6 星空
骨の髄まで冷えるかと思うほど寒かったけど、不思議と辛くは思わなかった。
北極星が動いたことから始まり、天の川の本当の姿、ブラックホールの存在、宇宙が広がっているという事。僕が星について知っているあらゆることを話した。
「不思議だな」
彼女は、上を見ながらそういった。
「何が、不思議なんだ?」
宇宙というものに不思議なことはあるのだろうか? 技術が進み、嘗て未知だった空は、もう既知の物となった。人間に知らないことはないはずだ。
「今、こうやって話しているのを星は見ている。それと同時に、この星たちは人が不老不死、永遠を手にしたときも、そして私が死んだときも、ずっと見ているんだ。ゆっくりと姿を変えながら」
「……」
なぜだろう、彼女の言葉に、何も言えなかった。
「星は永遠に不動だと思っていた。が、その実私たちの一生よりも長く動いている」
彼女は、どことなく悪戯をした子供のように言う。
「まるで、不老不死のお前たちよりも生き物らしいじゃないか」
そう聞いた瞬間、僕の中で何かが壊れた。
自分の中のもやもやが、すっと壊れて、消えた。
……ああ、そうか。
今まで、なぜ自分が星空に魅せられていたかわからなかった。理解できなかった。ただ、自分への苛立ちを覚えるたびに星を見ていた。
だけど、彼女のおかげで分かったんだ。
星を見ながら、じっとその果てを見つめながら、僕の中にたまっていた澱を、全て吐き出した。
「…僕は嫉妬していたんだ」
「嫉妬?」
「そう、嫉妬」
僕の言葉に、彼女は戸惑ったようだった。
そうだろう、多分僕の発言は意味が解らないだろう。
「星にか?」
「もっと言うと、星空に」
なぜだろう。彼女と話していると、今まで倦んでいた、寧ろ、膿んでいたと表現してもいい僕の思いが晴れていった。
「僕たちは不老不死で、変わらない存在だ。全く、生きているとは言えない。それに比べて、星空は生きているんだ。僕たちよりも生きているんだ!」
「……はは」
彼女は笑った。
「いや、お前の方が生きてる。」
僕が吐き出した澱を、彼女は真っ向から否定した。
ゆっくりとでも進歩して、変わっていく星空の方が生きているのは自明の理だろう。
「そういう風に言えるなら、お前は星空よりも生きているよ。」
僕の横に、彼女は座る。
「私は死んだ。生きたくて死んだ。生きているのに、死んでいる私より生きていない。さっきまでのお前は、亡骸のような眼で私を見ていた。今、お前は生きている。お前自身の意志で生きている眼をしている」
そう、彼女は僕に言うのだった。
「……自分の意志で、生きている、か」
そう聞くと、なぜか不思議な気持ちになった。
彼女は僕の顔を覗き込む。
「自信を持て、お前は」
一呼吸おいて、顔を近づけた。体温は無いはずなのに、なぜか暖かかった。
「生きている」
そういわれて、なぜかほっとした。
いや、違う。
これはほっとしたんじゃない。
だって――
そう、僕は泣いていた。
泣いていたんだ。
「なぜ泣き出す?」
「……いや、とてもうれしかったんだ」
この感情は、胸をつくこの思いは、いったい何なのだろうか。恐らくうれしいという感情だ。
「人から感謝をされたのは初めてだ」
そういうと、彼女は僕から顔を話す。
「私が生まれた時代は、二つに分かれていた。この日ノ本が、真っ二つに分かれていた」
僕が何かを言おうとする前に、彼女が語りだす。言葉を出すことを許さないように。
「誰も彼もが己のために生きていた。生きて生きて、殺して殺して、殺されて殺された。」
遥か遠くを、恐らく彼女の生きた時代を見ながら、彼女の言葉は続く。
「そんな中で、誰かを思いやるなんてことはできなかった。思いやる、という言葉がいいということは知っていた。それでも、そんな感情が誰かに湧くことはなかった」
命が軽く、そして人が生き生きとしすぎてしまった時代の人の言葉だった。
「今お前がうれしいといった瞬間、心が軽くなった。死んでいるのに、人の心はまだ残っているのだと思えたのがうれしい」
その言葉は、僕の心に刺さった。
僕の言葉が、彼女が心を思い出すきっかけになったことが、どうしようもなくうれしかった。
僕の口から自然と言葉が漏れ出した。
「ああ、君もまた生きているんだ」
死者であり、霊であり、生きていない彼女に、僕はそういった。
「……はは、皮肉か?」
