第18話 独唱歌

 あらゆる人に否定された進路希望と、実の母に顔を歪められてから、早いものでもうすぐ2週間が経っていた。12月になり、街はクリスマス一色となっている。街の至る所で、恋人や家族に何を送ろうかと悩む人の姿がそこにあった。


―。そう、それが一般的なクリスマスの風景だ。


だが僕は、いや、僕たちはその輪の中にはいなかった。


僕たちには、このイルミネーションは眩しすぎて。


見ているうちに、目の前が霞んで何も見えなくなっていた。


なにかに飲まれて吸い込まれるような恐怖に、僕は自分の部屋に逃げ込んだ。


 先輩とは未だに連絡が取れない。教室に行っても、先輩のクラスメイトに追い払われてしまい、近づくことができない。電車の時間も毎日変えていて、駅で待っていても全くタイミングが合わない。家に行こうとも考えたが、先輩の家の場所を僕は知らない。そう、僕は先輩のことを知らな過ぎた。


 そろそろ、先輩の入試の結果が出る頃だ。だが、その結果を知る術も、今の僕には存在していない。僕が先輩を納得させる答えを見つけて、伝えることができなければ。それはどこにあるのだろう?山に登って、仙人でも探せばいいのだろうか?


わからない。どうすればいいのかが、わからない。

僕は自分の部屋のベッドに腰を掛け、今日も見つかるはずのない答えを探していた。せっかくヒントを貰っていても、その時の僕は、貝のようにその言葉を無視していた。のに。


 残念な僕の独唱歌アリアは今日も悲しい旋律を奏でる。一人だけ、悲しくて苦しいと思い込んでいる大馬鹿者は、今日も一人、部屋で唄う。グルグルと同じところ回るように。


一体何日同じことをしただろうか。最近思い出す先輩の顔は怒っているか、泣いている顔しか思い出せない。追いかけても追いかけても、逃げていく様はまるで夕暮れの影のよう。絶対に追いつけず、触れることができない存在。


 そうしていると、あまりの虚しさに手の力が抜けたのか、僕の手から携帯が落ちた。落とした携帯を拾い上げると、初デートの時の乗馬の写真が出てきた。楽しそうに笑う先輩、必死に馬を駆る先輩、馬に噛まれた僕を笑う先輩、キャンターで駆け抜ける僕を見つめる先輩。いろいろな先輩の姿が携帯には収められていた。



それを見て、僕の中を血が流れる音がした。


ドクン、ドクンと鼓動の音がした。


流れ出す。詰まっていた血栓を吹き飛ばして。


強く、強く脈を打ち、僕の一番大事な気持ちが。


何よりも大切だと思う人の笑顔で―。



あぁ、そうか。簡単なことだったんだな。失っていた熱を体が取り戻していく。冷たく冷え切っていた指先が、てのひらが、頬が、あの時のように燃えるような熱を持っている。


 僕はとんでもない勘違いをしていた。やっと気付けた。見つけられた。答えは山の仙人が持っていたわけでもない。神様からの天啓でもない。誰から教えてもらうものでもない。自分の中にあったんだ。


僕は、喜ぶ先輩の顔が好きだ。笑う顔が好きだ。花を見つめるやさしい顔が好きだ。臆病で、わざと女王様ぶっているところが好きだ。ふてている顔も好きだ。生き物と遊んでいる姿が好きだ。手を繋いで真っ赤になっている姿が好きだ。


そして、真剣に僕のことを考えてくれている先輩がだ。


 ようやく目が覚めたが、今度はどう伝えるかだ。先輩は大局をおそらく見ている。僕は、先輩とどうなりたい?来年、再来年、その先。先輩はそれぞれでどうなりたいのかをきっと考えている。


 『私は、貴方と一緒にいるために、まずはしっかりとした社会人になりたいの。私が夢見ているのは、貴方と一緒に歩く未来なのよ。』

先輩はこう言っていた。先輩だって離れたくはないけど、もっと深い繋がりを求めてくれている。だから、目の前の距離に固執していた僕では話にならなかった。


先輩は、未来を見つめていた。僕に将来の繋がりを求めていた。だからド近眼になっていた僕のことを遠ざけた。だから、泣くほど悲しくて、きっと悔しかったのだとようやく理解した。


 先輩が待つ未来。そのために必要なことを僕は調べ始めた。僕の思い込みかもしれないが、将来家族になることを目指す場合、何が必要なのか。それを僕は知る必要があった。パソコンに向かい、調べものを始める。


 まずは、大前提の結婚をするところだ。婚姻届を出せば、法律上の結婚は終了。だが、それだけではすまない。式を挙げるとして、50人ほど集めると…え!?270万もするの!?それ以外に一緒に住む準備にざっと100万は簡単に無くなっていくらしい。


つまり、新婚生活のスタートにはざっと400万は必要ということらしい。とてもではないが、そんな金額の貯金はない。それを結婚までに貯めないといけない。そして、結婚はゴールではなくスタートだ。もっとお金はいるだろう。


 「だから高校での就職は難しいってことか…。」

僕は学校からもらってきていた求職票に目を向ける。初任給17万5千円とある。だが、実際にはそこから税金などを引かれるらしいので、実際に手に入るお金はそれよりもっと少ない。その状況でこの額の貯金を作るのはなかなか難しい。


 だとしたら、進学して大卒での就職はどうだろうか。調べていくと初任給もやはり高い。それに給料の上がり方が高卒と大卒は違うと書かれていた。


『急がば回れ』

この言葉の意味を初めて理解した気がした。


 進学の意味と理由もできたけど、働くっていうのはどういうことだろう?今度働くことに興味を持って、働くことを調べていた。すると。


「Eラン大学出て、適当に就職したら、ブラック企業で鬱診断。」

「企画志望で採用されたのに、営業に回されて3日で辞めた。」

「営業ノルマがいきなりあって自腹で買わされた。」


など、学生の夢を砕く書き込みが沢山あった。大学を出れば万事解決ではなく、その中で自分を磨いて、会社選びと仕事選びをしっかりしないといけないということが分かった。大学選びからすでに戦いは始まっているんだ。


「ヤバい。相当急いで調べて、逆算しないと間に合わないな。」

思考停止に陥っていた2週間は大きなタイムロスだった。僕は慌てて自分の将来を考え始めた。その隣には先輩、沙夜がいることを夢見て。


「先輩も、こんな気持ちでいてくれたらいいな。」

僕はそのまま、止まった時間を取り戻すべく、明け方まで未来の予定を組み立てていたのだった。待っていてください。先輩。すぐ、追いつきますから―。

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