第2章 別れ近づく冬

第14話 1歳の差の「重さ」を知る

 初デートを行った後、僕たちは急にタイミングが合わなくなって、それ以降の休日でデートを行うことができていなかった。


 先輩は推薦での試験が11月に予定されていて、その準備に入ったためだった。推薦とはいえ、試験がある。試験があれば学校の顔を立てるため、決して手を抜くことができないのは必定で、先輩の性格上「完璧に」合格する事が求められていたからだ。


 そして、前々から聞いていたことだが、先輩は隣町の女子大を受験する。女子大という事は、僕が同じ大学を追いかけることは不可能だ。僕も進路希望を提出する時期になっていて、先輩といる時間を軸に考える僕と、僕の将来を考える先輩とは度々口論になっていた。


 同じ「一緒にいる」未来を描いているはずなのに、二人のビジョンは異なるものになっていた。高校生の「1歳の違い」が重く僕にのしかかる。僕は卒業後すぐ。先輩は社会人になってからを見ていた。


 それでも、登下校はなるべく一緒にしていたし、校内で過ごせる時間は共有したし、携帯での連絡は常に行っていた。それでもやはり、二人の距離が遠くなっていった気がした。焦りが僕の視野をどんどん狭いものにしていった。


 11月も中旬になった頃、僕は先輩に呼び出された。

明日は大学の推薦入試という日。先輩はこの日も中庭で待っていた。僕が中庭に現れたのを確認して、先輩は立ち上がる。分厚い雨雲が空の端からこちらに向かってきていた。


 「今日から1か月、私たち、学校に行くのも、帰るのも一人にしましょう。あと携帯の連絡も控えましょう。」

静かに、感情を抑えて言った言葉は、寒くなり始めた気温よりもずっと、「冷たくて、鋭利な刃物」のように、僕の胸を抉った。


「どうしてですか。別れるってことですか。」

僕の声もどうしても低く、冷たいものになる。別れを切り出されると思っていた。


「どうして!」

大きな声に顔を上げる。先輩が—泣いていた。

先輩の吊り上げられた目は怒りに満ちているのに、流れる涙は止まらない。


「貴方だけが寂しいとでも思っているの!?馬鹿にしないで!私がどれだけ苦しんで貴方に進学を真面目に考えて欲しいか、貴方は全くわかってない!」

先輩の感情が爆発した。一度堰を切った感情はもう止まらない。


「進学をやめて就職?貴方普通科の人間よ?どこに就職できるの?あと、私の大学の近くの学校?偏差値低すぎのEランクしかないわ。就職どうするつもり?貴方が言っていることは、全部目の前の貴方の事だけじゃない!」

僕の考えのダメな部分をこれでもかと指摘してくる。そこまで言わなくてもいいじゃないか。そうしないと一緒の時間は作れない。離れたくないという気持ちは悪いことなのだろうか。


「私は、貴方と一緒にいるために、まずはしっかりとした社会人になりたいの。私が夢見ているのは、貴方と一緒に歩く未来なのよ。」

そう言って、先輩は涙を拭って、僕の事を睨んできた。僕の考えを言ってみろ。という事らしい。


「一緒に歩く未来は、今から一緒に歩いていても同じじゃないか。」

「同じじゃないわ。全然違う。」

「同じだよ。高校を卒業したら、結婚だってできる。」

「馬鹿言わないで!結婚なんてそんなに簡単なものじゃない!」

「だったら沙夜は4年も我慢できるのかよ!?」

「こんな時だけ気安く名前で呼ばないで!」

「俺はそんなに我慢できない!」

「馬鹿!」


パァァン—。乾いた音と共に、左の頬が痛み、熱を持つ。沙夜が、僕の頬を平手打ちにしていたのだ。醜い言い合いに業を煮やした沙夜の実力行使。その頃の器の小さな僕は、沙夜の行動が理解できずに絶望した。沙夜は、また泣いていた。


「私は、貴方と将来家族になりたいわ。貴方は私のものって世界中に言いたいわ。でも、今の貴方とは家族なんてとても無理。」


そう言って、沙夜は僕に背中を向けて

「私を納得させられる考えができるまで、私に近づかないで。連絡もしないで。」


そう言い残し、沙夜は走って僕の前から消えていった。

いつの間にか覆われていた雨雲から雨が降ってくる。


僕はそのまま立ち尽くし、降りしきる雨に打たれていた。







 どうやって、私は家に帰ったのか。覚えていない。明日は入試だが、指定校推薦なので、実際のところただの面接だけ。入試を理由に彼を避けていたのは、彼の進路希望に私の影を落としたくなかったから。デートはもちろん楽しかったし、あんな時間をいつまでも味わいたい。だからこそ、刹那的になっている今が怖くもあったから。でも、彼には伝わらなかった。むしろ、いつも気付いていたことまで気付かなくなっていて、まるで幼児退行しているようだった。


 私は制服を着替えることもなく、ベッドに潜り込んだ。絶対彼には嫌われた。一緒にいられないなら別れると言われるかもしれない。それは私だって嫌。でも、それ以上に彼の人生を台無しにはしたくない。彼の未来の隣に私がいたいけど、そのためには多少の距離が離れても、心が離れない時間が必要だった。それが大学4年間になる。少なくとも私はそう思っている。


 仮に彼の言う就職で仮定する。初任給17万がざっと見た学校斡旋の求人票。手取りは恐らく13万少々。とてもではないが2人の生活は成り立たない。並の大卒になれば悪くても20万前半まで初任給は上がるし、将来の昇進などもよくなる傾向がある。子供が生まれたらもっと経済的に厳しくなる。そういった未来を彼の考えに感じれなかったのが怖いのだ。


 「たった2か月しか付き合ってないのに、そこまで将来を考える方がおかしいのかなぁ。」

私はベッドに埋まりながら、自分の考えが間違っているのかを考えていた。でも、私はやっぱりずっと一緒にいる未来を選びたい。だからこれでよかったのだと思って起き上がる。


 「制服着替えなきゃ。明日の準備も。」

制服を脱ぎつつ、私は思う。あの時に覚悟をしていたことだったけど、それでもここまで苦しいなら、やっぱり文化祭のあの時に—。


 「死んでたら、よかったのかな。」

そうすれば、ここまで苦しくはなかった。楽にこの世から消えられた。気付いてよ。バカ。私だって、死ぬほど寂しくて辛いんだから。


私たちに存在する『1歳の溝』は私たちが想像するより、とても深い溝だった。でも、私は信じてる。貴方がこの溝を乗り越えてくれるって。だからお願い。私に信じ続ける勇気を頂戴。私はずっと、待っているから—。

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