第4章 それぞれの道を歩いて
第40話 新しい毎日に向かって
沙夜の卒業式を境に、沙夜は入学の準備で忙しくなっていった。それでも僕たちは時間を見つけて連絡を取り合い、楽しい時間を過ごしていた。僕が春休みに入ると、沙夜に連れていきたいところがあると言われた。僕は沙夜からのお誘いなら当然OKしか出さない。なので、今日は朝から駅で待ち合わせをしている。
沙夜が高校生の頃、といってもつい最近までのことなのだが、こうやって駅で待ち合わせをすることが多かったらしい。らしい、というのはやはり以前の記憶の部分にその大多数はなっていて、実際覚えている回数は両手で十分足りるぐらいだ。僕たちが親密さを取り戻す頃には、沙夜がすでに自由登校になっていたから。
だから、こうして駅で待ち合わせをすることが僕にとってはまだ慣れないイベントなのだと思う。ソワソワとしながら、沙夜の到着を待つ。コンビニのガラスを使い、映った自分の髪をいじる。寝癖なんてついていないよな?と確認を怠らない。今日のデートは沙夜が仕切りたいということで僕はノータッチ。一体どんなことがあるのか全く想像できない。それだから余計に期待もするし、落ち着かない気持ちにもなっていた。
「お待たせ。」
と声が聞こえて、沙夜が僕の前に歩いてきた。普段はスカートやワンピースなどが多い沙夜が、今日はパンツスタイルだった。8分丈の紺のデニムに白のスニーカーを履いて、上着はオフホワイトのカットソーに7分丈のグレーのジャケットを着ていた。左手の薬指には先日の指輪もある。今日の沙夜はいわゆるキレカジ系の装いだった。メイクも薄くだけどしていて、お洒落なカウンターバーとかで飲んでいても、誰も18歳とは思わない位の完成度だった。
「どうしたの?浩介、まだ寝てるのかしら?」
沙夜に見惚れていた僕は、ボーっと立っていた。その僕の額を沙夜のしなやかな指がつっつく。軽く押されるその力で、僕はマナー違反にようやく気付く。
「あ、ごめん。沙夜が今日も綺麗で見惚れてた。」
「それは嬉しいわね。で、具体的にはどうなのかしら?」
「なんだろう、いつもより更に大人っぽい。」
「それって私が年増に見えるって言われているみたいね。」
「え!そんな事無いって!」
「ふふ、慌てちゃって。ウソよ。」
僕の貧相な語彙にも沙夜は怒ることもなく、笑って僕の手を取ってきた。その手を僕も握り返す。握り返した手からまた握り返された。何度か同じようなことをしてから、沙夜が僕の手を引いて歩きだした。
「さ、行きましょう。今日はここからバスで移動するわ。」
引かれた手を見つめながら、僕は沙夜の後をついていった。エスコートされる側って、なんだか恥ずかしい感じもする。でも、繋いだ手から伝わってくる熱が心地よくて温かくもなる。そうして僕たちはバスへと乗り込んだ。
「バスで移動なんて、珍しいね。」
バスの一番奥、別名「イチャイチャスポット」に腰を掛けて、僕は沙夜に問いかけた。僕たちの生活圏で大体が会っていたから、こうして遠出?をすることは新鮮な気持ちになってくる。
「そうね。ここからざっと20分ぐらいかしら。自然が多くていい所よ。」
僕の問いかけに沙夜が笑いながら話しかける。自然が多い所、か。沙夜の服装や持ち物からはピクニックという感じもあまりしない。あれかな?パワースポット的な場所にでも行くのかな。でもそんなところあったかなぁ。
「また考え込んでる。私がいるでしょう?」
頬を膨らませた沙夜が僕の鼻を摘まむ。その痛みで僕の思考は中断され、すぐ目の前にある沙夜の顔に今度は驚く。切れ長な目に、いつもより長く感じる睫毛。吸い込まれそうな感覚になる。プリプリと怒っているようにしていたが、僕たちは話し出したらあっという間にそんな空気はどこかに行っていて、目的地に到着するまでずっと他愛のないことを話していた。
僕たちが降り立った場所は、三穂馬事公苑という乗馬クラブの前だった。駐車場にはお高い車が並んでいる。え、乗馬?するの?こんなカッコでできるの?慣れない空間に僕の頭の中はちょっとしたパニック。
「さ、行きましょう。」
そう言って、僕の手を取ってズンズンと進んでいく沙夜。僕は借りてきた猫のようになりながらその後をついていった。場違い感がすごくて僕は小さくなっていた。
「おぁ!来た来た!待ってたよ!」
クラブハウスのようなところへ沙夜に連れてこられた。そうしたら、カウンターの奥にいた恰幅のいい親父から声をかけられた。沙夜は驚くこともなく、一礼をしてから、その親父に向かって話し出す。
「今回はすみません。無理を言いまして。」
「いいっていいって。なるほどなぁ、聞いてた通りか。」
「ええ。そうです。」
沙夜と親父との間には、なんだか通じ合うものがあるのだろう。だけど僕にはそれが分からずいた。話の途中で親父と目が合ったが、僕は咄嗟にその目から目をそらした。親父がため息をつきながら沙夜と話す。
「ま、沙夜ちゃんのお願いだしな。任せときな。」
「ありがとうございます。進学する前に、どうしても一緒に来たくて。」
