第39話 約束のプリンセス
沙夜さんの独壇場であっという間に終わった卒業式。僕たちはそれぞれのクラスに戻って残りの時間を過ごしていた。僕の緊張は最高潮になっていた。この後、僕はつい2日前まで準備をしていたドレスを沙夜さんに見せる。それを沙夜さんが着てくれるかはわからない。3年生が各自の卒業証書を手にしたら、いよいよその時なのだ。ドレスを保管している被服室へは後藤さんがエスコートしてくれる予定。2人だけになるか、それともその他の人がついて来るかどうかはその場の流れに任せるしかない。卒業式後の時間は3年生にとっては最後の時間になるから、本人たちの好きに使ってもらいたい。僕は最後にここに沙夜さんが来てくれれば、それでかまわなかった。
上の階が騒がしくなってきた。徐々に3年生たちが最後のHRを迎えていたようだった。そわそわしている僕の背後では、奏が大変つまらなさそうに僕を見ていたようなのだが、僕はそれにも全く気付かなかった。
『終わった。』
と、後藤さんから短文で連絡が来た。僕はHRが終わると教室を飛び出した。急いで被服室へと向かった。被服室に到着すると、すでに後藤さんと沙夜さんが被服室の前に立っていた。まだ、部屋には入っていないのだろうか。僕は乱れた息を整えて、2人に声をかけた。
「先輩、お待たせしました。」
「あら、浩介がどうしてここにいるのかしら?」
「まぁ、僕も手芸部員なので。」
「え?いつの間に部活に入っていたの?」
「つい先月のことですよ。ね?先輩。」
「ん。(こくり)」
僕の登場が意外だったのか、沙夜さんはしきりに僕と後藤さんを見比べていた。後藤さん、どう言ってここに連れてきたんだろう。まぁ、本来僕と接点のない後藤さんから、僕のことを聞いたらその方が違和感があるのかもしれない。
「卒業制作、見て。」
ガラガラと戸を開けながら、後藤さんがそう言った。なるほど。一番自然な理由だと思った。ほんの少しだけ、共同制作の我が手芸部の卒業制作を沙夜さんに見てもらうとしよう。
僕たちが被服室に入ると、そこには大きな布に覆われた2つのトルソー。その下に、ドレスとオーバースカートが隠されているのだ。沙夜さんも被服室に入り、僕たちは扉を閉めた。いよいよ、この時が来た。沙夜さんは喜んでくれるかな。心臓が壊れそうなぐらいバクバクしている。痛いぐらいだ。
「灯里がひと月徹夜し続けたって服がこれなのね。」
沙夜さんは、まだ気付いていない。多分だけど。いつも通り、反応の薄い後藤さんが、トルソーにかかった布に手をかける。それに合わせて、僕はもう1体の布に手をかけた。バッ、と申し合わせたわけでもなく同時に隠していた布が宙を舞う。沙夜さんの視界を一瞬遮り、ついにその姿を現す。
「えっ…。ウソ…。」
真っ白なウエディングドレスを見て、沙夜さんは硬直した。ドレスがあるトルソーの首元には『志賀 沙夜様分ご衣裳』と書かれた札。後藤さんの粋な演出もあるが、僕も驚いた。去年マーメイドラインだったはずのドレスは、見事なプリンセスラインのドレスに変わっていた。まるで、お姫様が着るようなドレスにフォームアップしていたのだ。参った。これだったら、初めからこれ1着だけで十分だったんじゃないかな。と、いけない。僕の仕事を忘れていた。僕は沙夜さんへと歩み寄り、片膝をついてその手を取った。
「これを着てもらえるかな。沙夜。沙夜のためのドレスなんだ。」
僕は、傍から見るととても恥ずかしい構図で、沙夜さんに、いや沙夜にドレスを着て欲しいとお願いした。
「沙夜、去年はDだったのに今年はE。だから全体的に変えた。誤差は今から。」
後藤さんが僕の後ろに立って、針山を手首につけてスタンバイをしていた。
「私に、着ないっていう選択肢なんてなさそうね。」
「その選択肢の必要性を全く感じてませんから。」
真っ赤になって、涙を溜めている沙夜を僕は優しく抱きしめた。少なくとも、喜んではくれている。そう確信できた。そしてオーバースカートを指さした。
「あれ、僕が付けたんですよ。」
「ほとんど縫ったのは私。」
