第44話 解けた結び目
「先輩、どうしたんですか?もしかしてEDですか?」
ゴールデンウィーク明けの学校の廊下で、後輩の灯里がいきなりなご挨拶をしてくれた。先月は妊娠させる歩くわいせつ物扱いで、今月はいきなりの不能者ですか。弄りのレパートリーが偏ってるな、おい。
「はははっ。お前の後輩面白いな。まぁ、なんだ。EDもあながち間違ってないんじゃないか?」
そう言って僕の横にいた葛城が僕の背中を叩いた。いやまぁ、そういった事をする気にもならない状況なのは事実なのだが。
「お前のせいで葛城まで乗ってきたじゃないか。」
そう言って僕は灯里の頭にチョップを入れてやる。「ふぎゃ」と変な効果音と共に灯里が頭を抱える。先日の握手で妊娠騒ぎから、こうして瞬間的な接触ができるようになった。少しだけ一般人に近づいていた。思考は相変わらずだが。
「ま、EDって言うよりカビが生えてるような感じだな。ジトジトしてるわ。」
葛城は鼻をつまんで顔の前で手を振った。おいおい、本当にカビ臭いのか俺?思わず自分の体をクンクンしてしまう。
「あー、リアルガチでカビじゃなくてよ。目に力がねぇよ。今日のお前。」
「そうです。目で妊娠させる力が感じられません。」
マジな葛城のトーンと灯里の言葉のギャップに返答に困る。灯里もある意味真面目に言っているのだとは知っているが。恐らく、先日の件を僕がまだ引きずっていることを二人とも勘付いているのだろう。
「その力は欲しくないから今日がちょうどいいってことだな。」
極力明るくそう言って、今度は灯里にデコピンをくれてやる。「のぉう」と灯里が珍妙なリアクションを取るのを確認してから僕と葛城は教室に入った。
あの日、タクシーで寝てしまった僕が起きた後、沙夜とはほとんど無言だった。沙夜も何か言いたそうにしていたようだが、何も言わなかった。
『また連絡するわね』
そう一言だけ、別れ際に言っただけ。そして、肝心のその連絡も来ていない。それもそうだろう。きっと幻滅したに違いない。沙夜が綺麗すぎて釣り合っていない事に怯えていたのだから。
「また連絡するわね。ね…。」
気が付いたら授業中にも関わらず、そう呟いていた。その刹那、ポケットのスマホが振動した。沙夜からかと思い教師にバレないように確認すると—。
『それって誰から?』
と、奏からのライーン。期待して損した。僕の昂りを返せ。
『さぁ?誰だろうね?』
とぼけておこう。悪い予感しかしない。放置も危険だ。だからこれで躱す。
『分かりきってるじゃない。どうせ沙夜でしょ。』
『なんで断定?』
『その口調は沙夜だから。』
しまった。確かに沙夜の言い回しはこういった時にはバレやすいかも。次の言葉に困って僕の手が止まる。
『その返信の間が肯定よ。』
と追い打ち。ヤバい、このままだとペースを握られる。自分でも整理がついていない事を暴かれることは回避しないといけない。
『奏の入力が早すぎんの。』
『指の動きなら十分早い。考えてから入れてるから遅い。』
『そんなことない。』
『ほら、すぐ書けるじゃない。』
ポンポンっとやり取りが進む。しまった、完全に墓穴だ。奏の事だ、これだけのやり取りでも何かを掴まれるかもしれない。
『昼休みに屋上に来て』
あの日と同じ言葉がスマホに表示される。奏の気持ちを聞いたあの時の。
『待ってるから』
追加でメッセージが届くが、僕はそれに返信できずにいた。
昼休み。
奏は授業が終わると早々に弁当箱だけ持って飛び出した。クラスメートに誘われても「予定があるから」と短く答えて出て行ったのだ。その際、少しだけこちらを見ていたように思えた。来いよ。と目で訴えていたように思う。
「仕方ないか。」
「メシは?食わないのか?」
一言呟いて立ち上がる僕に、葛城が尋ねてくる。
「職員室に呼び出し食らってね。早めに行けば向こうも食いたいはずだから短く済むって話。」
僕は体のいい嘘を葛城につきながら席を立った。葛城は「そうか。」とそのまま自分の弁当をカバンから出していた。僕は葛城に手を振って教室を出た。一応職員室方面に向かってから屋上に向かうとしよう。
