第45話 レンタル恋人 手を繋ぐ人
奏と約束した週末。僕は気乗りしないまま集合場所に指定された駅に来ていた。この辺りではほとんどの人が、この間沙夜と行ったショッピングモールに買い物に行くことが多い。僕はまたあそこに行かなくてはいけないのかと思うとさらにテンションが下がってしまったのだった。
「ちゃんと10分前に来てるんだ。やるじゃん。」
そう言って私服姿の奏がやってきた。ただ、その姿はキャップにマスク姿だった。いつものポニーテールは今日はお休みで、ストレートの状態。声と目だけだったがそれでもこれが奏だとはすぐに分かった。しかし、まるで変装しているみたいだ。
「今日行くところは、さすがに私って事がバレやすいところなの。」
マスクの紐を弄びつつ、そう奏が言った。こういう時はやっぱり有名人なんだなと思うのだった。まさか本当に身バレ対策だったとは。
「まぁ、浩介が私に乗り換えてくれるなら週刊誌に撮られてもいいけど?」
なるほど、そう言う事か。男と歩くという事は奏のような世界の人たちにはそういったリスクが付きまとう。奏なりに僕の事を考えての事なのだろう。僕は奏なりの気遣いに感謝をするべきなのだと思った。
「週刊誌は勘弁してくれ。で、今日はモールに行くってことでいいのか?」
僕が奏にそう切り出すと、奏は首をフルフルと振った。
「何のために駅に来てるのよ。電車で移動するわよ。」
クイッと親指で改札の方に向けて合図をする。
「マ?」
「マ。」
目をパチクリとさせながらマジかと尋ねたら、マジだった。どんだけやる気なんだよ奏は。僕は驚きながら改札に向かっていく奏の後を追った。
「それでさ、沙夜の服装なんだけど。どんなのか教えてよ。」
電車に揺られて移動を始めると、奏が沙夜の服の事を聞いてきた。僕は先日のデートの時の服装を伝えた。それを奏は「ふーん。」とつまらなさそうに聞いていた。
「なるほどね。そりゃ釣り合わない気がするわ。浩介の感覚がまともな証拠。」
ひとしきり沙夜のファッションについて、僕が覚えていたことを奏に伝えると奏は額に手を当てながらそう言った。肯定されているようでディスられてませんか?
「でさ、浩介の服って普段どんなところで買ってるの?」
「服?しまとらだけど。」
「しまとらぁ!!待って、所帯持ちのお父さんじゃない。」
奏に服の調達先を伝えたら非難の嵐が吹き荒れた。しまとらは一部主婦に熱狂的なファン層をもつ格安衣料店だ。同じ商品が2度と入らない事もよくあること。その代わりとても安くてお財布に優しいお店なのだ。
「いや、沙夜の子供は欲しいけど…。」
「お父さんに反応してるんじゃないわよ…。」
奏のリアクションの大きさにとりあえずボケてみたが、そんなにダメだったのか。沙夜と付き合いだしてからもあまり私服で出かけることもなかったし、そうだとしても沙夜もシンプルな服装が多かったように思う。いや、服装だけなら今でもシンプルな方じゃないだろうか。
「はぁ、頭痛い…。ねぇ浩介、ジャケットとか襟付きのシャツとか持ってる?」
「え?ほとんどないなぁ。パーカーとかの方が楽だし。」
「はぁ…。アクセサリーとかは?時計とか、バックとか、チョーカーとか。」
「ん?時計はスマホで十分だし、財布はポケットだし。」
「はぁぁぁ…。なんかもうやだ。」
僕が質問に答える度に奏のやる気ゲージがガンガン削られていく。なんかもうナメクジみたいな形状になりかけている。多分、僕のせいなんだろうけど。迂闊なことを言ったらそれが致命傷になりそうで怖くて声がかけられない。
「最後に聞くけど、今日っていくら持ってきたの?」
「ちょっと多めに1万2千円ぐらい。」
「全然多くないし。それじゃアウター1枚で終わっちゃうよ…。」
「しまとらで買えば2千円ぐらい…。」
「しまとら禁止。はぁ。」
どうやら僕の所持金の量に最後のHPも完全に削られたようで、もはやスライム状の何かになり果てている。なんというか、スマン?