オーバースカートに散りばめられた400個のコスモス。遠くで見るととても華やかな仕上がりになっていた。後藤さんも、本当にありがとう。
「じゃ、準備。」
そう言って、後藤さんに背中を押される。さっさと外に行け。と言うことなのだろう。まぁ、確かにサイズ調整もあるし、着替えとかがあるから僕がいるわけにはいかないのだけど。でも、ドレス姿を最初に見たかったのは事実なわけで、後藤さんが恨めしくも思えた瞬間だった。
そして、僕は職員室に来ていた。今日はどこも部活をしないところが多い。それは普段体育館を使っている部活も同様で、僕はその点に目をつけた。そこで、部として体育館の使用許可を取っていたのだ。職員室で鍵を受け取り、体育館に向かっていく。体育館に着いたら、体育館の扉を全て開けていく。後藤さんがすぐに沙夜を連れてきたから、かなり多くのお客さんを連れてくる可能性が高い。僕はスマホを取り出して、後藤さんに進捗を訪ねた。
『あと20分』
と、いつも通りの通常営業文が届いた。と、いうことは現在は問題なく進んでいるということだ。僕はその時間に合わせてこの後のスケジュールを組んでいく。よし。30分後だな。僕は、あらかじめ作っておいたグループを使って一斉送信をした。すると、お馴染みのキンコンカンコーンと放送の合図が鳴る。
「全校生徒にお知らせいたします。30分後の12時より、体育館にて手芸部の卒業制作発表会『志賀浩介、西御門沙夜の模擬結婚式』を挙行いたします。どなた様もご自由にご入場いただけますので、どうぞお気軽にお越しくださいませ。」
と全校放送がかかる。ありがとう、放送部。ちなみにこの後写真部には撮影に噛んでもらう。どうせなら、複数の部活を使ってしまおうと考えたのだ。それぞれの部長に相談すると、『学校中が知っているビッグカップルのイベントなら是非。』と二つ返事で受けてくれたからありがたい。
僕は急いで体育館の控室スペースに向かい、グレーのタキシードを着ていく。昨日一度袖を通しておいたから、着方は何とかわかっている。さすがに誰も介助してくれないので、ここは自力で何とかする。そうやって、どうにか着替えを終わらせたら時間はすでに5分前になっていた。随分と体育館の周りが騒がしくなってきていた。
「わぁぁ、キレー!」
「こりゃないぜ、ヤバいって!」
「え、ほんとに同い年なの?マジでパないって!」
「あの子、本当にウチの子と同級生?」
外で沸き起こる悲鳴や歓声。その群衆を『モーゼの十戒』のように分けて、沙夜がやってきた。手にはブーケを持って、その表情はここからは真っ白なヴェールで見えなかった。僕は体育館の入り口に向かい、その手を取った。
「すっごく綺麗。似合ってるよ、沙夜。」
「もう、浩介ってすぐにお祭り騒ぎにしてしまうのだから。」
そう言って、沙夜は僕の左腕に右腕を絡めた。僕たちのヴァージンロードは体育館のステージまでの珍妙なヴァージンロードだった。
一歩、また一歩。沙夜と歩調を合わせながらゆっくりとステージを目指していく。実際にはステージに上がることはこの衣装では難しいので、ステージ前に移動するまでしかできない。沙夜が歩く度に、ふわりとドレスが動く。それに合わせて、僕が作ったコスモスの装飾も動いていく。まるで、きれいな夜空を背景にしたお花畑のように。
僕たちがステージに向かうのに合わせ、呼び寄せたギャラリーも付いてくる。最初こそ少なかった人数も騒ぎを聞きつけた人たちがどんどんと集まって、結構な人数が僕たちの後についてきていた。大勢の人を従えて、僕たちは体育館のステージにたどり着いた。今日は雰囲気を味わうだけ。だから、牧師もいない。ここからは僕の思いを伝えるだけ。沙夜と組んだ腕を離し、向かい合った。
「沙夜、今日は卒業おめでとう。僕からの花束、どうだったかな?」
「何か考えてると思ったけれど、私の予想を超えていたわ。」
「それなら良かった。一応、今のこれ部活だしね。」
「ふふ、そうだったわね。あ、お母さんも来てるわよ?」
「え!来る可能性は考えてはいたけど…。」
「ちょっと、そこで弱気になるのはどうなのかしら?」
