないぞ」
どう考えても、いずれぶち当たる運命にあったんだよと、由基は諦めるように促すしかない。毎日毎日、それだけ兄貴のことを考えていて、よく諦めないなとも思ってしまう。結局のところ、この兄弟は仲がいい。そういうことなのだ。
「よう。理系コンビ。相変わらず不景気な顔をしているな」
そこに生協のビニール袋を下げる、同じ小説同好会のメンバーで経済学部の河合一臣と出会った。こちらもサークルの部室でのんびりと昼食を食べるつもりらしい。
「不景気って、そっちはどうなんだよ。文系ってよく解らんが。暇なのか?」
明らかに緩み切っている一臣の雰囲気に、昴は胡乱な目を向ける。いかにも大学生生活満喫していますって顔だ。
「まあね。三年にもなるとある程度の単位は取り終わっているからさ。就活まではモラトリアム。のんびりもするさ」
一臣はそう言って、無理に経済用語を入れてくる。それに対し、昴も由基もスルーした。こちらも対抗して理系用語を喋ってやれ、とは思わない。
「そういう点はいいよな。これからどんどん忙しくなる俺たちとは違うわけだ」
しかし、一年からずっと忙しい理系との違いは見過ごせなかった。これから専門的な内容も増え、小説なんて書いている時間のなくなる自分たちとは大違いである。
「だから不景気な顔をするなって。これ、やるからさ」
新商品を見つけたんだと、一臣は袋の中から菓子パンを取り出して放り投げた。それは確かに新商品だが、要らないと突っ撥ねたくなる商品だ。
「何、これ。完全再現、生ハムメロン味って」
「面白いだろ。ただのメロンパンではない。生ハム味を完全再現したというのが売り文句だ。しかし生ハム不使用。意味が解らないパンだ」
自分で買っておいて意味が解らないとは何だと、昴はそのパンを握り締めたまま呆然とするしかない。その間に、一臣はさっさと部室のあるプレハブ小屋へと歩き出していた。
「やろうか?」
「要らん」
体よく押し付けられたと気づき、昴はそれを由基に渡そうとした。しかしこちらはすでに衝撃もなく、あっさりと断ってくれる。昴はその意味不明の、本当に生ハムの味がするのか不明のパンをポケットに仕舞った。せっかくだからそのうち食べてみよう。不味くても、自分で支払っていないから痛くはない。
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