第37話 ホワイトデコレーション

 バレンタインを過ぎて、少しずつ春らしさを感じる日も増えてきた。もうすぐ3月だ。3月1日は僕たちの通う三穂野が丘高校の卒業式。僕と沙夜さんが同じ学び舎で過ごすことができる最後の日。僕はここで沙夜さんと高校生活で最後の思い出作りをするつもりだ。補習も無事に2月中には終わる公算で、沙夜さんが帰った後に縫い物の練習をする。睡眠時間は最近2時間ほどまで少なくなっていたが、僕は特に苦を感じることもなく過ごしている。後藤さんに頼んでいるオーバースカートは粗方の作成が終わり、後は装飾の段階まで猛スピードで仕上げてくれていた。


 「季節関係なく、花って何が好きですか?」

僕は、今後の作業のために、バレンタインの時に聞けなかったことを電話で沙夜さんに尋ねていた。可能なら、好きな花をオーバースカートの装飾に使いたかった。そして、最後の装飾は僕がする予定になっている。それが手芸部の作品として譲れない手順だからだ。部活動としてやっている大義名分がこの後の準備にも必要なのだ。


「あら、急にどうしたの?」

突然の電話で好きな花を聞かれた沙夜さんは、当然疑問を持ったようだ。


「もうすぐ卒業じゃないですか。だから、お祝いに花束でも用意したいなって。」

僕は用意していた方便を沙夜さんに伝えた。ある意味で花束にする予定だから、見当違いの答えでもないはずだ。今は嘘を吐くけど、許して欲しいと思う。


「気持ちだけで十分よ。それに、なんだかお別れみたいで嫌だわ。」

思いがけない答えが返ってきた。しまった。この展開は考えていなかった。僕はどうにか自然に聞き出す言葉を、あまり多くない頭の辞書から必死で探していた。


「純粋に、沙夜さんが好きな花を知りたいんです。ダメですか?」

押してダメなら、引いてみろ。これを実践してみた。これなら自然な流れじゃないだろうか。僕なりの最善策、だったと思ったのだが。


「そうね、浩介と出会った頃から、付き合い始めた頃に中庭で咲く花かしら。名前の由来はギリシャ語よ。ふふ、浩介に分かるかしら?」

今日の沙夜さんは意地が悪い日だったようだ。よりによって覚えていない頃の花。そして、ギリシャ語が由来の花の名前。ヒントはあるけれど、それだけでは分からない。それでも、とりあえず僕はその内容をメモした。考え込んだ僕は黙り込んでしまった。


「割とメジャーな花だと思うけれど。」

僕の沈黙に気を使ってくれたのか、沙夜さんがフォローを入れてくれる。おっと、ひとまず会話を続けないと悪いな。後でクーグル先生に聞いてみよう。


「すみません。真剣に考えて黙ってました。そういえば、答辞の準備は順調ですか?」

「私がやるべきではないって、何度も言っているのに。本当に困ったものね。」

「沙夜さんと答辞のイメージがよく合うからですよ。凛としてて。」

「本当に大変なのよ?本当なら手伝って欲しいのだけれど?」

「ごめんなさい…。補習が終わらなくて…。」

「冗談よ。もう少しというところまではできているから。」


 来月の卒業式の答辞に沙夜さんが指名されていたのだ。本人は辞退したいと何度も拒否をしたのだが、周りがそれを許してくれないので、泣く泣く受けた形だ。そうやって渋っていても、本番では絶対に仕上げてくる。沙夜さんはそういう人だ。僕たちは、その後他愛無い話を少しして、電話を切った。


 『ギリシャ語 花 由来 学校 栽培』でクーグル先生に沙夜さんの好きな花を問い合わせてみる。およそ1.7秒で数百の答えの可能性をクーグル先生は導き出した。先生、やるな。僕はその中から、7月~10月に咲く花を探していった。意外なほどにすぐに候補は絞られた。状況から推察された花の名前は、コスモスだと思われる。


 次に、コスモスの造花を探す。メジャーな花ということもあり、簡単に造花も見つけることができた。色もたくさんあるな。白、ピンク、赤、紫あたりで行こう。黄色は単体ではいい感じだが、今回のネイビーには配色が合わないと思う。僕は各色100本、計400本のコスモスの造花をポチった。配送予定日は明日。コンビニ渡しに設定した。万一、明日沙夜さんが来たとしても夜に取りに行けるように。


翌日、沙夜さんが家に来ることもなかったので、急いでコンビニで荷物を回収。ちなみに、前回の事故から行きつけのコンビニは変えている。遠くなったが、交通量は少ないところにしている。荷物を置いて、後藤さんに電話をする。荷物が届いたことを伝えると、「ん。」と一言で電話が切れた。相変わらず、会話は続かない人だ。


しばらくすると、一台の軽自動車が僕の家の前に着いた。その車から、後藤さんがのそのそと出てきた。実はすでに免許を取って、こうして車生活を始めているらしい。後部座席から、オーバースカートを出して渡される。


「これ、絶対に吊るしておいて。すぐシワになる。」

僕は後藤さんの忠告に、壊れた玩具のように頷いて受け取った。想像以上の出来に興奮してしまっていた。ここからは、僕の戦いの始まりだ。


「あんた、これどーしたん?」

オーバースカートを吊るすところがなく、リビングを占領して吊るしていたら、当然だが母さんに見つかった。僕は計画を母さんに伝えた。きっと笑うだろうけど。


「若いってええなぁ。よーやるわ。」

そう言って、巻き込まれることからすぐに母さんは逃げ出した。元々、巻き込むつもりもなかったのだが。とにかく、残り時間はわずかしかない。まずは、購入した造花を分解する。あくまで必要なのは花の部分だけ。造花の茎、がくの部分をニッパーでひたすらにカットして分解をしていく。ただ、分解しすぎるとバラバラになってしまうので、ある程度の所で残していく。たったこれだけの工程だが、手順が3手必要なら、1200回はニッパーを動かして加工が必要になる。根気と集中力が必要な作業だった。


2月21日。ようやく造花の解体が完了した。ここからはひたすらにこれを縫い留める作業になっていく。だが、相手はプラスチック。普通に縫うことは当然できない。なので、分解した花を縫い留め用に用意した布に、プラスチック対応の接着剤でくっ付けていく。これを仕込んでやっと縫える。


2月24日。コスモスの準備が完了。ここからはひたすらに縫って縫って縫いまくる。裾に向かって密度を上げて、配色に注意を払いながら。無心で縫った。何度も針を指に突き刺したが、途中から痛みすら感じていなかった。座ったまま寝る日が続いていた。でも、心は充実していた。これを着た沙夜さんは絶対に綺麗だ。それを独り占めしたい。その一心だった。装飾中に一度後藤さんが来て、オーバースカートに綺麗なサッシュベルトを追加してくれた。


2月27日。最後のコスモスを縫い付けた。もう動きたくない。けれど、最後の準備がまだ残っていた。僕は重たい体をどうにか動かして、オーバースカートを被服室まで持ち込んだ。その足で、貸衣装屋に向かった。僕の服を借りに。適当に見繕ってもらっていたので、受け取ってすぐに帰る。これで今日までの準備は完了。後は、当日を待つばかりだ。


こうして僕は、トイレに座ったまま寝落ちをする。二人だけの結婚式予行を行う準備はどうにか間に合った。この先も二人が迷わない、灯台役の思い出にするために。

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