兄貴は天然准教授様
渋川宙
第1話 天然兄貴に振り回される
人類において、最大の危機が訪れようとしていた。天空から現れたそれに、俺たちは戸惑うばかりだ。そいつらは宇宙の彼方からやって来た侵略者だった。次々に地球の資源を、その高度な技術で奪っていく。
そればかりではない。突如天空から現れた来訪者は、サンプルとして何人か連れ去ってしまった。その中に、たまたま遊園地でデートしていた俺と彼女も含まれてしまったのだ。俺たちは、どういう成分で作られたか解らない、白い鉄のような網に囲まれた檻の中に入れられてしまった。
「これから、どうなるんだろう」
不安そうに俺を見て来る彼女のリナに向け、俺は励まそうと――
そう軽快に筆を進めていたところだった。いや、正確にはパソコンを打ち込んでいたところだった。しかし、それは突如として途切れることになる。
「おい。聞いているのか、昴?」
大声で、それも耳元で怒鳴られ、SF小説を真剣に書き進めていた月岡昴は、それはもう本当に飛び上がることになった。がたんと音を立て、机で膝を強打することになる。しかしそれどころではない。
「あ、兄貴。どうして部屋の中にいるんだよ。つうか、入る前にノックしろよ」
昴は自分の背後にいた人物を確認し、捲くし立てるように言っていた。ちゃっかりノートパソコンを閉じることも忘れない。しかし心臓はバクバク音を立て、顔は真っ赤になっていた。よりによってこいつに見られていたなんて、と恥ずかしさもあって汗が噴き出す。
「ノックはしたし、何度も声を掛けたぞ。俺だって暇じゃないんだ。さっさと朝飯を食いに来いと、母さんが煩い」
怒鳴っていた昴の兄、月岡翼はその真面目を絵に描いたような顔を顰めて言う。さらに言うならば、翼の顔は結構なイケメンで、そういう顔もまた様になっているから腹が立つことこの上ない。
「ああ、そう。もうそんな時間なんだ」
時計を確認し、すでに七時であることに驚いた。夜中の二時、誰もが寝静まってから書き始めたはずだから、五時間は集中していたことになる。我ながら、随分と没頭していたものだ。
「お前な。その集中力を学業に生かせよ。三年生になったんだ。来年は研究室に所属して、研究に集中しなければならないんだぞ。成績は大丈夫なのか。基礎に問題があると、卒業研究に響くぞ」
そんな呑気な昴に、翼は容赦なく注意を浴びせて来る。その母親ばりの注意に、昴は顔を歪めるも大人しく拝聴するしかなかった。
というのも、兄の翼は十二も上で、すでに大学で准教授をしているという、それはもう大学生の昴が反論できる相手ではないのだ。しかも自分が通っている大学の、自分の所属している学部の准教授となれば、大人しくしている以外にない。しかし、それはそれ。小説に関して、とやかく言われたくはなかった。
「勉強を疎かにするようなことはないよ。ちゃんと、どの研究室に行きたいかも考えている」
だから思わず、そう言っていた。小説はあくまで趣味ですとアピールする。しかし翼はそこではなく、誰のところだと研究室に関して突っ込んでくる。どこまでも准教授だ。
「二宮先生のところ。別にいいだろ。兄貴のところに入ろうという魂胆はない」
翼に負けたくない気持ちを打ち明けるのが嫌で、昴はそれだけ断言しておく。兄のやる研究室に入るなんて、考えただけで最悪だ。それに周囲から何を言われるか解ったものではない。そして同じ研究分野に進むなんて、尚更嫌だった。だから翼のライバルと呼ばれている、そして別の研究分野である二宮慶太郎の研究室にしようと決心したのだ。同い年で准教授にしてライバル。これほど翼への反撃に向けてのいい人物はいない。
「ちょっと、翼。昴は起こしてくれたの」
そこに一階から、母親の月岡恵が大声で確認する声が飛んできた。そう言えば、朝ご飯を食べろと言いに来たはずだ。
「起きてるよ」
これ幸いと、昴は椅子から勢いよく立ち上がると、翼の横を通り抜けて部屋を出た。翼はそれ以上の文句を言うことなく、昴の後を付いて階段を降りて来る。
「昴。そう言えば」
「な、何?」
まだ注意し足りないのか。ただでさえ、兄の存在は自分の劣等感を煽ってくれるというのに、止めてもらいたいところだ。昴は身構えた。
