第2話 夕暮れの花壇で

 「本当に熱心にしてくれたのね。」

氷の女王に近づいた僕は、まさかの迎撃を受けていた。彼女に両手を握られ、まじまじと指を見つめられる。軍手などもせずに素手で雑草と闘った僕の手の指先は花壇の土だらけになっていた。


「い、いえ。罰掃除でやってただけですから…。」

初めて感じる同世代の女の子の指の感触に、僕は精いっぱいの返答がこれだった。細くてすべすべな指、僕よりも小さな手。なにより、『氷の女王』の体温は当然だけど暖かかった。初めての感触と感覚に半ばパニックになっていた。


「罰?へぇ。どんな悪さをしたのかしら?でも、普通の男子は逃げると思うのだけれど。私の知っている限り、ね。」

彼女が僕の顔を覗くような仕草をしながら問いかけてくる。狙っているのかわからないが、夕日を受けて長い黒髪がキラキラと輝く。


「現国の授業で、少し考え事をしすぎて、当てられたときに錯乱しちゃったんですよ。まぁ、ハゲたおっさんに『月が綺麗ですね』って言うぐらい。」

「あははっ、面白いことを言うのね。授業で当てられて『愛しています』なんて。ということはやっぱり同性が好みなのかしら?」

初めてみた氷の女王―先輩の笑顔だった。どうやらツボに入ったらしく、しばらく笑いが堪えきれないようなので、落ち着くまで僕は頭を搔くことしかできなかった。ホモ疑惑は、冗談で言っていると信じたい。


ひとしきり笑いが収まったところで、「ここは暑いから」と、先輩に勧められて中庭の日陰のベンチに僕らは腰をかけていた。


「先輩は花壇に用があってきたんですよね。」

先輩に手を握られた動揺もようやく落ち着いて、僕は質問をしていた。さっきはこの子達って言っていたから、たぶんそうだと思うけど。


「あら、あなたって分かりきった質問をわざわざする人なのかしら?」

当然でしょ?といった感じで小首を傾げる先輩に、僕は乾いた笑いを出すのが精いっぱい。なかなか掴みどころがないなぁ、先輩って。




あ、私またやっちゃた。後輩君、顔ひきつってる。

女子相手ならいいんだけど、男子相手だとどうしてこう高圧的になっちゃうんだろう。どうしよう、どうしよう。えーと、そうだ。後輩君じゃ可哀そう。うん、まずは自己紹介をするのがいいわね。


「気に障ったかしら?それならごめんなさい。」

バカバカバカバカバカ!私のバカー!自己紹介したかったのに突き放してるじゃない。あぁ、なんでこうなるのかしら。どうにかして自己紹介を自然に、自然に…。


 先輩が髪を耳にかける仕草をしながら謝ってきてくれた。気に障るような事なんて、別に何もないんだけど。あ、そういえば僕、名乗ってない。僕は先輩の名前とか知ってるけど、先輩は知らないはずだし、後輩が名乗らないって結構失礼なことしてるんじゃないか?先輩、なんていうか品があるような言い回しするし、絶対こういうの厳しいよな。こういうのって後輩からすべきって聞くし。


『あのっ!』

先輩と僕の声がハモる。「どうぞ」とすると、先輩は「どうぞどうぞ」としてくる。しばらく「どうぞ」のやりとりが続いた後、どちらともなく笑っていた。


「僕は、2年の志賀、志賀 浩介です。」

「多分知ってるでしょうけど、私は3年の西御門 沙夜。よろしくお願いするわね。同性愛者の後輩さん。」

「同性愛の方を否定はしませんが、僕が同性愛者ということは断固否定します。」

「あら、ちゃんと周りに気を配れる子って、私好きよ。」

ようやくできた自己紹介。といっても名前だけ。でもちょっとは話しやすくなったかもしれない。


「さっきの志賀君の質問だけれど、その通りよ。この子達の様子を見に来たの。」

先輩が花壇に目を向けて話してくれるのを僕は黙って聞いていた。なんとなく、返事はしない方がいい気がしたから。

「私って、こんな性格でしょう?意外って思うかもしれないけれど、花が大好きなの。この子達は、私の思いにまっすぐ応えてくれるから。」

先輩は話しながら、髪の毛先を指でクルクルと回して遊んでいた。


「そうですかね?僕は女子ならみんな花とか犬とか可愛いものならなんでも好きなんだと思ってました。」

僕は、ベンチから立ちながらそう答えた。これ以上は聞かない方がいい気がして。

「それでは、先生に完了報告して僕は帰ります。先輩の邪魔になりますんで。」

先輩にお辞儀をして、僕は職員室に向かい、愛するハゲの現国教師に掃除の完了を伝え、集めた雑草の袋をゴミ置き場に置いて家路についた。帰るころには、少し暗くなっていた。




 志賀君がいなくなった後、私は普段のように花壇の花に向かって話しかけていた。花に向かって話すなんて、なんだか残念な人みたい。


「私が花が好き、と言って驚かれなかったのは初めてじゃないかしら。」

私はいつも勘違いばかりされていた。男の子とうまく話せないのだ。高校に入るまではどうにか誤解を解こうと思っていたが、上手くいかないので高校からは振り切って今のスタイルを演じていた。みんなお嬢様とか女王様とか言うけど、私の家は普通のサラリーマンの父と共働きの母のごくごく普通の核家族だ。


「進学先は女子大にするつもりだし、あと半年の辛抱ね。」

男子禁制の女子高に今の段階からすればよかったのだろうけど、高校までは男子との距離感を克服しようとしてみたものの、高校でよりひどくなった気がするので、私は進学先を女子大にすることにしていた。ありがたいことに推薦枠頂けそうなので、秋には進学先も決まりそう。


「あら?袖口に土?今日はこの子達の手入れはしていないのに…?」

気が付くと私の左手の袖口に花壇の黒い土が少し付いていた。土いじりをしていないのになぜ?と考えていたら一つの記憶が蘇ってくる。

「~~~~~~~~っ!」

そうだった、花壇の全部の雑草を抜いてくれていた志賀君の手を嬉しくて握っていたんだった。無意識の事だったから忘れていたけど、初めて男の子の手を、

「私から、握っちゃったんだ…。」

異性の手を握ったのは父の手だけ。ごつごつしてて、私の手よりも当然大きくて。初めての感覚だったことしか覚えていない。志賀君ってひどい人。私の初めてを奪っていくなんて。


「はぁ、何を考えているのよ私…。」

でも、不思議と嫌な気分ではないの。昼の告白されたときは、また外見の話だけだったし、嫌悪感しかなかったけれど、今はどちらかというといい気分。不思議体験をしたということで、納得しちゃおうかな。

「志賀君、ね。」

もう一度彼の名前を口にして、私は帰ることにした。まわりの景色はずいぶん暗くなってきていた。

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