第38話 卒業証書授与式
「一同、起立。」
ガタっとそろった音を立て、体育館に集まった全員が立ち上がる。体育館には、胸に花をつけた3年生。2年生以下の在校生、保護者と来賓が集まっていた。暦の上では春とはいえ、若干冷えた空気が厳かな雰囲気を更に演出していた。壇上に掲揚された国旗と校旗に向かい、礼をする。その後には、国歌斉唱。去年も見てきた僕たちの学校の卒業式が、いよいよ始まったのだ。
去年はただボーっとその様子を見つめていただけだった。特に部活に入ってもいないので、上級生との接点もない。だから、全く何も興味がなかったのだ。寒いので、早く終わらないかと思っていたぐらいだ。だが、今年は違う。できればこの瞬間は来て欲しくなかった。僕は、答辞がある為、最前列に座っているであろう沙夜さんの方を見つめた。席が遠く離れすぎていて、僕からは沙夜さんの事を見つけることはできない。今日を境に、同じ高校生ではなくなる。今の段階で、胸が苦しくなっていた。
壇上では、校長の挨拶が始まっていた。ありふれた事を話しているが、全くその内容は僕に入ってこない。沙夜さんの最後の晴れ姿を待っていた。式次第は、この後に卒業証書の代表者授与があり、在校生の送辞があって、沙夜さんの答辞がある。小学校や中学校では全員に手渡しで卒業証書が渡されていたので、とても時間がかかったが、高校ではまとめてクラスに戻ってから渡される。だから卒業式の時間そのものはとても短いものになっている。
そうこうしていたら、いつの間にか校長に話は終わっていた。次は卒業証書の授与だ。確かここは先代の生徒会長が受けるはずだ。名前を呼ばれ、壇上に向かっていく一人の女子生徒。右手、左手の順で証書を手に取って受け取る。そして左手に持ち直して一礼。そして退場。結構練習したんだな。すごく滑らかに動いている。次に、在校生の送辞が送られ始めていた。沙夜さんの出番が目前に迫っていた。
「続きまして、卒業生より答辞を行います。卒業生代表、西御門沙夜。」
ドキドキしながら待っていたら、あっという間に沙夜さんの番になっていた。
「はい。」
大きく、体育館に通る声で沙夜さんが返事をして、立ち上がる。立ち上がった際に髪が光を受けて煌めく。沙夜さんは髪をなびかせて、ステージの階段を上った。そして来賓席、教員席に礼をして、最後に国旗に礼をして臨場した。そして、胸元から白い包みを出して、原稿を広げた。いよいよ沙夜さんの答辞が始まる。
「桜の蕾も膨らみ始め、春の温かさを感じるようになりました。この桜の蕾のように、私たちは各人が胸いっぱいに夢を持ち、この三穂野が丘高校を本日卒業いたします。」
沙夜さんの、答辞が始まった。沙夜さんの透き通った聞きやすい声が体育館に響いていく。心に響く声だ。それもそうだ。沙夜さんは原稿を広げたが、全くそれを見ていないのだから。
「先生方、在校生の皆様、私たちのためにこの素晴らしい式典を開いてくださり、有難うございます。ご来賓の皆様、保護者の皆様に於きましては、お忙しい中足を運んでくださり、卒業生一同、心より御礼申し上げます。」
沙夜さんは、文中で名前が出る人の方に向かい、息継ぎのタイミングでお辞儀をしていく。先生、在校生、来賓、保護者。全ての人に感謝を伝えようとした。
「私たち、卒業生は3年前の4月に、希望と不安をいっぱいに抱えて入学いたしました。私自身も、とても大きな不安を抱えて入学したことを昨日の事のように覚えております。」
ここまでは、いかにも答辞。という感じだ。でも、基本を押さえたいいものだ。
「私自身の話で恐縮ですが、学校生活を振り返りたいと思います。」
沙夜さんの話す力加減が変わった。沙夜さんは全体を見渡すようにして話を続けていった。
「私は、三穂野が丘高校に入学するまで、とても内気な性格でした。人付き合いが苦手で対人関係にいつも苦労をしていました。高校に入ってからは、自分を変えたいと願って高校生活を始めました。クラスの級友や、先生方にも恵まれ、私の高校生活は順調にスタートを切ることができました。」
沙夜さんが話す内容に学生席がざわつき始める。『氷の女王』の仮面に小さな亀裂が走っていた。
「ですが、私はどうしても男子生徒との接し方が分からず、それなら関わらないでいいようにしようと、男子生徒に冷たい態度を取るようになっていきました。それは、
沙夜さんは、深々と頭を下げた。まるで謝罪会見のようだ。これには教員席もざわついた。恐らく事前の原稿とすり替えているんだ。学生側もざわざわがもっと大きくなってきていた。沙夜さんは、最後に自分を縛る『氷の女王』の殻を破るつもりなんだ。
「こんな私ですが、とても大切な出会いがありました。私の人生を大きく変えてくれた出会いがありました。その人は私が深く傷ついてしまった時に、私を救い出してくれました。それからしばらくして、今度はその恩人が取り返しのつかない傷を負ってしまいました。」
ざわざわしていた空気が一気に僕に向かってくる。皆、今式典中だぞ?さすがに後ろを向いたりしちゃダメだ。僕はノーリアクションに努めた。
「私は、私にできることを必死に探しました。行動できることは全部しました。これほどまでに人の事を考えたのは、初めての事でした。この学校に通って、様々な経験を通して成長できたからだと思っています。」
沙夜さんは前を向いて続けていた。僕はそれを黙って聞いていた。
「在校生の皆さん。高校生活で一番大切なことは勉強でもありません。部活でもありません。自分にとって人生の財産となる『出会い』をすることです。勉強も部活もその入り口でしかありません。そして想いを口に出してください。『もっとあなたのことを知りたい。私の身勝手な記憶になってしまう前に』と。」
上手く取り繕っているように聞こえるけど、沙夜さんこれって『恋しようぜ!』と全校生徒に向けて言っているようなものじゃないかな。
「最後に、私が在学中に間違った認識をされていた事を訂正して、答辞とさせていただきます。」
これは、完全に仕上げてくると思っていた僕の考えがまだ浅かったのか。いや、この後に僕がやろうとしていることを考えたら、似た者同士なのかもしれない。とりあえず、この後の一言で大事故が起きるのは覚悟した。後で怒られるだろうなぁ。
「私、もう『氷の女王』ではないのだけれど。私の凍った心はすでに解かされているのだから。私が卒業した後、私の旦那様に手を出したら、承知しないわよ。」
沙夜さんの仮面は割れて落ちて行った。もう体育館中がざわざわしている。あぁ、教頭が泡吹いて倒れた。阿鼻叫喚の卒業式になったなぁ。沙夜さんはいい
「以上。3月1日、卒業生代表 西御門沙夜。」
自分でぶち壊した式典を散らかしたまま、沙夜さんは臨場した時と同じ所作を行って退場して行った。ちなみに、この年の卒業式の日は学校の伝説となる。その内容は、また次のお話で。
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