第16話 押しかけ看病。否、侵入看病

 ガチャ。と音を立てて、家の扉が開く音がした。僕は音がしたことだけ認識して熱で上手く動かない意識を放り投げ、また眠ることにした。今思えば、この時に対処すれば、この先の困難の多くは芽の段階で摘めたと思う。


 それから、どれぐらいの時間が過ぎたかはわからない。次に僕の意識を覚醒させたのは、不意に沈んだ僕のベッドの感触だった。急に体が傾くので、思わず起きてしまった。クソ、頭いてぇ。


 「あ、ごめん。起こした?」

僕のベッドに腰掛ける人物は、大きなリボンが印象的なポニーテールの美少女だった。記憶にある人なら、月島さんという人だと思う。けれど、とても我が家にいるべき人物ではない。月島さんが家にいるなんておかしい。「あ、まだ夢なんだ。じゃ、寝よう。」僕は考えるのも億劫になって、もう一度眠ろうとした。だが、夢が自ら覚醒することを求めてきた。


 「ちょっと、せっかく起きたならご飯食べて、薬飲んでよ。」

月島さんらしき人が僕をゆすってくる。やめてくれ、頭に響くからそれ。


 うぅん。と、意を決して起き上がると、かすかにいい匂いがした。まぁ、ほとんど鼻詰まりでわからないんだけど。なにやら机の上に雑炊とリンゴがあるようだった。正直、そこまで食欲もないから欲しくはない。それに、ここにいる理由も聞いてない。そこまで親しい友人でもない月島さんに食事を用意される意味もまったく分かっていないから、尚更食欲は出てこない。


 「なんでいるの?」

頭の回転が極端に遅くなっている僕は、バカみたいな問いかけをした。


「そりゃこーちゃんが心配だからでしょ。」

「こーちゃんって…。なんで月島さんにガキの頃の呼び方を。」

「そりゃ、そう呼んでたしね。こーちゃん。」


 ハァ?何言ってんだ。こんなかわいい子と遊んでたなら、忘れるはずなんてない。第一、『こーちゃん』呼びはほんの数人しかされたことがない。母さん、ばあちゃん、近所の酒屋のオヤジ、あと一人いたっけか。あれ?だれだっけ?ダメだ。思い出せない。


 「まぁ、いいや。こーちゃん、早く食べちゃって。温かいうちじゃないとお雑炊なんて食べ物じゃなくなるよ。リンゴも変色しちゃうし。」

月島さんはそう言うと、僕に食事を勧めてきた。色々と気になることはあるけど、今はとりあえずその言葉に従って食べておこう。起き上がって時間がたったからか、食べれそうな気がしてきた。


「どう?おいしい?」

「あふ、あついから、はふ、ちょっとまっへ。」

レンゲ片手に雑炊を口に運んでいると、待ってましたと言わんばかりの勢いで月島さんが問いかけてきたが、冷めていたのは表面だけで、中はアツアツで口中やけどをしている状態では、返事はなかなかに困難だ。


「ん。おいしいよ。ありがとう。」

「そっか。よかった。ついでに私も食べる?」

「ごめん、ついていけない。」


本当の事をいうと、味はほとんどわからなかった。わかったのは、熱いということだけ。用意してもらった食事を何とか流し込み、薬を飲む。そしてまた僕は横になったのだった。


 「そろそろ教えて欲しいんだけど、どうやって入ったの?」

ベッドに入り、横になった状態でベッドサイドに座った月島さんに話しかける。


「そりゃ、お母さん公認の看病部隊ですから。」

そう言って、月島さんは母さんが持っているはずの我が家の鍵を見せてきた。今は仕事の時間だから、どうやって渡されたのかは不明だが。


「買い物に行ったら、そのスーパーにいたの。」

僕の疑問に月島さんが先回りしてくれた。でも、なんで母さん知ってるんだ?それに、母さんも初対面のクラスメイトに家の鍵を持たせるなんてありえないだろ。第一仕事中じゃないか。


「お母さんは数秒で気づくのに、こーちゃんは半年近くあっても気づかないもんね。結構ショックだな。」


そう言って、月島さんは僕に背中を向けてしまう。いつもの明るさとは違う、哀しげな背中を、僕は見たことがあるような気がしていた。薬が効いてきたのか、徐々に頭がいつものように動き始める。


状況をもう一度整理しよう。母さんは月島さんの事を知っている。そして、月島さんは家の鍵を貸してもいいような知人だったということ。それから、ずいぶん昔の小さな頃に一部の人にしか、呼ばれたことのない呼び方を知っているということ。


 「もしかして、かなちゃん?」

ボソッと言うと、月島さんの周りに残像を残す速度で、彼女はこちらに向き直した。どうやら、当たりらしい。たしか、どこかに引っ越したはず。だったっけ。


「やっと思い出してくれた!」

満面の笑みでこちらに飛びついてくる。僕はどうにか直撃は避けたが、それでも月島さん。―かなちゃんの体は僕のすぐそばにあって、当時は全く分からなかった女の子の柔らかさに、下がりかけた熱がまた上がる。


「汗かいてるから、離れてよ。」

「え?気にしないから、大丈夫だよ?」

僕の言葉に彼女は全く動じず、さらに服を脱がせようとしてきた。ボタンが一つ、二つと手際よく外されていく。


「ちょっと、何して!?」

僕は病人とは思えない動きで体を起こし、ベッドの隅にはだけたパジャマを手で隠しながら身を縮めた。なんだろう、こういう図は男女が逆な気がする。『襲われる』『喰われる』という草食動物の気持ちがなぜか今はすごくわかる気がしていた。


「え?だって、着替えないと気持ち悪いでしょ?汗が冷えてぶり返すし。」

当然でしょ?という感じで小首を傾げる。おかしいのは僕の感覚なのだろうか。二次性徴を迎えた男女が、特別な間柄でもなく、服を脱がすことがあり得るのだろうか。僕はこの危機をどうやって切り抜ければいい!?


睨み合いが続くこと、数分。月島さんが動いた。


「じゃ、私のこと今度から奏って呼んでくれるなら、自分で着替えさせてあげる。嫌なら、このまま私がやっちゃう。それに―。」


怪しげな笑みを浮かべたまま顔を寄せて、


「私も、だから。」

そう言って、もう一度僕のシャツに手をかけた。


「わかった!わかったから。か、奏。今から呼び方は奏。あーゆーおーけー?」

僕は迫る貞操の危機に声を裏返しながら彼女の要求を飲むことにした。


「そんなに慌てて、どうしたの?私は『ひとの服を脱がせる』のが初めてなだけだよ?あ、今何か変なこと考えてたんじゃないの?」

完全に手玉に取られて納得がいかないが、悪戯っぽく笑うその顔はなぜか懐かしい気持ちになった。


「あー、そうそう。先生から言われてたから一応言うけど。」

そう言って、奏は僕の机から一枚のプリントを手に取り。こう言った。


「この進路希望はありえないね。」

そう言って、怒気を含んだ目をこちらに向けてきた。


まだまだ明るい外に比べ、昏くて重い空気が部屋を支配していった。

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