「人間を捕獲して云々という展開は、使い古されたものではないのか。それにしても、どうして宇宙人が来たら、人間を捕獲すると思っているんだろうか。たしかに第二次世界大戦では、敵兵を捕まえて人体実験をしたわけだが、これからの発想だろうか」
「あああっ」
昴は大声を上げてそれを遮っていた。使い古されたという指摘も腹立つが、何より翼にあの小説を読まれていた事実がいたたまれない。呼び掛けながら、しっかり内容を確認していたのだ。しかもどうして、そういう妙な考察を入れるんだ。
「不思議に思わないか。まさか食料にするつもりだろうか。昨今、系外惑星の発見が続き、地球外生命に関して真剣に議論がなされている。もし高度な知性を持つ生物が宇宙のどこかいるとすれば、これは、深く考えるべき問題だろうか」
「それは大学でやってくれ!」
止めても続く翼の考察に、昴はさらなる大声で叫ぶことになったのだった。
「まったく、あの兄貴は。無自覚に人の痛いところを突いてくるし、劣等感を煽ってくれるし、人の小説を勝手に読むし、さらに真っ当な注意までしてくるし。顔は完璧だし、学歴は俺と違ってあの国立大学出身と完璧だし、さらに准教授様だし、勝てる要素なさすぎだろ。何なんだよ」
朝から絶叫に次ぐ絶叫でへとへとになった昴だが、大学に辿り着くなり、友人の広瀬由基を見つけると一気に愚痴を吐き出していた。それに由基は、いつものが始まったよと苦笑して聞き流している。視線は当然のようにスマホへと向いていた。
「あれだな。年齢が近くないのが救いだよな」
そしていつも通りの台詞を吐く。すると昴はぶすっとした顔で文句を止めるのだ。そう、年齢が近くない、というより翼が非常に大人なおかげで、今の今まで大きな兄弟げんかをしたことはない。それどころか、翼は何かと昴を助けてくれる。これもまた昴の不満であった。
「あのなあ。負けている事実をずっと突き付けられている上に、それを本人にぶつけられない苦しみって解るか?」
一時間目の講義が行われる教室に入ったところで、昴はそう訊いていた。いつもそう窘められるが、どうにも納得できないことだ。自分が短気だったら、世の中でよくある兄弟間での殺人が起こっているのではないか。それは十二歳離れているのとは関係ないと思う。
「そうだな。しかしあのお兄さん、ちょっと天然だろ。まず世間一般のようなことは起こらないし、なかなか殺せないと思うぞ。包丁を持ち出しても、変なことを言われて終わるね。ああ、丁度よくこの電気コードを切ろうと思っていたんだ、とかさ」
「うっ」
それもまた事実で、昴は言葉に窮することになる。そう、朝のやり取りで解るように、翼は完璧なくせに抜けているところがあるのだ。妙な議論に真剣になるのも、そこは物理学者だから仕方ないのかもしれないが、真面目ゆえにずれている性格を表している。
「ああ、もう。何かあの兄貴に勝てるものはないのか」
くそっと悶える昴だが、由基にすれば相手が悪いだけで昴が劣っているとは思えない。見た目もそこそこ良く、明らかに理系と解る由基とは大違いだ。それに学業においても、おそらく問題はない。
趣味がSF小説を書くことで、将来はSF作家になりたいと言っているところに問題点があるとしても、それはそれ。同じく小説同好会に入る由基だって、似たようなことは考えているのだ。それに昴が小説家になりたいと言い出しているのは、兄の翼に勝てるのがそれしかないと思い込んでいることに由来するだけだ。しかもちゃんと進路は進学すると決めている。研究者になることを諦めたわけではないのだ。
由基からすると、昴は目の前に巨人がいるせいで、自分が小さいと思い込んでいるだけなのだ。劣等感だけが先にあって、自分の能力を正確に把握していない。由基はそう考えている。しかし、よりによって入学した大学に翼が就職したせいで、昴の悩みはより深いものへと変わっているのだ。
「まあ、難しい問題だよな」
取り敢えず、自分に優秀な兄が存在しなくてよかった。そう思うだけだった。
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