第35話 二人分のバレンタイン

 僕と、沙夜さんと、奏の3人のそれぞれの思惑が交差する2月14日が、やってきた。僕は今日、僕が考えている3月のイベントのために準備をしている。昨日、補習前に時間を作って欲しいと沙夜さんから連絡があった。恐らく期待通りの物を頂けるのだと思っている。分かっていても、とてもまともな気持ちじゃいられないのだ。僕にとって、初めて貰う本命チョコなのだから。


 さて、僕の大事な計画は、『悟られることなく、沙夜さんの好きな花を聞く』ということだ。先日着手したウエディングドレスのリサイズと、オーバースカートの制作は急ピッチで進行している。ちなみに、後藤さんには口止め済みだ。口止め料込で総製作費は4万円だ。実際にはそのほとんどが材料費なので、実質無料の内容となっている。デザインは後藤さんのアドバイスを基に、ネイビーを軸にチュールを重ねる予定だ。そこに沙夜さんの好きな花を沢山散りばめるのだ。


 そんな不埒なことを考えている僕は、今日の授業など朝から上の空。でも、今日は仕方がない事なのだ。どうやって沙夜さんから聞き出そう。そればかり考えていた。そんな僕に、背後から丸めたメモ紙が飛んできた。


『昼休みに屋上に来て。』


そう女の子の字で書かれたメモ。僕の後ろと言えば、奏だ。奏の事は初詣の事があり、少し距離を置いていた。それなのに呼び出しを受けて、僕は少し戸惑った。僕の彼女は沙夜さんだ。それは周囲のみんなも知っている事実だ。だけど、奏も僕が困っていた時に手を差し伸べてくれた人の一人なのだ。だから、対応に困ってしまう。僕は新たな悩みを抱えて、午前の授業を受けていた。


 タッタッタッタッタ…。

午前の授業の終了を告げるチャイムと共に、僕の後ろの奏は教室を飛び出した。行き先は間違いない。屋上だ。『早く来い』と言われているような気がした。僕はしばらく悩んだ後、屋上に向かって足を向けた。どういう展開になるにしても、折角呼んでもらったのだ。まずは行ってから考えるべきだ。そう思って、僕は席を立った。教室の隅で何やら女子たちが盛り上がっていたが、僕は気にせずに教室を出ていった。


「奏―。来たぞー。」

2月の屋上はとても寒かった。ポケットに手を突っ込んだまま、僕は屋上の扉を開けた。ドアノブが手に張り付くように冷たくなっている。こんなところに待たせていたら、奏が風邪を引くかもしれない。


「よかった。浩介が来てくれて。」

僕の予想通り、奏の顔や脚は寒さで赤くなっていた。早く中に入れないと。


「寒いだろ?とりあえず中に入ろう。」

そう言った僕の声を、奏はブンブンと首を振って拒否をした。


「ここがいいの!」

そう大きな声で言う奏は、いつもより切羽詰まった感じがした。触れれば割れるガラス細工のように見えた。僕はその声に制され、その場に立ち尽くす。ドアノブから手が離れ、屋上のドアが閉まった時。


 ボスッ、と音を立てて、奏が僕の懐に飛び込んで来た。沙夜さんより小柄な奏の顔は、僕の胸にすっぽりと収まっていた。僕の目の先には、奏のトレードマークのリボンシュシュが揺れていた。驚いた僕は、何も言葉が出なかった。


「何も言わないで。今は私の伝えたい事を聞いて。」

奏は僕の胸に顔をうずめたまま、そう言った。僕は、彼女の言うように黙って次の言葉を待っていた。少し考えればこの後の言葉は予測できる。本来なら止めるべきだ。でも、そうは雰囲気がさせてくれなかった。僕は場の空気に呑まれていた。


「ねぇ、浩介。私は浩介が好き。世界で一番浩介が好き。浩介の為なら、何だってできるぐらい好き。いつも一緒に遊んでくれた浩介が好き。誰もしないことを率先してやる浩介が好き。記憶が無くなっても腐らず頑張る浩介が好き。私の事を守ってくれた浩介が好き。言葉じゃ足りないぐらい、浩介が好き。」


僕の胸の中で、奏が僕の好きなところをドンドン言っていく。まっすぐに、情熱を込めて言っていく。僕は立ち尽くしてそれを聞いていた。


「親が離婚して、引っ越して、それからずっと浩介の事を探してきた。高校も浩介がいるからここにした。やっと同じクラスになれて、勇気を出そうと思っていたら沙夜に先を越されちゃった。」


奏の、僕へ抱き着く腕に力が加わる。苦しいほどに。いや、狂おしいほどに。


「何度も神様にお願いした。沙夜と別れて欲しいって。でも、私の願いは叶わなかった。だから、今度は浩介にお願いすることにしたの。」


そう言うと、奏は僕の顔を見上げた。


「浩介、沙夜と別れて私と付き合って。沙夜はもうすぐいなくなる。私なら、いつでも、いつまでもずっとに一緒にいられるから。私の方が浩介を幸せにしてあげられるから。」


やめてくれ。聞きたくない。

沙夜さんと別れろ?それで自分を選べって?

そんな都合のいいことがあってたまるか。

沙夜さんの卒業は寂しいけれど

だからこそ、最高の思い出を作ろうとして…。


「返事は今すぐじゃなくていいよ。私、待つのは得意だから。」

奏は僕から離れながらそう言った。僕の心は乱れたままだ。奏はいつものような笑顔を見せながら話し続けた。


「私たちが3年になって、沙夜が卒業した後が私のターンだからね。ということでこれ。私のお手製マカロン。多分毒は入ってないよ?沙夜に食べさせないから。」

奏はオレンジ色の紙袋を取り出して、僕の手に握らせてきた。沙夜さんに対しては本当に敵意剥き出しになってきた。僕の背中に、何か冷たいものが滴る感覚あって震えあがった。


「冗談だよ!心配しないで。ちゃんと普通のマカロンだから。」

僕の表情を見て、奏はフォローのつもりで言ってくれたのだろうが、正直、怖かった。生まれて初めての本命チョコを期待していた日は、生まれて初めて三角関係を認めざるを得ない日になった。


「奏には悪いけど—。」

「待って。言わなくても分かってる。」

奏にお断りを入れようとしたら、言葉の途中で奏に遮られた。


「今の浩介は沙夜が一番。それは当然だと思う。」

そう言って奏は屋上のドアノブに手を伸ばす。


「それでも、いつか私の魅力でメロメロにしてやるから。」

そう言い残して、奏は屋上から出て行った。奏の宣戦布告に僕は、強く否定できないでいた。その事が情けなくて、悔しかった。冷たい風のせいか、目元に水分が溜まってきていた。

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