第43話 コレ、私のだから

 待ちに待ったゴールデンウィーク。僕は沙夜と久々にデートの約束をしていた。沙夜とは大学に入学してから通学時間帯も変わってしまったので、今までのように一緒にいる時間が変わってしまっていた。当然、デートの回数や時期も変わってしまっていて、タイミングが上手くつかめずゴールデンウィークまでずれ込んだのだ。


 「ごめんなさい。待たせたかしら?」

ずっと電話越しでしか聞けなかった沙夜の声に、僕は振り向いた。約束の時間は少し過ぎていたが、そこにいたのは高校時代からまた綺麗さに磨きがかかった沙夜だった。白いロングスカートに黒いパンプス。黒の5分丈ニットでモノトーンに仕上げた装い。そこに今までほとんどしていなかった化粧をしていた。元々切れ長で整った目は、アイラインと薄いシャドーで更に存在感を増し、艶のあるグロスを塗った唇は吸い込まれるような錯覚を覚えてしまう。新しく買ったと思われるバッグもとてもオシャレで、たったひと月の間に見違えるほどの変化をしていた。


「浩介?」

あまりの衝撃に見惚れている僕を、沙夜がのぞき込む。


「あ、ごめん。その、今日はいつもと雰囲気が違うから。」

そう言って、僕は思わず沙夜から目を逸らした。いや、直視できなかった。僕が言うのも何だが、沙夜はとても綺麗な恋人だ。だが、今日の沙夜は僕の手に余る美しさだと感じてしまった。沙夜に対して僕は、着慣れたデニムにカットソー。足元はスニーカー。下手をしたら、姉弟と思われてしまうのではないかと思った。


「あら?ふふ。頑張った甲斐があるわね。」

沙夜は悪戯っぽく笑うと、髪をそっと耳にかけるようにした。その耳にはこれも今までなかったピアスが付いていた。真っ赤なルビーのシンプルなピアスが慎まやかに、それでいてしっかりと沙夜を彩っていた。僕は沙夜が綺麗になるのが嬉しい事よりも、ここまで急激に変わった事が怖かったのかもしれない。いつもとは違うドキドキ、これは動悸に近いものがあった。


「どうかしら?ちょっと頑張ってみたのだけれど。」

沙夜が直接的にコメントを誘導してくる。言って欲しい言葉もすぐに理解できた。


「あ、あぁ。すごく大人っぽくて、綺麗だと思うよ。」

そう返す僕の声は少し、震えていた。だが、幸い沙夜にはそれが伝わらなかったのだろう。嬉しそうにしながら手を差し出してきた。僕はその手を握り、歩き出した。どうしようもない心の影を一緒に連れて。



「ふぅ。やっぱりゴールデンウィークね。人ばかりで疲れるわね。」

それからしばらく沙夜とショッピングモールで買い物をしていた。今は休憩を兼ねてコーヒーラウンジに寄っているところだ。買い物をしている間も、すれ違う人が何人も振り返っていた。その中の一体何人が僕の事を彼氏だと思ってくれたのか。いや、そのほとんどが弟だと思っていたのではないだろうか。


「そう言えば化粧、するようになったんだね。」

腰を落ち着けたところもあり、僕は沙夜に問いかけた。


「えぇ。やっぱり女子大だけあって、オシャレしてないと浮くのよ。」

そう言って、沙夜は笑っていた。いつも周りと迎合するのが面倒と言っていたのに。僕が不思議に思っていると、僕が思った事を感じ取ったのだろう。沙夜が続けて補足を話し出す。


「周りに溶け込むことは副産物よ。だって、私がお化粧を覚えて綺麗でいられれば浩介だって喜んでくれるでしょう?それに、色々と教えてもらえているし。」

僕のためと言ってくれて嬉しかったが、また引っかかる言葉が出てくる。今日の僕はどこか懐疑的だった。そんな僕を気にすることなく、沙夜はカフェラテが入ったカップを傾ける。今までつかなかった口紅がカップに少しだけついていた。


「でも、ごめんなさい。まだまだ時間がかかるのよ。今日も手間取って遅刻してしまったし、私もまだまだね。」

待ち合わせに遅れたことを言っているのだろう。僕はそこはあまり気にしていなかったんだけどな。それよりも先ほどの一言が気になる。


『色々と教えてもらえているし』


誰に?何を?

これほど急激に沙夜を変えたのは誰?

みるみる大人の女性に変身していく沙夜にしたのは誰?

オレダケ、コドモノ、ママジャナイカ?


「浩介?ちゃんと聞いているのかしら?」

沙夜の声が聞こえた。


ハッと我に返る。

心臓がバクバク言っている。空気が薄かった。

いや、本当はそんなことないんだと思う。でも、息が上手くできない。

口の中が乾く。返事をしなきゃ。でも、口が動かない。


「浩介?どうしたの?」

沙夜は席を立ち、僕の横に来てくれた。それでもなぜか体が動かない。


「ちょっと待ってて。お会計をしてくるわ。今日はもう帰りましょう。」

僕の異常を感じた沙夜は急いで伝票を持つとレジに向かった。彼女に支払いをさせて自分は席でブルっている。まるで子供じゃないか。そう思うと更に僕の心は暗くなっていく。沙夜は大人。僕は子供。そう思ってしまった。