「ハハハッ!お熱いねぇ。以外に体は覚えてるもんだ。やる価値はあるさ。」
そう言うと、親父は僕の方を向いて、グッと親指をサムズアップしてきた。悪い人ではどうやらないらしい。そして、僕と沙夜はそれぞれ分かれてスタッフの人にいろいろと装備品を着けられて外に連れてこられた。
「はぁ~~い。今日もよろしくね~。」
随分と間の伸びた話し方をするインストラクターに迎えられて、僕たちの前に2頭の馬が引かれてきた。僕と目が合ったインストラクターはバチン!とウインクをしてきた。剛速球で飛んできたハートマークが僕の顔を殴打した。
「それじゃ~、お嬢さんは今回も踏み台でぇ~お兄さんはなしでぇ~。」
そう言って、沙夜の足元に腰の高さほどある階段状の踏み台が置かれた。沙夜はそれを登って、いとも簡単に馬に跨る。僕の方は、その踏み台がない。その代わりに男性スタッフが一人、中腰になって手を組んで待っていた。なるほど、この人の手を借りるんだな。あの体勢、おそらく間違いないだろう。そう直感的に感じた。
僕は、自分の直感を信じて、左足を飛ぶようにしつつ鐙にかけ、右足を男性の手を目がけて突き出した。僕の予想通り、その手は僕の右足を受け止め、さらに押し返してくれた。その反動を使って馬に跨ることができた。そしてそのまま馬の首を結構強い力で叩いてあげた。なんだろう、こうすることが礼儀というか、そんな気がしたのだ。
「カッコいい乗り方ね。私もそんな風に乗ってみたいわ。」
気が付けば、沙夜は僕の横に馬を動かしていた。沙夜ってもしかして乗馬できるのかな?確かに、乗馬できそうな感じもするけど。
「沙夜って乗馬できるの?」
「去年1度やっただけよ。」
そう言って、沙夜を乗せた馬は前に歩き出す。ちょ、僕は動かし方なんて知らないから、沙夜に置いて行かれるじゃないか。
「ほらぁ~、足よ~。」
間の抜けた声を聴いた途端、僕の足が動く。両足で馬の腹を軽く叩くように力を入れる。そうすると、馬が前に向かって歩き出した。え?どうして動いた?慌てる僕を気にすることなく、沙夜はさらにスピード上げていく。沙夜との距離が開いていく。しかし、気が付いたら僕の馬のスピードも上がっていて沙夜に追いつく。そうした鬼ごっこをしばらくしていたら、あるところで沙夜の馬が止まった。止まり方もやっぱりわからなかったが、気が付いたら僕の馬も並ぶようにして止まる。
「やっぱり浩介の方が上手ね。私、これでも結構通ってこれなのだけれど。」
「え?そうなの?いつの間に?」
「卒業式の後かしら、一緒に行きたいと思って練習したの。」
そう言って、沙夜は乗っている馬の首を撫でた。
「ここって、浩介と私の初デートの場所だったのよ。」
沙夜から、今日一番の驚きを告げられる。なんとなく、以前に来たことがあるのではないかと思っていた。知らないことができたりしたし。でも、まさか初デートがここだったとは思わなかった。普通選ぶか?その頃の僕よ。
「あの時は、最後にすごいスピードで浩介は駆け抜けたのよ。もう一度、あの姿を見てみたいと思うのが乙女心だと思うのだけれど?」
沙夜が期待を込めた目で僕のことを見ている。こんな時、僕がすべきことは―。
「やっぱり、体は覚えているのね。」
「みたいだな。嬢ちゃん、これでよかったのか?」
「ええ。支配人にはいつも迷惑ばかりで。」
「いいって。あれからカップルプランも定着しつつある。その礼だから。」
下馬した沙夜と支配人の親父が見つめる先。そこには速めのキャンターで駆け抜ける僕の姿があった。二人の会話に気づくこともなく、僕は一心不乱に馬を駆っていた。懐かしいような、久しぶりという言うような不思議な感覚があった。僕がここで沙夜とデートをしていたということはやっぱり本当なんだと感じた。具体的な記憶が都合よく戻ってくることなんてなかったけれど、同じ場所で思い出を作れたことはとてもうれしかった。
「そんなに不安かい?」
「え?」
「思いつめた顔、してるからな。」
「そうかもしれません。彼から、将来の話をもらって。」
「将来?まさか結婚しようとかか?」
「ええ、5年後に結婚しようって。今は間に合わせですが、これを。」
「ははは!やっぱアイツはトんでるな!それで?嬉しかったんだろ?」
「はい。でも、これからが不安で。5年という時間が。」
「簡単じゃないかもな。でも、絶望的でもない。見てみろよ。あの頃も今も、アイツは好いた女のために全力なんだ。そこが本質だから、鳩みたいに必ず帰ってくると俺は思うがね。」
「はい。私も、そう思います。」
「じゃ、信じて待ってやんな。男は飴と鞭の使い分けが大事だ。逃がすなよ。」
「はい。ありがとうございます。」
私は、支配人に心の中の不安を口にした。大丈夫、きっと大丈夫。そう思っていても不安だった。だから今日ここに来たのだけれど、それは正解だったよう。この春から、新しい毎日が始まる。私たちの未来に向かう、新しい5年間が。
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