彼女は呆れたように言う。
「いや、違う」
それを否定する。否定しなくてはならないと思った。
そうだ、これは皮肉なんかじゃ、無い。
「生きているよ。君は生きているんだ」
力強く、それしか言えなかった。
「心があるなら、生きている。心をすり減らし切って、続きすぎた日常に飽き飽きしてしまった僕たちよりも、君は生きている!」
思いがけず、のどから強い声が出た。
出てしまう。
そうだ、彼女は生きているのだ。僕たちが死んだように生きているよりも、死んだ後の魂だけ、ただ意識と感情があるだけの彼女が生きているのだ。
生きているし、生き生きしている。
ああ、そうだ。
これは憧憬だろう。
死んだように生きている僕が、生きるように死んでいる彼女に対する、僕のあこがれだ。
「そうか、私は生きているのか」
くすっと、笑った。
彼女が、笑ってくれた。
なぜだろうか、それがとてもうれしかった。
「なぁ、付き合ってもらえるか」
再び、重さのない体が草の上に横たわる。
「何に、付き合えばいい?」
僕は、聞いた。
なぜか彼女が焦っているような気がしたから、聞いた。
「語り」
そう、彼女はつぶやいた。
「語り、か」
何を語ればいいのだろうか。
冬の風が吹く。枯れ草が、オーケストラを奏でる。
「うん、決めたぞ」
呟いた後、ほんの少しの静寂の後、彼女はまた口を開く。
「お前の、今までを語ってくれ。語ってほしい」
懇願するような声だった。
「ああ、覚えている限りを話そう」
無意味に過ごしてきた。万を超える年月が過ぎている。
僕たちが住んでいた列島の形も変わり、もう何もかもが変わり果てだ。僕たちは死んだように生きていて、それまでの人が切望してきた命の価値を馬鹿にしているようだった。
だから、星に魅せられた。星空に魅せられた。
この無意味な時に、もし意味があるのならそれはきっと……
「始まりの話から話そう。僕が僕であり、そして僕たちが生きながら死ぬ前の話から」
この時の為だったのだろう。
思い出そう。
久遠に等しい苦痛の底に溜まった澱、その澱の更に奥の宝物を。
輝いていた、僕たちが死を恐れながら生きていたころの話を。
「そうだな、まず僕が生まれた場所は――」
生きているように生きていた時代の話を、しなくてはいけない。
死んだように生きている今だからこそ、思い出さなくてはいけなかったんだ。
「ああ、そこからゆっくりと思い出さなくちゃ、いけないか」
ゆっくりと、脳に熱を込める。
熱を込めて、熱くして、回さなくちゃいけない。
今ここで、思い出さないと。長い時で名さえ忘れた、僕が生まれた場所を。
自分と、自分との関係性でのみ人が語られる今ではなく、人が一つの個として生きていた時代の話を。
「ああ、楽しみにしよう」
彼女はそういった。
かみしめるように。
なぜだろう。
冬の風が、心に吹きすさぶ。
「ああ、僕が生まれたところは君たちがみやこと呼んでいたところから南西にあって……意外と思い出せるな」
「そうか、それは良かった」
風とは対照的に、脳が熱くなる。
頭が回ってきた。古の、生きているように生きていた時代が鮮明に思い出されてきた。
「そうだな、語ろう。そうだ、僕の名前も思い出せてきた」
何度も、脳が生まれ変わって消えてしまった僕の名前。
ようやく、澱の底の宝を掘り当てた。
「いや、まず僕の名前から語ろうかな」
「そうか、そうだな。それがいい」
彼女は、楽し気に答える。僕がクスリと笑うと、彼女も笑いながら言った。
「名前がないと、楽しくない。お前が何者か、解らないからな」
「はは、そりゃそうだ……君の名前は?」
「私は、もう名など覚えとらんよ。お前の思ったように、呼べばよい」
少女はからからと笑った
ああ、なんだろう。
これが、生きるということだ。
「じゃあ、初めにお前の名前を聞こう」
「そうだね」
始まりの話をしよう。
僕が母の胎から生まれて、そして両親から始めてもらった、命の証の話をしよう。
僕が僕となって、そして僕が他の人とは違うと定義される始まりの話をしよう。
かけがえのない、命の価値が薄くなってから消えてしまった話をしよう。
「僕の名前は――」
夜を通す、夜語りの始まりは、何の変哲もない語りからだった。
続く
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