「あ、浩介。」
屋上に着くと、奏が可愛らしい弁当箱を広げて食べていた。もぐもぐしながらポニーテールがひょこひょこしている。ちょっとした小動物だ。
「よっこいしょ。」
僕は屋上に来る前に買ってきたコーラを片手に奏の横に座った。春から初夏を迎えるいい風が僕たちの間を抜けていった。
「それで?沙夜と何があったの?」
もぐもぐと弁当を食べつつ、奏が聞いてきた。僕もコーラの缶の口を開けた。プシュッと炭酸飲料特有の小気味いい音が響く。半分程度を一気に飲んでから僕は奏に答えた。
「何もないよ。」と嘘を。でもそれは、
「嘘ね。」と2秒で見破られた。
「まぁ、ここからは私の予想だけど。」
もぐもぐを全く止めることもなく、奏が話し出した。あ、卵焼きが残ってる。
「多分、『大学デビュー』でも見せつけられて焦ったんでしょ?」
そう言って残していた卵焼きを口に放り込む。奏は好物を最後に残す派なのか。ほぼ正解を突かれて、僕は現実逃避に必死だった。返事をしたくないからコーラをまた飲む。
「当たりみたいね。浩介がすぐに反論しない時は、大体マズい事を言い当てられた時だから。」
僕はそのままコーラを飲み続ける。が、最初に景気よく飲んだことが仇となり、早々に缶の中身は空になってしまう。
「何のことだか。」
ようやく出た言葉はただの負け惜しみ。ズバリ言い当てられたことを認められない残念な僕だった。
「はぁ、そんなことじゃ沙夜と姉弟にしか見えなくなるよ?」
ズブッと僕の胸を貫く言葉だった。まるでエストックのようだ。頑なに守りを固めた僕の鎧の隙間を縫って僕の心臓を貫いた。
「なんで分かったんだ?」
僕が奏に問いかけると、やれやれと首を振りながら奏が答えた。
「だって、私でもそうするもん。高校生じゃできないおしゃれが大学からはできる。好きな人に最高の自分を見てもらいたい。褒めてもらいたい。自分だけもっと見てもらいたい。恋する女の子はそれが普通じゃない?」
そう言って奏は顔を俯ける。なんで奏が俯くんだろうか。
「沙夜は素材がいいから、相当可愛く、いえ綺麗になるわ。悔しいけど。」
そう言って奏は奥歯を噛みしめる。学校にいるときの彼女は他の学生たちと変わらない。仕事ではばっちり決めているメイクもほとんどしていない。けれど、本職の奏がここまで悔しがるほどの素質を沙夜は持っているのだろう。それは先日僕もこの目ではっきりと見た。
「で、浩介は姉弟にしか見えないって思ってふてたんだ。」
ザクッと音を立てて、先ほど貫かれた心臓を奏に抉られた。もうダメです。ポツダム宣言してきます。勝ち目がありません。
「…そう。釣り合わないって思った。」
諦めてそのまま自分の気持ちを奏に言った。少しだけ気持ちが楽になった気がした。状況は何も変わっていないけど。
「で?浩介はそれでどうするの?」
「それが分かったら苦労しない。」
「え?浩介何言ってるの?」
奏は僕の横から立ち上がり、僕の目の前に立った。座っている僕の目の高さにスカートの裾が揺れている。
「答えなんて一つじゃない。釣り合うようになればいいじゃない。」
奏は、僕を見下ろしながらそう言った。確かにそうかもしれない。でも、それが簡単じゃないからこんなに悩んでいるんだ。
「そう簡単にできないよ。だから悩んでんだし。」
ありのままを奏に伝えた。そうしたら奏の顔がみるみる赤くなっていく。
「ああもう!だったら私がそうしてあげるから!今度の週末、時間空けてよね!」
真っ赤なトマトみたいになって怒りながら、奏がそう言ってきた。いや、奏にそこまでしてもらうの悪いと思っていると、奏の顔がさらに近づいてきた。
「い・い・わ・ね?」
「は、はい。是非お供せていただきたく存じます。」
今確実に般若の面が見えた。その恐怖に負けて、僕は奏に従うしかなかった。こうして、沙夜の恋敵の奏の手を借りて男磨きをすることとなったのだった。
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