『あら、弟想いのいいお姉さんね』

『え?あんなのが彼氏?ナイわぁ』


周りにいる人からそう言って見られているような気がしていた。


「お待たせ。浩介、動ける?」

「ごめん、急になんか具合悪くなって…。」

「いいのよ。これだけ人が多いのだもの。きっと人酔いしたのよ。」

そう言って沙夜は僕の手を握り、ゆっくりと立たせてくれた。つないだ手は温かくて、ざわついていた心が少しだけ落ち着くような気がした。


「帰りはタクシーで帰りましょう。ね?そこまで頑張れるかしら?」

沙夜が心配そうに僕に尋ねる。それが嬉しくも惨めで僕の心を締め付けた。僕は弱弱しく頷いて、沙夜に手を引かれながらタクシー乗り場に向かって行った。


「ね、お姉さん。ちょっと時間ある?」

沙夜の足が止まった。いや、止められた。いかにも軽そうな大学生のような男が沙夜に声をかけて、その道を塞いでいた。


「あら、私は用はないのだけれど?」

沙夜はいつもの『女王』の気を少しだけ出しつつ、通り過ぎようとした。


「待って待って!その弟クンの具合でも悪いのかな?だったら俺の連れが—。」

『弟』という単語が僕の心にグサッと刺さる。やはりそう見えていたのか。男は何かまだ言っているようだが、僕にはもう何も聞こえていなかった。ただ、沙夜の手に導かれて惰性で歩いていた。だが、沙夜の足がふと止まった。ショッピングモールのホール部分に着いた時だった。


「無駄—。」

一言呟いた沙夜。そして、あの夏を思い出す空気を身に纏う。


「え?ごめん、よく聞こえなかった。」

男は急に変わった沙夜の雰囲気に押されながらも聞き直していた。


「時間の無駄と言ったのよ。二度も言わせないでもらえるかしら。」

沙夜は男に向かって正対し、スッと目を細めた。鋭い眼光が男を貫く。だが、男の方はまだ諦めていないらしい。


「そんな弟ほっといて—」

「ふざけないで。」

男の言葉を遮り、沙夜が続ける。


「貴方、何か勘違いしているようだけれど。」

そう言って、沙夜の手がグイっと引かれる。思いのほか強いその力に僕の体は流れるように沙夜の胸元に収まった。僕の顔が柔らかな感触に包まれる。


「コレ、私の彼だから。」

そう言うと、沙夜は一瞬僕の体を離して、唇を重ねてきた。びっくりして目を白黒させていると、沙夜の胸にまた顔を埋められた。


「だから残念ね。貴方の出番は最初からないのだけれど。」

いきなりの抱擁と口づけに周りには人だかりができ始めていた。でも沙夜の手は緩まない。むしろ加速する。


「ねぇ、少し教えて欲しいのだけれど。こういった付きまといに、ここはどういった対処をするのかしら?」

そう言って沙夜は総合受付のカウンターにいる女性に声をかけた。そう、ここはショッピングモールの顔、ホール部分。多くの場合ここに案内所があり、スタッフが常駐している。


「え?えっと、状況にもよりますが、一般的には警察を呼ぶことになります。」

急に沙夜に振られてこちらも目を白黒させていたが、すぐに意を受け取り大きめの声で答えた。なるほど、これが狙いだったのか。


「だ、そうよ。私としては是非、警察の方にお願いしたいのだけれど。」

沙夜は相手の逃げ道を一本だけ残し、どんどん追いやる。ここで逃げるなら見逃すと言っているようなものだ。


「あ、俺予定あるの忘れてた!それじゃ!」

男もそれが分からないほどのバカではなかったらしい。すごすごとその場を後にした。男が見えなくなったところで、なぜか「おぉ!」という声と共に拍手が起こった。だが、弱り切った僕の心にこの衆目は非常にキツいものがあった。


「ありがとう。浩介、行きましょう。」

沙夜は周りの人に一言お礼を言ってすぐに歩き出した。目的のタクシー乗り場はすぐそこだ。幸いタクシーも客待ちでいたのでそのまま乗り込む。


「沙夜、ごめん—。」

僕が話そうとしたら、沙夜は僕の口に人差し指を立てて遮った。


「今はいいわ。落ち着いたらまた聞かせてもらえるかしら?」

そう言うと両手で僕の手を包むように握ってくれた。柔らかな温もりがとても優しかった。


それからは僕たちは無言でタクシーに揺られていた。


「浩介?ふふ。寝ちゃったのね。」

コツン。と肩に浩介の頭が寄りかかる。今日の浩介、何か変だったわね。何かあったのだろうけど、今はこうして穏やかな顔で寝ている顔が見れるだけでいい。


「はは、お熱いねぇ。」

タクシーの運転手さんに声をかけられる。


「運転手さんは彼をどんな関係に見ますか?」

私は何気なく聞いてみた。先ほどの男の言葉が許せなくて。


「そりゃ、お嬢さんのイイ人。しかないでしょ。家族に向ける目じゃないよ。見てるこっちまで火傷しちまうよ。」

運転手のおじさんはケラケラと笑いながらそう言った。よかった。私はそう思っていた。


「もうすぐ着くけど、よかったらこのまま少し流そうか?」

運転手さんが話しかける。確かに、今起こすのは何だか悪い気もするし、何よりやっとできたデートがこれで終わるのは私も寂しい。この寝顔を見ていたいのもあった。けれどもそれでは運転手さんに悪い。


「もし流すなら、メーターはここで切るから。」

「そんな、悪いです。」

「お嬢さんに良いもの見せてもらったからね。カミさんと出会った頃を思い出したお礼だ。」

「ふふっ、何ですかそれ?それじゃ断れませんね。」

「そうなんだよ。大人しく受け取ってくれや。」


おじさんの善意に甘えて、私は束の間のドライブを楽しむことにした。


「可愛いわね。」

すぅすぅと寝息を立てる浩介の頭を私はずっと撫でていた。

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