「もういい。連れてきたのは私だし、どうにかする。」
溶けたスライムのまま、奏はポツリとそう言っただけだった。
そのまましばらく無言で電車に揺られて、時間が経つと奏は元の人間形態に戻っていった。そして電車を降りて、今は奏の目的としていた店に入っている。メンズもレディースも揃った店のようで、特にレディースのコーナーは沙夜が着ていそうな服が多く並んでいた。奏は店に入るなり「ここで待ってて」と一言だけ言って奥に消えて行った。ぽつんと取り残された僕は手短にあったポロシャツの値札を見る。
「ろ、ろくせんえん…だと…!」
ちょっと待て。コレ牛丼何杯分?ざっくり20杯くらい食えるよね?マジで?ポロシャツ一枚が?こんなにするの?なんだかクラクラしてきた…。
「お待たせ。奥にスペース作ってもらったから、そこでフィッティングするからこっち来て。」
ポロシャツの金額に驚いていた僕に、いつの間にか戻ってきていた奏が声をかける。そしてそのまま僕の手を取ってお店の奥の方に連れていかれた。その途中に「STAFF ONLY」の文字が見えたのは恐らく見間違いではなさそうだ。
「さて、それじゃ始めましょうか。」
奏がそう言うと、お店の人がどっさりと服を持ってきた。
「確かに、かなちゃんの言う通りで腕が鳴るわね。」
「でしょ?」
奏と店員さんがキャッキャしながら服を出している。間違いなく僕の事を言われているのはよく分かった。
「さてと、浩介の話だと沙夜はカジュアルコーデが多いみたい。だから浩介もそっちに寄せていくわよ。子供に見られたくないなら、ガラッと変えなきゃ。」
そう言って持ってきたのは薄手の7分丈ジャケットと同じ柄のパンツ。いわゆるセットアップというものらしい。それと真っ白な丈夫な生地のTシャツ。とりあえずそれに着替えろと言われ着替えを始める。
「うーん。さっきのセットアップに合わせるならこの靴?」
「それはいきなり過ぎるかも。それに多分お手入れできない。」
「じゃ、革靴じゃなくてスニーカー?」
「そうね。その分時計と、バッグとかで引き締めたいかな。」
「それなら…。」
着慣れない服に袖を通していると、試着室のカーテンの向こう側では次のアイテムの選定が進んでいるようだった。
「浩介―?足のサイズいくつー?」
「27だよ。」
最後のジャケットを着ながら奏の質問に答えてカーテンを開けると、そこには真っ白な新品のスニーカーがあった。と言っても、よく見るとステッチはネイビーでアクセントが効いている。
「おにーさーん。彼女さんの服ってこんな感じ?」
そのスニーカーを履いていると、今度は店員さんが声をかけてきた。そちらを向くと細かい装飾は違うが、大まかな雰囲気は先日の沙夜の服を着せたマネキンがあった。こっちこっちと手招きをされるのでそのまま店員さんの所に行く。
「はい、じゃ並んでみよっか。」
マネキンの横に立たされる。その前には大きな姿見の鏡。鏡に映る姿は着せられている感が満載だが、それでも先日のノーファッションの状態よりもかなり良かったと僕でもすぐに分かった。
「はい。これも着けて。サイズ調整してないからズブズブだけど。」
そこに奏もやってきて、銀色のバンドのクォーツ時計を持ってきた。濃紺の文字盤が印象的だ。言われるがままにそれを着ける。7分丈で手首が丸出しになっていた部分が引き締まって見える気がした。
「ま、とりあえずこんな感じかしらね。」
「ずいぶんよくなったと思います。まだ伸びしろはありそうですけど。」
女性陣が盛り上がっているところを見ると、これは正解に近いらしい。慣れない7分丈に微妙に裾が足りずに足首が見える状況に僕は居心地が悪くてモジモジしてしまう。それを奏が見て注意する。
「浩介、慣れないのは分かるけど、堂々としないと。女の子だって恥ずかしくても辛くても我慢してるんだから。」
「真冬に生足晒したりね。」
「体のラインが出る服着てる時のオヤジたちのエロい目線に耐えたり。」
『ねー。』
女子二人で盛り上がっていた。何だろう、この疎外感。
「じゃ、とりあえず今日はコレ着て帰りまーす。」
「りょーかーい。ちょっと待っててねー。」
奏が勝手に話を進める。待ってくれ、ポロシャツで6千円なら、インナーにセットアップに靴に時計となったら合計でいくらになるんだ!
「お待たせ。合計で6万8千円ね。端数はサービスしちゃうよ。」
期待を裏切らない価格に頭の中が真っ白になる。全く足りない。買えません。確かに少しずつ慣れてきて、こういった服装なら沙夜の隣にいても服装で困ることはなさそうだけど。
「じゃ、事務所に請求書回しといて。」
「いいの?この間怒られてなかった?」
「いいのいいの。いつもの事だし。その分稼ぐしね、私。」
金額に衝撃を受ける僕を無視して、奏が支払いを済ませようとしていた。
「ちょっと奏。奏にこんなに払ってもらうわけには…。」
僕が奏を止めようと声をかけると奏は「うーん」といいながら少し考えるようにしてからこう言った。
「それもそうね。じゃ、この後から帰るまでデートしてよ。レンタル恋人。」
「あら、かなちゃん大胆。聞かなかったことにしとくわね。」
もはや決定事項なのだろう。店員さんはさっさとレジ打ちを済ませて、先程まで着ていた僕の服と靴を袋に入れていた。腕時計のサイズ直しに別の店員さんが既に入っている。断れる雰囲気はどこにもなかった。
こうして僕は、人生初の「コレ着て帰りまーす」をした上に「レンタル恋人」まで経験をすることになった。もっとも、レンタル恋人中は更に手厳しく指導を受けたのだった。髪型、爪の手入れ、家事もできないといけないとかいっぱい言われてしまった。
「レンタルでも恋人なんだから、手ぐらい繋ぐものよ。」
そう言って奏とつないだ手は、いつの間にか『恋人繋ぎ』の状態になり、配慮に欠ける僕はそのままの状態で地元の駅に戻ってしまう。当然それは、次の火種になるわけで—。
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