お母さんが来たと知って尻込みする僕を、沙夜さんは頬を膨らまして見つめていた。いつかはそうやってお願いできるようになる。そのためのケジメも兼ねて企画した事なのだから、ここで意気地を見せなきゃいけない。
「ごめん、ちょっとね。でも大丈夫。」
「そうかしら?心配だわ。」
あくまでも心配そうにしている沙夜のヴェールを僕は上げた。沙夜の顔が薄く赤くなっていた。照れた顔もとても可愛くて、いじらしくて。今までいろいろな表情を見せてくれた沙夜に、今の僕が言いたい事を言おうと思う。違うな。誓おうと思っていた。できるだけ多くの証人を従えて。
「それじゃ、今から大事な話があります。」
今回も、僕の胸にはピンマイクが付いている。記憶が飛んだ時も、これがあったから周りの人に教えてもらえた。さすがに今回は体育館の中だけにしている。響く僕の声に、沙夜はこくっと頷いた。
「色々とステップを飛ばしたことを今の僕はしてると思う。でも、今の僕が将来に描いている夢を今から沙夜に伝えたい。」
僕は、沙夜の手を握りながら続けていく。
「沙夜と一緒にいる時間が多くなって、自分の気持ちの中で沙夜の事が大きくなってきた。いつでも沙夜が僕の横にいてくれることが日常になったらいいなと思うようになった。」
沙夜の手を握る手に力が入る。シルクのグローブが滑らかな手触りでそれを受け入れてくれていた。
「でも、僕はまだ沙夜の事を知らない事の方が多い。だからもっと沙夜の事が知りたい。好きなことも、嫌いなことも全部。でも、僕たちにはもう同じ時間を学校で過ごす時間はなくて。だから、同じ学校にいなくても、今より一緒にいる時間が少なくなってしまっても、二人の支えになる誓いをしようと思う。」
そう言うと、僕はジャケットのポケットに入れていた小箱を取り出した。その箱の中にはピンクゴールドのリングが入っている。もちろん、ただのメッキのリング。本物のプラチナ製などの結婚指輪はまだ先だ。でも、箱の指輪を見た沙夜はその瞳を大きく揺らしてくれていた。
「5年間、僕に時間をください。僕がちゃんと夢を叶えて社会に出たら、沙夜の夢を叶えるために、ここに戻ってきます。それまでの間に、辛い事もあれば、喧嘩をすることもあると思う。でも、最後は沙夜と結婚したい。今日の結婚式は5年後の為に考えました。本番でも、後藤さんの灯里ブランドのドレスで式をしたいかな。」
僕は、リングを箱から取り出し、沙夜の左手のグローブを外した。
「つけてもいい?」
僕は、マイクに拾われないように小声で沙夜に聞いてみた。沙夜はゆっくりと頷いてくれたので、そっと左手を取って、ただの安物のリングを左手の薬指にはめた。事前に買いに行っていたのだが、正直勘で買っていたから合わなかったらどうしようと思っていた。サイズも問題なさそうだし、指に綺麗にマッチしている。
「ありがとう。私、ここまで浩介が考えてくれているって、正直思っていなかったかもしれない。毎日補習と私と勉強会していたのに、いつの間にこれを作ったのかしら。」
「それは、大好きな人に教わったおまじないのおかげですかね。」
そう言うと、僕は今の自分にできる最高の笑顔を沙夜に向けた。それを見た沙夜も笑っていた。この瞬間が永遠に続けばいいのに。そう僕は思っていた。そして、二人の顔が少し近づいて—。
『ミア ラナスカン シヌア』
と、二人で同時に呟いてキスをした。熱く、情熱的なキスを。それを見たギャラリーから悲鳴のような歓声が上がるが、そんなことは知ったこっちゃない。沙夜もブーケを持ったまま僕の首に手を回して、僕たちの世界に入り込んでいた。沙夜とするキスは何時だって多幸感に満ちていた。
それからしばらくして、僕たちは口を離した。そして、沙夜は集まった観衆に向かってクルリと回って、手にしていたブーケを投げた。
「私たちより、幸せになれるものならなってみなさい!」
と叫んでいた沙夜はやっぱり女王。いや、お姫様気質なのかもしれないと僕は思った。沙夜の船出を僕なりの方法で見送った。この思い出を人生の灯台にするんだ。
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